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家族に捨てられたので、海へ還ります

作者: 蒼乃つむぎ
掲載日:2026/10/04

「リゼット。次はこの剣だ」

父が差し出した剣は、錆びて刃こぼれした、ただの古剣にしか見えない。

しかし、リゼットが柄に触れた瞬間、頭の中に言葉が浮かんだ。


――《黎明を拓くもの》


それが、この剣の真名だった。

真名。物が持つ本当の名前を、リゼットは触れるだけで聞き取れた。

「《黎明を拓くもの》」

リゼットが真名を口にした途端、剣が淡い光を放った。

錆びついていた刀身は輝きを取り戻し、欠けていた刃も新品のように蘇っていく。

その様子を見て、父は満面の笑みを浮かべた。

「素晴らしい。やはりお前は我が家の宝だ」

その言葉が嬉しかった。

リゼットはアーデル男爵家の娘。

勉強も、人付き合いも、特別秀でているわけではない。

そんな自分が家族から必要とされるのは、この能力があるからだった。

父に頼られることが嬉しかった。

母に「リゼットのおかげね」と微笑んでもらえることが嬉しかった。

弟に「リゼットの力はすごい」と言われることが嬉しかった。

だから、頼まれれば断らなかった。

古代の魔道具。

王家から預かった装飾品。

戦争で壊れた魔剣。

商人から持ち込まれた宝石。

リゼットが真名を呼べば、失われていた力が戻り、その価値は大きく跳ね上がった。

アーデル家は、リゼットの力によって瞬く間に名を上げていった。

家族が喜ぶ姿を見ると、胸が温かくなった。

たとえ、真名を呼ぶとき以外は家族が自分に見向きもしなくても。

社交の場に連れて行ってもらえなくても。

家族で出かけるとき、いつも留守番を任されても。

もっと頑張ればいい。

もっと役に立てばいい。

そうすれば、いつか本当に家族から愛してもらえる。

リゼットは、そう信じていた。

けれど、ある日。

「今日はこれだ」

父が差し出したのは、いつもの品とは違うものだった。

黒ずんだ銀細工に、赤い宝石が埋め込まれた一つの耳飾り。

父だけではない。

母もその耳飾りを前にして、どこか警戒するような表情を浮かべている。

普段は母から離れない弟はこの場にいない。

「これの真名を呼べ」

「……はい」

嫌な予感がした。

それでも家族の視線を前に、断ることができない。

リゼットが耳飾りに触れると、頭の中に今まで聞いたことのないほど低く、不気味な声が響いた。

――《喰らうもの》

背筋が凍った。

「お父様。これは……」

「いいから真名を呼べ」

「ですが……」

「呼べと言っている」

「嫌です」

初めて、リゼットは父の命令に逆らった。

「これには何か、普通ではないものが――」

「呼べ!」

怒鳴られ、リゼットの身体がびくりと震える。

怖かった。

それでも、家族の期待を裏切ることのほうが怖かった。

震える手で、耳飾りを握りしめる。

「……《喰らうもの》」

口にすると耳飾りから黒い光が噴き出した。

その光がリゼットの耳に絡みつく。

「――っ!」

胸が締めつけられた。

息ができない。

身体の内側から、何かを吸い取られていく。

「リゼット!」

父の叫び声が遠くで聞こえた。

床に倒れ込んだ身体から、淡い光が抜けていく。

それが自分の命なのだと、なぜか分かった。

そして、握りしめていたはずの耳飾りが耳元で冷たく揺れていた。

「外せ!」

父がリゼットに駆け寄り、耳飾りを外そうとする。

しかし。

「外せない……!」

何度試しても、耳飾りはびくともしない。

その必死な声に、リゼットは苦しみながらも、ほんの少しだけ安心した。

――お父様が、助けてくれようとしている。

父は自分を心配してくれていると、そう思いたかった。


その後、リゼットは神殿へ運ばれた。

高位の神官が耳飾りを調べ、長い沈黙のあと、重い口を開く。

「私の手には負えません。……長くはもたないでしょう」

「……そんな」

呆然と床を見つめるリゼットの横で、母が神官に尋ねた。

「耳飾りの呪いは、解けないのですか?」

リゼットは顔を上げた。

神官が耳飾りに目を向ける。

「解呪は不可能です。これは装着者の生命力を奪い続け、その命が尽きても消えません」

その言葉を聞いた瞬間、家族の顔から血の気が引いた。

「……命と引き換えにしても、解けないのですか?」

父が尋ねると、神官は静かに頷いた。

「命と引き換えに、ってどういうことですか……?」

家族の反応は、リゼットの命を案ずるというよりは、呪いが解けないことにショックを受けているようだった。

そのとき、ようやく分かった。

――この人たちは、知っていた。

この耳飾りが危険なものだと。

それでもリゼットに真名を呼ばせたのだ。


◇


そして、その日の夜。

リゼットは家から追い出された。

「呪われた人間を屋敷に置いておくわけにはいかない」

父は冷たく言った。

「お前が死ぬのは構わん。だが、ここで死なれては困る」

「……お父様」

「万一にも、愛する我が子に呪いがうつったら困るわ」

母はそう言って、弟を抱き寄せた。

その光景を見て、リゼットの胸が痛んだ。

「……私も、あなたたちの娘ですよね?」

震える声で尋ねる。

父は、何の感情も浮かべずに答えた。

「お前を娘として愛したことはない」

「一度もね」

母も続けた。

「呪われて、役に立たなくなったお前に何の価値がある?」

その言葉が、胸に突き刺さった。

今まで積み重ねてきたものが、音を立てて崩れていく。

必要とされていると思っていた。

愛されていると思っていた。

家族が見ていたのは、自分の能力だけだった。

「これで少しでも遠くへ行ってくれ」

父は吐き捨てるように言い、布袋を投げつけた。

「……」

不思議と、涙は出なかった。

むしろ、今まで胸の奥にあった何かが、すっと消えていくような感覚がした。

屋敷を追い出されたリゼットの身につけているのは、外れない耳飾りだけ。

足元の布袋は、思ったより軽かった。

「……」

どうせ死ぬのなら。

最後に一つくらい、自分のために生きてみたい。

幼い頃から、一度でいいから見てみたかった場所。

海。

今までは依頼をこなす日々で、外出も制限されていた。

だが、もうリゼットを縛り付ける者はいない。

本でしか知らない、どこまでも広い青。

リゼットは海を目指して歩き始めた。


◇


海を目指してひと月。

身体は日に日に弱っていった。

途中で何度も倒れた。

それでも、立ち上がった。

リゼットは重い身体を引きずるようにして、坂を上る。

その先に、青い景色が広がっていた。

「……これが、海」

初めて見る海は、想像していたよりずっと大きかった。

波が寄せては返す。

空と海が、どこまでも続いている。

リゼットは坂を下り、砂浜に座り込んだ。

「綺麗……」

潮の匂いが鼻を抜け、波音が耳に満ちた。

そのとき、呪われた耳飾りから、あの不気味な声とは違う、澄んだ声が頭の中に響いた。

――《還るもの》

リゼットは無意識に、その名を口にしていた。

「……《還るもの》」

真名を口にした途端、黒い呪いが、音もなく砕け散った。

「え……?」

身体を蝕んでいた重さが消えていく。

呼吸が楽になり、指先に力が戻る。

さきほどまで死を待つしかなかった身体に、確かな温もりが戻ってくる。

何が起こったのかは分からない。

ただ一つ確かなのは、呪いが解けたということだけ。

けれど、耳飾りは相変わらず耳から外れなかった。


「何をしている」

突然、背後から声がした。

リゼットが振り返る。

そこに立っていたのは、一人の青年だった。

海風に黒髪を揺らし、青い瞳でこちらを見ている。

「今の時期、この浜は立ち入りが禁じられている」

「す、すみません。禁止されているとは知らなくて……」

「見ない顔だな。そもそも結界をどうやって越えてきた?」

青年は怪しむようにリゼットを見る。

そして、その視線が耳飾りで止まった。

「……その耳飾り」

青年の表情が変わった。

「それを、どこで?」

「……家の伝手で」

「触れてもいいか?」

「構いませんが……この耳飾りには呪いがかけられていました」

青年の視線が、耳飾りからリゼットへ移る。

顔色は悪く、頬も痩せている。

しかし、耳飾りから呪いの気配は感じられない。

青年が耳飾りにそっと触れると、赤い宝石が青い光を宿した。

「間違いない」

「……?」

「突然、失礼した。私はカイル・ヴァレンティア」

彼は、この海辺を治めるヴァレンティア伯爵家の嫡男だった。

「それは、我が家に代々伝わる品で、希少な石で作られている」

「ヴァレンティア家の……!すぐにお返ししたいのですが、何をしても外れないのです」

カイルも耳飾りに手をかけ、外そうと試みたが、耳飾りは取れない。

「本当に、外れないな」

「信じていただけないかもしれませんが、決して耳飾りを自分のものにしようとは考えていません」

「……すまない。言い方が悪かった」

カイルは、少し困ったように眉を下げた。

「君を疑っているわけではない。君は耳飾りに選ばれたんだ」

「え……?」

目を瞬くリゼットを見て、カイルはふっと表情を和らげた。

「もしよければ、我が家に来ないか?その耳飾りを見れば、家族も喜ぶ」

「でも……」

「予定があるなら、無理にとは言わない」

「いえ。予定はありません」

あまりにも迷いのない返事に、カイルが少しだけ目を細めた。

改めて見ても、リゼットの顔色はひどく悪い。

呪いの影響だろう。

「体調が戻るまで、休んでいくといい」

「でも、私は……」

リゼットは迷った。

自分には何もない。

家族も。

お金も。

帰る場所も。

耳飾りの呪いが解けた理由を話せば、真名の力まで知られてしまう。

「私は……」

「君が何者であろうと構わない」

カイルは静かに言った。

「……」

その言葉が、胸に染みた。

今まで誰も、リゼット自身を見てくれなかった。

家族でさえ、真名を呼べる自分にしか価値がないと思っていた。

それなのに、初めて会ったこの人は、能力のことなど何も知らないまま、自分を気にかけてくれる。

「……ありがとうございます」

リゼットは、小さく頭を下げた。


ヴァレンティア伯爵と伯爵夫人は、リゼットを快く屋敷に迎え入れてくれた。

耳飾りが外れないことを伝えたとき、二人は顔を見合わせた。

驚いたような、どこか嬉しそうな顔だった。

不思議そうな表情のリゼットをみて、伯爵夫人は微笑んだ。

そして、屋敷の人々は誰一人として、リゼットに何も求めなかった。


◇


リゼットが海辺の屋敷で暮らし始めて、数週間。

相変わらず耳飾りは外れなかった。

けれど、呪いの影響は完全になくなり、弱りきっていた身体も少しずつ回復していった。

いつの頃からか。

カイルと浜辺を散歩することが、リゼットの日課になっていた。

朝食を終えると、二人で屋敷を出る。

海風に吹かれながら、波打ち際をゆっくり歩く。

最初の頃は、何を話せばいいのか分からず、ただ黙って歩いていた。

けれど、何日も繰り返すうちに、少しずつ言葉を交わすようになった。

リゼットは海へ視線を向けた。

「君は海が好きだな」

「ええ、好きです。初めて見たとき、とても綺麗で感動しました」

「初めて?」

カイルが驚いたように目を見開く。

「はい。本でしか知りませんでした」

「それは、もったいないな」

「だから、毎日見られるのが嬉しくて」

リゼットは小さく笑った。

その笑顔を見て、カイルも穏やかに笑う。

そんな何気ない時間が、いつしかリゼットにとってかけがえのないものになっていた。

だからこそ、ずっと胸の奥にしまっていたことを、話してみようと思った。

「……カイル様」

「なんだ?」

「私には、触れた物の真名が分かる力があります」

カイルが足を止めた。

「真名?」

「はい」

リゼットは、自分の手を見つめる。

「物が本来持っている名前を、触れるだけで知ることができます。そして、その名を呼ぶことで、本来の力を引き出せるのです」

「そうか」

カイルは驚くでもなく、静かに頷いた。

「……それだけですか?」

「何か問題が?」

「この力を使えば、お役に立てるかもしれません」

カイルは少し考えるように首を傾げた。

「君が、そうしたいのか?」

「……いいえ」

《喰らうもの》

あの苦しみを思い出すと、今も指先が震える。

「ならば、使わなくていい」

「でも、私は何の役にも立てていませんし……」

「君は君だろう。能力があってもなくても、それは変わらない」

その言葉を聞いた瞬間、リゼットの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。

カイルが驚いたように目を見開く。

「どうした?嫌なことを言ったか?」

慌てた様子で覗き込むカイルに、リゼットは首を横に振った。

「違います……」

頬を伝う涙を拭いながら、リゼットは微笑んだ。

「嬉しいのです」

リゼットは、まっすぐにカイルを見つめた。

「あなたと出会えたことが」

カイルは一瞬、言葉を失った。

そして、ふっと目を細める。

「……私もだ。それに――」

カイルが、リゼットの耳元で揺れる耳飾りに目を向けた。

「前に、君に言っただろう? 君は耳飾りに選ばれた、と」

リゼットは頷く。

「それは、ヴァレンティア家の嫁に選ばれたという意味だ」

「え……?」

目を見開くリゼットをみて、カイルは穏やかに微笑んだ。


今まで、ずっと必要とされるために頑張らなくても、捨てられることはない。

そんな場所を、長年待ち続けていた。

それをくれたのは、出会って間もないカイルだった。

リゼットの耳元で、耳飾りが陽の光を受けてきらめく。

かつて彼女を苦しめた呪いは、もうどこにもない。

耳飾りは、二人の未来を祝福するように、いつまでも輝いていた。

お読みいただきありがとうございます。

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