鋼鉄の乙女と緋色の糸
ゴルザックは、純度100%のバーサーカーであった。
彼が咆哮すれば大気は震え、彼が戦斧『血塗れの咆哮』を振るえば、オークの群れは一瞬にして「かつて生命体だった肉塊」へと姿を変える。
一度スイッチが入れば、敵味方の区別などという高度な概念は、彼の脳内から蒸発して消えるのだ。
「ウォォオオオアアアアァァァッッッ!!!」
その日もゴルザックは吠えていた。
村を襲ったオークどもを蹂躙し、ついでに余勢で村の正門を粉砕。
さらに勢い余って鍛冶屋の壁に巨大な風穴を開けたところで、ようやく彼の脳内の沸騰が収まった。
「……フン」
返り血で真っ赤に染まった胸板を揺らし、ゴルザックは静かに汗を拭う。
「お、おいゴルザック……またやりやがったな!」
半壊した鍛冶屋から主人が震えながら飛び出してきた。
「これで今月3枚目だぞ、この壁! どうしてくれるんだ!」
「心配するな。俺が直してやる」
ゴルザックが斧を構え直すと、主人は絶叫して彼の足に縋りついた。
「やめろ! お前が直そうとすると村が地図から消える! お願いだから帰ってくれ!」
ゴルザックは不機嫌そうに鼻を鳴らし、踵を返した。
彼は破壊神である。
皿を洗えば粉砕し、薪を割れば家を叩き折る。村の『破壊保険』料率を一人で跳ね上げている男。
だが、そんな彼にも、誰にも言えない「聖域」があった。
その日の夜。
ゴルザックの自室は、静寂に包まれていた。
外見に反して清潔極まりないその部屋は、土足厳禁。
壁には小花柄の布が飾られ、窓辺には可憐な野花。
ゴルザックは、血塗れの斧を丁寧に武器掛けに戻すと、自らの巨大な体躯にはあまりに不釣り合いな、小さな刺繍台の前に座った。
「ふぅ……」
彼は瞑想するように目を閉じ、ゆっくりと開く。
その瞳に、戦場の狂気はない。宿っているのは、求道者のような静謐な情熱だ。
ゴルザックの指は、岩のように太く、ゴツゴツとしている。
だが、その指先が一本の細い針を手に取った瞬間、魔法が起きた。
「……今日は、この緋色の糸で鳳凰の羽を仕上げる」
ゴツい指先が、信じられないほど繊細な動きで針を操る。
一針、また一針。
外で村人が「あぁ、俺の家が、ゴルザックのせいで……」と泣く声も、今の彼には届かない。
彼にとって刺繍は、戦いで使い果たした破壊衝動の後に訪れる、凪のような癒やし。
同時に、一ミリのズレも許さない「完璧主義」との新たな戦いでもあった。
「戦場では、多少の首の角度のズレは許される。だが、刺繍に誤差は許されん」
かつて彼は、脳内の仮想刺繍仲間にそう語っていた。
もし狂戦士団の仲間たちがこの光景を見れば、間違いなくショックで心臓が止まるだろう。
数日後。
村の広場に、ゴルザックが立っていた。
彼の手には、完成したばかりの刺繍があった。
緋色と金の糸で縫われた鳳凰は、今にも布から飛び立ちそうなほど躍動し、神々しいまでの美しさを放っている。
彼はその刺繍を、村長が「ゴルザックでも壊せないように」と特注したミスリル製の掲示板に、慎重に画鋲で留めた。
「む、村長! ゴルザック様が掲示板に何か貼ってるぞ!」
村人たちが、怯えながらも野次馬根性で集まってくる。
そして、そこに貼られた「芸術」を目にした瞬間、全員が硬直した。
「なんだ、この美しい鳥は……!」
「まるで生きているようだ。王宮の御用達職人の仕事か?」
ざわつく広場。
誰もが、目の前のバーサーカーと、その芸術品を結びつけられない。
その時、一人の少年が純粋な瞳でゴルザックを見上げた。
「ねぇ、おじちゃん。これ、誰が作ったの?」
ゴルザックはゆっくりと振り返った。
その顔には、微かな、しかし誇らしげな笑みが浮かんでいる。
「……俺だ」
広場に、絶対的な沈黙が降臨した。カラスの鳴き声すら空気を読んで止まった。
「……おい、ゴルザック」
沈黙を破ったのは、やはり鍛冶屋の主人だった。
「お前……その、岩みたいな拳で、この針仕事をしたってのか……?」
「当たり前だろう。これのどこか不満か?」
ゴルザックが腕を組むと、主人は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「あの破壊神が、手芸男子……!?」
「脳筋バーサーカーが、まさかの女子力……っ!」
村人たちの困惑が限界を突破しようとした、その時。
「ゴルザック! オークだ! またオークの群れが来たぞ!」
村に警戒の鐘が鳴り響く。
パニックになる村人たちの中、ゴルザックは静かに、掲示板から大切な刺繍を剥がした。
そして、それを壊れ物を扱うように優しく、しかし確実に、頑丈な胸板の内側――懐へとしまい込む。
「……フン。さて、ウォーミングアップの時間か」
彼は『血塗れの咆哮』を肩に担ぎ、夕日に向かって歩き出す。
背中は相変わらず「死」そのものだった。
だが、その懐には、世界で一番繊細な鳳凰が眠っている。
「ウォォオオオアアアアァァァッッッ!!!」
破壊と芸術を抱えたバーサーカーの咆哮が、再び空を切り裂いた。




