第七話:無慈悲な美
「……我が名はアトロポス。――断罪を開始する」
ガドルフはそれを聞いて、大声で笑い出した。
「アトロポスだと? がっははは」
アトロポスと名乗る災厄は、初めて足を止めた。
「……何が、おかしい」
「失礼。くっ。はははは。すまん、すまん。教会の主張もあながち間違いではなかったということか。くっ、くくく」
災厄は静かに、ただ目の前の人物の行動を窺っている。
「…………だが! 消してしまえば、無かったも同然。このガドルフ・ウルフストロングが災厄とやらの力、試してやろう! 『アイギス』を起動しろ。ルーンもだ」
ガドルフが叫ぶと、地響きとともに、広大な広間を囲む巨大な壁がせり上がった。
同時に、左右の魔法騎士が生成した『雷』と『溶岩』のルーンをぶん取る。すかさず自身の『風』とともに柄へ装填。
たちまち、雷光と暴風を纏う、紅蓮の大剣が顕現した。
ガドルフは正面の敵を見据える。
「最初から本気で行かせてもらおう。……行くぞ!」
――刹那。その巨躯は音速の衝撃波を残し、消えた。
「おるぁぁあああ!」
瞬きする間もなく、災厄へと肉薄する。
雄叫びと共に振るわれた一撃は、主の全霊を体現するがごとく、爆音を上げて稲妻と紅蓮の奔流を解き放つ。
それは瞬く間に防壁にまで到達。壁に沿って猛烈に加速した。
右から左へ――。
地平を薙ぐ閃光となって、一瞬のうちに眼前の敵もろともすべてを蹂躙した。
爆風が逆巻き、ガドルフの頬を鋭い風が撫でる。焦土と化した前方を見据え、満足気に鼻を鳴らす。
「終わりだ」
――直後。背筋を冷たい戦慄が走り抜けた。
――いつの間にか、災厄はガドルフの背後に佇んでいた。
傷一つないまま、興味を失ったように再び歩き始める。
――ボタッ。
無音の戦場に響く、あまりに場違いな音。
「あ……?」
騎士たちの思考が凍りつく。
「ひぃ……あ、ああ……ばっ、化け物……ッ!」
――ギルド長ガドルフ・ウルフストロングの首は、すでに地面に転がっていた。
「……『プレイヤー』はどこだ」
災厄は小さくつぶやくと、周囲を見回し再び対象を探し始めた。
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広間の防壁『アイギス』と一体化した議会堂は、今や鉄壁の『管制楼』と化している。
その最上階から戦場を俯瞰していた王――エルヴン・ド・トライアは、信じがたい光景に戦慄した。
「……し、信じられん。ガドルフがやられた!? あれは『災厄』……なのか?」
それを見計らったように、王の背後から姿を現したのは、秩序の番人――ヴァレリウス・ブラックウッド。
「……災厄は秩序を乱す人間だ。……私は即時死刑執行を要求したはずだが?」
ヴァレリウスは侮蔑の眼差しで王を射抜くと、憐れむように眼下の惨状へと視線を流した。
「これは――神の裁きである! 即座にあの男を処刑せよ。さすれば、神の怒りは鎮まるだろう」
「神の、裁きだと!? し、しかし。それで怒りが鎮まるという保証はあるのか?」
ヴァレリウスは、狼狽する王を見下ろし言い放った。
「ふんっ。王が決断できないならば、我々が裁きを下す。お前たち、あの男を連れてこい!」
――王は頭を抱え、うわごとのように繰り返していた。
「(もはや、あの『災厄』に対抗できるのは、光の竜を放ったというあの男――アリウスしかおらん。……だが、教会に逆らえば、トライアは終わりだ)」
(――選べるわけがない。どちらも破滅の道しか、ないではないか)
――その時、息を切らしながら戻ったヴァレリウスの部下が、切迫した表情で告げた。
「――ほ、報告します! 牢はすでにもぬけの殻……逃げられました!」
「何? トライアがモタモタしている間に……。これだから、これだから不完全な人間は…………!」
ヴァレリウスの表情が、憐れみから底冷えする嫌悪へと変わる。
「排除せねばならん。何としてでも。…………かつての私の、家族のように」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやかれた。
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アリウスは、外の光景に目を細めた。
「まさか都市内部まで入り込まれているとは。『アイギス』が起動している。それほどの敵なのか」
――その時。
防壁の内部から、爆音とともに激しく燃える光が発し、続いて火の粉とともに稲妻を帯びた熱風が舞う。
それは火柱のごとく上昇する気流に乗って、天上から優しく照らす月の光ごと、空を焼き尽くした。
「……ギルド長か。相変わらず無茶苦茶な威力だ」
――だが。防壁の上、眼下に広がる光景にアリウスは愕然とした。あのギルド長が、無惨にも崩れ落ちていた。
向かいの塔には、先に到着していたサイラス。彼は凍りついたように口を開け、ただ目を見開いている。
(やったのはあのローブのやつか……女?)
ギルド長とは対極をなす小さな体。ローブの袖から覗く腕は、今にも壊れてしまいそうなほど細く、月のように白い。
降り注ぐ血の雨の中にありながら、彼女の周囲だけが世界から切り離されたように静謐で、死を撒き散らすには、あまりに清廉だった。
その華奢な外見とは裏腹に、彼女は戦意を失った騎士達を冷徹に蹂躙していく。
荒ぶる『火』には鎮める『水』を。流転の『水』には堤の『土』を。堅牢の『土』には浸食の『風』を。変幻の『風』には獄炎の『火』を。
吸い寄せられるように、正確無比に弱点属性が穿たれていく。慈悲も、殺意すらない。ただ最適解だけを叩き出し続ける、完璧な演算。
アリウスは息を呑んだ。口元が緩み、瞳が異様な輝きを帯びる。
「美しい……」
彼は少女に、完璧な秩序を見出した。
「……もっと、知りたい。その論理はどんな旋律を奏でるのだろう」
彼は、即座に防壁から飛び降り、『風』を纏う両足で、壁面を一気に蹴る。次の瞬間には、ローブの少女の眼前へと、荒々しく着地していた。
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――砂煙が舞う中、少女は鬱陶しそうに眉をひそめた。
(また一匹、羽虫が飛んできたのか)
「はぁ……。なぜきさまら人間は、消しても消しても蛆虫のように湧いてくる……?」
少女はため息をつく。あんなに綺麗にしたのに。眠っている間にまた下劣な人間どもが蔓延っている。――不快。
だから、消す。邪魔だから、退かす。
この不完全な世界に、価値のあるものなど存在しない。
思考など不要。ただ手をかざして想像するだけ。目の前の人間が鎌鼬によって消し飛ぶ結末を。
羽虫の足元が光を発し、魔法陣が展開しようとしている。だが――。
「遅い!」
彼女の感情の昂ぶりが、即座に殺傷プログラムへと変換される。
(――消えろ)
破裂音。対象の周囲空間もろとも、球状に抉り取られ、消失する。
「……なぜ、私を目覚めさせたの? もう、疲れた。……とっとと『プレイヤー』を排除して、早く眠りにつきたい」
少女は興味を失い、再び対象を探し始めた。
――だが、その視線が凍りつく。
「最速の鎌鼬を避けるか……。少しは、まともなやつがいたようだな」
空間が削り取られたはずの場所。その瓦礫の上に、先ほど消したはずの男が、無傷で佇んでいた。
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