第六話:運命の断罪者
「アリウス・ルーンクレイヴ」
法廷の中央、ヴァレリウスは事務的に告げた。
「貴様は昨日、未承認の魔法を行使した。……異存はないな?」
だが、アリウスは虚空を見つめたまま動かない。今まさに裁かれようとしている自分を、他人事のように、傍観していた。
ヴァレリウスの喚く声は、アリウスにとってはノイズでしかなかった。くだらない。この世界はあまりに非論理的で、醜い。
だから彼は、意識を切り替える。脳裏に浮かぶのは、昨日見た魔法式の残像。
そこには嘘も裏切りもなく、ただ完璧な整合性を持つ「美」――至高の魔法だけがあった。
「……沈黙は肯定か。あるいは、自身の罪すら理解できぬ欠陥品か」
ヴァレリウスは、システムのエラーを見つめるような冷徹な目で一歩踏み出した。
「……カイルス・ド・オルフェウス。レナ・ド・オルフェウス」
ピクリ、とアリウスの耳が反応する。
「……十五年前、私が処分した汚点。――貴様の本当の両親の名だ」
アリウスの目が急速に見開き、目の前の男を捉えた。
「姓が変わろうと貴様の中に流れるものが、穢れた血であることは変わらん。あの時、前任者が貴様という『幼いバグ』を見逃したのが間違いだったのだ」
完成されつつあった美しい構文の流れは、一瞬にして霧散した。
「……なんだと?」
「聞こえなかったか? 両親の死は無駄だった。貴様という汚点を残したことも、すべてが徒労だったと言ったのだ!」
「――取り消せッ!!」
純粋な殺意が爆発し、議場の空気が凍りつく。だが、アリウスが動くより早く、審問官たちが彼を床にねじ伏せた。
「がっ……!」
床に這いつくばりながらも、アリウスの瞳は獣のようにヴァレリウスを睨みつけている。
ヴァレリウスはそれを待ち望んでいたかのように、恍惚と両手を広げた。
「見ろ、その理性を失った姿を! 先日下った『災厄の神託』、そして同時刻に観測された貴様の力……」
彼は勝ち誇り、王たちへ振り返る。
「貴様のその殺気こそ、世界を滅ぼす『災厄』の証明だ。予兆は示され、元凶は特定された」
ヴァレリウスの声が、狂信的な熱を帯びて響き渡る。
「よって神聖教会は、秩序回復のための『浄化』――即ち、異端者アリウスの即時死刑執行を要求する!」
――静寂。
異論を挟む者は、誰一人としていなかった。
「……貴様を拾った愚かなルーンクレイヴ家もまた、歴史から消え去った。穢れた異端者を匿った報いか……嘆かわしいことだ」
一人ヴァレリウスの声だけが、静かにこだました。
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夜の静寂が満ちる牢獄。冷たい石壁に背を預け、アリウスは先刻の出来事を思い返していた。
『十五年前、私が貴様の両親を処分した』
ヴァレリウスの嘲笑が、耳の奥にこびりついて離れない。一時は激しく燃えた怒りは、今は胸の奥に沈殿している。
その中から、皮肉にも鮮明に浮かび上がるのは、十五年前のあの日――。
雲ひとつない晴天。休日の朝食。ありふれた幸福は、訪問者のノック音一つで断ち切られた。
両親は玄関先で誰かと短く言葉を交わし、アリウスに「留守番をしていてくれ」とだけ言い残して出ていった。
最後に何かを言っていたような気もする。だが、その言葉も、顔も砂嵐に埋もれ、どうしても再生できない。
――その時。魔物の襲来を告げる鐘が鳴り響き、アリウスは記憶の底から現実へ引き戻された。
(……魔物の襲撃か?)
思考より先に体が反応した。
だが、立ち上がろうとした瞬間――ガギィンッ、と硬質な音が響き、強烈な衝撃が足首に走る。
バランスを崩し、無様に石床へ叩きつけられた。
「がっ……」
冷たい床の感触が、数時間前の屈辱を鮮烈に蘇らせる。床にねじ伏せられ、見下ろされたあの光景を。
(……くそッ。あの野郎……!)
内側から焼かれるような殺意。
(……落ち着け。感情は判断を鈍らせるバグだ。思考しろ。現状の打破に必要なのは、怒りではなく解法だ)
彼は荒くなる呼吸を、無理やり冷たい計算式で塗りつぶそうとする。だが、握りしめた拳の震えは止まらない。
計算式の向こう側で、ヴァレリウスの嘲笑だけが無限ループし、論理の構築を阻害し続ける。
――その時、アリウスを宥めるかのように、足首の拘束具がカタリと音を立てて外れた。
「…………メギナス、か」
外へ通じる扉は鍵が開いており、門番はすでに床に伏している。やすやすと脱獄が完了した。
(やつの提案に乗る気などさらさら無いが……ただ座して死を待つことこそ、最大の論理的欠陥だ)
アリウスは門番の一人から指輪を取り、自らの指にはめると、騒乱の気配が満ちる外へと歩き出した。
+ + +
――時は少し遡り、夜の帳が降りる頃。
ドラゴンの襲撃で損壊した、南門の警備に当たっていた衛兵たちは、そこで奇妙な光景を見た。
その日は満月で、松明などいらないのではないかと思えるほど、よく見える夜だった。
南の方から、月明かりに照らされて、人影が近づいてくる。身長は低く、華奢な体形。闇に紛れる黒のローブを身に纏い、フードを目深に被っている。
漆黒の衣に施された金色の刺繍が、月光を受けて時折きらめいていた。それは、静かに淡々と歩みを進める。
「おい、お前、何者だ」
衛兵が呼びかけるも、止まる気配がない。フードの中で目が紅く光ったと思った瞬間。
――衛兵たちはすでに紙吹雪のごとく飛ばされていた。
「……『プレイヤー』はどこだ」
謎の言葉をつぶやき、それは何事もなかったかのように都市へと侵入した。
+ + +
サイラスは新品の赤のマントを羽織り、悠々と現場に向かった。
「状況は?」
「……は、これは、サイラス様! 敵は、前日に損壊した南門から出現。止める門兵を振り払い侵入した模様です。現在全勢力を上げて対処しておりますが……全く止まる気配がありません」
「騎士たちは何をしている! 昨日の疲労など言い訳にならんぞ! ……敵の数は?」
「……それが……一人、です」
「……一人? ……聞き間違いか?」
「いえ、確かに一人で間違いありません。……人間ならばの話ですが」
「いったい何をやっている! 相手は人間? しかもたった一人?」
「申し訳ありません。報告によるとその者は黒のローブを深くかぶっており、魔法を使う……と」
「ミストラルの者か? たった一人で……なぜトライアに? ……何かおかしいな。考えても仕方ない……おれが直接行って確かめる」
――サイラスはそれを見た時、肌を刺すような異質な気配に足を止めた。
(なんだ? こいつは……人間、なのか? たった一人で、堂々と……)
その人影は、煩わしい羽虫でも払うかのように無造作に手をかざす。瞬間、四色の光が弾け、群がる騎士たちを一撃で吹き飛ばした。
(――なんだ今のは? ルーンを使っているようには見えなかったが……それにしても速すぎる。これが、ミストラルの魔法なのか?)
「止まれ! 貴様何者だ!?」
サイラスは敵前に一人進み出る。だが、敵は怯むことなく淡々と接近してくる。
その華奢で小柄な体躯にもかかわらず、サイラスは巨人に上から見下ろされているような錯覚に陥った。
暗闇の中に、妖しく光る紅い双眸。
背筋が凍った。それはドラゴンよりも冷徹で、無機質な殺意に満ちていた。
(――っ! ……魔物? いや、まさか)
「……邪魔だ。お前のような雑魚に用はない」
得体の知れないそれは、言い終わると同時に手を振り払う。
「くっ、またか!」
風の刃がサイラスを襲う。しかし、彼は反射的に剣を振り抜き、緑の閃光とともにそれを捌いた。
――刹那。
サイラスの思考が停止する。脳内ではすでに反撃のため、前方へ踏み込んでいるはずだった。
だが現実は――視界が高速で後退し、遅れて腹部に重い衝撃が響く。自分が吹き飛ばされたと認識した時には、すでに背後の建物へと激突していた。
「…………人間では……ない」
サイラスは、その場で気を失った。
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中央広場には、トライア騎士連合の陣が張られていた。中央には魔法ギルド長ガドルフが剣を突き立て、悠然と佇んでいる。
ローブを纏ったそれは静かに、淡々と歩みを進めた。
「止まれ! 我はトライア魔法ギルドを統べる者。ガドルフ・ウルフストロングである! 貴様は何者だ、名を名乗れ! 答えないなら……次の瞬間にはお前の首は無い――」
ガドルフの声に大気が震える。そして、大剣を鞘から抜き、剣先を敵へと向けた。
「……騒がしい。我が名はアトロポス。貴様らに名乗る意味などないが……消えゆく魂の残滓として、忘却の淵に刻むがいい。――断罪を開始する」
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