エピローグ(第一章):残された者たち
紫の炎が焼き払った広場。自身の剣を握ったまま、震えが止まらない手を見つめている魔法ギルドの騎士。その背後から刺すような視線。冷徹な嫌悪を湛えた足音が、一歩、また一歩と近づく。塵一つ許さぬはずの純白の衣――その裾は、不吉なまでに僅かに汚れていた。
「……無様だな、青年」
ヴァレリウスの声は、氷の楔のように冷たく響く。
「悪魔に魂を売り、秩序を穢したあの異端者を、貴様は見送った。……最後に放ったあの魔法は、惜別の挨拶か?」
サイラスは顔を上げることができない。
「違います……あれは、その……」
「言い訳は不要だ。結果がすべてを物語っている。貴様は躊躇して――そして失敗した」
ヴァレリウスは彼の正面へ立つと、威圧的に見下ろした。――「昏い嫉妬と劣等感」。見上げる彼の、その目に宿る揺らぎを覗き込む。
「だが、まだ『英雄』になる道は残されている。……ガルドフを失った魔法ギルドはもはや終わりだ。秩序を正すには、新たな力が必要だ……」
ヴァレリウスの声は、有無を言わせぬ重圧を伴って響く。
「これより貴様を、神聖教会直属・特務騎士団に任命する。……名誉も、力も、教会の威信にかけて与えよう」
「おれが……神聖教会の、特務騎士団に……?」
「そうだ。アリウス・ルーンクレイヴは、災厄と手を取り、この世界の秩序を破壊した最悪の『汚点』だ。それを消去できるのは、ヤツのすべてを知る貴様しかいない」
サイラスの瞳から迷いが消え、代わりにアリウスへの憎悪を燃料にした「昏い光」が宿り始める。
「……謹んで、お受けいたします。アリウス……いいえ、あの異端者を、この手で必ず」
(ふん。……容易い。精々、私の忠実なる駒として励むがいい)
ヴァレリウスは冷徹に口元を歪め、彼方の空を睨みつけた。
+ + +
もう一つ、南へ走る紫の閃光を見送る瞳。そこには、冷たく、鋭い陰が宿っていた。
「アリウスは行ったか。……まさか『災厄』と手を組むとはな」
ふっ、とメギナスの口角が歪に吊り上がる。
「いや、完全な失態とも言い切れまい。あの最強のギルド長は死に、災厄を招いたトライアは実質的に崩壊したも同然だ。いずれ聖都の傀儡に成り下がるだろうが……もはやトライアなど、いつでも穫れる」
その微笑は瞬時に掻き消え、再び無機質な表情へと変わる。
「問題は……あの災厄だ。野放しにすれば、文字通り俺の首が飛ぶことになりかねん。伝承が真実だった以上、もはや一刻の猶予もない」
彼は影に向かって冷たく言い放った。
「俺は新魔法の報告書と機密技術を回収し、一度ミストラルへ戻る。お前たちは、死に物狂いで災厄の行方を追え」
メギナスはそう言い残し、差し込む朝日を背に歩み出した。
――魔法ギルド。つい昨日まで栄華の光を湛えていたその姿は、そこにはなかった。
まるで、何十年も前に打ち捨てられた廃虚のように。無機質に、ただ冷たい朝の光に照らされていた。
+ + +
魔法ギルドの趨勢は、数日のうちにトライア全域へと広がっていった。ドラゴンと災厄の襲撃によって半壊した都市は、重苦しい沈黙に包まれている。
聖都セレスティアから派遣された『神聖協会』の調査官たちは、復興を助けるどころか、鋭い眼光で都市の隅々を検閲していた。子どもたちが木の棒でじゃれ合う無邪気な姿すら、彼らにとっては教義に反する「不浄」の対象でしかない。
その冷徹な視線は、トライアの象徴である王宮にまで及んでいる。
王エルヴンは、なすすべなくそれを受け入れるしかなかった。
「どうすればよかったのだ……。一体、私に何が変えられたというのだ……」
数百年もの間、鉄壁を誇った城塞都市国家トライア。
その栄光の歴史は今、このエルヴン・ド・トライアという王の代で、抗いようのない濁流へと飲み込まれようとしていた。
冷え切ったテラスから眼下を眺め、ただただ立ち竦む王。
かつて慈しんだ美しい街並みは、どこにもない。そこにはただ、息を詰まらせるほどに無機質な、見知らぬ街が横たわっているだけだった。
その奥に佇む南門は、彼の心を写し取ったかのように、ぽっかりと、ただ虚しい大穴を晒していた。
+ + +
無防備に空いた大穴から、絶えず冷たい風が吹き込んでくる。いまだ修復もされていない、南門。そのそばに並んだ仮設テントには、行き場をなくした人々がひしめき合い、そこかしこで、追放者に対するどす黒い不満と憎悪が吐き捨てられている。
少年は、独り閉じこもるように、毛布にくるまり、そんな人たちを遠目から見つめていた。
砂ぼこりの臭いが鼻を突く。
まぶたを閉じれば、あの恐ろしい真っ黒な炎がよみがえる。
けれど、その絶望を切り裂くように、真っ直ぐに立ち向かう金色の光があった。
そして――光の真ん中で、自分を守るように立っていた、あの大きな背中。
「……あの人は、本当に悪い人だったのかな」
ぽつりとこぼれた独り言は、風にかき消された。
みんなが守りたがっている『秩序』って、いったい何?
もしあの人がいなかったら、ぼくは今ごろ死んでいた。
(みんながいう正義は、ぼくを助けてなんてくれない……)
大人たちの怒声が、少年には『お前なんて死んでしまえばよかったんだ』という呪いのようにしか聞こえなかった。
ふと、空を見上げると、灰色の空が広がっていた。
あの人がいなくなってから、世界はずっとこの色だ。
厚く重い雲。それがまるで、ちっぽけな少年の存在を、その心ごと押しつぶそうとしているかのようだった。
+ + + 第一章 完 + + +




