第十話:蒼の雷光
戦況は互角。――いや、徐々に傾いていく。ぶつかり合いのすき間を縫って飛来する魔法を、アリウスは避け、アトロポスはくらう。
その差は時間とともにますます広がっていった。
「なぜだ、なぜ避けられる……! なぜ、私の魔法がお前に届かないッ!」
アトロポスの絶叫とともに、広間の壁が、床が、悲鳴を上げて爆ぜる。
「消えろ……ッ。消えろ、――消えろ! 消えろ、消えろ、消えろォ!!」
狂ったように繰り返される言葉。それは最強の個体としての余裕ではなく、正体不明の恐怖に追い詰められた子供の悲鳴に近かった。
だが、対するアリウスは、冷静に、奏でるようにそれらの攻撃を捌いていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……なぜだ! なぜ避けられる! なぜきさまら『プレイヤー』は何度も何度も私たちの邪魔をするッ!」
乱れた呼吸。肩を震わせ、構えた手の狙いさえも定まらない。アリウスの瞳に映るのは、もはや無慈悲な災厄ではなく、ただの迷い子の姿だった。
「私たちは……ただ、幸せに暮らしていただけなのに」
――ドクン、と。心臓が跳ね、アリウスの胸の奥を激しく揺さぶった。
(幸せに……暮らしていた、だけ……?)
「……姉さんたちは、もう戻らないのに」
震える手。そこから放たれる魔法はもはや、捌く必要も、避ける必要もない。軌道は完全に逸れ、虚空へ虚しく消えていった。
(ああ……そうか。君は……おれと、同じだったんだな)
「もう、止めたい。もう……止めて。災厄を――」
≪ALERT: CORE-DOMAIN_CONTAMINATION_DETECTED≫
(――終わらせて)
≪LOADING_PROGRAM: 'HATRED_MEMORY'......≫
――刹那、アトロポスの瞳が、どす黒い紅で塗りつぶされる。
≪PRIORITY: ELIMINATE_THE_PLAYER≫
≪ERROR: HATE-VALUE_OVERFLOW [1000%]≫
≪LIMITER_RELEASE: THERMAL_RISE≫
≪EXECUTE: DESTRUCTION≫
銀の髪は激しく逆巻き、透き通るような白磁の肌を、ひび割れた稲妻のごとき紅い紋様が侵食していく。
内側から焼き切らんとするほどの高熱。抗うことのできない強制的な介入に、彼女の肢体は痛々しく震えていた。
「『プレイヤー』。我らが怨敵。……排除する」
(……これは、術式か? だが、彼女の心と相反する論理が何であれ――こんな、こんなつまらないものに、彼女を壊されてたまるか!)
守るべきもの、そして打ち砕くべき歪みを定め、アリウスは魔法を編み上げる。
二人は同時に、最後の一撃となる術式構築を開始した――。
アトロポスの背後に浮かび上がるのは、死の螺旋。
それは空間を支配する夜の闇すら塗りつぶすほどに深く、絶望を凝縮したような漆黒を放つ。
螺旋は三つの魔法陣を形作り、禍々しき三重の門を展開させた。
対するアリウスは、優しく丁寧に構文を紡ぎ出す。
奏でるように生成された『雷』。それは荒々しい暴力の象徴でありながら、澄みきった泉のごとく静かに凪いでいた。
アトロポスの眼前で、漆黒の粒子が渦を巻く。
徐々に形を成していくそれは、冥府の瘴気を纏い、血のようにどす黒い紅が血管のごとく這い回る。その中心に鎮座する髑髏が、冷酷な存在感を放っていた。
――顕現したのは、深淵より這い出した終焉の器。
かつて人類を絶望の底へ突き落とした災厄の象徴――虚無を齎す『漆黒蘇芳の冥鋏』。
その黒と紅の刃が噛み合うとき、断たれるのは命ではない。対象という存在の定義、その理そのものである。
一度刃が届けば、対象は冥府の川の奔流に呑まれ、忘却と無へと帰す。それは回避不能な、絶対の摂理であった。
アリウスが生み出した蒼の光は、彼の脚部へと静かに降りてゆく。それはまるで、すべての闇を包み込むような神秘的な輝きを放っていた。
雷光を纏った彼の身体は、帯電するエネルギーにより、蒼の燐光を放ち、髪は重力に逆らって浮き立つ。
アトロポスはゆっくりと手をかざし、無機質な瞳でアリウスを捉える。
だが、その瞳から溢れたのは悲痛な紅。術式に命を吸われ、限界を超えて軋む肉体から、一筋、また一筋と、白磁の頬に鮮烈な血の涙が流れ出る。
その血を啜る髑髏が、まるで生きているかのようにカタカタと歯を鳴らし、悍ましい笑い声を上げる。漆黒と蘇芳の双刃がゆっくりと開いていく。
彼女の瞳に映る「死」の淵に、アリウスは静かに踏み込んだ。
(君は、どんな人間よりも美しい。この欠陥だらけの世界に咲く一輪の花だ。……だから、必ずその暗い淵から救い出してみせる)
目を閉じ、感覚を極限まで研ぎ澄ます。
アトロポスから流れてくる旋律。その完璧な調べに混ざる、かすかな感情。
(――今だ!)
――刹那、極限まで凝縮された蒼の雷光が爆ぜる。アリウスは自身を導体とし、空間に構築されたローレンツ力を爆発的に指向させた。
超電磁加速による超音速の突撃。
アリウスは一筋の蒼光を残し、視界から消失した。
激突寸前――彼が紡いだ構文が、加速とは逆位相の強力な電磁界を展開する。
物理法則すらねじ伏せる「制動力」が、爆音を置き去りにして、アトロポスの鼻先でその身体を完璧に静止。彼女が絶望を解き放とうとしたその「刹那」に、強引に割り込んだ。
火花を散らすアリウスの指先が、彼女の細い手首を優しく、だが力強く、捉えた。
強制的な干渉を受け、絶望の鋏は、行き場を失い光の粒子へと霧散していく。
人形のごとく無機質な貌。
だが、掴んだ手首からアリウスの掌に伝わってきたのは、彼女の魂が上げる悲鳴――形にならない切実な震えだった。
+ + +




