届かぬ想い、君の元へ
距離を越えて育まれた初恋は、東京で会う約束を交わすまでになった。しかしある日、彼女から突然の別れを告げられる。その言葉を受け入れられない主人公・村田悠嵐は、周囲の反対を押し切り、彼女の本心を確かめるため、田舎から東京へと向かう決意をする。新宿の雑踏、渋谷のスクランブル交差点を抜け、彼女の通う学園の門前に立った悠嵐が知った衝撃の真実とは──。
畳に跪く。学ランのズボン越しに伝わる木床の冷たさが、膝をジンジンと痺れさせる。それでも、父が見下ろす視線の痛みにはかなわなかった。
父の重い声が沈むように響く。「……お前、この数日ぼんやりしていたのは、これが原因か?」
「……はい」歯を食いしばり、私はか細い声で答えた。
ポケットの中のスマホが微かに熱を帯びている。画面はまだ明るく、LINEの画面には既読無視のままのメッセージが映っていた。
「あらまあ小嵐!ママにも写真見せなさいよ!彼女ができたんなら、もっと早く言いなさいってば!」突然、台所から母が飛び出してきた。エプロンには、味噌汁の染みがついている。
「もう……別れたんだ」その言葉が喉を通り抜ける瞬間、まるで未熟な青梅を丸ごと飲み込んだような感覚に襲われた。先週、堀田から届いた「私たち、これでお別れね」というメッセージが、心の奥深くに焼き付いていた。
「だってさっきまで『別れるって認めてない』って言ってたじゃない?」母の声が突然、綿菓子のように柔らかくなった。「それで東京の大学に行くって頑なだったのは……」
*ガサリ* 父の財布が革の擦れる音を立てた。キャッシュカードがちゃぶ台の上に静かに置かれる。「パスワードはお前の誕生日だ。東京は物価が高い。彼女をいい店に連れてってやれ」彼は夕方のニュースを見据えたままそう言ったが、テレビの音量をこっそり絞ったのはわかっていた。
母がそっと私の手を握った。「花を買うなら、シャンパンローズがいいわよ。女の子はみんな好きだから……」
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窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めながら、小希との思い出が脳裏に浮かぶ。
堀田希との初めての出会いは、ライトノベル投稿サイトのコメント欄だった。彼女のアイコンはあくびをする三毛猫。『電車内での出会い、陳腐じゃない?』という議論で、私の主張を見事に論破してきたのだ。
互いに友達登録をしてからは話がどんどん弾み、会話は小説の話からそれぞれの日常へと広がっていった。堀田希は東京での生活を、私は田舎の面白い話を語り合った。
気づけば昨年、毎日堀田希に出来事を共有することが習慣になっていた私は、彼女に想いを伝えた。
こうして私たちは互いの初恋となった。夜のビデオ通話は日課となり、同じ大学を受験して東京で会うことを約束した。
しかし、ちょうど一週間前、堀田希は突然別れを告げ、それきり連絡が途絶えた。どんなにメッセージを送っても、彼女からの返信はなかった。
私は、彼女が毎日更新するLINEの投稿で、遠くから彼女の生活を覗き見ることしかできなかった。
ついに、彼女を失う感覚に耐えきれなくなった時、東京へ行くという考えが頭に浮かんだ。友人たちは「お前、ただ遊ばれてただけだよ。行ったって、もっと辛くなるだけだ」と止めた。
それでも私は彼女に会いたかった。彼女の本心を知りたかった。
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新宿駅の人波は、満ち潮の海水のようだった。背広姿の鮨詰め状態の中、私は田舎から持ってきた梅干しの紙袋をしっかりと抱きしめた。
渋谷のスクランブル交差点。巨大な電子看板を見上げた。確か、ビデオ通話の時、堀田がカメラを路地裏のクレープ屋さんに向けて言ったことを思い出す。「悠君が来たら、チョコバナナとイチゴ生クリームのを買って、半分こして食べようね」
ナビの案内音が終わり、私は堀田の通う学校──私立白百合学園の前に立った。桜はとっくに散り果て、鉄門が私の影を無数の断片に切り刻んでいた。
しばらく待つと、下校する生徒たちが檻から逃げ出すウサギのように校門を出てきた。制服のリボンが夕暮れの中ではためく。
「すみません、三年A組の堀田希さんをご存知ですか?」
二十一回目の問いかけの時、セーラー服の女生徒が突然足を止めた。「……村田悠嵐さん?」彼女の胸のひまわりブローチが夕日を反射していた。
「はい! 小希をご存知ですか? 彼女に会いたいんです」
何百、何千という靴音が奏でる協奏曲の中で、私は自分自身の激しい鼓動を聞いた。
「別れたって言ってたじゃん?」
「へえ、よく来たね」早瀬美羽と名乗るその女生徒は、呆れたようにため息をついた。
私は深く息を吸い込み、気持ちを落ち着かせて尋ねた。「……彼女はどこに?」
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早瀬美羽から教えてもらった住所を頼りに、堀田家の前に立った。抱えたシャンパンローズの花束が震え、包装紙が心電図モニターのような *サラサラ* という音を立てる。
「こんにちは! 小希の友人の村田悠嵐と申します。彼女にお会いしたいのですが」出てきたのは堀田の母親と思われる女性だった。彼女の表情はとても疲れ切っていた。
「あなたが……小希の彼氏さんね」
「この子、いつも『悠君が来たら玉子焼き作ってあげるんだ』って……」
「さあ、どうぞお入りなさい!」「彼氏」という言葉にまだ呆然としている私を、堀田の母親は家の中へと引っ張り込んだ。
壁の写真に写る小希は、LINEで見る姿よりも百倍リアルだった。白木の位牌の横には、開封された宅配便の箱が置かれている。私が送ったホワイトチョコレートが春の陽気の中で茶褐色の涙を滲ませ、包装紙の柴犬の笑顔は相変わらず無邪気だった。
「事故は……先週のことよ」堀田の母親の声は、壊れたオルゴールのようだった。
「小希の部屋……見ておくのも、いいかもしれないね」震える私を支えながら、堀田の母親は部屋へと案内した。
堀田の母親がドアを閉め、ビデオ通話で何度も見たことのある場所に、私一人が取り残された。
彼女の枕元には、私が送った恐竜のぬいぐるみが置かれていた。右目のボタンの糸がほつれ、まるで涙を流しているようだ。
日記帳の表紙には「悠君との恋物語」と書かれ、様々な簡単な動物のイラストで囲まれていた。
日記帳には不思議な手触りがあった。溶けかかった雪だるまに触れているかのようだ。堀田の字はLINEのチャットの時よりもずっと可愛らしく、文末には一つ一つ猫の肉球マークが描かれていた。
『2月14日
悠君が告白してくれた!私の初めての恋。ちゃんと良い彼女になれるかな?(ニャン)』
『3月1日
悠君、今日なんか元気なさそう…学校で何かあったのかな?明日聞いてみよ(ニャン)』
『3月2日
今日は悠君をめっちゃ叱っちゃった。何かあったら一人で抱え込まないで、私に話してよって!(ニャン)』
『3月15日
お風呂で転んじゃった!痛い!絶対に悠君には言わない…ずっとLINE通話の可愛い私でいるんだから…(ニャン)』
『4月5日
悠君がオンラインで誕生日会を開いてくれた。でもやっぱり直接会いたいよ。抱きしめたい(ニャン)』
『4月24日
今日、オンラインでキスごっこしちゃった!鼻が画面にゴンって!このバカ絶対スクショしたよね!(ニャン)』
『5月15日
今日、両親と喧嘩した。悠君に会いに行くのを許してくれない。ママが女の子一人は危ないって…バカ悠君、こっそり来てくれてもいいのに…(ニャン)』
『5月20日
悠君との結婚式、夢に見た(ニャン)』
…
涙で滲んだ日記から微かにカビの匂いがした。私は最後のページをめくった。
『6月16日
朝起きて、悠嵐君がベッドのそばにいてくれたらなあって思った!早く時間が過ぎないかな、夜になったら悠君をいっぱいキスするんだ(ニャン)』
…
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冷たい雨が石碑を叩く。私はシャンパンローズを造花に取り替え、さっき買った銀メッキの指輪を石碑の前に置いた。早瀬美羽がスマホを差し出した。「これ、小希の。今はあなたに渡す番ね」