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竜騎士団の影と、最初の選択 #006



 リュミエールが、ふう、と、か細い、小さな、小さな安堵の息を漏らす。


 僅かな疲労の色を浮かべた横顔からは、先程までの、あの、絶対零度の、全てを拒絶し、そして全てを破壊する戦士の表情は消えている。あまりにも人間的な疲労と、そして、それ以上に大きな安堵の色が、まるで朝露のように浮かんでいた。


 彼女は、隣で、その大きな瞳を無邪気に輝かせ、そして興味津々にシャリクの、その疲れ果てた顔を覗き込んでいるミィナへと視線を向けた。


「ミィナ・サリフィエル。貴女の目的は、一体何ですの?」


 その声には、まだほんの僅かではあったが、彼女の王女としての立場からくる警戒心と、そして、この風の姫に対する真意を正確に探るような。そして、簡単には、決して簡単には信用しないという、彼女の、極めて理性的な、どこか冷徹な響きが含まれている。


 ミィナは、そのリュミエールの、どこか、彼女を試すような、そしてその言葉の裏にある真意を詰問するような問いに、きょとんとした、純粋無垢な顔で、首を、こてん、と傾げた。


 あまりにも自然な、そしてあまりにも愛らしい仕草に合わせて、彼女の、あの空よりもなお鮮やかな青い髪が、まるで彼女の感情に呼応して、風と戯れるかのように、さらり、と、心地よい音を立てて揺れる。


 彼女の周囲の風が、その動きに合わせて、花の蜜のような甘い香りを、空気の中へと運んできた。それは、シャリクの心を、ほんの僅かだけ、確実に、癒すかのような、優しい香りだった。


「うーん、目的、とか、そういう、なんだか、とーっても難しくて、ミィナの、このちっちゃな頭じゃ、ちょっと考えただけで、すぐに痛くなっちゃいそうなことは、ミィナ、ぜーんぜん、これっぽっちも、よく分かんないんだよねー。ミィナはね、ただ、風に呼ばれたから、風が『行っておいで』って、そう、優しく背中を押してくれたから、だから、ここに来ただけなんだもん。風はね、ミィナの大事な、大事な、お友達だから」


 彼女はそう言うと、シャリクの震えが残る腕を、親しげに、柔らかく、そして驚くほどに温かい小さな両手で、ぎゅっと、優しく掴んだ。その手から伝わってくる温もりは、彼女の、その全身を常に包み込んでいるかのような、あの心地よい風のように、どこまでも、どこまでも温かく、どこまでも優しかった。


「でもね、でもね、風の精霊さんがね、いーっぱい、いーっぱい、それはもう、空の星の数よりも、もっともっと、いーっぱい、ミィナに教えてくれたの! この、シャリク様と一緒にいるとね、これから、もーっと、もーっと、もーっとね、それこそ、この世界がひっくり返っちゃうくらいに、すっごく楽しいことが、それこそ、草原に咲くお花の数よりも、ずーっと、ずーっと、いーっぱい、いーっぱい起きるんだって! だからね、だからね、ミィナも、シャリク様と、ずーっと、ずーっと一緒に、どこまでも、どこまでも、この世界の果ての、そのまた果ての果てまでも、一緒に行くの! ね、いいでしょ、シャリク様! きっと、すっごく楽しいよ!」


 その、あまりにも純粋で、何の打算も、何の裏も、何の悪意も、一切、微塵たりとも感じさせない、ただひたすらに、子供特有の、しかしそれ故にどこまでも強靭な、好意と期待に満ち溢れた、あまりにも真っ直ぐな言葉。



 シャリクは、その、子供特有の、しかし、それ故に、どこか、この世界のどんな理屈や権力よりもなお抗い難い、そして、聞く者の心を、その最も無防備な状態にさせてしまう、不思議な魅力に、ただただ、戸惑い、そして、この、あまりにも規格外な、そしてあまりにも理解不能な少女に対し、どう反応すればいいのか、全く、皆目分からずに、ただ、言葉を失うしかなかった。


 (楽しいこと……? この、出来損ないの、何の価値もないはずの俺と、一緒にいて……? 何かの、それこそ、とんでもねえ残酷な間違いじゃねえのか……? 俺は、どうすれば……?)



 リュミエールは、あまりにもミィナらしい、突拍子もない答えに、ほんの僅かだけ、常に冷静沈着を保ってきたはずの眉間の皺を寄せた。


 だが、すぐに、まるでそれが、この風の少女に対して、これ以上の論理的な対話を試みること自体が、時間の無駄であると判断したかのように、ほんの僅かに、そしてほとんど誰にも気づかれぬほどに小さく息を吐く。


 そして、すぐさま気を取り直し、今度は、シャリクへと、彼の、その最後の覚悟を、そして人間としての矜持を試すかのような、真っ直ぐな、そして一切の揺らぎのない視線を向けた。


「シャリク・ヴァルデイン。貴方の、貴方自身の、その心の底からの意志が、聞きたいのです。貴方は、これから、どうしたいのですか? 私と、このフロステアの、氷の血を引くリュミエール・グラシエルと共に歩みを進めるのか、あるいは……、ここで全てを拒絶し、元の日常へと戻ることを選ぶのか」


 その言葉の奥には、シャリクの、あまりにも惨めな選択であろうとも、それを、彼女は、彼女自身の全てをもって尊重するという、彼女の、王女としての、 一切の揺らぎのない意志が、明確に、そして力強く感じられた。



 シャリクは、リュミエールの、その、どこまでも蒼く、そしてどこまでも澄み切った瞳に、射竦められるように、大きな何かに吸い込まれるように見つめられる。


 彼の、混乱しきった、疲弊しきった脳裏には、先程の、あの忌まわしいヴァレリウスの、彼の存在そのものを、その根底から否定するかのような、侮蔑に満ちた言葉が、まるで決して消えることのない呪いのように、彼の魂に深く刻まれた傷跡のように、鮮明に蘇る。


 そして、リュミエールの、決して折れることのなかった魂の強さを、心の底から、そして一切の疑いなく信じると、そう、はっきりと言った、どこまでも温かい、そして、彼の凍てついた心を溶かすほどに力強い、あの言葉。


 ミィナの、何の裏も、何の計算も、何の悪意もない、ただひたすらに純粋な、まるで荒野に咲く一輪の花のような、暗闇を照らす一条の光のような、どこまでも無垢な好意。


 (……俺は……一体、どうしたいんだ……?)


 彼の、あまりにも傷つきすぎた心は、どうしようもなく激しく乱れていた。


 圧倒的な、そして彼の存在そのものを押し潰さんばかりの恐怖。そして、底なしの、そしてどこまでも広がり続ける不安。


 だが、それと全く同じくらいの強さで、ほんの僅かではあったが、しかし、魂の奥底で、確実に、そして力強く芽生え始めていた、何よりも尊い。


 期待。


 これまでの、出来損ないとして、無力に震えることしかできなかったシャリクには、決して、決して見られなかったはずの、確かな。


 希望。


 シャリクは、まず、リュミエールを。そして、その隣で、大きな、そしてどこまでも純粋な瞳を、期待に満ちて輝かせながら、自分を、ただじっと見つめるミィナを、交互に、ゆっくりと、しかし確かな意志をもって見つめる。


 そして、確かな〝意志〟を込めて、はっきりと、そして、この世界の全てに宣言するかのように、力強く、告げた。


「俺は……、リュミエールとミィナと、一緒に、この先も、行きたい、と、そう、思う。あんたが、こんな、どうしようもねえ、何の取り柄もない、出来損ないの俺を、それでも、信じてくれるって、そう、心の底から言ってくれるんなら、この俺も、何か、何か一つでも、ほんの少しでも、変われるかもしれないって……ううん、変わりたいんだって、そう、心の底から、本気で、そう、思いたいから。それに……」


 シャリクは、そこで一度、言葉を切り、ミィナに不器用な笑みを向けた。


「こんな、それこそ、明日、俺たちがどうなっているのかすらも、全く分からねえような、そんなメチャクチャな状況だけど……、あんたみたいな、底抜けに明るくて、どこまでも真っ直ぐなヤツが一緒なら、確かに、この先の、どんなに暗くて、どんなに険しい道も、退屈だけは、絶対に、しねえのかもしれないな……。だから、よろしく、頼む」


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