6.旧サジタリアス城の戦い
飛行竜で第九領の中心街まで行き、そこから馬車でイヲンに向かう。
第七領手前の竜舎から第七領を突っ切った方が、距離的にはイヲンに近いのだが、途中の山岳地帯を超えることを考慮すると、平野を行くこのコースの方が早いだろうと言う判断だった。
第九領の中心街とイヲンの中間地点にある街で一泊し、イヲンヘは予定通り翌日の昼に到着した。
イヲンの街に着くと、御者席にいるヴィント・トーラスが、馬車の中にいるイセトゥアンに街全体に緞帳のように重い空気が垂れ下がっていると告げた。
エルフは空気や水、土壌などが汚染された環境下では、聖なる性が邪悪へ傾き、ダークエルフのように攻撃的で、知性の低い生物に退化する恐れがある。
「これだけ、空気に邪気が入り混じっていたら、住んでいる者達の思考にも影響がでているかもしれませんね」
「そんなにか?俺には分からなかったが」
「隊長たちはまず気付かないと思いますよ。ただ、私もトーラス家の端くれ、空気に関することなら自信があります」
「彼は、金糸雀のように、繊細な感覚をお持ちのようだ」
「彼の一族は、風属性の魔法を得意としております」
イセトゥアンがカルラ王子に、ヴィントを紹介する。
「そういえば、私はガルダ王をお見かけしたことがございます。あの時の感動を、いつかガルトマーン王国の方にお伝えしたいと思っていたのです」
ヴィントの言葉に、ソゴゥは変な声を上げそうになったのを咳でごまかし、目を瞑ることで動揺を隠した。
「ほう、いつ王を見掛けたのですか?」
カルラ王子がヴィントに尋ねる。
「太歳を討伐されるご勇姿を、遠くから拝見致しました。あの光景は一生忘れることはありません。真っ赤な炎を纏って戦われるお姿は、まさに神鳥と言った戦の神のようであり、私の中の強さの象徴はまさしくガルダ王となりました」
そこに、御者席でヴィントの隣にいたブロンも加わり、ガルダ王を褒めちぎる会話が続き、ソゴゥは指をギュっと組んで、目を決して開けず、向かいのカルラ王子とは目を合わせないようにしていた。
空気の振動を感じ、カルラ王子が笑っていることが伝わって来る。
ソゴゥは片目だけ開けて、イセトゥアンを見る。
部下を窘めろと、目で促すが、イセトゥアンは眠気と戦っているような顔をしている。
こんな時、ヨル以外にも意思を飛ばせたらと思う。
あと、王子の護衛中に眠くなってるんじゃねえ、シバキ倒すぞ。
街の中央でセアノサスを下ろし、セアノサスは小さな図書館へと一人で向かった。
ドナー男爵の屋敷は、街の中心から離れた場所にある。
イヲンの街は坂が多く、ドナー男爵邸は市街が見渡せる高台にあり、屋敷の外観は質素で、内装も節度のある品を保っていた。
男爵と男爵夫人が揃って、カルラ王子と第一司書のソゴゥ、それとブロン・サジタリアスを出迎え、応接室へと案内し、護衛役がそれに続く。
ソゴゥは不躾にならない程度に、屋敷内を観察する。
ブロンは久しぶりの妹と、義理の弟のドナー男爵をみて「まるで別人だ」という言葉を飲み込んだ。
カルラ王子がブロンの様子を横目に見て、片眉を上げる。
開放感のある孤を描く天井までの大きなガラス窓の部屋に通され、色とりどり花が飾られた大きなテーブルにそれぞれが着く。
片側の壁には、旧サジタリアス城の最盛期が描かれ、片側は街並みが見渡せる窓となっている。壁は青のタイルで、高価な造りだが、土地の産業である陶器を紹介する意味で、華美に贅を凝らしたというより、宣伝を兼ねていると考えられる。
サジタリアス家の砂色の髪とは違い、ドナー男爵は黄色に近い明るい髪色をしており、オールバックにして、後ろで一つにまとめている。瞳の色も、髪色と同じで、その目は隣にいるブロンテと同様に、やや澱んでいるように、ソゴゥには感じられた。
「このような田舎町の我が領地へ、天上の方々にお越しいただき、誠に恐悦至極に存します。心より歓迎いたします。どうぞ、ゆっくりなさってください」
すでに、門扉で紹介を済ませており、ドナー男爵は歓迎の辞句を重ねた。
「急な申し出に対応いただき感謝する。私は、イグドラム国を回り、見分を広め各地の産業や環境を自国に紹介したいと考え、ブロン・サジタリアス氏の紹介のもと、こちらへと伺わせていただいたのです」
カルラ王子が話した来訪の目的は、事前に打ち合わせていたもので、ブロンが頷く。
「左様でございましたか、大変光栄でございます」
「私は、カルラ王子の案内役ですが、この後は一旦小さな図書館の方へ参ります。カルラ王子滞在中は、私もこちらに滞在させていただきたいが、よろしいでしょうか?」
「もちろんでございます、第一司書様がお泊りになったとあれば、末代までの自慢となります。是非とも」
お茶と御菓子、軽食が用意され、暫くはブロンがブロンテに近況を聞いたり、カルラ王子がドナー男爵に地域の産業について尋ねたりしていた。
「ブロンテ、何か変わったことはないか?困ったことがあったら遠慮せず頼ってくれていいんだぞ」
ブロンテとドナー男爵と顔を見合わせる。
「困ったことなんてないわ、兄様。ちょっと食費が掛かるくらいで」
「食費?」
「ええ、子供が一気に増えましたの」
「子供が出来たのか?」
「ええ、沢山増えましたわ、皆を養っていかなくてはならないので、今まで参加してこなかったパーティーにも積極的に参加して、イヲンの産業を紹介しておりますわ。でも、私と男爵でなんとかなりますもの、ねえ、貴方」
「そうです、私達ならやっていけますので、ご心配には及びません、ブロン様」
「子供は今どこに?」
「子供たちは、ええと、ああそうだわ、奥の部屋に・・・・・・」
「子供たちを紹介してくれないのかい?」
「子供たちは、寝付いたばかりですので、また明日には」
「そうか、無理を言った」
「ところで、ドナー男爵、奥方は大変お美しい。私にも妻がおり、いつも美容を気にしているのですが、奥方、何か秘訣がおありになるのでしたら、是非参考までに教えていただきたい」
カルラ王子が踏み込んだ質問をぶつける。
「いえ、特別何かをしているわけではございません。それに、私はどこにでもいるただのエルフでございますわ」
カルラ王子はブロンテを真っ直ぐ見つめる。
ブロンテの目は濁っているが、言葉に嘘はないようだった。
「なるほど、何となくわかりました」
その言葉は、ブロンテではなくソゴゥに向けられていた。
「そういえば、この街に吸血鬼が出るとの噂を耳にしたのですが」
ソゴゥが尋ねる。
「そうなのです」
男爵は深刻そうな表情で、やや身を乗り出して言う。
「王宮騎士の方々がご一緒なので、大丈夫かとは思いますが、夜は決して窓をお開けにならないようにお願いします。まあ、ここへは吸血鬼が現れたことはないのですが、街では毎日のように吸血鬼の目撃が後を絶たず、人々が不安に怯えているのでございます」
「それはそれは」
カルラ王子はあまり興味がない様子で応える。
ソゴゥとしては、次男が取り逃がした例の吸血鬼の可能性があると思い、少しでも情報を集めたいと質問を続ける。
「人死には出たのでしょうか?」
「いえ、まだそういった報告は上がっておりませんが、民間の吸血鬼の捕獲退治の専門チームが討伐にあたっております」
「そうでしたか」
「罠を仕掛けて、吸血鬼が現れるのを待っているようです。今のところ成果については報告が入ってきておりません」
「かなり強い個体であった場合でも、そのチームは対応できるのでしょうか?」
「彼らは国からの要請に対する実績もあります。それに、吸血鬼に対して非常な執着があるようで、こちらが手配する前に吸血鬼の噂を聞きつけてここへ討伐許可を願い出てきたのです。領民とその資産を傷つけない事を条件に、こちらから討伐を依頼しました」
「そのチームは全員エルフでしたか?」
「ええ、間違いなく。自ら騒ぎを起こしておいて、これを収めにくる、マッチポンプを危惧されておられるのですね?」
「今回は、おそらくそれはないと思いますが念のため」
「大丈夫です、全員の身分照会を行いましたので」
「わかりました」
ソゴゥはカルラ王子に目を向け、「私はそろそろ」と声を掛ける。
カルラ王子が頷くのを見て、ソゴゥは「着いて早々ですが、私は小さな図書館の方へ向かいます」と立ちあがる。
ヨルがソゴゥに続き、ヴィントが「馬車で送りましょうか?」と尋ねる。
「大丈夫、最速で行くから」
「承知しました」
ソゴゥの最速は、瞬間移動である。
ソゴゥはドナー男爵の屋敷を出ると、丘の上から街を見下ろした。
煉瓦造りの美しい街並みを見渡す。ヴィントが言う、空気の重苦しさを感じることは出来ないが、髪を撫でていく風は心地よかった。
この街では、子供たちが行方不明となり、そのことを身内が理解していないという異常な事態が起きている。
それに加え、ここ最近の吸血鬼騒動と、少し前には近くの森で樹精霊が消失している。
ここには何かある。
それと、カルラ王子が気にしている何かは、この街と関係があるのだろうか。
ソゴゥは街の一番高い建物の屋上をマーキングして、その場所に瞬間移動した。
そこから、更に人目のない地上に移動し、街の人波に紛れる。
以前がどうだったか知らないソゴゥは、街や人々の様子について変化を感じることができないが、ただやはり王都セイヴの街を行き交う者よりも、覇気がない印象を受ける。
何か、目的もなく彷徨い歩いているような。
街の中心地から、目的の小さな図書館へ向かって歩く。
旧サジタリアス城は観光名所となっているため、街には土産物屋がちらほら見える。
噴水広場の向こうに、小さな図書館の建物が見えてくる。神社や教会のないイグドラム国においては、小さな図書館が、知恵を求めるエルフの信仰の場となっているため、その外観はどこか非日常的で、荘厳な雰囲気がある。
ソゴゥはふと噴水の前に佇む母娘に目を向けた。
小さな少女と目が合う。
少女がわっと興奮して両手を上げて「王子様!!」と大きな声を上げた。
丁度小さな図書館から、ソゴゥに気付いたセアノサスがこちらに出迎えに来ており、ソゴゥは少女を気にしつつセアノサスに片手を上げる。
「夜の王子様だ!!」と、セアノサスが目の前に来るのと同時に、少女がソゴゥの足に抱き着いた。
「館長・・・・・・」
ソゴゥは身に覚えがありませんとばかりに両手を上げて、光速で首を振る。
「お兄ちゃん、王子様だよね?お目目は黒いけど」
「僕は、王子様ではないですよ。その、夜の王子様ってどんな人なのかな?」
「えっとねえ、お掃除をしてくれるんだよ。夜に窓を開けておくと、飛んできて、病気を治してくれたの、それにお母さんの、モヤモヤも治ったんだもん」
「モヤモヤ?」
少女の母親が、恐縮しつつもソゴゥの顔を凝視しながら言う。
「ええ、このところ、物忘れというか何か意識がはっきりしないことが多くて、でも、あの方が来てから、意識がはっきりとして、視界が晴れた気がします。モヤモヤしていた時は、自分の状態も良く分かっておりませんでした。それと、治療法が見つからないとされていた体質まで改善されておりました、私にとっては救世主様です」
「つまりその方は、治癒魔法を施すボランティア活動をされている方なのでしょうか?」
セアノサスが母親に尋ねる。
母親はソゴゥへと顔を向け、何故か頬を赤らめながら「あの」と、ソゴゥに話しかける。
「貴方は、その、吸血鬼様ではないのですよね?」
「は?」と、セアノサスとソゴゥの声が上がる。
「こちらは、イグドラシルの館長をされておられる、ソゴゥ様です」と、セアノサスが憤然と答える。
「僕は、エルフですね、このような見た目で恐縮ですが、吸血鬼とは無関係です。つまり、その病気を治したというのは、僕に似た吸血鬼ということですね?」
「そうなのです、とても美しい吸血鬼で、そしてとてもいい匂いがしました。瞳は赤く、黒く短い髪、容姿については、その、司書様とそっくりでした」
「私も見たんだよ!窓から飛んでいくとき、手を振ってくれたの。黒い羽が、赤くキラキラ光っていてね、あっという間にお空に消えちゃった」
「その吸血鬼、何か言っていましたか?」
「血を分けて欲しいと、あと、家の掃除をすると。シモベ達がそうしないと家に入れてくれないのだと仰っておられましたね。私は、その時は意識がはっきりしていなかったので、掃除をしてくれるのなら、少しくらい血を分けてあげようという気になりましたが、後から考えると、通常なら絶対に悲鳴を上げていました。けれど、結果、とても感謝しています。私の他にも、王子様に病気を治してもらった者が大勢おり、皆感謝していました」
「んー、悪い吸血鬼じゃなかったのか」
「しかし、血を搾取していくというのはどうにも受け入れ難いですが」
「王子様は男の人の血は吸わないんだって、友達のお姉さんが王子様から聞いたの。彼氏の病気を治して欲しいから、彼氏の血を吸ってってお願いしたら、絶対に嫌だって。男の血はカビみたいな味がするから」
「カビ・・・・・・」
セアノサスとソゴゥが微妙な顔をする。
俺たちの血って、カビみたいな味なんだ。
ソゴゥは母娘に話を聞いたお礼を言い別れると、小さな図書館へと向かった。
セアノサスは母娘に、館長は吸血鬼ではないと釘を刺していた。
小さな図書館へ入ると、司書が奥から走って来て、ソゴゥを持ち上げるとその場で二回転して下した。セアノサスに頭を叩かれた司書を見ると、彼は極東にいた二人の司書のうちの一人で、セダムだった。
「館長、お久しぶりです!」
「元気そうで何よりだ」
「そうでもないのです、自己分析によると、私のパフォーマンスは二割も低下しております。おそらく、この街の空気が汚染されているからかと思われます」
「樹精霊がいなくなったからだろうか?」
「はい、それも要因の一つと思われます。極東の時はイグドラシルを植えていたので、汚染された空気の元でも、聖なる気が広域に広がっておりました。それと同様に、この街のどこか、もしくは街の近くに邪気を広域に放つ何かが置かれており、聖なる気を発する樹精霊もいないため、汚染が進んでしまったのでしょう」
「それを取り除かない限り、澱んだ空気はこのままか。そういった物を探し出すことが、得意な者はいないのだろうか?ヨルには分からない?」
「我は、自分の魔力が邪魔をするため、探知はあまり得意でなないのだ。本来の体であれば、もっと器用なこともできようが、仮の体ゆえ難しい」
「悪魔に身体があるの?スピリチュアルな存在かと思ってた。仮に、本来の体を顕現させるのに、どれくらいの材料が必要なの?」とソゴゥが興味本位で聞いた問いに、その場にいた司書が皆凍り付いた。
「この話は聞かなかったことに」とソゴゥが言い、セアノサスとセダムが小刻みに震えながら何度も頷く。
「とりあえず、セダムは一旦本館に戻って体調を戻すように、セアノサスはセダムの代理で、本件が片付くまでこの図書館に赴任という事とする」
「かしこまりました」
「警察も色々と調べているようですが、所轄が機能不全を起こしている上に、本店からの調査員も、この邪気には苦労しているようですね」
「魔力が強い者ほど、邪気が分からなくなってしまうのは問題だな。第二貴族のような特殊能力を持った者達で、探索チームを作って欲しいものだな」
「おそらく、前例がないのでしょう。邪悪な物は通常、イグドラム国外から持ち込まれますが、イグドラム国境や各主要都市には厳重な空壁が設けられております。その点で、王都ではなく、この田舎街に、そういった物が持ち入れられたと考えられますが」
「イグドラムといえど、上空一万メートルからなら、何処からでも入れるし、俺のような能力を持っていたら、空壁は意味がない」
「館長のような能力を持つ魔族がいない事を、祈るばかりです」
「エルフは保有する魔力量が多いからな、魔族には狙われやすいのだ」
ヨルの言葉に、司書達がしんみりとする。
行方不明の子供達の事を案じているのだ。
ニトゥリーは他の警察官と共に、精霊の消えたとされる跡地へと来ていた。
精霊の家から少し離れたこの場所は、捜査員たちがさんざん調べたはずだが、せっかく近くまで来たのだからと、現場を見に来たのだ。
ニトゥリー達がいた精霊の家は、窓が全て塞がれ、外の光が全く入らない上、ルキはもう寝る時間だと言って、床下の真っ暗な部屋に引きこもってしまった。
流石に、「拒絶」という悪徳と共に「光を避けるもの」という名を持つ邪神だけあって、日光に当たることが出来ないらしい。
精霊の家から、樹精獣に外へと出してもらい、木の屋根の下で元気な様子の馬たちに乗って、現場へとやって来た。
昨日の嵐が嘘のような快晴で、ルキが一生見ることのない青い空がひろがっていた。
妹がいたら、あんな感じだろうか。
顔はソゴゥとそっくりだが、体は女性で背も低く、声は高い。
母親のヒャッカにも似ている。
兄弟の中で、ソゴゥは確実に母ヒャッカ似だが、他の兄弟が父カデンに似ているわけではない、と思いたい。将来、あそこまで凶悪な人相になるのは、流石に勘弁してほしいとニトゥリーは思う。
ノディマー領は領民がそれほど多くないが、領民たちは皆武闘派であり、絵画や音楽や舞踊などを極めようとして、森の奥に隠れるように住む変わり者が多いが、その彼らが領主であったカデンを「オヤジ」と呼んでいるのを目撃したときは、衝撃だった。彼らは今、現当主のヨドゥバシーを「若」と呼んでいるらしい。
「こ、これは・・・・・・」
地に顔が着くほど熱心に何かを探していたウィステリアが、声を上げる。
「どうしたんや、何か見つかったんか?」
「ほあああ、やはりありましたよ!これは美味で知られるエルフ舞茸、発見したエルフが舞って喜ぶほどの、エルフ殺しの風味を持つと言われる、幻の・・・・・・」
イフェイオンが、無言でウィステリアを捕縛紐で縛ったのち、近くの巨木に吊し上げた。
流石は現職警官と言える、手際のよい仕事だった。
チャイブは、その様子を微笑ましく眺めている。肩に一匹の樹精獣を乗せているせいか、情緒がとても安定している。
イグドラシルの樹精獣と違い、かれらは何処へでも出歩けるらしい。
樹精霊の消失ポイントには、精霊の抵抗の痕と思われる大きなエネルギーの使用された形跡があり、大地が円形に沈み、草が炭化ではなく、性質の変容により黒く変色していた。
「なるほど、魔族がおったという説もあながち間違ではないかもしれんのう」
「ウィステリア君、捜査本部から返信は来たのかい?」
イフェイオンはウィステリアを見上げて言う。
チャイブが、エルフ舞茸を樹精獣に食べさせてしまったのを見て、ウィステリアがさめざめと泣いている。
「どんだけ食い意地がはってるんや、仕事に集中せいよ?」
「私がぁ、エルフ舞茸おぅ、セイヴの市場でぇ、見かけたのはぁ、十年前・・・・・・」
「ウザい喋り方すな、どうでもええわ」
「目的の女神様は見つかったのですし、この現場と、あとイヲンの様子を確認して明日にはセイヴへと戻りましょう」
「女神を探しに来たみたく言うな、ややこしいのう。とりあえず、イヲンには明日向かうとして、もう少しこの辺りを探索してみるか」
周辺の森を確認して回り、食料を採取して精霊の家へと戻る頃には日も暮れており、家の中には既にルキが起き出していた。
「おい、それはアウトや」
「女神様が、ただの吸血鬼に・・・・・・」
項垂れるイフェイオンを押しのけ、ウィステリアが食材をキッチンに並べ出している。
ルキが女性体から男性体に変化していても、何の興味もない様子だ。
チャイブの肩に乗っていた樹精獣が、他の樹精獣達の元へと寄って、ただいまを言うように、鼻を付け合わせている。
「百歩譲って女の姿なら許してやらんこともないがのう、だが、それは駄目よ、それはあまりにソゴゥ過ぎるわ」
「女神様、何故あの可憐なお姿をやめてしまわれたのですか」
「この姿の方が、食事には都合が良いのです」
「お前、あの妙な語尾はどうしたん、それに食事って、血い吸いに街に行く気やったら、そこのデブのにしたらどうや」
「いえ、あんなデブよりも私の血をお吸いください」
「君たち聞こえているぞ、私はねえ、デブって言われるほど太ってないんだよ、まったく」
「男の血はとても不味くて、飲めたのもではありません」
「お食事の問題は、私達、魔法安全対策課が責任をもって解決しますので、どうか今日のところは私の血で我慢してください」
イフェイオンが襟を開いて首を差し出す。
ルキは樹精獣から手渡された植物を受け取ると、その小さな白い花が密集してフワフワな球体となった聚繖花序の茎を、イフェイオンの首の皮下に透ける血管に当てる。
刺すのではなく触れただけで、白い花は血を吸ったように赤くなり、ルキは花全体が赤くなると、茎から上の花部分だけを口に放り込んで、苦いものを飲み込むような顔をした。
明らかに不味かったのだろうことが分かるが、ルキはイフェイオンに「美味しかったです、ごちそうさまでした」とお礼を言う。
「なんや、気の毒やのう。美味しいもんを食べさせてやれるよう、研究せんといかんのう」
「セイヴに帰ったら、血の味の研究を始めます。人を襲うしかない吸血鬼も、この研究で食料の問題が解決したら被害を大幅に減らせるかもしれません」
「それはいいのう、ところで、俺たちも食事にしようや」
キッチンでは、皆が採ってきた食材の茸を、焼いたそばから口に入れていたウィステリアを吊るして、夕飯の調理に取り掛かった。
ルキは昨日の夜とは打って変わった、星が瞬く空の下をイヲンに向かって飛んでいた。
血はイフェイオンからもらった量で十分だったが、イヲンの街には病気を治すと約束していた家があった。
あの街のエルフは血中に、高濃度の邪気が入り込んでおり、脳の一部の活動を阻害しているため、老いたエルフには身体能力の低下から怪我が絶えないなどの弊害が出ているようだ。
約束していた家の窓が開いていることを確認し、ルキはしばらくその場でホバリングしながら、窓の様子を眺める。
家には、以前訪れた時とは違い、複数人の気配が感じられた。
恐らく罠だろう。
一般的にエルフは、魔力量は多いが戦闘力はそれほど高くない。数千が束になってこようとも、序列三位の邪神である己にかすり傷さえ負わす事は不可能だ。
あの家には、小さなエルフの少女と両親、それに祖母がいた。
『王子様!来ちゃダメ!』
少女の強い思いが届く。
彼女たちは、今どういう状況にあるのだろう。
ルキはそのまま、窓から少女の家の中へと入った。
以前は少女の祖母が眠っていたベッドはもぬけの殻で、ルキは少女の思念の強い奥へと向かった。ここら一帯の家は、道に面した建物の奥に、共有の中庭を持つ造りとなっている。
その中庭の真ん中に、白い服を着たエルフの女性が倒れていた。
先日血を分けてもらった少女の母親ではない、別のエルフだ。
恐らく囮だろう。だが、少女たちの家族に迷惑が掛かる状況が続くのであれば、この気配の主をここで引き出して対処した方がいい。
血を分けて与えてくれる者達は、守るべき対象だ。
ルキは建物の廊下の窓から中庭に降り立ち、赤く光る黒い翼を折りたたんで、倒れているエルフを屈んで、抱きかかえた。
だまし討ちにしても、もう少し間をおいてからの方がいいのではと思うほど、一瞬でエルフの女は後方に飛び退いた。
ほんの少しでも吸血鬼に触れられたくないという事なのだろうかと、ルキが軽くショックを受けていると、四方が格子状に青く光り、青い光はそのまま牢となってルキを閉じ込めた。
格子を破壊しようと魔力を練るが、術が発動する前に霧散した。
「これは、『海』か」
永きを黄昏の時空で過ごしていた邪神は、この世界の当たり前が弱点であることが多く、ルキは、日の光と海のエネルギーと相性が悪い。
全方向から、光の矢が格子の中に降り注ぐ。神聖が付与された矢は、分厚い魔力に弾かれて、ルキを傷けることはなかった。
「この魔力量、かなり高位の吸血鬼のようだな」
白い服を着たエルフの一団が、柱の影から姿を見せる。
白い服を着ているのは、出血したチーム員が、吸血鬼化しないか判別し易くするためだ。
「この『海』は海洋人が造ったものですか、大したものです。ところで、この家の者達はどうしました?」
ルキは、白服の一団に問う。
「彼らは吸血鬼化しないか、監視下にある」
「吸血鬼化などしませんよ、解放してあげてください」
白服たちが顔を見合わせる。
「何故エルフの心配をする。それに、その姿。この国の最も尊いとされる御方に似せるなど、どういう了見だ」
「この国の?いったい誰です?」
「吸血鬼に知らせる必要はない」
「では、私をどうするつもりですか?」
「どうもしない、朝までそのままでいてもらう」
「私を殺すという事ですね」
「人類の天敵である吸血鬼を、生かしておく道理はないだろう?」
ルキは自身の形状を砂へと変化させようと試みるも、やはり魔力の流れが阻害されてしまい、能力が完全に封じられたことを知った。
有り余る魔力はあれど、身体強化すら叶わず、格子を破壊することもできない。
「確かに、私は時代遅れのようだ」
憎しみに満ちた目を向けてくる集団を視界に入れたくなくて、ルキは目を閉じた。
ソゴゥは、夜中ドナー男爵の屋敷の屋根に移動してイヲンの街を見下ろしていた。
「もしかしたら、今日も吸血鬼が出るかもしれない。ちょっと見張ってみようと思う」
「我も行く」
ヨルには、屋敷の方を見張って欲しかったが、屋敷には騎士が三人もいるから大丈夫かと思い、ヨルを伴って、街へ行くことにした。
一番高い建物の上から、家々を確認する。
夜も晩く、家の灯は消え、街灯の街路樹も光に力を失っている。
やがて、街路樹の光もほとんど消え、もう朝まで二時間ほどのこの時間で出没しないのなら、今日は出ないだろうと見切りを付けて丘の上の屋敷へと戻った。
飛んで現れたという証言から、空ばかりを見ていたが、蝙蝠一匹飛んでいなかった。
やがて、屋敷の付近まで飛行して戻って来ると、屋敷から馬が裏の方へと走って行くのが見えた。その馬を低空飛行で追うのは、カルラ王子だ。そして暫くすると、そのカルラ王子を追うようにして更に馬車が二台屋敷から出てくる。
「どうなっているんだ?」
「何か動きがあったようだ」
ソゴゥも馬車の後を追う。
先頭の馬に乗っているのは、ドナー男爵の屋敷の使用人の様だ。
金色の長い髪が、闇の中でも輝いている。
やがて、巨大な城というより要塞や宇宙基地のような建物が見えてきた。
かつてエルフと魔族が土地を争っていた時代の、前線の城だった。
城正面の広場は、凹凸が放射状に伸びている。雷属性の魔法を得意とするサジタリアス家が、効率よく敵を討つために作った装置の跡である。
馬は、この正面から城の中へと進んでいく。
カルラ王子がその後を追い、二台の馬車は、正面入口の辺りで止まって、片側にイセトゥアン、もう片方からはブロンとヴィントが出てきた。
ソゴゥは後方の森にある気配を感じた。
馬車が正面入口に止められるやいなや、こちらへと向かってくるのは、警察官の紺色の服を着た二人のエルフだった。
三人の王宮騎士と二人の警察官が合流し、何かを話し合っているところで、ソゴゥは五人の元に飛来し状況を確認する。
「こちらは、ニトゥリーの部下のストークスさんとセージさんだ。旧サジタリアス城の奥に、誘拐された子供たちを確認して、救出作戦のため本部に人員の派遣を要請していた矢先だったところ、俺たちが邪魔してしまったようだ」
「いいえ、王宮騎士でも名高いお三方がおられれば、このまま踏み込んでも良いかと思われます」
「なら、直ぐにカルラ王子を追いましょう」
ヴィントが言い、イセトゥアンが二人に指示を出す。
「我々も行きます」
走っていく、五人を追い、ソゴゥは警察官の一人に尋ねる。
「所轄は応援に来ないのですか?」
「彼らはこのイヲンの邪気で弱っていて、戦闘に加えるのはかえって危険な状態です」
「そこまででしたか」
「あの、もしかして、第一司書様ではないですか?」
「はい、今は先頭を飛んで行ってしまったガルトマーン王国の王子の案内役です」
「ガルトマーン王国!?それは、心配ですが、心強くもありますね」
「いや、王子に怪我をさせたら、国際問題なのでは?」ともう一人の警察官が言う。
怪我は心配ないと、ソゴゥは口に出さずに思う。
それよりも、彼を怒らせた者がどんな目に合うか、それが気掛かりだった。
ソゴゥは前方を走るブロンに並んで、屋敷の事を問う。
「俺とヨルがいない間、何があったの?」
「妹夫婦とは別に、屋敷の使用人の一人も魔力肥大の状態にあるとカルラ王子に教えられて、彼女の部屋を調べたところ、原因と思われる魔法薬の瓶を見つけました。それで、彼女を見張っていたところ、屋敷を抜け出したので後を付けてきたのです」
「カルラ王子が懸念されていた、違法な美容薬として使用されているだろう薬が、使用人の部屋から出てきたのか」
「薬には暗示作用があるようで、飲ませた者に、嘘の記憶を与えることが出来るようです。使用人が、ブロンテの入眠用のお茶に混ぜて出し『子供たちは就学のため、王都にいかれます』と囁いている会話を、ヴィントが風魔法で収拾しました」
「その使用人も、暗示作用のある薬を飲まされて、誰かに暗示を掛けられているのかもね」
「この先に行けば、それが分かるかもしれません。妹夫婦に手を出し、子供を誘拐した奴を許してはおけません」
ソゴゥは頷き、暗く入り組んだ城内をひた走った。
警察官の一人が「子供たちがいる場所とは別の所へ、向かっているようです」と言った。
「イセ兄達は、カルラ王子を追って!俺とヨルは警官の二人と誘拐された子供たちを助けに行ってくる。俺なら、一度に全員外に救出できる」
「ああ、分かった、そっちは任せる」
ソゴゥは城の外に瞬間移動で戻れるよう、マーキングしていた。
「子供は八人おります、一人が二人を担ぐことになりますが、第一司書殿はその」と言いよどむ警察官に、食い気味で「問題ない」とヨルが答える。
イセトゥアン達は、魔力を温存している場合ではないと、飛行魔法によりカルラ王子を追い、何かに追い縋るように一心不乱に駆けていくドナー男爵家の使用人の直ぐ側まで迫っていた。彼女は、城の中心にある謁見の間へと駆け込んだ。
天上はこの建物の最上部まで吹き抜けており、両側の壁は黒い岩がそのまま積み重ねられて、渓谷の中に紛れ込んだような印象を受ける場所だ。この空間の奥に、まるで魔王が鎮座するためのような、物々しく巨大な玉座がある。
使用人が駆け込んだ先、その玉座に座る者がある。
巨人族と思しき大きさの女性であったが、巨人族と違い生物の質感はなく、鏡面のような銀色の体の表面を波立たせ、長い髪が頭の天辺から滝のように上から下へ落ち続け、地に達する辺りで煙って消える。
生物なのかも分からないそれが、足を組み換え、微笑みを湛えている。
ブロンは雷の弓を構え、ヴィントがその物体と自分たちの間に、いくつもの空気の層を作る。
こちらからの攻撃は威力を増し、向こうからの攻撃は威力を削ぐ効果がある。
イセトゥアンは身体強化を済ませて、剣を抜いて周囲の様子に気を配っていた。
「魔族か」
カルラ王子が、その巨大な鏡面体の女に言う。
『ガルーダ族、エルフ族、共に私の餌がやってきたわ、お手柄ね、褒美をとらせましょう』
鏡面体の女が、その手で空を掬って、まるで捉えた水を零すように傾けると、その手から水が本当に零れ落ちた。
ドナー男爵家の使用人が、それを「ああ、これでまた、私は美しくなれるのですね」とその水を両手で受けようと近寄るのを、イセトゥアンが後ろから彼女の体に手を回して抱きかかえて後方に飛んだ。
水が落ちが床が、煙を上げながら融けていく。
「もう、用済みという事ですか」とヴィントが冷たい声を出す。
「それは、向こうに言わせてやれよ」
「いや、こんなベタな台詞を聞かされたくなくて、思わず先に言ってしまいました」
額から流れる汗もそのままに、巨大な何かから目を離さずに二人はふざける。
イセトゥアンは、使用人に勝手に動かれないよう、催眠魔法で眠らせて、入口付近へと遠のけると、カルラ王子の元まで戻ってきた。
『その緑の翼、ガルーダ族の王家に稀に現れる変容する翼を持つ個体が釣れるとは。イグドラシルの司書と同じく、エルフや有翼人狩りに邪魔なガルーダ族の王族を減らせる好機!』
「お前を向こう側からこちらに引きずり出して、我が民の死の分、焼き殺してやろう」
カルラ王子が、イセトゥアンに下がるように言う。
イセトゥアンは、後方に控えるブロンとヴィントの元まで下がる。
カルラ王子の翼から炎が吹き上がり、赤色へと変化していく。髪の色、飾り羽までもがマグマのように熱をもった赤へと変わり、周囲の気温を一気に上昇させた。その今までとは全く別物の膨大な魔力量と、好戦的に笑うその姿に、ブロンとヴィントが驚愕し声を上げる。
「ガルダ王!」
「ガルダ王!?」
圧倒的な生命力、ただ存在するだけで他者を平伏させる暴力的な威圧感があり、翼は炎とはまた別に光を放っている。
「は?ガルダ王なのか?」
息を吸う事も苦しい状況で、イセトゥアンが二人に問う。
「間違いありません、あの方はガルダ王その人です」
今更になって、カルラ王子に合わせた時のソゴゥとヨルの様子がおかしかった事に合点がいった。あの二人は、王子の正体に気付いていたのだ。
ガルダ王の周囲の床が赤く溶解し、更に温度を上げ続けているのを見て、三人は謁見の間の入口付近まで後退し、眠る使用人と自分たちの周囲を幾重にも防御魔法で囲んだ。
初っ端から手加減のない、ガルダ王の光のような一撃で、鏡面体の胴体部分に丸い穴が穿たれた。鏡面体の躰の至る所に裂け目が出来、人間の歯のようなものが剝き出しとなって、それぞれが奇声を発する。
生物を即死させる呪いの叫びだ。
ガルダ王は何の痛痒も覚えない様子で、鏡面体の体に腕を突っ込んで何かを探っている。
『ガルダ・・・・・・』
ガルダ王の「鶏鳴」に備えてヴィントが空気の層に防音を付加していたために、イセトゥアン達は魔物の奇声の難を逃れていた。鶏鳴は、有翼人が声によって敵に衝撃を与える技だ。
鏡面体の女が何か呪文を呟くのを見て、ガルダ王がその舌を引き抜いたが、王座の前の床が溶けて濁流のように黒い渦を巻き、その渦は、生き物のように玉座の方へと移動してきた。
ガルダ王は飛翔し、穴を見下ろす。
舌を復活させた女が、呪詛を喚きたてる。
ブロンは弓を引き絞り、雷の矢を放った。
ヴィントの魔法で威力が増して、床面の渦中央へ空気を切り裂くような音を立てたのちに、落雷の轟音が響き渡る。
渦は、電気を消化するようにゆっくりと回転し、その中の無数の牙が、回転しながらガルダ王を追うように上空へとせり上がって来る。
「魔界の嵐か」
数万の尖った牙が回転しながら万物を切り裂き、魔力を吸収する天災。
床面の一体だけでなく、ガルダ王のいる両壁面にも、渦が発生し、同様の邪気が集中してきている。
「他所の国の遺跡を壊したくはなかったのだがな、許せ」
ガルダ王は、片側の金の腕輪を外して無造作に放ると、更に魔力量が増して、腕に付いた水分を飛ばすような軽い仕草で、振っただけでせり上がって来た牙の生えた黒い渦の化け物を燃やし尽くしてしまった。
同じように、両側の壁にも手を払う仕草を見せただけで、壁の渦が地獄の底から響くような断末魔を上げて、爆発するように燃えて消えていった。
「圧倒的すぎますって、ガルダ王!」
ブロンとヴィントは、畏れながらも目をキラキラさせて、ガルダ王の圧倒的な強さに痺れまくっている。
最後っ屁の様に、溜まった邪気から発生した小さな虫のような魔物の群れを、イセトゥアンがニライカナイの王族から賜った、人魚の剣でひと薙ぎする。邪気が剣戟に触れただけで、泡となって消えていく業物だが、膨大な魔力量と相性が必要となる。
三男のミトゥコッシーが海賊を捉えた時に助けた人魚のお礼として、ミトゥコッシーが槍を、そして同席したイセトゥアンが人魚に見初められ、剣を賜ったのだ。
海賊を倒したわけでも人魚を救ったわけでもないのに、イセトゥアンが剣を貰ったことにキレたミトゥコッシーが「人魚と何か事を構えないといけないような有事の時は、お前を人魚族に引き渡して交渉するから、そのつもりでおれや」と、前髪を掴まれて言われた時は、正直漏らすかと思った。
『ああああああああ!あははははは、愚かよ!戦闘欲から抜け出せない有翼人の性とは!端から、この仮初の躰でお前を相手取る気などない、愚かなるガルダ。最高位とは言えイグドラシルの司書はまだ若く赤子に等しい。無尽蔵ともいわれる魔力量を誇るあの個体を食らいたかったが、だが、あははははは、あの甘い命を刈り取る役目を、お前に譲ってやろうぞ!』
ガルダはもう意識の外にある鏡面体を一瞬で灰にして、イセトゥアン達が呼びかける間もなく、城の最上部へと飛翔していき、天上を突き破って出て行った。
城の居住区の部屋で、エルフの子供たちは何の恐怖もない様子で健やかに眠っていた。
拘束されておらず、怪我をしている様子もない。
「眠ったまま抱えて連れ出した方がいいかもしれませんね」
眠っているのは、十歳から十五歳くらいの子供たちだ。
「この八人で全員ですか?」
「はい、我々が調査していた、行方不明の子供たちで間違いありません」
「なら直ぐに、ここから脱出しましょう」
ソゴゥが言うなり、全員が城の外へと一瞬で脱出した。
二人の警察官が、状況が分からずに周囲を見回している。
「あれ?何で外に?」
「ここは、城の入り口?」
一番幼い子供が目を擦りながら、抱えていた縫いぐるみをギュっと抱きなおして、周囲を見回している。
「ありゃ、一人起きちゃいましたね」
子供は虚ろな目のまま何かを探すように周囲を見回し、ソゴゥを見つけると、縫いぐるみをおもむろに放り投げた。
その途端、縫いぐるみが炸裂し、あたりは白い閃光に包まれた。
光りが引くと、ヨルが翼を広げてソゴゥ達を何かから守るように立っていた。
その体や翼には、銀色の長細いトゲのようなものが、いくつも突き刺さっていた。
ヨルはソゴゥを振り返ると叫んだ。
「逃げろ!ソゴゥ!」
ヨルの体が、灰になって消えてゆく。
「世界樹伐りの斧だ!」
「ヨル!!」
ヨルの方へ踏み出した途端、脇腹がヒヤリとした。
見ると、銀色のトゲが刺さっていた。
ソゴゥに銀色のトゲを突き立てた少女の目は虚ろだったが、ソゴゥと目が合うと、徐々に光を取り戻して、人の体に凶器を突き立てた自分の手を見て困惑し、両手を離して後退しながら尻もちをついて泣き出した。
「子供たちを馬車へ!ここから少し手も遠くへ!」
「第一司書殿、先ずは貴方の手当てを!」
警察官の二人が悲鳴のような声を上げて、トゲを引き抜こうとするが、トゲは液体の様にソゴゥの体内へと侵入していった。
治癒魔法を当てて何とかしようとする二人を突き飛ばし、ソゴゥは叫ぶ。
「俺から離れろ!子供たちをここから遠くへ!」
ソゴゥはグズグズとその場を離れない、警察官達に業を煮やして、瞬間移動で城前広場の中央まで飛んだ。
街の方へ行くこともマズイ。
ダメだ、ダメだ、このままじゃ抑えられない。
体の自由が奪われて、魔力が勝手に放出される。
イグドラシルの聖骸で出来たヨルの躰が、一瞬で消された。
ヨルが言っていた世界樹を破壊する武器だとして、何故俺のエルフの体がこうも蝕まれていくんだ。俺は世界樹ではないというのに。
今、この体を這うように侵食している邪気が憑りついているのは、巫覡としてイグドラシルが降りる度に、体内に血管のように聖なる気が巡っていた場所なのかもしれない。
このまま、意識を失うわけには。
ガルダは今まさに、世界樹伐りの斧が使われたイグドラシルの第一司書を見た。
大地に膝をつき、意識を保とうと腕を噛んで、フーフーと唸るような呼吸を繰り返している。彼の抵抗虚しく、見る間に皮膚表面を黒い蔓が枝葉を伸ばすように覆っていき、黄緑色に薄く発光した瞳が異常な動きをしている。
神聖に輝くペリドットから、夜の森のような黒と境のない深い緑へ変化し、白目は黒に塗りつぶされていく。
第一司書は腕から口を離し、何かを探すように上空に顔を向けた。
この状態の第一司書を殺せる者がいるとしたら、それは自分しかいない。
ガルダの妻が、何を置いてもイグドラムへ行けと言った理由がこれだった。
太歳に次ぐ天災を、この手でうち滅ぼすために。
ガルダはもう片方の腕輪も外し、飾り羽の一つを引き抜いて炎の剣を出現させ、柄を握るための一振りで大地が裂け、そこから炎が吹き上がった。
躊躇によって敵に時間を与えることは、ガルダの戦いにはない。剣を握ればその次の瞬間、敵を滅ぼしている。今。炎の剣はゴゥの胸に突き立てられた。
だが、分厚い魔力によって炎は曲がり、ガルダの片翼が何かにもぎ取られた。
ガルダは、鶏鳴に似た歓喜の声を上げた。
生まれて五百年間、他人の攻撃でここまで翼が破損したことはなかった。
ソゴゥは途切れる意識の中、赤く燃える神鳥を見た。
自分には死を。
イグドラムには平和を齎す神の鳥だ。
母と樹精獣達の悲しむ声が聞こえた。
ルキの態度にすっかり油断していた。イグドラシルの眷属である樹精獣の庇護下にあるルキは、エルフにとっても討伐対象から、守るべき存在となっていたが、やはり邪神であり、その思惑は計り知れない。
夜明け前、樹精獣達に起こされ、ルキがいないことを知った。
「おい、起きろ、吸血鬼がおらん」
床に寝転ぶ同僚たちも、樹精獣に肉球連打を受けて起き出した。
樹精獣達のただならぬ様子に、いち早くチャイブが反応し、樹精獣達が自分達に何かを伝えたがっていると察して、彼らのジェスチャーを観察する。
「外へ付いて来て欲しいと、言っている様ですね」
樹精獣達は頷くと、チャイブの手をとって家の外へと引いていく。
四頭いる樹精獣全てが精霊の家の外へと出て行き、二頭の馬へと別れてよじ登る。ニトゥリーとイフェイオン、ウィステリアとチャイブも別れて馬に乗り、馬の首元に捕まって立つ樹精獣が、馬に何かを伝えると馬が勢いよく走り出した。
馬は駆けはじめから全速力で飛ばし、森の木々がこれを避けるように道が出来る。
「樹精獣の力か」
「精霊獣の神髄を見ましたね」
ニトゥリーとイフェイオンが感心する。
「マズイです!」
白みだした空を見て、イフェイオンが悲壮な声を上げる。
「こんなに眠っとったのか、もう朝方じゃないか。あいつはちゃんと建物の中におるんやろうな!」
樹精獣達の慌てぶりからすると、何か良くない事が起きていることが伺えた。
もう夜が明ける。
一度も見たことがない、朝という時間の空をルキは肌で感じた。
格子が間隔を狭め、鳥籠のような形状となり、その上部に取り付けられた鎖が、建物の四方に出現した建物の高さを超えるその柱に渡され、上空へと吊し上げられた。
籠は建物よりも高く、このイヲンの街で一番に日の出を確認できる高さで固定されていた。
ルキは空を見上げた。
ニトゥリーに憑いた時、彼の記憶にあった青い空を見た。
森から帰って来る日の光をいっぱい浴びた樹精獣の匂い、発展したエルフの街の楽しさ、復活して短い間だったが、楽しいと思うようなことは沢山あった。
力を思う存分振るっていた時代も、自らが貯めた宝物庫の宝を眺めるのも、愉しさはあった。だが、それらは誰かと共有することのない愉しさだ。
核を得て目覚めた時、樹精獣達が喜んで飛び跳ねて迎えてくれた。
あの時の気持ち。彼らにもう一度会いたい。
あっという間に森を抜けて、イヲンの街に到着した。
探すまでもなく、ルキの居場所が分かり、ニトゥリー達はそれを見上げた。
「退治屋か、クソがッ!」
馬は、ルキが吊るされている建物の前で止まり、ニトゥリーとイフェイオンは建物の外壁を蹴って、屋上から飛行魔法でルキの檻に取り付いた。
チャイブとウィステリアは樹精獣達を抱えて、建物の入り口から中庭へと抜ける道を探して、そこにいる白い服の一団を発見した。
「何者だ!」
「警察だ!あの吸血鬼はこの樹精獣達の庇護下にある、よってイグドラシルの意向により討伐は罷りならんのだよ!」
ウィステリアが叫ぶ。
「吸血鬼は、吸血鬼だ!我らは吸血鬼を生かしてはおかない!」
白い服の一団が、武器を構えて、ウィステリアとチャイブに照準を合わせる。だが、武装した瞬間、体の自由が利かなくなった。
上空では、檻に取り付いたニトゥリーがちらりと、地上に目を向けていた。
ニトゥリーは自分より魔力量の低い生物の動きを、ひと睨みで封じることが出来る。本来なら、悪夢のオプションを付けて、戦意を折るのだが、それどころではなかった。
格子を力で抉じ開けて、檻の中へと滑り込む。
「おい!出るぞ!」
ルキは目を見開いて、そして嬉しそうに微笑んだ。
「これが、朝というものなのですね」
既に空は白く、日はこの世界の地平を超えた位置にあった。
ニトゥリーは、ルキを抱え格子の外へと出ようとするが、その隙間をルキの体が通り抜けることは出来なかった。
イフェイオンが悲鳴に近い声を上げて、檻の上に脱いだ服を被せて、朝日を遮ろうとするも、既に、ルキの体は薄く発光し始めていた。
「最期に、お願いがあるのです、貴方の記憶で見たキスというものをしてみたいのです。私はその名の通りあらゆるものを拒絶してきました。それは私が拒絶されることを恐れていたから。私は、人と触れ合ってみたかった・・・・・・」
「アホ!せめて女の体に戻ってから言えや!それに、お前の願いを叶えたら、俺がイフェイオンに殺されてしまうわ!」
ルキは静かに笑い、目を閉じている。
「クソッ・・・・・・」
ニトゥリーはルキの頬をそっと両手で包み、唇を寄せようとして、止まった。
「ルキよ、お前は日の光を浴びたらどうなるんや?」
「日の光の下では、私の、陰の性質の強い魔力に体が耐えられず崩壊して、私はまた砂に戻るでしょう」と目を閉じたまま答える。
「そうか、で、いつ砂に戻るんや?」
「日の光を浴びたらです」
「どれくらい浴びたらや?」
「少しでも光が触れたらですが、それが?」
「さっきから、えらい浴びているようだが?」
「あれ?」
ルキは周囲を見回し、自分の薄く光る両手を見た。
「私の陰の性質が、陽に傾いていますね。どういう事でしょう?」
ニトゥリーは再びルキを抱えて、檻の外へと脱出を試みた。
ルキの体は先ほどと違い、すんなりと格子の隙間を通った。
ニトゥリーはルキを抱えて、地上に降り、イフェイオンが続いた。
地上では、ウィステリアとチャイブが白服の一団を拘束して、地面に転がしていた。
「いくら警察だからと言って、依頼された私たちの邪魔をするなど、越権行為だ!」
「君たち、この家主に許可を得たのかね?」
ウィステリアは、白服の一団を憎々しげに見て、調理器具を持って立ち向かおうとするエルフの一家を振り返って尋ねる。
エルフの夫婦が「その人たちは、私達を無理矢理拘束して入って来たのです!」と叫ぶ。
「なるほど、なるほど、であれば、君たちは住居不法侵入罪に、逮捕・監禁罪が適用されるが、どうなんだね?」
「許可は得た!」
「誰にだね?」
「領主だ」
「ふむ、この家の持ち主でないと、許可をとったことにはならんのだよ、全く」
やれやれと、ウィステリアは首を振る。
二人に引っ付いていた樹精獣達が、ルキに向かって行って飛びつく。
「樹精獣とセットだと、ますますソゴゥや」
危うく弟と同じ顔とキスとするところだったと、後ろのイフェイオンの威圧も加わり、ニトゥリーは汗をぬぐう。
樹精獣達は、口々にルキに何かを訴えている。
ルキは、姿を女性体に変え、真っ赤に燃える目で空を見上げた。
「ニトリンの弟が危ないニョロ!直ぐに助けに行くノス!」
樹精獣達を抱えて、上空に飛び上がるルキを、ニトゥリーとイフェイオンが飛行魔法で追う。
チャイブとウィステリアは、三人と四頭を見送った。
「とりあえず、各所に報告が必要なようだね」
チャイブは頷き、この家のエルフ達に被害がないか確認を始めた。
王宮騎士の三人は、城外へ飛翔していったガルダ王を追って、城前広場で対峙する、ソゴゥとガルダ王を見つけた。
イセトゥアンはその場にいた警察官から、子供が放った世界樹伐りの斧という武器により、彼らを庇ったヨルが消失し、その武器によって負った怪我によりソゴゥが異常を来たしている今の状況を知った。
ヴィントは担いできた使用人の女性を警察官に託し、馬車でこの場から離れるように言い、既に、ガルダ王とソゴゥの元に駆け出しているイセトゥアンとブロンを追った。
ガルダ王は片方の肩から、ジェットエンジンのアフターバーナーのような翼を生やし、左右の翼の出力差を慣らすように、上空を旋回しながらも、炎の雨を降らしている。
ソゴゥは炎を鬱陶し気にしながらも、まるで獣のように大地へ四つ這いになり、上空を睨み上げている。
よく見ると、ソゴゥの四肢には草の弦が絡みついていて、大地へ縫い留めている。
ソゴゥの特徴的な黄緑色の魔力を帯びた弦だ。
「自分で、自分の身体を押さえているのか」
「隊長、私が城の設備を使って雷魔法を放ちます。おそらく、ソゴゥ様の魔力の壁を少しは抜けて、本体を一時、行動不能にすることが出来るかもしれません。その間に拘束して、眠らせ、魔力を封印して、対策を講じましょう」
「分かった、俺たちは上空へ避難する」
「上空へも放電されますので、耐電魔法と防御魔法を!」
「わかった!」
ブロンは対魔族用に造られた、雷魔法を増幅して放出する城前広場の凹凸の起点となる場所に辿り着くと、装置の上に立ち、一度に出せる最大量、最大出力の雷魔法を放った。
雷は装置へ吸収され、大地の溝に青白い光が奔り、雷魔法ではまず耳にすることのない種類のエネルギーの爆発する音が炸裂した。
地面から上空へと向かう放電が稲妻の矢を放ち、あたりは朝日をもくらませる程の発光現象により、一体が青白い光の膜に閉じ込められた。
音に耐性のある有翼人のガルダは、稲妻を弾いて目を細め、地上を見下ろしていた。
イセトゥアンとヴィントは予想していた衝撃の対策をも超えて、眩む目と、爆音に耳が聾されて、平衡感覚を失わずに飛び続けるのがやっとだった。
衝撃の真っただ中にいるソゴゥは、先ほどと変わらない様子で、空を見上げており、ブロンはその場に膝をついた。
魔力が枯渇して、立っていることが叶わなくなったのだ。
「あれだけの攻撃で、気を失う事もないのか・・・・・・」
イセトゥアンは、漸く戻ってきた視力と聴力で辺りの様子を確認する。
ガルダ王がこちらへと飛んで来た。
ガルダ王が指さす先で、ソゴゥの体は化け物の様に変容していく。
耳はエルフのそれに戻り、髪は白く長く、背中からはどす黒い魔力が幾重にも重なる翼の様に噴き出している。
四肢を押さえていた弦が引きちぎられ、黒い斧のような武器を手にしている。
「イグドラシルの司書が、世界樹伐りに憑依されたようだ。このまま、あれをイグドラシルの元へ行かすわけにもいくまい。ここで俺が殺しても文句を言うなよ?」
「言いますよ、殺しては駄目です。10日でも100日でも、あれを食い止めて、対策を講じるのです。我々はソゴゥを諦めない」
「アレを10日食い止めろと?笑わせる。一時間でも難しい、お前らはあれがどれだけの脅威か分かっていないのか?」
「ガルダ王ともあろう方が泣きごとですか?」とイセトゥアンが食い下がる。
ソゴゥが斧を、地面を削りながら上空へと振り上げる。
先程のブロンの雷撃で、帯電していた上空の放電現象が晴れて、陽の光が正常に降り注ぐ。
「一時間後に同じことが言えたら、考えてやろう、エルフの小僧!」
ガルダ王が滑空し、ソゴゥへと炎の剣を振り下ろす。ソゴゥが斧で受け、周囲の空間を切り裂くような攻防が重なる。
夜が明け、ストークスとセージは、馬車に子供たちとドナー男爵家の使用人を乗せて、旧サジタリアス城から少しでも遠くへとイヲンの街へ向かっていた。
先程の閃光の後、後方からは爆音が絶えず響き、時折暴風が馬車を揺らして、戦闘の激しさを伝えてきた。
一際大きな音がした後、大地が揺れて目の前の道に亀裂が入った。
その大地の裂け目に、馬ごと馬車が落下し掛かったところで、地面に岩の足場が出現して、反対側へと無事に着地することが出来た。
傾いた馬車は引き戻され、ストークスとセージが後方を見るとそこには、犯罪未然対策課班長のニトゥリーと、魔法安全対策課班長のイフェイオンがいた。
「班長!」
「おう、お前らか、一体この先で何が起きとる?」
ニトゥリーは馬車の中で眠る子供たちを確認し、だいたいの事を察しながらも、二人の部下に尋ねた。
ニトゥリー班の二人は、世界樹伐りの斧が使用された状況を説明した。
「では、ここら一体の地形を変えるこの世界大戦みたいな衝撃は、第一司書殿とガルダ王が戦っている影響なのですね」
「うそやろ・・・・・・お前たちは、直ぐに子供らを連れて街へ避難せい、何か分かったら状況を伝える、それまで、この場所へ近付かんように」
「了解です!」
ニトゥリーとイフェイオンは、先に飛んで行ったルキを追って、再び飛行魔法で移動した。
ルキは樹精獣達と共に、旧サジタリアス城で戦う赤い翼のガルダ王と、黒い光を生やした白髪のエルフを見た。
序列三位の邪神である己が立ち竦むような戦いが、目の前で繰り広げられていた。
彼らが接触するたびに気流が起こり大気が変動し、地面は魔力で震え続けている。
高エネルギー同士の接触に、空間が捻じれて、時折時空の穴までもが出現している。
このまま、この戦いを放置していると、時空が歪んで惑星の次元の恒常性が消失してしまう。
ルキの元に飛翔して来たニトゥリーとイフェイオンもまた、目の前の光景に呆然と立ち尽くした。
ガルダ王の炎の剣がソゴゥを貫いた時、ニトゥリーは叫び、一瞬気が遠くなった。
目の前に、見たこともない建物や景色、病院へ駆け付ける記憶が、嘘だと繰り返していた絶望がフラッシュバックした。
「素剛!!」
ソゴゥの胸は、服すらも焼けていない。
手加減をしている分、ガルダ王の方が傷を負っているようだった。
ルキは、白髪のエルフの状態が、自分の宝物庫にあった「世界樹伐りの斧」によるものだと気づき、樹精獣達が自分をここへ連れてきた理由を理解した。
「一分、ルキに一分だけ時間をくれれば、あのウイルスを無効にできるノシ!」
「どういうことでしょう女神様?」
「あの、ニトリンの弟の動きを一分止めて欲しいノス!」
「俺がやるわ」
ニトゥリーが、全魔力を注いで体が発光するほどの身体強化を掛ける。
樹精獣達の肉球連打が、ニトゥリーの足を襲う。
「なんや?」
しゃがみ込むと、一頭の樹精獣が赤い魔導書をニトゥリーに手渡し、もう一頭が、小さなガラス瓶を渡してくる。
「その魔導書に、その瓶の中身の血を掛けろと言っているニョロ」
ルキが樹精獣の言葉を通訳する。
ニトゥリーは魔導書を開くと、自然と止まったページに、言われた通りに瓶の中身を垂らした。ページに血が広がると、目の前に真っ赤な魔法円が出現し、黒く禍々しい炎を纏った見覚えのある悪魔が顕現した。
「ヨル!」
「ソゴゥを助けるため、世界樹の巫覡の任を解く」とヨルが静かに言う。
「待つノシ!ルキなら、世界樹伐りの斧を除去できるニョス、イグドラシルに巫覡がいなくなったら、あの女の思う壺ノフス!悪魔は、ニトリンの弟の動きを一分止めるのデフ!」
「出来るのか?」
「ルキフグスは宝物庫の管理者にして、神器の破壊方法を知るモノなのでゴス」
語尾で台無しだ。
ニトゥリーとイフェイオンは緊張を顔に貼りつけつつも、内心思っていた。
ガルダは、時空の穴を利用して緻密に計算した攻撃を繰り出してくるソゴゥに、力のままねじ伏せることのできない苛立と、それと同じくらいの困難な戦闘に対する興奮を覚えた。振り下ろした剣が受け止められ、放つ魔術が弾かれる。そんな経験は、願っても得られないと思っていた。だが、この世界樹伐りの斧に取り付かれたエルフの個体は、およそ生物とは思えない魔力量を誇り、邪神の武器による能力なのか、それともイグドラシルの回路が利用された結果なのか、恐ろしく精度の高い攻撃を仕掛けてくる。
無駄撃ちがなく、研ぎ澄まされた、全てが一撃必殺の攻撃だ。
それを受け、躱す度に、命を落とさずに済んだことに対しての高揚が、今、この瞬間まだ生きて、そして戦いが続いているという興奮が積み重なっていく。
この俺が、生きていることに安堵するときが来るなど、俺自身でも予想できなかったことだ。
ガルダは、この地を焦土にかえない限り、この戦いに勝ちはないと分かっていた。
だが、エルフの小僧どもの期待を裏切るのも癪に障る。
一時間、それまでは我慢して、この命のやり取りを続けてやろう。そう思っていた。
エネルギー溜まりを避けて、空間を裂いて飛来する攻撃を躱し、周囲に炎の壁を築く。相手の攻撃を真似て、背後から炎撃を被弾させるための目くらましだ。
いくつかの制限を外すために、指で空に字を切り、左右の光彩が赤と緑に光る。
対極のエネルギーをぶつけることで威力を持たせる攻撃が、ソゴゥの背後の空間から放出される。
ソゴゥは振り向き様に、斧でこれを上空へと薙ぎ払うが、斧はこの攻撃を受けて溶解し、地に黒い焦げ跡を残して消えた。
追撃とばかりに指を構えたところで、ソゴゥの周囲に黒い光の円が無数に浮かび上がり、そこから鎖が出現して、ソゴゥの四肢、胴体、あらゆる場所に絡みついて拘束した。
百も二百もある鎖は、拘束する側から引きちぎられるが、直ぐに新たな黒い円が出来て、そこから出現する鎖が次々とソゴゥに絡みつく。
「あとは我らに任せよ、神鳥の王」
ヨルは、ガルダ王の横に並び、ソゴゥを見下ろす。
「どうする気だ?あれは殺さないと止まらんぞ」
「神器の所有者に、考えがあるようだ」
目の前で拘束されて藻掻くソゴゥの元に、ニトゥリーがルキを抱えて飛び込んでくる。
ルキは、ニトゥリーの腕からソゴゥめがけて取り付くと、その首に牙を当てた。
ガルダ王は横にいる悪魔を見て、ふとその翼の付け根の色に違和感を覚えた。
「その翼、俺と同じガルーダ族の翼のようだが」
「樹精獣が王の尾羽で造ったからな」
「それに、その尾は悪魔の尾というより、神聖な龍の尾のようだが」
ヨルの龍の鱗に覆われた尻尾を見て、ガルダが首を傾げる。
「イグドラシルの聖骸だけでは、今回の様な神殺しの武器が使われた際に、一瞬で消失してしまう事があるかもしれないと、樹精獣たちが色々混ぜて、そうはならない身体を用意してくれたのだ」
「俺の許可は?」
「樹精獣に尾羽をやったのは、王であろう?樹精獣たちに返せと言えるのであるか?」
ガルダはあの可愛い獣たちに、そんな事が言えるわけもないと「しょうがない」と項垂れた。
眼下では、吸血鬼がソゴゥに取り付いて血を吸っているだけだが、ガルダやヨルが雑談を交わせるほどに、状況は変化を見せていた。
ソゴゥの身体を縛るように巡っていた、黒い蔓はあっという間に消えていき、正常な肌の色だけとなり、背中から噴き出していたどす黒い魔力もすっかりと収まった。
目は白目を取り戻し、その眼光は暗い緑から、黄緑へ、そしていつもの黒へと戻っていった。
ソゴゥは空中を見つめたまま、何度か瞬きをした。
やがて、心配げにこちらを覗き込むニトゥリーと目があった。
「えっと、俺、これ血を吸われてない?」
ニトゥリーはルキごとソゴゥを抱きしめた。
「ようやった!」
ニトゥリーが叫ぶのと同時に、更に何人かが飛びついて来て、ソゴゥは地面に押しつぶされた。
「お兄ちゃん、めっちゃ心配したんだぞ!ゼフィランサス王の援軍が到着するまで、ソゴゥがガルダ王に殺されやしないか、ひやひやして、生きた心地がしなかったんだからな!」
「イセ兄さんよ、俺の耳元でしゃべんな、はよ除け!」
「酷い!けど、ニッチ、よくかった!こちらのお嬢さんは誰なんだ?」
「うぐぐ、ルキを潰すなノシ、まず、上のそこのキラキラ頭から退くノシ、次は砂色、それから白頭、ニトリンの順で退くニョロ」
ソゴゥは目の前の、自分にそっくりなルキを見て「妹がいたなんて・・・・・・」と嬉しそうな、複雑な顔をした。
「母さん、父さん、いつの間に・・・・・・」
「違うぞソゴゥ、それはセイヴで逃がした吸血鬼や」
「俺の妹、吸血鬼だったのか。母さん、浮気した?」
「あるか、アホ」
目の前に降りてきたヨルとガルダ王に、ソゴゥは「ヨル!」と声を上げる。
「樹精獣たちが、我の体を用意しておったのだ。彼らは、ソゴゥを助けるため、イグドラシルの巫覡を解いて、自分たちの繋がりを断ってでも助けろと我に頼んできたのだ」
「グッ」
ソゴゥは目頭を押さえた。
「俺は普通に、お前を倒して終わらせようと思ったのだがな、そこのエルフの小僧が十日耐えろと無茶を言ってきて正直困っていたんだ。だが、やはりイグドラシルはお前を見捨てなかったか。それで、またあの状態がぶり返すような事はないんだな?」
ガルダ王はルキに尋ねた。
「世界樹伐りの斧は一滴残らず吸いつくしたので、大丈夫ニャン」
ガルダ王は微妙な顔をして「お前たち兄妹多くないか?」とソゴゥに似た、ルキとニトゥリーが追加されたのを見て言った。
「あと二人兄がいます」とソゴゥはガルダ王に言い「本当に、ご迷惑をおかけいたしました」と平謝りする。
「お前には、貸し一つだ」
ガルダ王はニヤリと笑い、ソゴゥは汗が噴き出した。
「さあ、盛大に余を王宮でもてなすよう、ゼフィランサス王に伝えよ!一番の部屋にプールとジャグジーを付け、世界中の花と果物を部屋に用意せよとな!!」
イセトゥアンはガルダ王に「仰せのままに」と告げると、丸ッとした水色の手紙鳥と何羽も飛ばした。
ルキは飛んでいく鳥と、その背後の青い空を見上げた。