5.嵐の夜の諍い
ニトゥリーは何度目かの街道の駅への寄り道に、いい加減堪忍袋の緒が切れかかっていた。
両手いっぱいにご当地名物を抱え、口の周りをソースで汚しているウィステリア課長(仮)に、そろそろ手が出てもおかしくない。
とりあえず、突き出た腹を凹ますくらいの腹パン決めておくかと、青筋を浮かべていたところに、トイレからイフェイオンが戻って来る。
「お前のう、腹壊し過ぎよ」
「誰のせいだと思っているんだ、その殺意に満ちた魔力を収めるくらいの配慮をみせたらどうなんだい、キミ?」
「まあまあ、君たち同期だからって、遠慮が無さ過ぎじゃないかね。そろそろ、仲よくしたらどうなんだ」
「余計なお世話だ」
「余計なお世話や」
ニトゥリーとイフェイオンが同じことを言う。
「おや君たち、上司にその言葉遣いは一体どういう事だい?」
「ウィステリア君さあ、まさかとは思うが、キミは今、役職を外された、単なる平の担当官に過ぎないことを失念していないだろうね?ええ?」
「階級が一緒だからのう、役職がないあんたよりも俺たちの方が今は上ってことよ、次に馬車を止めよったら、歯一本もらうとするかのう」
ニトゥリーとイフェイオンがウィステリアに言う。
「ちょっと、チャイブ君もこの二人に何とか言ってくれないかね」
御者をさせられている、魔法安全対策課の課員のチャイブは青ざめた顔で首を振る。
「申し訳ございませんウィステリアさん、次は馬車をお止めできません、たぶん・・・・・・」
ニトゥリーとイフェイオンの圧を感じ、チャイブは胃の上を擦る。
「おら、さっさと行くぞ、このままじゃ、イヲンに着くのが夜中になってしまうわ」
「チャイブ、出来るだけ飛ばしてくれ、早くしないと嵐が来るようだ」
イフェイオンは遠くの空を見て、憂鬱そうに言った。
「君たち、旅はもっと楽しまないと」
「旅じゃない!」
「旅じゃねえわ!」
またしても、ニトゥリーとイフェイオンの声が重なる。
ニトゥリー達四人は、吸血鬼の出没情報が出たイヲンの街に向かっていた。
このメンバーが調査隊となったのは、精神を乗っ取られて箱を開放するきっかけを作るという失態を犯したウィステリアと、箱の管理担当者であったイフェイオン、それに体を乗っ取られて、最終的に吸血鬼を取り逃がしたとされるニトゥリーが責任を問われての事だった。
ウィステリアに至っては、今回の任務で吸血鬼の捕獲を成功させるなどの何らかの功績が上がらなかった場合、役職剥奪の上、地方への異動となる局面にあった。
イフェイオンは、吸血鬼を絶対に回収しなくてはならないという思いと、ウィステリアの役職復帰は断固反対というジレンマを抱えている。
三人は馬車に乗り込んで向かい合わせで座り、チャイブは御者席で馬車を出発させる。
イヲンの街が旧市街となった理由は、交通の不便さが挙げられる。
もとは第九領の領主が住むサジタリアス城の城下町として栄えていたが、隣の第七領の鉱山から、飛行竜の好物であるエメラルドに似た緑色の鉱石が採掘されるようになり、飛行竜の暴走を抑えるため、第七領自体が飛行禁止区域となり、飛行竜を近寄せないために厳重な空壁が設けられていた。第七領の手前か、迂回した第九領の現在の中心街付近にしか竜舎がないため、王都からイヲンへは、第七両手前の竜舎から街道を馬車で行く方法が取られる。
ニトゥリー達も、第七領手前の街にある地方の警察署で、二頭立て六人乗りの警察用の馬車を借りて、第七領の街道をイヲンに向かって走らせていた。
第七領は、飛行竜が使用できない事や、鉱石の輸送のために街道が発達しており、道の駅も充実し、それが観光資源ともなっている。だが、そのせいでニトゥリー達は、ウィステリアに道草を食わされて、遅々としてイヲンに辿り着けないでいた。
第七領を抜けて第九領に入ると途端に街道は荒れて、道は山岳地帯へと伸びていく。
峠に差し掛かったあたりから、イフェイオンの予想通り雨が降り出し、時折山が動くような地鳴りが響き、これ以上の前進は危険だと判断されるほどに雨脚が強まってきた。
「何処か開けた場所で馬車を停めて、嵐をやり過ごした方がいいようですね」
イフェイオンの提案に、ニトゥリーも同意する。
「このまま峠越えは難しいかもしれん」
片側は切り立った崖となる道が延々と続くため、脱輪したら命がない。
辺りはすっかり暗くなっていて、雨で視界も悪く、御者席にいたチャイブを馬車の中に入れ、ニトゥリーとイフェイオンが御者を代わって、ニトゥリーが光り魔法で辺りを照らし、イフェイオンが土属性魔法で、雨でぬかるんだ道を硬質化させて整えながら、開けた場所を探す。
ニトゥリーは、ふと崖下に広がる暗い森を見て「この下は、例の精霊の森かも知れんのう」とイフェイオンに言った。
「そうかもしれません。となれば、イヲンの街も近いはずですが、このまま雨の中を走り続けるのは、やはり危ないでしょう」
「確かに、馬が雷に驚いて跳ねよるから、停めてやらんと危ないのう」
馬車全体に雨避けの魔法装置を起動させているとはいえ、まるで滝の中を進むような状況と雷鳴に、ニトゥリー達は、崩れなさそうな広い場所が見つかったら、すぐにでも馬車を停めようと、ゆっくりと馬車を進めた。
山の中腹に丁度良く開けた場所を見つけ、馬車をその場に停めるとニトゥリーとイフェイオンは御者席から馬車の中へ戻ってきた。
「食べ物臭せぇ」
「ウィステリア君、キミ、窓も開けられない状況で臭いのある物を広げるのはやめてもらえないかい?この狭い空間で、野郎四人で過ごすのも地獄だというのに」
「君たちもどうだい?中々いけるよ、この山鳥の燻製と、山菜漬」
「俺は、さっきの道の駅で夕食は済ませとるから遠慮するわ。それよりも、少し休んでおきたい、チャイブも体を休めたいよのう?」
「あ、いえ、私はその、大丈夫ですから」
「チャイブ、キミはちゃんと休まないと駄目だぞ」
「君たちって、仲悪いけど、意見は合うよね」
「あんたとは、この先も意見が合う気はせんのう」
「アハハ、いやあ、私はこう見えて人心掌握が得意なのだよ?帰る頃には『あんた』から『ウィステリアさん』と自然と呼んでいることだろう」
ニトゥリーは「それは、楽しみやな」と首を竦めた。
「ウィステリア君、すぐに食べ物は仕舞ってください、あと、足も退かしてください。折りたたみの床を出すので」
イフェイオンとニトゥリー、それとチャイブが手伝って、馬車の椅子の内に折りたたまれている板を引っ張って、椅子を繋げて、床がフルフラットになるよう組み立てた。六人乗りの馬車が、大人四人が横になれる簡易寝床になる、任務の時に、寝泊りできるように設計された警察の特殊馬車だ。
「並び順はどうしますか?」
「俺は端でないと発狂するわ、ちなみにデブの隣でも発狂する」
「それは私も同じなんだよ、キミ。とりあえず、デブは外に出して、チャイブを真ん中にするのはどうだろう?」
「異議なしや」
「ちょっと君たち、まさかデブって、私の事じゃないだろうね?」
「他にデブがいるなら連れてこいや」
「キミしかいないだろう?ウィステリア君の家には鏡はないのかい?」
「ちょっと、チャイブ君、この二人に何とか言ってやってくれたまえよ、元上司に対する敬意が感じられないよ?」
チャイブは胃の上を擦りながら「外は、雨ですから」と囁くようにウィステリアを援護する。
「そうだよ、雨なんだよ。君たち状況が分かっていないのかね?」
「分かって、言っとるんよ」
「その、食べ物の油が付いた指を舐った後、腹の辺りで擦りつけて拭うのを繰り返したせいでテカった服を見てね、ウィステリア君、キミは外に出て、雨で全身を洗浄した方がいいと、そう私は判断したんだ」
「マジで服が腹のところだけテカっとるわ。隣になったら死ぬ」
「私もだよ、というか、ウィステリア君、キミは向こうの端に寄りたまえよ」
ウィステリアから距離を取る二人に、ウィステリアの目が光る。
何か嗜虐心が芽生えたように、指をワキワキさせて「君たちのどちらかを、私の抱き枕にしてやろうじゃないか」と近寄って来る。
馬車から絹を引き裂くような、野太い悲鳴が響き渡る。
丁度その時、馬の嘶きが響き、大きな揺れを感じた。
「なんや?」
ニトゥリーが外を確認しようと、御者席側の窓に手を掛けたところで、馬車が大きな衝撃を受けて横倒しとなった。一瞬の出来事に、四人の体は馬車の中で重力を失った後、その数倍の負荷で叩きつけられた。山肌が地滑りを起して、馬車を飲み込んだのだ。木々をなぎ倒し、滑り降りていく地面と一塊となって、馬車は崖下へと押し流されて行く。
頭を打ち付けて意識を失った三人に対し、ニトゥリーは何とか意識を保って彼らと自分の体に防護魔法を掛けるが、三人と同じく頭をぶつけており、やがて視界が暗転した。
目を覚ますと、女神がいた。
イフェイオンは、こちらを覗き込む緋色の瞳をした長い黒髪の少女を見上げ、その美しさに見惚れていた。
「もう大丈夫ニョン、ルキのおかげニョン。感謝するニョン」
「ああ、なんと可憐な、頭の悪そうなところさえ愛くるしい」
透けるような白い肌に、真っ赤なドレス着た少女が頬を膨らませる。
「お前、今ルキをバカにしたノシ」
「語尾を統一しろや、それで、その恰好は何の真似や?肖像権侵害で告訴すんぞ」
「お前がルキの形を定義したニョロ、そっちの白紫頭の子は、ルキに血をくれたノス」
ルキと自称する少女が、イフェイオンを指さす。
イフェイオンは毛先が薄紫色の白い髪に、光彩も白に縁が薄紫色をしている。
「イフェイオン、お前、血をやったんか?ああ?お前が吸血鬼目覚めさせたんか?」
「え、いや、え?箱に血を付けてしまったのは私の意思ではないが、結果、箱を開放してしまった責任は私にもある、二割、いや一割?残りはデブの責任だ。って、デブとチャイブは無事なのか?」
「大丈夫だ、この吸血鬼が助けてくれたらしい」
辺りを見回すと、巨大な木の洞の中のような、滑らかな木材の曲線がそのままの天井や柱に、床の木材も全て同一の木で出来ているような部屋だ。しかも貴重な白木である。そして床にはモフモフとした毛足の長い絨毯が敷かれており、照明は王都の街路樹のような自ら発光する植物に因るものだ。
まるで、精霊の棲み処だ。
「ああ、やはり貴女は女神なのですね、こんなに美しい女性を見たことがない」
「いや、吸血鬼や。それと、よく見ろ、俺に似とるだろうが、気色悪い」
「そんなはずある訳ないでしょう、ん?あれ?似てる?」
「俺の弟そっくりやこいつ、何でそんなことになったん?お前、俺の弟に見つかったら消されるぞ?」
「ルキはこの世界で三番目に強いから大丈夫ノデフ。銀髪のお前に憑いた時に、ルキは初めて目が見えたニョン、そしたら、目の前にいたのがこの顔だったノシ」
「ニトゥリー、キミの弟って海軍の奴か?」
「いや、図書館の方や」
「第一司書様じゃないか、もしも女神が本当に『拒絶』だったとしても、女神様の命が危ないんじゃないか?」
「お前、どっちの心配をしとるん?『拒絶』ってなんや?邪神の一柱か?」
「女神様の心配に決まっているだろう。それに、女神様のいた箱には『拒絶』が印されていたのだ、序列第三位の邪神を示している」
「ルキは弱くないんだって、お前ら失礼過ぎニョ」
「邪神最盛期はどうだったか知らんが、その勢力図はだいぶ置き換わているぞ。この時代には神を凌駕する化け物がおる」
「ニトゥリー、キミはさっきから、何故そんなに女神様を呷るんだい?」
「ソゴゥと同じ顔で、アホっぽい事を言うんが気に喰わん。それに鳥肌が収まらん。あながち邪神の一柱というのは、間違いないかもしれんのう。お前も、すっかりこの吸血鬼に魅了されておるやないか」
「この胸の熱い気持ちは、女神様の魅了によるものなのですね。ですが、例えそうだとしても、私は敢えてこの気持ちを受け入れましょう。ルキ、私の女神、どうか私と結婚してください」
「ルキは、魅了はつかってないニャ、それと、まだ知り合って間もないお前と結婚する気はないニョロ」
「至極当然な回答だな。イフェイオン、これだけの禍々しい魔力を放出する邪神に求婚って、お前大丈夫か?デブを見てみい、恐怖のあまり部屋の隅で固まっておるわ」
イフェイオンは、元上司のウィステリアの存在を思い出し、部屋の隅にあるテーブルの前で俯いている姿を見つけた。
「何か食べているように見えますが?気のせいですかね?」
「食べることで、恐怖を紛らわそうとされておられるんやろ」
「なるほどそうですか、ところでチャイブは?」
「チャイブは、お前の後ろにおる」とニトゥリーが顎で示す。
イフェイオンは自分が眠っていたソファーの真後ろで、茶色いモフモフの大きい猫のような動物達を抱えるチャイブを見つけた。
「これは、樹精獣ではないですか?」
「そうや、ここは消失した樹精霊の住む屋敷で、ルキは樹精霊の抜けた依り代に憑いて顕現しておるらしい」
「聖なる樹核に、邪神の女神様が憑けたのですか?」
「ややこしいな、なんや邪神の女神って」
「ルキの体となっている樹木の粋は、聖魔どちらも受け入れる器だったノシ、精霊がこの次元に顕現できるだけの強い核だったのに、核が穢されて、聖の性質をもつ樹精霊は、核を放棄して他次元に逃げちゃったらしいニョス。ルキには丁度よかったのでもらったノデフが、そこの獣達が妙に懐いて来て、しょうがないから面倒を見てやっているのニャフス」
「お前、マジでその語尾やめや。ソゴゥに申し訳なさ過ぎるわ」
「ルキは、お前のような者を何と言うか知っているノス、ブラコンって言うのニャフ」
顔を赤くして震えているニトゥリーの横で、イフェイオンが噴き出す。
「ところで、ルキよ。お前、エルフの街に行って、血を吸ったりしておらんよのう?」
ルキは斜め上を見て、鳴らない口笛を吹いている。
「おい!」
「ちょっとしか吸ってないニョン、誰も死なせたりしてないですシ、獣達が良い事をしないと、この体を取り上げるって言いますシ、それにお家にも入れないって言うのでえ、血をもらった人のお家のお掃除とか、恩返しをちゃんとしましたノフ」
ニトゥリーは樹精獣達に視線を向けた。
樹精獣達はこくりと頷き、ルキの言葉を肯定していた。
「マジか」
イフェイオンは立ち上がり、何処か痛むところがないか体を確認する。
「女神様は、どうして我々を助けて下さったのですか?」
ルキは、樹精獣達を指さす。
「お前たちを助けたのではないニョン、そこの獣達が馬の悲鳴を聞いて、助けろってルキに言うので、助けに行ったらお前たちが転がっていたのでフス。連れてきてやったのは、ルキの優しさニョン。怪我は獣達が治したのデフ」
「そうでしたか、ありがとうございます。樹精獣様方もありがとうございました」
「それで、この森に来た理由はなんや?箱から解放されて、中央公園で姿を消してから、なぜここへ来たんか言えや」
ルキは長い髪を魔法で編んだり解いたりしながら、イフェイオンの向かいのソファーで足をブラブラさせている。
会話に若干飽きたようだ。
「おい!」
ルキは立ち上がって、ニトゥリーの元まで行くと、ニトゥリーに抱き着いて、顔を見上げる。
「お前たちは、もっとルキに優しくすべき、ルキは海に落っことされて、冷たい海底でずっと独りぼっちだった。海底を隆起させて、海面より上に行こうとしたけど、トゲしか出来なかった。やっと、星の下に戻ってきたのに、銀頭意地悪」
「俺はニトゥリーや、そんでお前を海に落としたんは、誰や?」
「知っている、記憶を見た。お前は『仁酉』って言う」
「発音がちごとるわ」
「銀頭は忘れているだけノシ。ルキに意地悪をする女がいるニョ、ルキの美貌を妬んでいて、昔からしつこくて嫌いニョ、海に落っことしたのも、その女の仕業に違いないニョス。いつも自分では手を下さない卑怯な奴なのデフ、ルキの宝物庫の宝も勝手に使って、許しがたいのデフ」
「ちょっと失礼しますよ」とイフェイオンが、ニトゥリーとルキを引き剥がす。
「女神様、こんなのにくっ付いては駄目です。女神様が汚れてしまいます。あ、それと申し遅れましたが、私は女神様の忠実な下部、イフェイオンです」
イフェイオンが片膝をついて、恭しくルキの手をとる。
「ニトゥリー、キミも、弟と同じ顔の女神様に顔を赤らめているんじゃないですよ、変態ですか?」
「こいつはソゴゥやない、女の体やし、ちょっといい匂いがしよる」
「殺しますよ?」
「これは、仮初の姿ニョロン、もう少し海のダメージから回復できれば、元の姿に戻れるニャフ、ルキの本当の姿は、この先にあった古いお城と同じくらいの大きさニョ、乞うご期待」
「いや、そのままでおれ、許すから」
「そうですよ、女神様、無理はいけません、温存していきましょう。とにかく、女神様に害成す相手から身を隠すためにも、その姿のままでいた方がよろしいかと思います」
城と同じ大きさと聞いて、ニトゥリーとイフェイオンが慌てて言い募る。
「ところで、もう一つ疑問なのだがな、お前の「核」は樹精霊殺しの捜査で、ここに来ていた捜査員が回収して調査しておったはずや、どうやって手に入れた?」
キュッツ、キュエとチャイブに抱えられていた樹精獣が何かを訴えるように、長々と鳴いている。
ルキは、樹精獣を見た。
「樹精霊の核は樹精獣が管理するのニャー、だから返してもらったのニャー、エルフの皆さんには、ボクらが趣味で作った、まん丸の木を、そっと渡しておいたニャー」とルキが樹精獣の言葉を訳して答える。
「すり替えたんかい」
「核からの、魔術や、武器などの使用痕跡を割り出すことは出来なくなったという事ですね」
チャイブが言い、口を拭いながらウィステリアが「捜査本部に、連絡しておこう」と手紙を取り出した。本人とは似ても似つかない、鋭い眼光の鷹のような手紙鳥が、木の隙間から飛んで行った。
数日前に手紙で相談を受けていた、ブロン・サジタリアスとの面会があり、ソゴゥは時間に応接室向かった。
ドアを開けると既にブロンが来ており、そして何故かカルラ王子とイセトゥアンも同席していた。
ソゴゥは困惑したように、カルラ王子を見つめる。
「カルラ王子、サジタリアス氏と面識がおありでしたか」
「ええ、ロブスタス王子に、サジタリアス家の者を紹介していただきました」
「ブロンさん、今日の相談はカルラ王子が同席されていても、大丈夫な内容なのでしょうか?」
「それが、大変個人的な相談事で、カルラ王子にお聞かせするような内容ではないのですが」
カルラ王子はニコニコしながら「私は、貴方の悩みが分かりますよ、妹さんのことですね」とブロンに言った。
「はい、そうです、妹のブロンテについてです。ですが、本当に恥ずかしい内容でして」
「まあまあ、私も王族の端くれ、民の悩みを聞くのが仕事ですので、貴方の悩みにも何かお力になれることがあるかもしれません。どうか私にも聞かせてください」
カルラ王子にそこまで言われては、断るすべもなくブロンは話し出した。
「実は、妹のブロンテの金銭の使い方が激しいと、妹の嫁ぎ先であるドナー男爵家に、妹と一緒に男爵家入りした使用人の者から、生家である我が家に連絡が来たのです。男爵も盲目的に、妹に金銭を与えているようで、しかも領地の税率を操作したらしく、領民から不満が聞こえてきているというのです」
「そのお金を、何に使っているのでしょう?」とソゴゥがブロンに問う。
「全く、見当がつきません」
「失礼ですが、兄の貴方から見て、妹さんの容姿はどうだったのでしょう?パーティーの中心となるような魅力を持った容姿をされていたのでしょうか?」
「いえ、ブロンテは内気で大人しく、地味な砂色の髪を嫌っておりましたし、女性にしては切れ長の険しく見える目をコンプレックスに感じているようで、自分からあまり人前に出ることを好んで居りませんでした。他の姉妹が侯爵家や伯爵家に嫁いでいるのに対し、自分だけが男爵家に嫁いだことを、容姿のせいと考えてもいるようでした」
「なるほど、では貴方は男爵については、どのような印象をお持ちでしょうか?」
「男爵ですか?彼はイヲンの街を管理する、サジタリアス家の使用人頭でしたが、妹が嫁ぐ際に、第九領の領地を分け与えられて、イヲンを含む周辺の領地を治めています。真面目で大人しい、妹とよく似た者で、私欲のために金銭を浪費するイメージからはかけ離れた人物です」
「という事は、もともと二人は派手な浪費をする者達ではなく、妹さんは、昨日の様にパーティーの主役となるような人物ではなかったという事ですね?」
「妹がパーティーの主役ですか?ありえません」
「昨日は、間違いなくとても目立っていらっしゃいましたよ」
「本当ですか?」
「私もカルラ王子の歓迎パーティーの会場にいたので、その様子を見ました」
「どういう事でしょう?」
困惑するブロンに、カルラ王子が「では、確かめてみませんか?」と提案する。
「直接彼らの家に行って、そのお金が何に使われ、誰の手に渡っているのか確かめる必要がありますね。私も、彼らに会ってみたい。ブロンさん、一緒に行って確かめようではありませんか」
ブロンは、カルラ王子の後ろに控える上司のイセトゥアンに目を向ける。
「カルラ王子をご案内して差し上げろ、第九領まで行くなら、ヴィント・トーラスも呼んで、二人には王子の案内と護衛の手伝いをしてもらうとしよう」
「分かりました、隊長の許可が下りましたので、カルラ王子をイヲンのドナー男爵の家にご案内いたします」
「あと、第一司書殿にも一緒に来ていただきたい」
カルラ王子がソゴゥに言う。
ソゴゥは咄嗟に断りかけた言葉を飲み込み、イヲンの小さな図書館の事を思い出して、ついでに自分の目で見てくることを思いたち、了承するように頷いた。
「分かりました、こちらは私とヨル、それともう一人、司書を連れていきます。出発はいつにしますか?」
「直ぐにでも」とカルラ王子が言う。
「ブロン、男爵家に連絡を、どのような用事よりも優先するように伝え、明日の昼には到着すると伝えろ」
「承知致しました、隊長」
「では、竜舎で待ち合わせましょう。ノディマー隊長、飛行竜の手配はお任せしても?」と、ソゴゥがイセトゥアンに尋ねる。
「はい、お任せください、では、二時間後に」
イセトゥアンも公務仕様でソゴゥに応える。
「分かりました、ではカルラ王子、ブロンさん、後ほど」
打ち合わせを終え、三人がイグドラシルを後にすると、ソゴゥは直ぐにレベル5の司書であるセアノサスがいるであろう共有の執務室へ赴き、これから一緒にイヲンに行くことを告げた。
「かしこまりました、館長。直ぐに支度を整えます」
ソゴゥの出て行った執務室で、アベリアが「こんなことなら、私がイヲンに行くと言っておけば・・・・・・」と、バイブレーションを利かせ過ぎた低い声に、セアノサスは心の内で恐怖に悲鳴を上げていた。
ソゴゥが荷物をまとめるため、自分の部屋に戻ると樹精獣達がやって来た。
「これから、第九領管轄のイヲンという街に行って来るから、今日はここへは戻らないんだ。ちゃんと、みんなでご飯を食べて、早く寝るんだよ?」
キュエと樹精獣達がそれぞれに返事をする。
ジェームスがソゴゥの元までやって来て、小さなガラスの瓶と、タンポポの綿毛に似た小さな植物を、ソゴゥに掲げて見せてくる。
「キュエエッ」
「え?血をください?」
「え?血をくださいとは、何であるか?」
ヨルは、ソゴゥの言葉に反応して、復唱していた。
「キュジュエ」
「何も言わずに、下さい」と訳しながらソゴゥは腕を差し出す。
「はい、どうぞ、って、喋っちゃった。何も言っちゃダメだったのに」
「いや、そこは『訳を聞かずに、下さい』だったのであろう」
ジェームスは小さな花の茎で、ソゴゥの親指チョンッと突いた。
ソゴゥの皮膚は傷つけられることもなく茎が血を吸って、花部分が赤くなっていく。
その花をジェームスがガラスの瓶に入れて、栓をした。
「これだけでいいの?」
キュエッツとジェームスが鳴いて、ソゴゥに抱き着く。
「大丈夫だよ、嫌じゃなかったよ、何か事情があるんだね?別に、事情が無くても全然いいんだよ?俺の兄さんたちなんて、理由なき暴力を振るってくることなんて、しょっちゅうだけど、嫌いになったりしないし。まあ、あいつらにはやり返すけど」
いつもは樹精獣達がソゴゥにするように、ソゴゥはジェームスの背中をポンポンと叩いた。
ソゴゥとヨルは着替えなどの荷物をまとめたカバンを持ち、樹精獣達を振り返る。
「じゃあ、行ってくるね」
樹精獣達がいつもより長めに、ソゴゥに引っ付いて来る。それと、信じられない事に、ヨルにも引っ付いていた。
嬉しいけれど、永遠の別れみたいで、少し怖くなる。
俺は油断しないし、背中にだって気を配るし、ヨルだっている。
でも、なんでこんなに不安なんだろう。
けれど、ジェームスが別れ際にヨルとソゴゥに向けて言った言葉を聞いて、ソゴゥは少し安心した。