9.
智英は何ごともなく直ぐに開放されていた。
何でヤクザ、いや暴力団が出て来たんだ?。安藤、そうとうな面倒に巻き込まれたみたいだな。
そういえばここ最近、例の正体不明の頭痛が酷かった。何かが、自分の身体に起きようとしている。
人間としての理性より、動物としての本能が、智英にそれを告げていた。
官邸、首相官邸も混乱の余波を大きく受けていた。
ここ数日、幾つかの会合をキャンセルし、当然、睡眠時間も削って事態の収拾に追われていた。
中国軍の一部の暴走。北京政府は当事者能力を失っており、これを統御しかねていた。
まるでところを変えての関東軍の再来だった。
このままでは両国間の戦争に発展しかねない。
日本側の深い憂慮と懸念に対しての北京側の回答に日本側は脱力した。
一部の反動分子の仕業だ。北京政府はこれに関与していない。
国内でも問題が多発していた。
不明機、間違いなく中国軍の飛行船が領内に侵入するさい、これを阻止せんとした空自が支払ったコスト。
そもその経緯、現場で発令された撃墜命令への追認。
情報本部で行われた大規模作戦の追認。
(今回の騒動はその余波であるらしいのだが)
決断の人、のキャッチ・フレーズ通りにデシジョン・メイキングは彼が得意とするところだがこう多重であると、さすがに愚痴の一つも口にしたくなる。
「今度は何かね」
首相は小さくため息をつく。
「すみません、安藤美由紀の保護についてですが」
秘書官は、少し切迫した様子だった。なぜこれが今まで上がってこなかったのかと。
「アンドウミユキ?ふむ、可愛いコじゃないか。彼女がどうか?」
「”調理部”案件です」
秘書官は、更に切迫した調子だったが伝わらなかった。
「ああ、またか!」
案の定、首相は誤解した。
そう、この日本で。
いったい、過去どれだけの調理部で、どれだけの調理が行われ、どれだけの”事故”が発生していたことか。
既に少し触れたように調理部案件は、調理部を持つ各校に一人、連絡官兼任の教員が配され、速やかに回収されて来たのだ。かつての事例では。
「新型なんです」
つねに冷静沈着をモットーとする秘書官は僅かに声を高め、訴えた。
「今までのものとは別なんです、劣化しないんです、服用毎にボトムアップするんです」
首相は眼をぱちくりさせ、暫く考え、そして。
「キミ!それはもしかして大変なモノじゃないのかね?!」
ようやく通じた、よかった。秘書官は語勢を整え。
「そうです、大変なモノなんです」
秘書官はその責務を果たした。
「で、それで彼女は今、どこに?!」
首相は勢い込んで言う。
「現在、行方不明です。通例通り陸自の特殊作戦群から1コ班を充てていますが、戦力不足でして。調理部案件は原則、内閣直轄ですので、現場から増援の許可を求めて来たんです」
そのとき。
「首相!至急電です」
連絡員が電文を手に飛び込んで来た。大陸側で暴走している当局からだった。
「ミユキ・アンドウの身柄を渡せだと?!何をふざけたことを!!」
「回答は如何致しましょうか」
「正規の外交ルートを通す様に、だ。相手をする必要はない」
秘書官に向かっては。
「増援を許可する、いや、投入可能な稼動全力の運用を許可すると伝えろ。美由紀くんを何としても無事、保護するように、とな」
飛行船の詳細はまだ官邸に届いていない様だった。
かつての盟友を徹底的に窮地に追い込む。
その結果の暴発を予見出来ない筒井ではなかった。
否、その暴発を予見していたからこそ、どう暴発してみせるのか、それを日本はどう食い止めるのか。
結局は筒井が仕掛けた新たなゲームなのだった。局外で自身はその行方を見守る、一観戦者としてだ。
朝。
んーっつと伸びをする。
地階から掘っ立て小屋に上がり、ぶらりと近所をお散歩。
もう梅雨もそろそろ空ける。
山の空気が、とても、清清しい。時々、駆け足。
うっすらと汗をかいて戻り、ぬるま湯でアサシャン。徐々に熱くしていく。
上がったら、丹念にドライヤーをかける。ざっくり切ってしまったのでそれほど手間はない。
今日の朝の当番は矢嶋だった。さてどんな朝食が・・・。
ふいに、涙が零れ落ちた。
何でもない、ただの日常が、こんなに嬉しい、素晴らしいものだっただなんて。
でも・・・いつまでもは続けていられない、それは、判っていた。
「お早うお姫様」
美由紀は、おはようございます、矢嶋さん、と応えながら、下した決断を伝えた。
「日本を出たい?」
矢嶋は何度か頷き。
「まあ、それが一番の解決策だろうね。現状では」
そして、即座に実行。電話を掴み海外局をコールするとブロークンな英語で会話を始める。