8.
戦時下にあっては陸海空3自衛隊を統括する、市ヶ谷、防衛省地下に存在する統合作戦司令室。
その空自ワクである、航空自衛隊総体司令部のブースは騒然としていた。
日本海上空の空が、局地的な戦場へと変ろうとしていたのだ。
長機を務めるマグス1は、再度、目標である不明機に視線を走らせた。
不明機は、梅雨空、曇天を背景にそこへ見事に溶け込むような、ロービジのグレーのペインティングでのっぺりと全身を覆った、全長50メートル程の飛行船だった。
国籍その他、所属や身分を示すようなものは何も表記されていない。
現在、航空自衛隊の2機の戦闘機が要撃に上がり、飛行船をぴたりとマークしているところ。
F15-FX。F15-Jを近代改修し延命を図った機体だ。かつて史上最強のドッグ・ファイターの名を欲しいままにした血統の正統な後継者であり、その戦闘能力は未だ必要にして十分な水準にある。
「現時点の速度で、領空まであと5分」
「交戦法規はクリア、繰り返す交戦法規は完全にクリア」
「針路そのまま。呼びかけには一切応ぜず、か。完全に舐められてるな」
警告の意味での威嚇射撃を3回、針路変更のコールもし続けている。
総体司令官は深いため息を漏らすと一気に発令した。
「日本領空を侵犯した時点での撃墜を許可する。但し呼び掛けは続行せよ」
『了解!!』
マグス1は力強く答礼してみせた、が。
撃墜、は初体験であるはずだった。
当然だ。航空自衛隊創設より、初の、領空侵犯機の撃墜になるのだ。
『変えろよ……引き返せよ・・・』
不明機への継続的なコールではなく、マグス1の祈りにも似た呟きが室内に溢れた。
誰もそれを叱責出来ない。
マグス2は先ほどから完全に無言だった。マグス1の行動をただ見守っている。
「領空侵犯まであと1分」
『畜生!!』
振り絞るような絶叫を上げるとマグス1は決意を固めたのか、彼に似つかわしくない粗暴なマニューバで不明機を射界に捉えた。
デッド・シックス。あとは軽くトリガーを弾くだけ。
「不明機、領空侵犯!!」
「マグス1、不明機を撃墜せよ。直ちに撃墜せよ」
管制官の悲鳴と司令官の指令が交錯する。
その瞬間だった。
後に、マグス2はその光景をこう語った。
「何もない、無かった空中に、突然、ミサイルが出現したんです」
外す距離では無かった。
『うわあっつ?!』
突然のアラート、ミサイル接近警報と背後からの衝撃に叩かれながら、それでも辛うじてベイル・アウト、機体からの緊急脱出に成功する。F15は片翼を失っても無事に帰還出来るほど頑丈な機体だ。その強靭性がマグス1を救った。マグス2も直後に同じ運命を辿った。マグス1を見ていたので、アラートの直後に躊躇い無くベイルアウトの手順に入ることが出来た。
『アクティヴ・ステルス?!』
の一語を残して。
後に残された司令室は騒然を通りこして雑然に突入していた。
「アクティヴ・ステルスだと?!ばかな、SFでもあるまいに」
士官の一人が吐き捨てた。
「だが、それなら、いやそれ以外に説明がつかない」
先任当直士官は冷静に事実を告げた。周辺を索敵哨戒する時間は十分にあった。レーダーからの情報にも、飛行船以外の国籍不明機の存在を告げるものはない。
「あった、ありました!おそらくこれです・・・」
備え付けのジェーン年鑑を検索していた一人が声を上げた。
「Yak-141・フリースタイル、特殊迷彩実験機だと・・・あれが、なのか」
一人が、呻く様に言った。
「詮索は後回しだ。問題はこの後どうするか、だ」
司令官一人を残し、全員が凍り付いたようだった。
「イーグルと搭乗員でボディ・カウントをする愚は避けねばならん。共に国家の大事な財産だ。残念だが後の対応は陸自に委ねるとしよう」
司令官は断腸の決断を下す。
その直後だった。
管制官が声を上げた。
「不明機、飛行船から全波長帯域へ向け発信が行われています」
先任士官が即座に反応した。
「繋げろ」
雑音交じりではあるが、流暢な日本語の声でこう伝えていた。
「当機を攻撃してはならない。当機の機体には通常の水素・窒素とは別に、致死性の生物、化学兵器が搭載されている。繰り返す・・・」
「陸自じゃない、海自だ!!。水際で阻止させるんだ!!」
だが、不明機の航路は巧妙だった。
海自から直ぐに応答があった。海自が現在保有する全戦力を以ってしても、目標の日本上陸は阻止出来ないという悲痛な叫びだった。陸自も同様だった。飛行船は増速しており、推定以上の快速だった。
何を以ってしても、今や不明機の日本本土上陸を阻止しえる戦力も手段も無かった。
「テルミット・プラスがあれば・・・」
誰かがぼやいた。
「ありそうでない便利兵器だよな」
即座に否定された。