3.
某日某、都内公立中学校、調理部部活動、調理実習室にて。
それ、創作料理と名付けられたそれは。
「くぁwせdrftgyふじこlp;」
興奮の余り言語になっていない。
「バカやろう!何てものをまた作りやがって?!」
同じく、日本語としておかしい。
「そうか?あんがいイケると思うんだが」
調理部の黒2点の一つで問題児の、騒動の原因である楚亀智英、本人は平然としている。
「副部長も何とか言ってやって下さいよ~」
黒2点のもう一方の部長は、副部長で、智英の責任者と目されている、幼馴染でもある美由紀に嘆き掛けたが、今、彼女はそれどころではなかった。
ずぐん
頭の芯からの、痺れる様な、割れる様な痛み。
死ぬ、私死ぬの?。
そう、死を予感させる程の、初めての、痛み以上に異常な感覚だった。
「え」
全員が見守る中、頭を抱えながらその場へ壊れる様に倒れこんだ。
「おいおいいくらなんでも」
智英は笑いかけたが直ぐに顔を引き締めた。
「安藤?おい安藤」
駆け寄り、呼びかける。
「きゃああ美由紀?!」
騒然となった。
「ばかやろう!遂に犠牲者が」
「かんけーねえって!マンガじゃあるまいし。貧血か何かだろ」
「きゅ、救急車?119番??」
「いや取り敢えず保険室へ」
男二人でそっと担ぎ上げる。念の為頭は動かさないように慎重に。
一階、中庭に面した保健室まで移送。幸い、先生は居た。
「どうしたの?」
「突然、倒れたんです」
と智英。
聴診器を当て脈を計り、ふんふんと一通り診察し。
「何か、食べ物とか関係は」
と部長。
「それはないわね。特に異状はないみたい。貧血かしら」
そらみろ、と智英。そーかなーと部長。
そうではなかった。
その時、美由紀の身体ではある作用が進行していた。
しばらくして目覚めた美由紀の視界に最初に飛び込んで来たものは。
「いやーっつ!?」
必死の形相で唇を近づけてくる智英のどアップだった。
ばしーん。
渾身の力で平手打ちを見舞う。
「おほーいってーケチ」
メガネ。誰が外したのだかメガネがない。慌てて枕元をまさぐる。あった。素早く掛ける。
素顔見られた寝顔見られた。
黒縁ぐりぐりメガネを外した美由紀はまず充分の美少女で、周辺からはコンタクト着用の要望の声が大きいが彼女は頑なにメガネを愛用している。
「ななななんてコトするのよ!」
「いやそこは定番ってコトで。減るモンでもなし」
「何が定番だ減ってたまるかー!!」
そもそもあんたのせいで…………。
続けようした言葉を美由紀は途中で呑み込んだ。
あなたのせいで私は。
判ったし。
今も、判る。
過剰な、それこそ生命すら脅かす舌からの情報を受けた脳が適切な防衛反応を行い所謂”火事場のクソヂカラ”的身体機能の緊急アップデートを行い、しかし脳を基幹としたアクションは恒常状態として引き継がれ。
判る。
過去、触れた知識の範囲内の理解ではあるものの、そうした用語、タームやモデルが頭の中をびゅんびゅん飛び交い、理解に近づく。我と我が身に起きたこの変化が。
美由紀はベッドから起き上がった。
「あ、おい、もういいのかよ」
「ええ、もういいのよ」
先ほどまでのやりとりを完全に無視し、浮き立つ様に美由紀は答えた。
本当に浮き立っていた。
偶発的にモノにしたこの効果を、一般化出来れば。実用化出来れば。
素晴らしい世界が開けるだろう。
我知らず、美由紀は軽いスキップを踏みながら移動していた。
それから美由紀の秘かな活動が始まった。
自分自身を検体とする一方、親しく、かつ口が堅い、と評価した親友を選別して、実験につきあって貰った。
「これそうなの、ぶ・・・まず・・・」
「ダメ!、吐き出さないで!飲み込んで!」
「うええうう・・・死ぬかと思った・・・ほんとに効くの~」
「だから実験するのよ」
「ひどー」
発現した ”効果”は実に様々だった。
何の成果も出ないこともあれば、飛躍的に身体機能が向上する例、記憶力や思考能力が著しく増進する例・・・。
効果は服用直後に瞬間的にピークに達し、個人差はあるものの約1週間から10日で徐々に減退し消滅する。
しかし。
美由紀も直観したように、向上した身体機能は、これも個人差はあるがそれでも僅かではあるにせよ恒常的に底上げされる。
これは、驚くべき事実だった。そう確信するに至り、美由紀は同じ検体に対し”再実験”を行うことは、厳重禁止事項とした。中には強く”再実験”を希望する親友も現れたが、それも断固拒否し突っぱねて退けた。
そして、人の口に戸は立てられぬもの。ウワサを聞きつけ親交のないクラスメートなどから実験の志願者が現れる様になると、美由紀は完全に校内での実験は中断する、と決意するに至った。
それで、終わりなはずだった。ひとまずは。
高校に移ってからは、学校内で実験を再開する気にはなれなかった。
大学に入るまで封印しよう、という気になっていた。
それが、まさか・・・家庭内から漏洩するとは。
美由紀の父は、とある製薬会社の研究員だった。
その父に、研究のことを知られたのだ。
もちろん、表だって公然と問われたのではない、ないが父以外には考えられなかった。
美由紀の家は美由紀と両親の3人家族。だった。
迂闊といえばこれほど迂闊なことは無かった。
美由紀は部屋にカギを掛ける趣味はない。娘の部屋に散乱する亀のコや試薬のタブレットに、父はいつでも近づくことが出来た。
一体何が起こったのか。美由紀も推測しか出来ないが、結果、家を焼かれ、両親を失い。
そして彼女は、何者かの追跡を振り切って逃亡生活を送っている。
どうしていま、彼女のことを思い出したのか。智英は自分をいぶかしんだ。
夜中にトイレに起きて来て、ふと、いまどうしているだろう、と思ったのだ。
本当に、彼女とは家が近所の幼馴染み、結局、それ以上の関係には発展しなかった。
それが、彼女が中3のときに近所は近所でも少し遠くに引っ越したのを機に気持ち疎遠になり、高校が別になって完全に縁が切れた様だった。
あの”事件”以来だ。
そう、彼女が部活中に倒れて、それを保健室に運んでから。
何でもない、といって起き上がってから。
何がどうとは言えないが、しかし彼女は確実に変った。
まず明確に変った変化はあのメガネを取ったことだ。
智英は知っていた。何故かは判らないが彼女には自分の素顔へのコンプレックスがあった。
それが、メガネを取った後は、自信に溢れ、怖いくらいに美しい、正に美少女に変った。
女子は妬ましげな視線を送り、男子は突撃しては端から撃墜されていったが、彼女自身はそういう周囲の雑音を全く意に介していない様子だった。眼が良くなったから、もう要らないの。それだけだった。
それ以外に特に変った変化は無かった。成績も相変わらず中の下辺り。
しかし。巧く言えないが彼女は変った。はずだ。
そう、目付きだ。
ときおり、自分たちクラスメートを見るときのあの目付き。あるとき智英はそれに気付いてぞっとしたのを思い出した。あれは、親友を見る目じゃなかった、あれは、実験室でマウスを見る研究者が。
ちょうど、あんな眼で見るんじゃないのか。
そう、変ったのだ。
あのとき、おれも。
何が原因かは判らないが、それから智英はときおり頭痛の様なそうでない様な症状に悩まされる様になった。
それこそ何というか只の頭痛じゃない頭の芯脳みその裏側が引きつる様な違う脳みそが脳みそ目覚める何かが弾ける外れるこの感覚は覚醒そう脳みそが新たに覚醒する感覚眠りから目覚める覚醒する。
彼女はどうしているのだろう。
また、思った。
智英は昔の彼女の方が好きだった。いま会ったらどんな顔をすればいいだろう。
この、同じ空の下に彼女がいることが、何故か不思議だった。
そういえば、とふとまた思い出した。
近所で火事があったんだった。ニュースではやらなかったんで印象が薄かった。
確か、彼女の家の近くだった様な。今度、見て来るか。
そして、理由の判らない胸騒ぎを覚えた。
しかし。何とも不思議な晩だが部活、サッカー部の朝練で明日も早い。もういい、寝よねよ。