一話 兄を追いかけて①
【黒き盾・白き杖】橘 灰利
年齢 16歳
身長 169cm
誕生日 8月1日
好きなもの 団子
嫌いなもの 激辛料理
尊敬する人物 実兄
魔法属性 なし
魔法具 あり
「???」「???」
・・・
「イッテラッシャイ」
「ってきまース!!!!」
季節は3月。冬の残り香がまだ微かに漂う中、道端の雪はすっかり姿を消している。
空気は温かみを帯び、息を吸うのが苦にならない。
雑草たちも春を感じようと我先に草を伸ばし、季節の変わり目を教えてくれている。
そんな空気を勢い良く吸い込み、ただまっすぐに走り出した。
向かう先は最寄り駅。
まだ引きこもっていた頃の癖が抜けず寝坊してしまった。
遅刻寸前である。
「ハァっ、ハァっ、ハァっ、、、!やばい、、、!」
・・・
すべては――兄のようになりたかったから。
橘灰利はただ兄の存在感に導かれるように、「魔法使い」の道を歩んでいた。
両親はいるが、今は共に暮らしていない。
灰利は、二人を遠く離れた故郷に残したまま、別の場所で一人暮らしをしていた。
それは一年前、高等学校に入学する際に彼自身が選んだ道。
憧れの兄と同じ影をなぞるように歩き出した道だ。
灰利の兄は「世界最高の魔工学者」として知られ、今や多くの魔法使いがその名を口にするほどの存在だ。
新元素「マナ」の出現に伴う未曾有の大災害から復興を果たした人類。
それを根底から支えたのは人間とマナの相互作用によって引き起こされる「魔法」の存在だった。
人の内面的な部分に呼応する「魔法」は、従来の摂理や法則を覆すように、人智を超えたチカラを示す。
まさに御伽噺に出てくる「魔術」や「超能力」そのものだ。
そして、人類の中から次々と生まれる「魔法使い」は、荒廃した地球に残された人類の希望だった。
それ以来、人類は以前の科学文明にほとんど頼ることなく、
かつての栄華を取り戻すように、魔法によって劇的な復興を果たすのだった。
人類がもとの日常を取り戻し、一息ついた頃、その後の歴史に名を刻むであろう数名の偉大な魔法使いたちが革命的な恩恵をもたらしていた。
人々はその者たちを畏敬の念を込めて
『再生の使途』や『賢者』と呼び称えるようになった。
世間から「Mr.タチバナ」と親しまれる兄も、当然その中の一人に名を連ねている。
灰利がようやく魔法のことを知るようになる頃、
兄は世界唯一の魔法使い育成機関「ノークティック魔法学園」に入学し、
世間から注目を浴びていた。
その天才が生み出しす魔法の数々は、今や人々の暮らしに根付き、なくてはならない存在になっていた。
そんな兄が自慢でないはずもなく、人類への多大な貢献で讃えられるその姿は、
灰利にとってまさに生きるための目標だった。
中等学校を卒業したばかりの灰利が家を出る時、
両親は止めようとしたが灰利はその声を振り切り、
故郷を後にした。
兄の背中を追えば、いずれ自分も何かを成し遂げられるのではないか――
兄の隣に立ち、一緒に同じ景色を見られるのではないか――
そんな漠然とした思いが彼を突き動かす。
兄のような大きな存在になるためには、ただ追いかけるだけでは足りない。
何かをしなくてはならない。
灰利はそんなことを考えながら、独り兄の背中を追いかけていた。
そんな中、兄が失踪したと知ったとき、灰利は愕然とした。
それまで兄を中心に回っていた自身の世界が、一瞬で崩れ去る感覚に苛まれた。
幼い頃から兄を尊敬し、兄の背中を追いかけていた灰利にとって、その存在生きる指針そのもの。
失踪からわずか数日後、灰利は部屋に閉じこもるようになった。
世界最高の天才が突然世間から姿を消した。
世界中で憶測や陰謀論が飛び交い、まるで兄を偶像のように崇める者もいれば、その名声を妬むように貶める者もいた。
「賢者の暗殺事件」や「賢者の裏切り」など、そんな騒ぎを耳にするたび、灰利の心は痛みを増していった。
この時の灰利は、まさに生きる意味を失っていた。
そんな灰利を再び動かしたのも、同じく兄であった。
ある日、灰利のもとに一つの荷物が届いた。
いつものように無気力なまま荷物を受け取ると、そこには兄の名が記されていた。
灰利は目を丸くして勢いよく荷物を開ける。
中には、二通の封筒と杖ほどの長さの幅広い箱が収められていた。
その箱は魔法具専用の厳重なつくりになっている。
兄が創り出した魔法の一つ「個人感知」の魔法具だった。
普段届く商品とは比べ物にならない、兄の天才的な技術を如実に物語るように、その箱は細部まで精巧に作られていた。
二枚の封筒の一つは手紙のようだった。
灰利はそれに気づいた瞬間、鼓動が早まるのを感じた。
それに気づいた瞬間、灰利の胸の内で何かが強く揺さぶられた。
心臓が高鳴り、鼓動が耳に響く。
震える手で封を開けると、そこには兄の筆跡で簡潔ながらも重みのある言葉が綴られていた。
「灰利へ
まず最初に、この手紙が届いた時点で、お前をノークティック魔法学園に入学させる手続きを済ませたことを伝えておく。
この学園には、お前がこれから進むべき道を見つけるための全てが揃っているはずだ。
迷うことなく新しい一歩を踏み出せ。
お前のことだから、知りたがっているだろう僕の失踪の理由だが……今はその全てを話すことはできない。許してくれ。
ただ、一つ。学園にいるある教師が、この件について知っている。
お前が俺の弟だと分かれば、その人から寄ってくるだろうが、このことで知りたければその人に聞くといい。学園内でも変人だが、きっとお前の力にもなってくれるはずだ。
同封した箱の中には、俺の新たな発明品が入っている。
中身は二振りの剣だ。
俺の今までの研究の成果が、その二本に詰まっている。
まだ試作段階だが、お前にも検証を手伝ってほしい。
あとは…何も言わずにこんなことになった謝罪も込めてこれを渡しておく。
そいつらもきっとお前の力になるはずだ。
向こうに行ったら使えるようになるはずだ。
剣を使ったことがないって思ってるだろうが、心配はいらない。使えばわかる。
箱の持ち主はお前に設定してある。手を触れれば開けられるだろう。
灰利、これからはお前自身の力で新しい未来を切り拓いてほしい。これはほんの手助けだ。
お前ならきっとできると信じている。
――世界最高の兄より」
それは、灰利を止まっていた時間から引き戻すような、一筋の光のように感じられた。
手紙を読み終え、兄の言葉の余韻に浸りながら箱に手を伸ばした。
触れた瞬間、その箱は柔らかな光を放ち、まるで絡まった糸が静かにほどけるかのように開いた。
中には手紙通り、二振りの剣が収められている。一つは軽やかで美しい、もう一つは重厚で力強さを感じさせた。
剣に触れると冷たい金属の感触だけが伝わってくる。
「使えばわかる、か……。」
灰利は兄の言葉を噛み締めながら動き始めた。
今まで絶望に沈んでいた体が嘘のように。
兄の隣に立つためには、何かをしなくちゃならない――
いつの間にか忘れていたあの頃の自分が、再び目覚めたようだった。
それに、
兄が生きていた。
兄が手を差し伸べてくれた。
それだけで灰利は、いくらでも勇気が湧いて来る気がした。
ノークティック魔法学園への入学は、兄が望んだ未来への第一歩。
灰利はその日のうちに、ノークティック魔法学園へ転入することを決めた。
・・・
もう誰もいない、たった今持ち主をなくした家。
備え付けのホームアシスタントだけが見送ってくれている。
暗く塞ぎ込んでいた自分をかくまってくれた唯一の友だったが、もう会うこともないのだろうか。
そう考えると少し寂しい気もした。
平日でも朝の9時を過ぎる今の時間では、町を行く人の足は少なくなかった。
都心からそう遠くない町だ。
人は多いが、その分立ち並ぶ建物や店も多い。
それなりに住みやすい町だったと思う。
真新しいスーツを着た人、
少しくたびれた薄生地のコートを羽織る人、
朝早くから店の客引きに精を出す人までたくさんいるが、
今から春の訪れに舞い上がっている人はいない。
群衆の間をまるで風のように駆ける灰利を目で追う人もいない。
この町の人々は相変わらず自分のことで精いっぱいな様子だ。
その部屋もこの町も一年過ごしただけだったが、その足行きに未練はない。
駅に着くと、その足を止めずにホームへと向かった。
「やっべ!やっぱ来てるし!」
さっき車両が走る音が聞こえた。
多分すでに列車は到着している。
列車の行き先は「ノークティック魔法学園前」
ある人との約束があり、絶対にそれに乗り遅れるわけにはいかなかった。
「間に合うかっ!?」
ここを去るのに未練がないのも当然だ。
自分は今から、新たな世界へとその一歩を踏み入れようというのだから。
そこにはおそらく、自分が必要としているすべてがある。
そう確信していた。
・・・
灰利はまだ知らない。
この先に待ち受ける学園やそこに集う者たちが、自分に対してどのように降りかかるのかを。
自分が一体、何者なのかを。