身に覚えのない令嬢の話
「リュクシエル・エヴァン! 自身を聖女と偽っただけでなく、妹のシャーリー・エヴァンに数多の嫌がらせを行った罪によって我との婚約を破棄する! 並びに、本物の聖女であるシャーリーとの婚約を同時に発表する! どちらとも国王陛下の了承は得ている! この決定は覆らず、リュクシエルは国外追放とし、この国はおろか、我とシャーリーの半径50キロの接近を禁ずる!」
バルコニア王国の王太子候補の誕生パーティに呼ばれたかと思えば、そんなことを告げられた。
はっきり言って、全部初耳なのですが?
リュクシエル・エヴァン侯爵令嬢と言えば、常に一歩下がった位置にいる控え目な令嬢として知られている。
社交界では壁際で花と化し、決して前に出るような性格ではない。
孤立していそうでそうでなく、ダンスに誘おうと画策する貴族男性たちの牽制のし合いによって独りでいることが多く見えているだけにすぎない。
シャーリー・エヴァンはリュクシエルの妹だ。
リュクシエルとは正反対に前に出るタイプで社交界では代わる代わる誰かと踊り続けている。
彼女自身に華があり、笑顔を振りまく様に「妖精姫」と呼ぶ者もいる。筆頭は二人の両親だ。
姉妹揃って夜会に参加しては、リュクシエルはシャーリーの引き立て役を担う格好になっていた。
シャーリーが目立ちすぎるだけで、リュクシエルも目立たないわけではない。
派手な装飾を好む妹に比べれば地味に映るかもしれないが、素地の美しさはリュクシエルが上という意見が多い。
細く強いコシのある長いストレートヘアは白金に輝き、今はドレスに合わせて結い上げられているが金色の髪留めとのコントラストには男女問わず目を奪われる。
外の人間の感想と家の中の感想はまるで違っているのだと知る者は限りなく少ない。
外の感想は先に述べた通りだが、エヴァン侯爵家の中でのリュクシエルの評価は想像できないほど低い。
色味のない外見に面白味のない性格。
無色透明と両親からは評されている。
そんな姉と比べて妹のシャーリーはウェーブのかかった金色の髪を持ち、編み込まれた髪型には藍色の蝶があしらわれた髪留めがある。ドレスもレースの多い、踊れば映えるタイプのもの。最近流行りの恋愛小説に登場する最新型だ。
両親は妹のシャーリーにばかり手を掛けて育て、リュクシエルには興味を持つどころか蔑む。
正真正銘、姉妹は同じ親から生まれているというのに。
夜会の誘いは決まって二人に送られて来るので、両親は悪態を吐きながらも家の世間体を気にしてリュクシエルの分のドレスも用意して参加させる。だが、家に戻り良い相手は見つかったかと尋ねるのはシャーリーにだけだった。
関心も興味も期待も持たれることなく、どうなろうと気にしないのであろうと思い続けていたリュクシエルは、再び首を傾げた。
聖女? 誰が?
婚約? 誰と?
十七歳になっても婚約者の一人もいないのかと言われたことは、そういえばなかった。
「ごめんあそばせ、お姉さま。私が美しいばかりに、お姉さまのご婚約者であられた殿下が心変わりされたこと、とっても心苦しくてよ? でも、仕方ありませんわよね。だってお姉さま……殿下が我が家に来てくださっていてもお会いになりませんでしたもの」
おほほ、と上品に笑ってはいるが、話す内容はかなり上からの目線だ。
リュクシエルは妹に「外面が剥がれていますわよ」と指摘したくなったが、今は何も言っても焼け石に水だと理解できる。
理解できないのは、二人の婚約だとか元々は自分の婚約者だったという事実――よりも。
(聖女って、書物の中の作られた存在ではなかったのかしら?)
剣や不思議な力で魔の力を持つ獣などを退治する物語は貴族庶民関わらず人気のある娯楽だ。同時に恋愛物語も人気で、リュクシエルもシャーリーも好んでいる。
王族が読んでいたとしても違和感などないほど、流行っている。流行り続けている、と言ってもいい。
だからこそ、はて? と首を傾げてしまう。
現実はもっと単純で、平坦だ。
騎士団や軍はあれど、不思議な力も魔の力を持つ獣もいない。
荒れた獣はいるが、国の存続を脅かすような相手は――国は違えど同じ人間だ。
空想の塊を現実に持って来たところで、現実と混同されては相手に困ってしまう。
この場は王太子候補の誕生パーティで、他に招待された貴族は多い。その周囲の反応を感じ取れば、困惑一色だった。
「ふん、ショックで声も出ないか。それもそうだろう。我が婚約者だと言うのに貴様がそれらしい振舞いをしたことなど、一度たりとも見ていないのだからな!」
高笑いをする王子殿下に寄り添うシャーリーは最上の幸福を嚙み締めた表情をしている。
さて、これは誰に説明を求めればいいのでしょうか。と目だけを動かしてみるが、会場内に両親の姿がなかった。令息令嬢のみが招かれるようなパーティではない。盛大に盛り上げるために一家総出で招かれている家が多い。
シャーリーが王子殿下と婚約することになったのならば、それを両親が知らないはずがないし、誰よりも嬉しくて咽び泣いていそうなのに。
周囲の困惑が伝染したのか、リュクシエルも段々と困惑以外できなくなってしまう。
だが、自分と交わされていた婚約が解消され、妹が幸せになるというのならそれでいいだろうと背筋を伸ばした。
そして、最上の礼の形を取る。
「何よりもさておきまして、お初にお目にかかります。エヴァン侯爵家が長女、リュクシエルと申します。この度は我が妹のシャーリーとの婚約、まことにおめでとうございます。身に覚えのない婚約ではありましたが、これからはなにとぞ、私のことはお忘れになり、妹と末永く、仲睦まじくあられますよう、申し上げます」
どこからか、感嘆の溜息が漏れた。
リュクシエルは家族から疎まれ虐げられてはいても、壁の花になってはいても、社交デビューを済ませた侯爵令嬢である。必要なマナーはすでに身についていた。
エヴァン侯爵夫妻発の「妖精姫」と妹のシャーリーが呼ばれているとすれば、姉のリュクシエルは髪色もあって自然と「白百合の乙女」と呼ばれていた。
白百合の乙女と人知れず呼ばれていることを知った夫妻が慌てたように妖精姫の名を考えたことは誰も知らない。
ただ、二人の姉妹の呼び名なんてリュクシエルの完璧とも言えるカーテシーを見ればどうでもよくなる。
「聖女と名乗った覚えも、聖女という存在が実在したことも存じませんでしたが、国外への退去……でしたか? そう仰るのならばそういたしましょう。荷物をまとめたりしなければならないので三日ほどお時間はいただけるのでしょうか?」
初めましてで、
婚約破棄を宣告されて、
妹が略奪したのだと誰もが分かる中で、
姉が国外追放を受け入れようとしている事実に、周囲にいる誰もが――文字通り誰も彼も。男も女もなく、親も子も関係なく――手を差し伸べようとして、一人として動けなかった。
「これは、余興か何かか?」
重く、低く、厳しい声を持った、たった一人の登場によって。
バルコニア王国国王――カレイド・バルコニアが複数の護衛を引き連れて現れたのである。
国王と護衛の間に両親の姿を見つけたリュクシエルは驚き、シャーリーはやっと来たと王子殿下から少しだけ身を離した。
「父上、たった今リュクシエル・エヴァンとの婚約が破棄され、シャーリー・エヴァンとの婚約が成立したところです」
「……そうか」
返事までにわずかな間があったことにリュクシエルは疑問を持ったが、続けて王子殿下の口が開く。
「はい。そして、リュクシエル・エヴァンに国外追放を言い渡したところでもあります!」
胸を張り、得意気に鼻を鳴らしそうな様子は褒めてもらいたい子どもにしか見えない。シャーリーは大事を成し遂げたと思っている王子殿下にうっとりと表情を蕩けさせていた。
だが、国王は王子殿下の言葉に眉間に皺を寄せる。
「今、なんと言ったのだ、オリバー?」
この王子は「オリバー」と言うのか、とリュクシエルはこの時になって初めて、つい先ほどまで婚約者だったらしい相手の名前を知った。
「ですから、国外追放と。だって彼女は、聖女であることを吹聴し、本物の聖女であるシャーリーの存在を秘匿していたのですから」
「聖女、とは、本気で言っているのか?」
「もちろんです! 聖女とはこの国に至上の幸福をもたらすもの! 父上が仰っていたのを聞いたのですから、間違いありません!」
胸に手を当て、誇らしげに語って見せる王子殿下の言葉に、周囲もざわざわと言葉を交わし合う。
当然だ。国王自らが「聖女の存在を認知」していたと言われているのだ。
リュクシエルも国王が言うなら本当なのかもしれない、と考えそうになったが、ふと引っ掛かりを覚えた。
国王は頭痛がするようで片手で王冠の載った頭を押さえている。
エヴァン侯爵夫妻はただただ顔を青くしているだけで声を発しようとしていない。護衛たちは国王の体調を心配するが、手で制されて引き下がっていた。
「ある時エヴァン侯爵家の庭で、父上が誰かと「妹御が本物の聖女」と言っているのを聞きました! エヴァン侯爵家で妹と言えば、シャーリーでしょう⁉」
シャーリーも恭しく首を垂れて国王に挨拶をしているつもりらしい格好を取っている。
自分は聖女なのだと、見せしめるようにして。
だが、リュクシエルは王子殿下の発言に確信を得ていた。
国王が口にしたという「妹御が本物の聖女」という台詞に強い心当たりがあった。
その台詞は、自宅の庭で、共に語り合っていた人物との会話の一片だ。
「オリバー……お前という奴は」
「盗み聞きをしていたことは謝ります。ですが……」
「それもだが、そうではない」
「……え?」
「その台詞には前後がある」
国王は一度リュクシエルを見やった。リュクシエルは目を丸くしたまま静かに驚いていた。無理もないかと国王は再び王子殿下へと視線の先を戻す。
「次の新作は妹御が本物の聖女という内容か。それで君は苦しくないのか? と、そういう会話の一部だ」
国王の発言に平然としているのは護衛の人たちだけだった。
パーティの会場にいる招待客でさえ、声を発することはおろか、息をするのも躊躇うほどの衝撃を受けていた。
頭が回転する人間ならばすでに理解は終えている。
国王がどこで、誰と、どのような会話をし、それがどういう意味を持っているのかを。
「ど、どういうことですの……? 国王陛下まで我が家にお越しになったことがあるのですか? 初めて聞きましたけれど」
「シャーリーは知らなかったのかい? 我も同じ日に父上がエヴァン侯爵家にいらしていたとは聞いてはいなかったが、てっきりリュクシエルとの婚約についての文句を言いに来ていたのだとばかり……。いや、そのような話は侯爵夫妻を城へ呼び出せばいい話で……?」
つまり、どういうことだ? と混乱し始める頭を抱えた王子殿下の隣でシャーリーは一人状況の理解ができずに狼狽えていた。
シャーリーはリュクシエルを蔑んでいた。
出来損ないだと。
何もできない屑だと。
誇り高き侯爵家に生まれておきながら誰からも見向きされていないブスだと。
そして自分は侯爵家の令嬢として相応しく育てられ、社交界では数多の異性から目を向けられる容姿と振舞いを持っている。
教養も勉強も受けさせてもらえていない姉とは違うのだと、勉強は好きではないが教養さえあれば生きていけるのだからと、シャーリーは自分に自信があった。
もっと言えば、自信しかなかった。
美しく、教養もあり、実家は侯爵という地位にある。
嫌なことはしなくても許された。愛嬌があれば頭の良さなんてない方がむしろ都合がよかった。
王子殿下から声がかかった時も当然だと思っていた。
妹のシャーリーがそう思っているだろうことは、リュクシエルも想像に難くなかった。
自分を磨くことに忙しく、侯爵家の令嬢として相応しい相手との婚姻を望んでいるのは両親も同じだった。そして射止めた王子殿下の隣。
なのに、今この場だけは、シャーリーの思い描いた理想の景色ではない。
王子と国王がなんの話をしているのか分からなくても、それだけははっきりと分かった。
「ねえ殿下……? どういうことですの? 陛下は姉との婚約について我が家にお越しになっていたのではありませんの?」
戸惑いながらも煌びやかな衣装の袖口を小さくつまむあざとい仕草は忘れないシャーリーの上目遣いに一瞬だけ気を取り直した王子殿下だったが、それでも国王からもたらされた言葉のダメージは消えない。
「シャーリー……」
この場で唯一、何も理解できていないらしいシャーリーに王子殿下は憐れみの目を向けるしかなかった。
説明を求められていても、説明してしまえば王子としての間違いを認めることになる。
プライドが邪魔をして、愛の言葉を与えた相手への説明が躊躇われた。
「さて、オリバーよ」
王子殿下の言葉が途切れたのを見て、国王陛下が一歩前に進む。
「婚約破棄をすることは了承したが、リュクシエル嬢を国外へ出すことを了承した覚えはないのだが……どういうことか、説明できるか?」
「そ、それは……」
「国王陛下に申し上げます」
「しゃ、シャーリー⁉」
「エヴァン侯爵家が長女、そして私の姉であるリュクシエル・エヴァンは愚かにも自身が聖女であると名乗り、その実、本物の聖女は私であることが王子殿下によって判明いたしました」
誰も説明もせず、望む形で進んでいかない状況に苛立ちを覚えたシャーリーは国王に訴えかけ始める。
声を張り上げて、自分の主張がどれほど正しいかを、周囲にも改めて説明するように。
必死にシャーリーを止めようとする王子殿下ではあるが、遮られる腕を振り払ってさらに国王に近寄り主張を続ける。
「聖女とはこの世界に幸福をもたらす存在とのこと。その存在が私であることを広く周知させるために、なるべく早く王子殿下との婚約を公表してくださいませ!」
早く、早くと迫る姿は聖女とは程遠いように思えるが、本人はそこまで意識が届いていない。引き下がらせようとする王子殿下の顔色がどんどん悪くなるのも見ようとしていない。
王子殿下の目が、国王登場から一言も発していないリュクシエルに向けられる。
姉ならば妹の暴走を止めろ、と言外に命令されていると理解はしても、口を開く余裕があるはずがなかった。
妹ほど、姉は怖いもの知らずではない。
エヴァン侯爵家では教養も勉強も受けさせてもらってはいないが、確かな知識はリュクシエルの身に詰まっている。
リュクシエルは、シャーリーと違って常識を持ち合わせていた。
だからこそ、いまだに放心状態から解放されず、目の前の大きすぎる存在にパニックになっている。
「国王陛下、どうか、どうか義理の娘になる私の言葉をお聞き入れくださいませ!」
「黙らぬか。発言を許した覚えはない」
国王から睨みつけられ、シャーリーと王子はビクッと全身を強張らせて身動きが取れなくなる。訴えを続けることはおろか、呼吸さえままならない。
これ以上二人が口を開くことはないと見ると、国王はリュクシエルと対面するように移動して、膝をついた。
国王が膝をつく。
異常事態を目の当たりにしたかのように周囲がざわついた。
護衛の人たちも焦っている。
リュクシエルも、国王が自分を見上げる姿に「やはり」という思いが強まった。
「フランシスおじさま……」
自分が知っている名前を呼びながら、膝をついて本当に目を合わせた。
「いえ、カレイド・バルコニア国王陛下。これまで私はなんという無礼を……」
「リュクシエルよ。黙っていたのは私の方だ。身分を隠している相手を敬ってもらっては困るな」
すまなかったね、と微笑む顔は、リュクシエルの知っている「フランシスおじさま」の顔だった。
リュクシエルが昔からよく知っている、唯一の安らぎの雰囲気。
「そして、一国の王として、オリバーの父親として、申し訳ないことをした」
深く頭を下げる国王に、また周囲がどよめく。
「おじさまっ、あ、いえ、陛下、頭を上げてください!」
「そうはいかない。君をオリバーの婚約者にと定めたのは私だ。そして様子を見に正体を隠してエヴァン侯爵家へ行ってみれば君は家族から虐げられていた。エヴァン侯爵に詰め寄り君の環境改善を命令することも可能ではあった。だが、しなかった。あの環境の中でも君は強く生きようとしていた。その手助けの方を、私はしたくなってしまった。君が強くなれるのであれば、家族から蔑ろにされることを良しとしたのだ……」
「それならば、より陛下が頭を下げる理由などないではありませんか! 今の環境だったからこそ、陛下は身分をお隠しになり、私と交流を持ってくださったのではないのですか? 私に大事なお仕事を与えてくださったのではないのですか?」
いつまでも国の頂点の頭を下げさせるわけにはいかないという一心で説得を試みる。
一国の長の今の姿もそうだが、リュクシエルにしてみれば、幼少の頃からこれまで家族以外で自分を大事にしてくれていたおじさまがまさか国王だった事実に人生のすべての時間が畏れ多い。
両親はリュクシエルに勉強も教養も必要ないと受けさせてくれなかった代わりに、エヴァン家の庭で勉強も教養も教えてくれていた。
国王自らが、「フランシス」という偽名を使って。
「フランシスおじさまが私にお与えになったすべてに感謝しております。私の夢を、形にしてくださっていた。…………あら?」
そう言えば、と周囲を見渡す。
周囲にいるのはパーティに呼ばれた貴族の令息や令嬢。それも、流行を取り入れば格好をしていたり小物を取り入れたりしている。それらすべてに思い当たるところのあったリュクシエルは過去の記憶を思い返す。
「確か、私がお話した夢物語を文章と形にしてくださっているのは奥方だとおっしゃってましたよね? 国王陛下の奥方とは、まさか……」
「うむ、いかにも。今国内で多く読まれている小説は余の妻、王妃が直々に執筆したものだ」
ざわり、と会場すべてがうねりを上げた。
ようやく立ち上がった国王陛下はこれまでに王妃が執筆し発行された本のタイトルを、指を曲げながら挙げていく。そのすべてが国内で流行している恋愛小説のタイトルだった。
パーティ会場内を再度見渡す。
今、バルコニア王国のファッションの最先端は、その小説の中にある。
もちろん、シャーリーのドレスも含めて。
王妃が国内の流行を作る、とはよく言われている話だが、まさか正体を隠して流行を作り出していたとは誰も夢にも思っていなかった。
知らない間に王妃の作り出したものに触れていたと淑女たちは歓喜し、その淑女にプレゼントした紳士たちは鼻を高くする。
喜びの声が段々と大きくなるのを、国王陛下は手を軽く上げるだけで制した。
「王妃は、書くのは好きだが発想を出すのが苦手でな。リュクシエルにはいつも助けられていた。王妃の物語はリュクシエルの発想無くしては生まれなかった。礼を言う」
にこりと優しく微笑む国王陛下に、リュクシエルは恐縮して顔が赤くなる。家族に褒められたことなんてなかった。
これまでリュクシエルを褒めてくれたのは「フランシスおじさま」だけだった。
人前で褒められるのも初めてなら、耳が割れんばかりの拍手を贈られるのも――拍手。
リュクシエルは、自身に贈られている拍手に気付いて目を大きく見開いた。国王陛下に贈られているのではないことくらい、拍手をする人たちの視線の先が自分であれば勘違いのしようがない。
まさに喝采の音の中、国王陛下はリュクシエルの肩に手を置いた。
「愚息が騒ぎを起こして申し訳ない。詳細を説明すると、我が愚息、オリバーとリュクシエル・エヴァン侯爵令嬢は六年前に婚約した。が、その婚約関係はエヴァン侯爵家の面々によって破綻していた。余は婚約していることすら教えてもらえていなかったリュクシエル嬢の様子を長く見守ってきた。その中で見出したリュクシエル嬢の才能。それが……皆も知っておる通り、小説の源となる世界観の設定を作る能力である!」
文字を書くこともできなかった少女。
教養も勉学もさせてもらえず世間を少しも知らなかった少女。
だからなのか、想像力は誰よりも豊かだった。
王子様に見初められるお姫様。
騎士と恋に落ちる王女様。
平民に惚れてしまった貴族令嬢。
流れ星に乗ってやって来た王子様と運命の出会いを果たす夜空ばかり見上げていた虐待されていた少女。
どんな人生を歩んでいても必ずどの物語かに感情移入してしまう。
素敵な物語を紡いでいたのはこの国の王妃。
素材を提供していたのは、家族に虐げられ、妹に婚約者を取られた哀れな令嬢。
一度は鳴り止んだ拍手が、また響く。
「次は聖女が主人公の物語ですか⁉」
「楽しみにしています!」
「今から待ち遠しいですわ!」
「発行されたらすぐに読ませていただきたい!」
「どのようなお話なのか、ほんの少しでもお教えいただけないでしょうか?」
拍手とともに明るい声がいくつも流れてくる。
ともすれば囲まれそうになるのを国王陛下の護衛たちが庇って守ってくれる。国王陛下の護衛なのにいいのかしら、と内心で焦るが、リュクシエルが側にいるから「たまたま」一緒に守ってくれているだけだと思えばすぐに落ち着いた。
「こんなの……こんなのおかしいわよっ!」
賑やかさを取り戻した空気を金切り声が切り裂いた。
「お姉さまが、そんな、ちやほやされるなんておかしいわ! 見た目だって地味だし、性格だって面白味がないし、いっつも庭で土いじりするしか趣味のない、令嬢なんて名ばかりの端役みたいな人じゃない!」
「シャーリー……?」
「最初からおかしいとは思っていたのよ! 可愛げもないし将来美しくなる気配もないお姉さまが王子殿下の婚約者に選ばれるなんて! この私を差し置いて、お姉さまが前に出るなんて間違っているのよ!」
悲鳴にも聞こえるシャーリーの叫びは、王子殿下でさえも止めることができない迫力があった。
悲鳴――発狂。
目の前の状況すべてが気に食わなくて気が狂ったとしか言いようのない乱れ方の妹の姿に、リュクシエルはただ驚いて開いた口を両手で隠すだけで精一杯になった。
とても王子殿下の隣に立つ貴族令嬢の佇まいとは思えない。
「その娘を別室へ連れて行け。落ち着かせてから話を聞き出すように」
「はっ」
護衛の後ろに並んでいた衛兵が二人前に出てシャーリーを連れ出そうと手を伸ばす。王子殿下は咄嗟だったのか庇う仕草を見せたが、国王陛下の目を見て守ろうとしていた腕を下ろした。
「殿下! あなたは王太子になるお方! 私をお守りください!」
「……っ」
さすがの態度にシャーリーも今度は王子殿下に声を荒げ始める。
「未来の国王陛下になる方が、未来の王妃を助けなくてどうするのですか⁉」
自身の味方が王子殿下以外にいないと本能的に感じたのか、連れ出そうとする衛兵たちの手を振り払って王子殿下にしがみつく。しかし、国王陛下が現れてから王子殿下の顔色は徐々に悪くなっているのは確かだった。
「今宵は王太子候補の誕生パーティ。すなわち、あなた様が王太子になるのですよね⁉」
今日が誕生日で王太子になる資格を有する人間は会場内には王子殿下しかいない。シャーリーは顔を取り繕う余裕も捨てた。リュクシエルも王子殿下を見やるが、顔色が悪いことからきっと何かあるのだろうと推測できた。
王太子候補の誕生パーティ。
なぜわざわざそういう言い回しになっているのか。
王子殿下の誕生パーティなら、「王太子候補」なんて言い方はしないだろうし、国王陛下と王妃殿下の間には子どもは一人しかいないと聞いている。順当に行けば王子殿下が王太子になるはず。
では、どうして「王太子候補」なのか。
「オリバーが王太子になることは難しいだろう」
こうなってはな、と国王陛下の溜息がシャーリーから言葉を失わせる。
何も言えなくなったシャーリーは、されるがまま衛兵たちに腕を取られてゆっくりと別室へ連れられて行く。止める人間は誰もおらず、両親さえも顔を青くしたまま脱力するシャーリーを見送るしかない。
ただ、そのまま扉から出ていくかと思えばそうではなく、しばらく扉の横に整列するように留まった。
誰もがなぜなのかと首を捻る。
その答えは、すぐに判明した。
扉が、開かれる。
「おや、遅れてしまったので静かに入ろうと思っていたのだけれど……陛下、何か問題でも起きましたか?」
まるで甘いはちみつのような金色の髪に、チョコレート菓子にありそうな茶色の瞳。すらりと長い脚でゆっくりと歩いて来る男性は、国王陛下に人好きのする笑顔でそう尋ねた。
「分かっていて聞いておるだろう、ユーハルト?」
ユーハルトと呼んだ青年に苦笑で返した国王陛下。二人の間にある信頼関係が伺い知れた。
「伯父上の声はよく通りますからね。オリバーの声も」
いよいよリュクシエルは考えることに疲れてきた。
次から次へと、これまで知らなかった話がわんさか出て来ているのだ。理解もしきれていなければ、受け入れられてもいない。シャーリーが錯乱して会場を出るというのなら、自分もどうにか出られないかとそちらの方へと思考が移りかければ新たな登場人物。
知らない間に交わされていたらしい王族との婚約――の、破棄。
自分が聖女だと覚えのない言いがかりを付けられたかと思えば妹が本物であると宣言された――が、それは流行している小説のまだ発表されていない新作の設定。
長年家にやって来る世話好きだと思っていたおじさん――の正体は国王陛下。
自身の願望を物語という形にしてくれていた会ったことのない恩人――が実は王妃殿下。
もう頭がパンクしていつ破裂してもおかしくない。
今現れた青年も、口ぶりからして国王陛下の甥だ。
疲れから腰を曲げて項垂れるリュクシエルは、周囲の貴族たちも頭を下げている様子が見えた。やはり王族の血族で間違いない。
「頭を上げて、リュクシエル嬢。みんなも。せっかくの誕生パーティなのに空気が最悪じゃないか」
言われるがまま頭を上げれば、ちらりと王子殿下に目をやったのか気まずそうに目を逸らしていたのが見えたけれど、それよりもユーハルトの手がリュクシエルに向けられていることに意識が持って行かれた。
「伯父上、来たばかりではありますが一度リュクシエル嬢を休ませてきても? その間に空気の入れ替えをお願いしますよ」
「まったく……王を使うのもお前くらいのものだよ。しかも断れない理由と来た」
「伯父上でなければ場を収められないでしょう? 適材適所ですよ。……ところで」
国のトップにも物怖じしないユーハルトは、次にリュクシエルににっこりとした笑みを向ける。差し出された手はそのままに。
エヴァン侯爵家に来た国王陛下がフランシスと名乗っていた時に教わった。
男性が女性に手を差し伸べるのは、助ける以外ではダンスかエスコートの誘いだと。
「今宵は私の誕生日でもあるのです。良ければこの手を取ってはいただけませんか? どうぞ惨めな思いからお救いください」
断れる相手ではないことも合わせて、リュクシエルは知っている。
王子や殿下と呼ばれる立場にはないかもしれないが、王位継承権を持つ人物であり、爵位は考えるまでもなく侯爵よりも上だ。
国王陛下を伯父と呼んでいる以上、ユーハルトのどちらかの親は前国王夫妻の御子だ。リュクシエルが否を唱える権利はない。
――ん? 王位継承権? 今日が誕生日?
今日開かれているパーティは「王太子候補の誕生パーティ」だったはずだ。
脳の処理が情報をまとめればまとめるほど、全身が冷たくなっていく感覚に襲われる。
「君の生み出す物語に興味があってね。話を聞かせてくれると嬉しいな」
甘い甘いお菓子みたいな優しさを持つ人に手を取られ、エスコートされるがままに会場を一度出る。扉の前ですれ違ったシャーリーに、怒りと困惑がない交ぜになった形相で睨まれた。
+++++
後日談というか、後から聞いた話。
エヴァン侯爵家はリュクシエルへの仕打ちが明らかになった他に、シャーリー聖女説を率先して広め社交界を混乱させたことやオリバー王子を操ろうとした罪から男爵に限りなく近い子爵家に降格させられ、シャーリーは五年以上修道院で奉仕した後王族籍を離れるオリバーと結婚してエヴァン子爵家を継ぐことになった。
シャーリーが修道院から戻ってくるまでに王家に貢献した証を示さなければさらなる降格が待っているとあって、両親は家を出たリュクシエルを虐げる余裕がない。
王太子にはユーハルトが任命され、今は各国を巡り知見を高めている。
「五日後、ユーハルト様が一度城に戻られるそうです」
「そうですか。それは楽しみね、リュクシエル」
「はい、王妃様」
「でも、その前に締切が迫っているわ。ユーハルトが戻る前に終わらせましょうね」
身に覚えのない話をされ、一番の混乱の渦中にいたリュクシエル・エヴァンは今、国王陛下の偽名に使われていた学生時代の友人らしいフランシス・コルトー公爵の養女になり、王妃殿下と共に新作の小説の執筆に忙しい。
それから、いつの間にかユーハルト王太子殿下の婚約者になったらしい。
身に覚えは、まったくないのだけれど。
感想・誤字報告ありがとうございます。
活動報告にもう少し詳しく書いているのですが、この短編は「思考を放棄させてもらうぜ!」の心だけで設定も決めずキャラクターの名前も決めず、スタートもゴールもないまま即興で書いたものですので、どのような感想を抱かれてもすべて正解ですし、「なぜ?」と疑問が生まれてもお答えするものはありません。
逆にどうしてこれほどまでに評価をいただけているのか、書いた本人が困惑しています。
日間のランキングのページ開いた瞬間焦って消したりしました。
こんなことも……あるんですね……。