婚約者は不義の子と噂されていますが、私は彼と共に歩みましょう
歴史が長いことだけが特徴の子爵家の長女として生を受けた私、ツェツィーリエ・クラッセンは、これと言って特に悩みもなく幼少期を過ごした。クラッセン子爵家は、特別裕福というわけではないが、堅実な家ということもあり、領地経営は基本的に黒字だ。
大好きな本を読んだり、数少ない友人であるユリアーナと遊びながら、平凡で幸せな日々を過ごしていたある日、格上の家からの縁談が舞い込んだ。
「ツェツィーリエ。お相手は、タールベルク侯爵家のご子息、フェリクス・タールベルク様だ」
お父様は、苦虫を嚙み潰したかのような顔をして告げた。そんなお父様の様子を見て、我儘で周りを困らせるような少年がお相手になってしまったのだろうかと不安になったが、基本的に家格が上の家からの縁談はお断りが難しい。お父様もそれをわかっているからこその顔だったのだろう。
緊張と不安を胸に、両親と馬車に揺られながら辿り着いたタールベルク侯爵邸は、どこか寂し気な場所だった。荒れている庭園に、掃除が行き届いておらず、枯れ葉まみれの玄関。私たちを出迎えてくれたタールベルク侯爵の目の下には目立つ隈があり、その横に立つ少年はオドオドとしながら長い前髪の中から、こちらをうかがっていた。燃えるような赤髪が印象的だった。
応接室に案内されて、彼と向かい合って座ると、彼が何に怯えているのかが段々とわかってきた。彼は、私たちを注意深く観察している様子はあるが、それよりも、隣の侯爵の様子を常に気にしている風だった。とにかく息をひそめて静かにやり過ごそうとしている彼は、かわいそうなほどに怯えていた。
やがて、両親が侯爵と一通り話を済ませると、彼と私に庭園を見に行ってはどうかと提案してきた。私は頷いて、彼の手を取った。一瞬、彼の体がこわばったことに気が付いたが、両親に促されて、気にする暇もなく、私たちは外に出た。
タールベルク侯爵邸に到着したときに見えていた少し荒れた庭園を、ゆっくりとではあったが、彼は丁寧に案内してくれた。やがて、置いてあったベンチに二人で腰かけると、ぽつりと彼がつぶやいた。
「……この庭園、昔はとてもきれいだったらしいんだ」
「昔?」
「うん、僕が生まれるよりも前。ここの庭園の手入れがあまりされなくなったのは僕のせいなんだ……」
彼が話した内容を理解しきれずに、首を傾げた。雑草が至るところから顔を出している庭園を眺め、燃えるような赤色の髪に目線を移す。
「フェリクス様が何かしたのですか」
私の言葉にびくりと肩を揺らした彼は、うつむいて膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめた。数十秒ほど経ってから、彼はやっとのことで言葉を紡いだ。
「……僕の髪と瞳が赤色だから。だから庭園の手入れがされなくなったんだ」
髪と瞳が赤色だと、なぜ庭園の手入れがされなくなるのか。その意味を理解できない私は、思ったことをそのまま口にした。
「どうして赤色だと手入れがされなくなるのか、私には難しくてよくわかりません。でも、私は、フェリクス様の赤色の髪は、燃える炎のようで素敵だと思います」
彼が前髪の向こうで、驚いたように目を見開いたのだということは、何となく感じ取った。
私たちが応接室に戻ったころには、婚約誓約書は既に記入されていて、私たちは正式な婚約者となっていた。帰りの馬車の中で、お父様は私に言い聞かせた。
「ツェツィーリエ。どんな時でも、何があろうとも、お前だけはフェリクス様の味方でいて差し上げなさい」
10歳になってお茶会に招かれるようになると、私は徐々に状況を理解していった。婚約が決まった時の苦虫を嚙み潰したようなお父様の表情が何を意味していたのかも、なぜタールベルク侯爵邸が荒れていたのかも、そして、フェリクス様が泣きそうな表情で語った赤髪の意味も――。
お父様のあの表情は、娘の行く末を案じてのことだ。
クラッセン子爵家は歴史が古いだけで、特に何もないと思っていたが、貴族は歴史を大切にするものだということを知った。建国当初から存在する家の一つであるクラッセン子爵家は、貴族の中でも評判が良いようで、条件の良い婚約者に決まりやすいのだという。
あの日、お父様があのような表情をしたのは、フェリクス様が、私にとって条件の良い婚約者といえなかったからなのだろう。
後々知ったことだが、フェリクス様は人々の間で不義の子と噂されていた。タールベルク侯爵の髪は金髪で、瞳はタールベルク家にしか継がれない不思議な輝きの紫色だった。侯爵夫人は、伝え聞いた話によると、侯爵同様に金髪で、瞳は水色だったという。
それに対して、フェリクス様は燃えるような赤毛に、深みのある赤色の瞳だった。親族には、赤毛の者も、赤色の瞳を持つ者もいなかったことから、彼は不義の子と判断され、侯爵夫人は別邸へと追いやられた。本来、屋敷を取り仕切る夫人が不在となったことでタールベルク侯爵邸の庭園は荒れ、玄関前の掃除すら行き届かなくなった。
侯爵夫人が別邸に追いやられたように、フェリクス様への当たりも強かった。本邸に身を置いてはいるものの、侯爵には息子と認められることもなく、蔑むような目を向けられ、使用人たちにも冷遇されていた。別邸の侯爵夫人には「お前のせいで」といった内容の言葉を浴びせられ、彼の居場所は文字通り、どこにもなかった。それでも、彼以外に後継ぎはいないため、逃げることもかなわずにタールベルク侯爵家に、彼はしばりつけられていた。
ある日、彼とお茶をしていると、ふと袖の隙間から見えた白い腕には、痛々しい痣があった。
「フェリクス様……その痣は……?」
「あぁ、これ? 何でもないんだ。ぶつけてしまっただけ」
私の前では少し笑ってくれるようになった彼が、何でもないようにそう言って微笑んだ。口角が上がってはいるものの、眉は下がっており、唇はかすかに震えていた。嘘をついていると、そう思った。
その後も、彼と顔を合わせるたびに、注意深く観察をしていれば、服で隠れて見えにくい場所に傷があることが何度もあった。一体誰が彼を傷つけているのだろう。少なくとも、彼の近くにいる人間でなければ、こんなことはできないはずだ。それならば、タールベルク侯爵家の人間に違いない。侯爵か、侯爵夫人か、はたまた使用人や家庭教師だろうか。私は、人生で初めて怒りに震えた。
彼を助ける方法はないだろうか、とユリアーナに相談したところ、いつも通りの平坦な声で、法を盾にすればいいと返された。呆気に取られている私に、彼女は語った。
「法は誰に対しても平等。だから、それを利用すればいい。理不尽だと感じるのならば、新しく法を策定すればいいだけ」
彼女の言葉を受けて、私は自分にできる範囲で調べてみた。何か彼を助けることができるような法はないのか、と。しかし、いくら努力したところで、子供の私には法律書は難しかった。彼をすぐに助けることができるようなものは何も見つけられず、項垂れた。
それでも、読めないなりに取り組んでいたところ、見かねたユリアーナに、最近創設された学園の話を教えてもらった。全寮制の学園だと聞いて、それは名案だと単純な私はそう思った。一時的とはいえ、彼はタールベルク侯爵家から離れることができる。
タールベルク侯爵に学園の話をしてみてはどうかとフェリクス様にお伝えしたところ、意外なほどにあっさりと入学が決まった。フェリクス様を蔑んでいる様子のあった侯爵だが、彼が後継ぎである以上、教育は受けさせるべきだと考えていたのだろうか。どちらにしても運が味方したと、そう思った。
自分の考えが浅はかだったと思い知ったのは、彼が学園に入学して半年が経った頃だった。学園内にも彼を蔑む令息がいるようだった。彼は手紙でそんなことは気にしていない、と書いていたが、無理をしていることはよくわかっていた。
一体彼をどれほど傷つければ満足するのだろうか。なぜ、何もしていない彼が傷つかなければならないのだろうか。どんなに辛くても弱音を吐くこともなく、ひたむきに勉学に励み、まっすぐに前を向いている彼のことをどうして馬鹿にできるのだろうか。
そして、そのような状況でも頼ってもらえない自分が不甲斐なかった。わかっていた。今の私では彼の力にはなれない。彼を傍で支えるためには、一緒に歩んでいくためには、私自身も力をつけなければならない。法律にも明るくなく、かといって権力者を味方につけているわけでもない状態では何もできない。
「お父様、私、王城で働く侍女を目指します」
「……は」
ある日、私がお父様に宣言したところ、お父様は顎が外れてしまうのではないかというほどに口を開けて固まった。その隣に座っていたお母様も目を見開いたまま動かなくなった。
それもそうだろう。子爵家とはいえ、侯爵家への嫁入りが決まっている令嬢は、本来働いたりはしない。将来的には侯爵夫人となり、むしろ、侍女に仕えてもらうような立場なのだ。そんな私が侍女として働きだすのは醜聞になりかねない。クラッセン子爵家は、娘を働かせなければならないほど貧しいのか、名門クラッセン子爵家も落ちたものだ、と。
「ツェツィーリエ、一体どうしたんだ。侯爵夫人としての振る舞いは将来的に身につけなければならない。上位貴族としての知識にマナー、ほかにも、屋敷を取り仕切る能力であったり、お茶会を主催したり……。しかし、いくら王城で、とは言っても、わざわざ侍女になって働く必要はないはずだが」
当然、正気に戻ったお父様に、あれやこれやと説得をされたが、私としても引くつもりは全くなかった。それに、こうしなければならない理由もあった。
「お父様、フェリクス様との婚約が決まった時に、私におっしゃいましたよね。どんなことがあろうとも、私だけはフェリクス様の味方であるように、と。そのためには必要なことなのです」
「そのためには必要って……。何も侍女になる必要はないでしょう? 我が家は経済的にも苦しい状況ではないわ」
お母様が困惑したように声をかけてきても、私の意志は揺るがない。自分でも、頑固な娘だと思う。
「いいえ。私がフェリクス様と共に生きていくためには必要なことです。お父様もお母様も耳にしているはずですよね。フェリクス様を取り巻く状況が悪化していることは」
私の言葉に、2人はぴたりと動きを止めた。思い当る節があるのだ。当たり前だろう。王都内だけでなく、田舎の方であっても、その話は伝わっていると聞く。
「私は先日、実際に顔を合わせました」
怒りを抑えて平静を装う。それでも、私の言葉に怒りはにじむ。お父様がごくりと唾をのんだ。本当はわかっているのだ。フェリクス様が置かれている状況も、そして、その婚約者である私が置かれている状況も。ただ、娘の不幸から目を逸らしたくて、認めたくないだけなのだ。
王都では有名な噂だ。最近、タールベルク侯爵家には、庶子が迎えられた。その庶子の見た目は光によってキラキラと輝く金髪に、タールベルク侯爵家にしか継がれないという紫の瞳。間違いなくタールベルク家の血を引いていると、一目でわかる見た目だ。
長年、不義の子として冷遇されてきたフェリクス様ではなく、明らかにタールベルク家の血を引く彼を後継ぎに指名するのではないかと、人々の間では噂されている。
庶子という時点で、侯爵も不義を働いているのだ。彼だって不義の子だというのに、なぜフェリクス様だけが責められなければならないのか。人々は身勝手だ。
「タールベルク侯爵は、彼のことを大層可愛がっているご様子でした。フェリクス様には、笑顔の一つすらお見せしないというのに。このままでは噂が本当になりかねません」
「それならば……婚約の解消を……」
お母様が絞り出した言葉に対して、私はゆるゆると首を横に振った。
確かに、お母様が考えた通り、婚約の解消は難しくないだろう。タールベルク侯爵が、本当に庶子を後継ぎに指名した際に、私をフェリクス様の婚約者のままにしておけば、タールベルク侯爵家は非難されるからだ。クラッセン子爵家をないがしろにするのか、と人々に批判されるだろう。
しかし、それも私の狙いだ。
「お母様、私はフェリクス様と共に歩むと決めているのです。仮に、彼が爵位を継がなかったとしても、です。あらゆる事態を想定したうえで、私は侍女になると決めたのです」
タールベルク侯爵が、本当に庶子を後継者にするというのであれば、せいぜい批判に苦しめばいい。フェリクス様を長年傷つけてきた彼らを許しはしない。そして、彼らと共にフェリクス様を蔑む庶子のことも、私は絶対に許さない。
「確かに私が侍女として働くということは、多少なりともクラッセン子爵家に泥を塗る行為です。クラッセン子爵家は、この状況に陥ってもタールベルク侯爵家と婚約解消すらできないのか、などといわれることもあるでしょう。しかし、私は必ずその評価を覆してみせましょう」
結局折れたのはお父様の方だった。
結果から言うと、私のあの時の判断は間違っていなかった。
何よりも、考えた末に出した結論である侍女として働く、という選択肢は私によく合っていたようで、侍女見習いとして働き始めて半年と経たないうちに、侍女として正式に認められ、その半年後には、第一王女付きの侍女となった。
異例の早さでの昇格に、人々はクラッセン子爵家を蔑む暇もなかった。ただの侍女であれば、確かに落ちぶれていると言われることもあるだろう。実際に、王城勤めの侍女の半数以上は、家の経営が傾いてしまって家族を養うために働いている令嬢や、何かしらの訳ありの令嬢だったりする。
しかし、王妃付きの侍女や王女付きの侍女となれば、話は別だ。
王族付きの侍女には、高い教養と完璧な所作が求められる。王族は諸外国の賓客と交流を持つ。その賓客には、当たり前のことながら、他国の王族も含まれているわけで、自らの主と行動を共にする侍女たちは、失礼のない振る舞いが求められるからだ。
そうなれば、自ずと王族の侍女となる者は限られてくるわけで、高位貴族の令嬢というのが一般的だ。王族側から高位貴族の令嬢に声をかけ、彼女らが結婚して家庭を持つまでの間は侍女として働いてもらう。もしくは、子供たちが独立して暇を持て余した高位貴族の夫人たちに声をかけ、働いてもらう。淑女の中の淑女と呼ばれるような人々のみが採用されるのだ。
そういった特殊な職であることから、王族付きの侍女に選ばれるということは大変な名誉とされていた。
そこに私は実力で成り上がった。歴代最年少という記録を打ち立ててしまったせいで、一時的に、王都内はその話で持ちきりになったという。一時的だったのは、その半月後に親友のユリアーナが、女性初、最年少で文官として働き始めたため、人々の関心がそちらに移ったからだ。私としても、目立つことが好きなわけではないため、むしろ助かった。
フェリクス様は全寮制の学園に所属していて、私は王城で侍女として働いていたため、手紙のやり取りは頻繁にしていたものの、彼と直接顔を合わせることはなかった。それでも、お互いに贈り物をするなどして、気遣いは忘れなかった。
王女付きの侍女として働き始めて1年が経った頃、彼は無事に学園を卒業して、王立騎士団に入団した。久しぶりに顔を合わせた彼は優しい微笑みで私を迎えてくれた。
「久しぶりだね、ツェツィーリエ。見ないうちに、また綺麗になったね」
すっかり声変りをした彼にそう言われて、感じたことのない感情が湧き上がる感覚に困惑した。顔が赤くなるのを感じながら、思わず自分の胸に手を当てる。
ひょろりと細かった体は、いつの間にか、がっしりとした筋肉に覆われており、身長はすらりと高く、前髪で覆われていた顔は露わになっていた。後ろで緩く結ばれている赤髪は、やはり燃える炎のようで、彼の凛々しさを際立たせており、深みのある赤い瞳は強い意志を感じさせる。
タールベルク侯爵に怯えていたあの頃の少年の姿は、もうどこにもなかった。
「ツェツィーリエ、君がずっと私のために動いてくれていたことを知っていたよ。弱気で卑屈で何もできなかった私に学園という選択肢を示してくれたのは君だった。私が爵位を継げるか怪しい状況に陥っても、君は決して私を見捨てなかった」
彼は私の両手を優しく包み込んだ。
「不甲斐ない婚約者でごめん。いつも君に守ってもらってばかりだった。でも――」
熱の籠った瞳に見つめられて私は固まった。
「これからは君を守らせてほしい」
多分、私は真っ赤な顔をしていたと思う。彼のまっすぐな視線を受けて、何度か口を開きかけては言葉にならずにパクパクとしてしまった。まるで陸に上げられた魚のようだ。やっとのことで言葉を口にする。
「嫌……です」
「そう……だよね……」
悲しみの色が広がっていく彼を見て、私は慌てた。彼は、私の手をそっと離すと、眉を下げて微笑んだ。違う、そうじゃない。私が言いたいのはそういうことではなくて――。
「守られるだけなんて、嫌です。私は、フェリクス様と共に歩みたい……から……その……」
離れていこうとする彼の腕を必死の思いで掴んで、足りなかった言葉を口にする。言葉にしようとして、上手く言えなくて、のどにつっかえるようにして口にした。恥ずかしくて、どうにかなってしまいそうだ。じわりと涙が溜まるのを感じた。
「だ、だから、い……いかないで……」
最後は、彼の顔を見ることすらできずに俯いた。
「ツェツィーリエ」
優しい声にびくりと肩を揺らす。普段は強気な自分がこんなに弱気になっていることに混乱していた。そっと顔を上げてみれば、先ほどと同様に優しい表情の彼がこちらを見下ろしていた。指先で優しく涙を掬ってくれる。
「かわいい」
どこか熱を含んだ声で呟いた彼は、私の額に優しくキスを落とした。
彼が騎士団で働き始めて数年後、タールベルク侯爵は、庶子を後継者に指名した。予想通りの展開だったが、人々の意見は様々だった。
フェリクス様を不義の子だと断定して、タールベルク侯爵家の血を引いていないのであれば、仕方ないことだと陰口を言う者たちもいれば、クラッセン子爵家の娘である私を、後継者ではないフェリクス様と婚約させてないがしろにしたタールベルク侯爵を批判する者たちもいた。
しかし、どの意見も私たちにとってはどうでもよいことだった。私たちは、人生を共にできるのであれば、それで構わないと考えていた。フェリクス様が不義の子であろうとなかろうと、彼が素敵な人物であることは私がよく知っている。彼を悪くいう人々が、そのことを知らないのはもったいないとは思うものの、わざわざ相手をするほど暇ではない。
騎士として真面目に働いていた彼は、近いうちに騎士爵を授かることが決まっていた。正式に授かったところで、私たちは結婚式を挙げる予定になっている。盛大なものではないが、お互いの稼ぎを合わせて身の丈に合った結婚式を挙げるつもりだ。何も盛大な結婚式を挙げなければ幸せになれないわけじゃない。
また、お仕えしている王女殿下が何かしら手をまわされたのだろうと推測しているが、私たちをモデルとした劇が近いうちに上演されるらしい。予想外だったのだが、爵位を継げないことが決まっていたフェリクス様との結婚を突き通したことが、夫人たちや令嬢たちの間では真実の愛、などと騒がれていたようだ。お陰様というべきか、夫人や令嬢たちからは、私たちの仲を応援されており、フェリクス様への蔑みの目は、かなり和らいでいた。
それどころか、私たちは、今や令嬢たちの憧れの対象であるのだから不思議なものだ。
「結婚式、楽しみにしているわ。あと、やっと準備が整ったの」
見たこともないような微笑みを浮かべて、そう言葉をかけてくれたのはユリアーナだった。お互いに王城内で仕事をしているが、こうして顔を合わせることは稀だ。
「準備?」
「えぇ、準備よ。大切な親友のために、ずっと準備していたの」
彼女が屈託のない笑みを浮かべる時は碌なことがない、ということを長年の経験で知っていた。笑顔が引きつるのを感じながら、問い返す。
「何をするつもり?」
「そんな顔しないでよ。別にツェツィーリエを困らせるつもりはないわ。でもね、私、これでも怒っていたんだから。私の両親に、親友、そして、その婚約者。傷つけた代償は払ってもらうわ」
彼女の言葉の意味が何となく理解できた。これから代償を払わされるであろう人々を思い浮かべて苦笑いを浮かべる。しかし、彼らを助けるつもりは私にはない。当然だ。わざわざ彼らのために時間を使うのが惜しいだけで、フェリクス様を傷つけた彼らを許したわけではないのだから。私の代わりに裁いてくれるというのならば、ユリアーナの好きにしてもらおう。
それに、ユリアーナは法を破ったりはしない。つまり、彼女に裁かれるということは、何かしらの法を犯しているのだ。自業自得としか言いようがない。
「それじゃあ、またね」
言いたいことだけ言うと満足したのか、彼女は、さっさと歩いて行ってしまった。どこか嵐のような親友だ。
「えぇ、また」
彼女に軽く手を振って、私も反対方向へと歩き出した。今日はまだやるべきことが多く残っている。この後は王女殿下とそのご友人のためのお茶会の準備、王女殿下のドレスの発注、お茶会の間にお掃除の指示をしておかなくてはならない。
ふと、少し離れた場所に見慣れた赤い髪を見つけた。彼もこちらに気が付いたようで目が合った。仕事中だから声はかけられないが、お互いに微笑みを浮かべた。
これからも、彼や私のことで陰口を言う者は完全には消えないだろう。しかし、その程度のことで私は彼から離れたりはしない。これから先、何があろうとも、きっと私は彼と共に歩んでいく――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
こちらの作品ですが、『婚約破棄された余り者どうし結婚しましたが、想像以上に幸せです』の中で、不義の子とされていた侯爵家の子供のその後の物語です。
もし、ご興味がありましたら、そちらもご覧いただけると幸いです。
また、連載で小説も書いております。
こちらもお時間ありましたら、ご覧いただけると幸いです。
2/14 追記
以前、感想で別の作者様の作品と登場人物の名前が類似していると教えていただきました。
意図したものではありませんが、確認してみたところ思った以上に一致してしまっていたので修正いたします。(クライン家→クラッセン家に修正しています。)




