25 最後に見つけた光
(えっ? ケリーさんが私を裏切った? 師匠は突然なにを言ってるの?)
驚いて振り返ると、ジャレドはすでに臨戦態勢に入っていた。高くかかげる手には魔力がこめられており、今にも攻撃しようとパチパチと火花が飛んでいる。初めて見るジャレドの本気の魔力に、私は声を出すことすらできない。
「ジャレド氏! いったいどうしたんだ!」
「は? え? お、俺が裏切った? ジャレドさんはなにを言って……」
「おまえ、王女に情報を流しているだろう」
「なに!?」
(ケリーさんがアンジェラ王女に、私たちの情報を流している?)
その言葉にみんな唖然とした表情で師匠とケリーさんを見ている。ケリーさんはなにを言われているのかわからないようで「え? 王女に俺が?」と言ってオロオロし始めた。その間も師匠はケリーさんに向けた手を下げることはない。それどころかさっきよりも魔力の量が多くなっている。
「ジャレド! いい加減にしてくれ! からかっているのか? ケリーは俺の仲間だ。裏切ることなんてない! だいたい王女側についてなんの得があるんだ!」
カイルがケリーさんと師匠の間に割って入った。自分の大切な部下で親友でもあるケリーさんに攻撃をしようとするのが我慢ならないのだろう。
(でもカイルの言うとおりよね。彼は私が召喚される前からずっとカイルやアルフレッド殿下と一緒に過ごしていて信用できる人だ。それに師匠はケリーさんの何を見て裏切り者だと言ってるんだろう?)
するとその言葉を聞いたジャレドは「たしかに君の部下に得はないか」と呟き、攻撃しようとしていた手を下ろし首をかしげた。
「じゃあ、粗忽者かな?」
ケリーさんへの呼び方が裏切り者から粗忽者に代わったけれど、彼が王女に情報を渡したことを取り消す様子はない。ケリーさんもそれに気づき、誤解を解こうとあわてて話し始めた。
「な、なにを言っているのです? 俺は裏切ってもいないし王女に情報を漏らすこともしていません!」
「え〜? だってそこに証拠があるじゃないか」
師匠はキョトンとした顔でケリーさんの腕を指差している。そこはさっき私が指摘した怪我をしている箇所で、今はハンカチが結ばれていた。
(あれ? ハンカチにまで血が滲んでる……)
傷がついた日から時間が経っているのに血が止まらないのはおかしい。しかも巻いたハンカチが滲むほど出ているなんて。不思議に思っているとジャレドは「ほら〜やっぱり〜」と言って、ケリーさんの腕を取った。
「これさ、盗聴の魔術だろう? 自分でやったんじゃないなら、誰に付けられたの?」
「え? 盗聴? 魔術? 俺は魔術は使えませんし、傷をつけたのはたぶんアンジェラ王女かと思いますが……」
「ジャレド氏、ケリーの腕に魔術がかかっているのか?」
「ん? みんな見えないの? 今まさに魔法陣が浮かんでるじゃないか」
師匠はそう言うけれど魔法陣はどこにも見えない。みんなも同じようで首を振っている。それに魔法陣は発動した瞬間だけ見えてすぐに消えてしまうはず。
(師匠だけに魔法陣が見えている盗聴の魔術……? ということはもしかして!)
私はケリーさんの腕を不思議そうに見ている師匠を強引に振り向かせた。
「師匠! この魔術はきっとエリックの仕業ですよね? それならばこの魔法陣を作ったのは師匠なのでは?」
「……そうかも」
「もしかして盗聴の魔術に自分だけはかかりたくなくて、魔法陣が師匠にだけ見えるように作ってません?」
「……ありえる」
「早くこの魔術を解いてください!」
きっとこれも呪いの魔術と一緒に作ってエリックに破棄させたものだろう。盗聴という魔術なのだからターゲットに知られないように魔法陣の発動を隠す必要がある。
(きっと殿下にあげるつもりで作ったけど、自分自身に使われちゃ困ると思ったんだ。それにしてもエリックはどこまで知ってるんだろう?)
師匠はあっという間に魔術を解くと、今度は私とアメリさんの手を引っ張り魔力をため始める。
「いったん今朝までいたカレブの町に戻ろう。女の子二人までなら僕が転移で移動できる。カイルは自分で、ブルーノは悪いが馬車で戻ってきてほしい」
「わかった。ケリーはこのことを殿下に報告しろ。他にも傷が治らない者がいたら――」
「見つけたわ」
耳元でぞわりとする女の声が聞こえた。すると次の瞬間私の足元が光り、地面に魔法陣が浮かび上がる。師匠が作ったものではない。色が違う。この金色の魔力は王族の証だ。
「きゃあ!」
「サクラ!」
逃げようとする間もなく私はアンジェラ王女に腕をつかまれ、そのまま目の前の景色がぐにゃりと曲がり始めた。ほんの少し誰かの指先がふれた気がしたが、それが届くことはなかった。
(転移してる! なぜアンジェラ王女が魔術を?)
一瞬にして目の前の景色が変わり、気づくと私は見知らぬ場所に立っていた。小高い丘のようなところで、遠くには町が見える。
(ここ、どこ?)
「大人しくしてなさい!」
「きゃあ!」
アンジェラ王女が乱暴に背中を突き飛ばし、私は前のめりになって地面に突っ伏した。倒れた先にあったのは、魔法陣が描かれてある布。私の魔力を吸ったのか、ぼんやりと光り始めている。
(もしかして日本に帰される? 逃げなきゃ!)
しかし急いで立ち上がろうとした瞬間、カクンと膝から力が抜けた。まるで大きな掃除機で吸われているみたいに体が魔法陣に引っ張られ、身動きができない。
(これは……魔力を抜かれてる……?)
体全体がしびれ目眩で頭がクラクラする。私は指先ひとつ動かせずに、ただ息を荒げるしかなかった。
「アンジェラ王女、無事成功したのですね」
「フン! こんなの簡単だったわ!」
エリックだ。やはりこの魔法陣もアンジェラ王女の転移術も、師匠が捨てたものなのだろう。彼は魔力を抜かれ続ける私を見てせせら笑っている。
「なにが弟子だ。魔術も使えないくせに、ジャレドの横で偉そうにしやがって」
憎しみのこもった声でそう吐き捨てると、エリックは私の前に座り込んだ。気づかなかったけど私は彼の恨みを買っていたらしい。私を睨みつけぶつぶつと自分がどんなに優れた人間か、ジャレドに認められるのは俺だと呟いていた。
「ふ~ん。だいぶ魔力が戻っていたようですね。さすが聖女様といったところでしょうか。……それならば最後に、聖女らしく結界の修復をしてください」
そう言うとエリックは魔法陣に手を当て、自分の魔力を流し始めた。ブンと音がして魔法陣が青く光り、いっそう強く私の魔力を吸い始める。
「くっ……」
「ここはね、忘却の魔術をかけた場所なんですよ。ほら、あそこにあなたが修復するはずだった結界の穴があるでしょう? まったく同じ場所からなら魔術の痕跡が残っていますから、あなたが浄化しなくても結界とつながるでしょう」
(結界とつながる……? エリックはなにがしたいの?)
彼が指差した遠くの空には、たしかに結界の穴が開いている。そこから少しずつ黒い瘴気が入っては、地上にある町に降り注いでいた。
(ということは、あの町はケセラよね。カイルたちとそんなに離れてないんだわ!)
無謀だとわかっていても、必死になって体をよじらせてしまう。するとその姿を見た王女がニヤリと笑って口を開いた。
「大人しくなさい。そうすればあなたを殺したりはしないわ。そのかわり、もう一度忘却の魔術をかけてあげる」
「今度はジャレドもこの国にいますから、あなたを覚えていてくれる人はいませんよ」
そう言うと二人は堪えきれないといった様子で大笑いし始めた。
(もう一度、忘却の魔術をかける……? じゃあ、せっかく私が聖女だって知ってもらえたのに、それがなかったことになっちゃうの? そんなの絶対に嫌!)
「んんん~!」
「無駄だ。町からはこの丘は見えない。たとえ魔術が発動したことにジャレドが気づいても、その時にはすでに君のことを忘れている」
「愛し合ってるカイルも来れないわね。残念ね」
二人は私の気持ちを煽ることが目的のように、下卑た笑いを浮かべている。
(嫌だ! 絶対にカイルに思い出してもらうんだから!)
それなのに目眩がひどくて起き上がることすらできない。それでも私が二人を睨みつけ動こうとする様子に、エリックが眉をひそめ始めた。
「成人した騎士でもこの魔術で魔力を抜かれたら気絶するものですが、あなたは元気ですね……。ああ、そうでした。あなたはもともと魔力がなくても生きていける世界の人だ。二度目に現れた時も魔力がなくても元気でしたね」
(そんな危険なものを私に。なんて人だ。それにもう魔力はほとんどない。全部吸い取られちゃった……)
「さあ、忘却の魔術が発動しますよ」
エリックの言葉どおり私の魔力をたっぷり吸った魔法陣から、虹色の光の柱が立った。くるくると螺旋を描くように空に向かっていき、結界に溶け込んでいっている。
「これでカイルは、あなたのことを忘れたわ。もう助けになんて来ないのよ」
「今頃、なぜ自分たちがケセラの町にいるのか不思議に思っていることでしょう」
私の魔力をすべて吸い取ったのか、魔法陣の光が消えた。ようやく体を動かせるようになり仰向けに転がると、結界の穴はなくなっていた。
(また忘却の魔術がかかったの? 今は師匠もこの国にいる。私を覚えている人はもう誰もいないの?)
悔しくて泣いてしまいたいけど、二人の前では絶対に涙を見せたくない。それに魔力がなくなったって、私のことを忘れてしまったって、教会に行けばなんとかなるかもしれない。
(何度やり直しても、またカイルに会いたい……!)
しかしそんな一縷の望みも、エリックの言葉でぷつりと絶たれてしまった。
「聖女サクラ様。いや、もう元聖女でしょう。結界の修復も終わり、再び忘却の呪いがこの国にかかりました。もう諦めなさい。あなたの役目はありません。瘴気もなくなるので、司教様があなたを召喚することもないでしょう。でもね、私は親切ですからあなたを元いた世界に帰してあげますよ」
「そ、そんな……!」
ニヤリと笑った二人は逃げようとする私を捕まえると、両手両足を縄で縛り始める。そして新しい魔法陣を取り出しその上に私の体を乗せ、動かないように近くの木に縄でつないだ。
こんなのまるで生贄だ。私は恐怖でぶるぶると震え始め、声を出すことができない。それなのに目の前の二人は満足そうに私を見てほほ笑んでいる。
「さようなら、元聖女」
「カイルは私が幸せにしてあげるわ」
二人はクスクスと笑いながら魔法陣に手を置く。二人の魔力がゆっくりと流れ、私の体が光り始めた。その時だった。
「ぐわっ!」
「きゃあ!」
突然目の前にいたアンジェラ王女たちが、森の奥のほうに吹き飛ばされた。なにが起こったのかまったくわからない。わかったのは泥だらけの二人が地面に倒れていること。そして二人が飛ばされる前に、大きな虹色の玉がぶつかったことだけ。
(虹色の魔力の光。もしかしてあれは……!)
目を疑うその光景に呆然としていると、遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。