19 サクラを呪った魔術師
次に目を開けた時、最初に目に入ってきたのは応接室の天井だった。どうやら気を失って倒れたのでソファーに寝かせてくれたみたい。それなのに今の私はやけに体調が良くスッキリしていた。
「サクラ! 起きたのか! 喉は平気か?」
目を覚ましたのに気づいたカイルが、すぐさま隣に座って私の首筋に手を当てる。少し冷えた体にカイルの温かい体温が心地よく、私は安心させるようにニコリとほほ笑んだ。
(そうだ! 声も出せるんだった!)
いつもの癖でジェスチャーで済まそうとしちゃった。私はあわててカイルに話しかけた。
「あーあー、大丈夫みたい。心配かけてごめんね」
「いいんだ。顔色も良くなったな」
元気そうな私を見てカイルが安心した顔でほほ笑む。するとその彼の背後からゾロゾロとこっちをのぞき込む顔が見えた。
「サクラ、僕が呪いを解いたから体調が良いでしょ〜」
「聖女サクラさん、私のことはわかりますか?」
「お、おじいちゃんだよ……覚えているかい? サクラ」
寝ている間に師匠が一度目の召喚からの日々を説明したようだ。アルフレッド殿下は戸惑い、司教様は私に「おじいちゃん」と呼ばれていたことを知って顔を赤らめている。
「もちろんです! ようやく皆と話せる! やった〜!」
いつも以上に元気になった私は勢いよく立ち上がり、さっそく話し始めた。
「師匠! 呪いを解いてくれてありがとうございます! それに体調もすごく良いです! あとアルフレッド殿下のこともわかりますし、司教様をおじいちゃんと呼べるのが嬉しいです!」
今までずっと無言だった私が急にベラベラと話し出すのに戸惑うかと思ったけど、皆はそんな私を見てわっと歓声をあげた。
「おお! 気を失ったから心配したが、ここに来た時より顔色も良くなっておるな! じいちゃんは嬉しいぞ!」
ただ私が話しているだけなのに、皆ものすごく喜んでくれている。その光景が嬉しくて周囲をぐるりと見回すと、暗い顔で私を見ている二つの視線に気づいた。
一度目の召喚で私の身の回りの世話をしてくれた、ブルーノさんとアメリさんだ。二人は遠慮がちに私を見つめ、目が合うとそっとうつむいた。
(どうしたんだろう? でもせっかく声が出せるんだから、二人に挨拶だけでもしたい!)
私が小走りにブルーノさんたちに近づくと、二人は驚いた様子で顔をあげた。
「お久しぶりです! ブルーノさん、アメリさん。私一年前は、二人とすごく仲が良かったんです。良かったらこれからも仲良くしてもらえますか?」
すると二人は顔を見合わせ、手を握り合って震えている。そして、みるみるうちにアメリさんの瞳から大粒の涙があふれ出した。
「うわ〜ん! サクラ様! ごめんなさい!」
「ア、アメリさん?」
「申し訳ございません! 私たちが聖女様のことを忘れてしまうなんて……本当に申し訳ございません!」
「ええ? ブルーノさんまで! そんな二人が謝ることじゃないですよ!」
暗かったのはこれが原因か。たしかに聖教会は私をとても大切にしてくれていた。いつだったか「聖教会は聖女様を守るためにあるんですよ」と、私に仕えることを誇らしく語ってくれたこともあった。
「ジャレドから一緒に過ごした日々のことを聞いてな、それで二人は落ち込んでいるんだ。もちろんここに居るものは皆、サクラに対して申し訳なく思っている」
「ご、ごめんなさい。この国の恩人であるサクラ様を忘れているなんて……ひっく……」
司教様が落ち着かせるように、二人の肩を抱いている。私もアメリさんの泣きじゃくる姿に、思わず駆け寄り手を握った。
「そんな! アメリさんたちは何も悪いことをしていないです! だから泣かないでください。私、アメリさんの笑った顔が大好きだから……」
「サクラ様……」
すると私たちのそんな様子を見て、思いつめたような声が後ろから聞こえてきた。
「それを言うなら私たち王族が、一番罪深いだろう。サクラさん、妹があなたにした非道な行い、私が責任持って対処させてもらう」
そう言うと殿下は私の前にひざまずこうとしている。
「ま、待って! 待ってください! アルフレッド様! そんなことしないでください!」
「しかし……」
「カイルも殿下を止めて!」
カイルにそうお願いしたけれど、なぜか彼は殿下の行動を止めるのをためらっている。するとそんな私たちのやり取りに飽き飽きした声が聞こえてきた。
「あ〜もう暗い暗い! みんな暗すぎるよ〜! サクラの呪いは解けたんだから、お祝いすればいいのに〜」
「おまえは軽すぎるんだ!」
「あなたは覚えているからそう言えるんです!」
師匠の呑気な言葉に、司教様とカイルが睨んでいる。でもその意見に私も賛成だ。せっかく話せるようになったのだから、前向きな話題にしてほしい。私は落ち込むみんなを励ますように、大きな声で呼びかけた。
「みなさん! 私は師匠の意見に賛成です! もちろん呪われたのはつらかったし、アンジェラ王女にもそれ相応の罰をちゃんと受けてほしい気持ちはあります。だからといって私を覚えていなかった後悔の涙や、あの場にいなかった殿下の謝罪は見たくないんです! だから、良かったら私のもう一つの呪いを解く方法を考えませんか?」
(よし! 言えた!)
自分の正直な気持ちを一気に伝えたせいか、ハアハアと息が荒くなる。それでも頑張って伝えたからか、みんなの雰囲気が和らいだみたいだ。口々に「そうだな」「そうしよう」と賛成する声が聞こえてきた。
しかしそんな明るくなった雰囲気をぶち壊すのも、また師匠だった。
「で、結局呪いをかけたのは誰か、サクラは覚えてるの〜?」
「えっ! そ、それは……」
(ちょっと師匠! もう少し落ち着いてから聞いてほしかったよ!)
突然の質問に驚いてうまく言葉が出てこない。それに殿下の前で王女のことをどう説明したらいいかもわからず、私は口をパクパクと動かすと黙り込んでしまった。
すると大きなため息を吐いたあと、アルフレッド殿下がうんざりした顔で口を開いた。
「アンジェラが関わっているのでしょう?」
「――っ!」
「やはり、そうなんですね」
殿下の突然の言葉に表情を取り繕うひまもなく、私はアンジェラ王女との間でなにが起こったのかを話すことになった。
最初は静かに聞いていた殿下も、身勝手な理由で私から聖女の力を奪ったことや瘴気で苦しんでいる国民への無関心さを話すと、ギリリと音が聞こえるほど歯を食いしばっていた。
「……そうだったのですか。しかしあの愚妹がこのような高度な魔術を使えるとは思えない。なにせ遊ぶことしか考えていないのです。そのせいで何人も家庭教師が変わってしまって、結局一時的にエリックが話し相手として収まったのだが……そうだジャレド! エリックはおまえの紹介だっただろう? 彼は魔術を使えるんじゃないか?」
(え! エリックさんは師匠の紹介で家庭教師になったの?)
殿下の言葉でみんなの視線が一気に師匠に集まる。それなのにジャレドはぽかんと口を開き、なんのことだかわからないらしい。
「え〜? そうだっけ?」
「そうだっけじゃないぞ。ジャレドのサインがある紹介状を持っていたから採用したのだ。まさか知らない者に紹介状を書いたのか?」
(あの面倒くさがりな師匠が紹介状を書いたなんて、それだけでも親しい関係に思えるけど……)
しかし師匠はそれを聞いても、まったく思い出せないらしい。「う〜ん。でもたしかにあの子はどこかで見た気がするな〜」なんてことをブツブツ言っては、カイルやアルフレッド様をイラつかせている。
「ジャレド氏! サクラの呪いに関わっているかもしれないのです。さっさと思い出してください!」
「アンジェラの家庭教師になったのは一年と少し前だ。サクラさんは一年前に呪われたのだろう? なら時期も合っている。エリックの魔術はそんなにすごいのか?」
「え〜? 僕より天才ってことはないと思うけど。なんで紹介状なんて書いてるんだろう? 偽物じゃないの?」
「サインには魔力がこもっている。それが登録しているおまえの魔力と同じなのを確認して採用しているのだ。偽物ではない」
「う〜ん……じゃあ誰だろう?」
「ジャレド!」
いっこうに思い出せない師匠に二人は頭を抱え始めている。すると突然部屋のすみからおずおずと話しかけるブルーノさんの声が聞こえてきた。
「あの、発言をお許し頂けますでしょうか?」
振り返るとブルーノさんとアメリさんがこちらをじっと見て、なにか言いたそうにしている。殿下の許可をもらうと二人は顔を見合わせうなずき、まずはブルーノさんから話し始めた。
「エリックという方は先ほどアンジェラ王女と一緒に来た男性ですよね? それでしたら以前ジャレド様が弟子として雇っていましたよ」
「へ? そうだっけ?」
再びみんなの視線が師匠に集まった。証言する者が出たからか、ジャレドはさすがにあせった顔をしている。すると今度はアメリさんが話し始めた。
「私も一度だけですが、お茶をお出ししたので覚えております。たしか二年ほど前に連れていたかと。ジャレド様が弟子を取るなんて珍しいと思ったのでよく覚えています」
「え〜? 本当?」
どう考えても師匠よりもアメリさんたちのほうが信用できる。その考えはみんな一緒だったようで、冷たい視線がジャレドに注がれ始めた。その時だった。いきなり師匠が立ち上がり、ポンと手を打った。
「あ! もしかしてあいつか! 思い出したよ! たしかに仕事場に入れてた気がする!」
「もう! 師匠ったら、なんで忘れてるんですか!」
「だって、あいつ女の子じゃないし……」
「し、師匠〜!」
ジャレドのその言い訳に、実の伯父である司教様ですら嫌悪感丸出しの顔で見ている。他の人たちの視線も同様に冷たい。
それにしても師匠の女性好きには呆れるけど、彼が教えたならエリックは凄腕の魔術師だろう。さっきは頼りない感じだったけど私に二つも呪いをかけて、なおかつ日本に送り返しているのだ。
(もしかしたらまた何か仕掛けてくるかも……)
考えれば考えるほど不安になってくる。すると皆に責められるような視線を浴びていた師匠が口をへの字に曲げ、不満そうな顔をし始めた。
「もう〜そんな目で俺を見ないでよ! 大事なことも思い出したんだから褒めてほしいね」
「大事なことですか?」
「そう! 君にかけた呪いの魔術は天才が作ったものだって言っただろう? だけどあれは違ったよ。あの魔術は僕が作ったやつだった! やっぱり天才は僕一人だけだったね!」
師匠はまわりの唖然とした顔にも気づかず、むしろ誇らしそうに胸を張って話を続けている。
「あの頃は君を召喚するための魔法陣を作ってたんだけど、他にもいろいろ思いついたんだ! その時に『相手の魔力を根こそぎ奪う魔術』や『喋れなくする魔術』を思いついたんだよ。罪人用にちょうどいいだろ? アルに恩を売るには最適だし。でもさ〜伯父さんに話したら即刻捨てろって言われちゃって。それでその魔法陣を書いた羊皮紙は捨てたと思ったんだけど……。そうだそうだ! その時にエリックに『これ捨てて〜伯父さんに怒られちゃった』て言って渡したんだった!」
「ジャレド!」
「師匠!」
「な、なに? なんでそんなに怒るんだよ?」
本当に師匠は「馬鹿と天才は紙一重」というやつだ。そんな危ない魔術を自分の手で管理せず、弟子とはいえ簡単に手渡すなんて……!
それでも今は師匠にお説教している時間はない。私はみんなのガックリとうなだれた顔を横目に、首を傾げているジャレドを問い詰め始めた。
「それじゃあ、エリックは師匠の作った魔法陣で私を呪って魔力も奪ったと……。きっと召喚の魔法陣もエリックに渡したのでは?」
「あ〜……そうかも。エリックは弟子というより、部屋の片付けとか掃除をしてもらってたから。魔力量は多いかなと思ったけど魔術のセンスはなかったよ?」
師匠の部屋は散らかっている。そのうえ本人は魔術を完成させたらそれで満足するところがあるから、きっと魔法陣が盗まれていても気づかないだろう。
(まさか犯人が使った魔法陣が師匠のだったとは。証拠がないから罪にも問えないし、それに他にも盗まれているかもしれない……)
さっきの屈辱にまみれた二人の顔を思い出すと、また危険な目に合いそうでゾッと寒気がしてくる。するとその不安を感じ取ったのか、カイルがそっと私の肩を抱き寄せジャレドに質問し始めた。
「それよりも、サクラの魔力はもう戻らないのですか?」
「戻るよ。時間はかかりそうだけど」
「え! 本当ですか!」
嬉しくて思わずカイルと顔を見合わせた。けれど師匠は眉間にシワを寄せ「でもね〜」と話を続ける。
「少しずつだよ。今の君の魔力は枯井戸みたいなものだから。何回か君のなかに聖魔力を呼び水のように入れていけば、もとに戻ると思う。でも呪われてた期間が長いから、定期的に誰かの聖魔力を入れてもらわないと――」
「その役目は俺がします!」
すぐさまカイルが手を挙げた。真っ直ぐな目で師匠を見つめ周囲の人たちも「でしょうね」という顔で見ていて少し気恥ずかしい。師匠だけが「良かったね〜」とヘラヘラ笑っている。
「じゃあサクラの魔力回復はそれでいいとして、あともう一つの忘却の呪いを解くのは簡単だよ。国の結界を壊しちゃえば術式も崩れるから、みんなサクラを思い出す。王太子のアルが許可を出せば一気に解決!」
その言葉に皆がアルフレッド殿下のほうを振り返った。私の肩にあるカイルの手にもグッと力が入る。しかしそんな期待を一心に浴びている殿下は、しばしうつむいた後首を横に振った。
「……申し訳ないが、国の結界を壊す許可は出せない」
(まあ、そうだよね……)
予想していた返事だったが、唯一カイルだけが殿下に対して声を荒げた。