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10 仮の名前

 あり得ないことが起こった。私は今日処刑されて死ぬはずだったのに、今はなぜかカイルに抱きしめられ優しく頭をなでられている。



(私のこと思い出してくれたのかと思ったけど、違うみたい……)



 それでも私の処刑に反対し、命がけで助けてくれた。それは私が知っているカイルそのものだ。浄化の旅に出た時も瘴気でおかしくなった動物に襲われると、いつも体を張って皆を助けてくれた。



 師匠のジャレドの女遊びが嫌いで、正義感の塊。時々融通がきかない時もあったけど、弱い立場の人にいつも思いやりをもっていた。



(そうだわ! 今の私は彼にとって、守らなくてはいけない弱い立場の人間。恋人に戻った気になったらダメだ!)



 だって彼はアンジェラ王女の婚約者。否定する様子もなかったし、事実なんだろう。それなら私の無実が証明されても、失恋確定だ。



(とにかく涙も止まったし、彼からは離れよう。適切な距離を保っておかなきゃ、あとで傷つくのは私だもん……)



 カイルの胸をトントンと叩き、ペコリとお辞儀をした。そういえばこの国にはお辞儀の文化がなかった。いつも私がお礼を言うとペコリ、謝るとペコリとするので、みんな次第に真似するようになったっけ。



 そんな懐かしいことを考えていると、カイルは不思議そうに私の動作を見ていた。やっぱり覚えていないみたい。少し淋しいけどしょうがない。私はスッと立ち上がると、改めて「ありがとう」と口をパクパクさせ、深々とお辞儀をした。



「お礼を言っているのか? 気にしなくていいのに」



 どうやら感謝の気持ちは伝わったみたいだ。でも「ありがとう」の口の動きは読めないようで、言葉は伝わらなかった。ここに召喚された時も自動翻訳って感じだったもんね。私の口の動きは日本語のままなんだろう。



 それでもカイルはお礼を言われたことで、嬉しそうにしている。言って良かった。



「まだ昼前だけど、食事を取っておこう。その間にこれからどうするかを説明する」



 そう言うと、カイルはテキパキと食事の準備を始めた。懐かしいその動きに、目の奥が熱くなってくる。旅に出た時もこうやってカイルや教会の世話係だったアメリさんが、食事を作ってくれた。



(それにしても、マントの裏にいろいろ隠し持って来てたんだ。これって、あらかじめ準備してくれたんだよね)



 昔、一度カイルのマントを着させてもらったことがある。その時は防御の魔術が施してあるただのマントで、今みたいに食料などは隠されてなかった。



「さ、できたぞ。パンと燻製肉だが、食べれそうか?」



 そういえば私は丸一日何も食べてない。差し出されたのは、美味しそうな白パンとベーコンのサンドイッチ。一気にお腹が空いてきて、うなずくよりも早く私のお腹がぐうっと鳴った。



「はは! 良かった。安心したら腹がへっただろう。ゆっくり食べるといい」



(……恥ずかしい。でも体力つけなきゃ、足手まといになっちゃう。よし! 食べよう! いただきま〜す)



 自然と食べ物の前で手を合わせた私を、カイルはまた不思議そうに見ている。そういえばこの「いただきます」も、食材や料理をしてくれた人に感謝の気持ちを伝えているんだよと言ったら、みんな感激して真似してくれたっけ。



 そんなことを考えていると、またじわりと涙が出そうになる。



(やばいやばい! すぐに思い出に浸って感傷的になっちゃう! 食事に集中しなきゃ!)



 気を抜くとすぐに泣いてしまいそうだ。私はそんな気持ちを振り払い、ガブリとサンドイッチにかぶりついた。



「いい食べっぷりだな。お茶を飲まないと喉につまるぞ」



 言われたとおり手渡された温かいお茶で飲み込むと、喉から胸、そしてお腹にじんわりと温かさが通っていく。



(私、本当に生きてるんだ……)



 美味しい食べ物に、温かいお茶。それらが一気に体に入ったことで、どこかふわふわしていた現状に実感が湧いてきた。私がまたカイルにペコリとお辞儀をすると、カイルは「それはお礼の動作なんだな」と笑っている。



 出された食事を全部食べ終え、二杯目のお茶を飲んでいると、カイルが地図を広げてこれから行く場所の説明を始めた。



「まずは、このケーナという町に寄るつもりだ。そして最終的には聖教会に行こうと思っている」

「……っ!」



(嬉しい! 教会に連れてってもらえるんだ!)



 私があからさまに喜んだ顔をしたからか、カイルは「教会に縁があるのか?」と聞いてきた。私はもちろん勢いよくうなずいた。



「……そうか。信心深いのだな。それなら教会の信者として、名前が残されているかもしれない。君のことを覚えている人がいればいいのだが」



(う〜ん。でも皆忘れてるみたいだから望みは薄いよね。それとも教会パワーで覚えてくれてるとか?)



「教会なら事情を話せば、君を匿ってくれるだろう。……そういえば、君の名前はなんと言うんだ? 文字は書けるか?」



 残念ながら、私の会話は自動翻訳で文字は読めないし書けない。私は首を横に振って否定した。疑われるかもしれないけど、本当のことを言うしかない。



「……そうか。読むこともできないのか?」



 コクリとうなずくと、カイルは険しい顔をし始めた。この期に及んで協力的じゃないと思うだろうな。そもそも私はこの国で王宮に無断で侵入した犯罪者だ。今の優しい態度のほうがおかしい。



「そうか。わかった。それなら仮の名前をつけていいだろうか?」



 意外にもカイルは優しい態度を変えなかった。それどころか私に名前をつけてくれるという。



(名前ならあれがいいな……)



 私は落ちていた小枝を拾うと、地面に花の絵を描き始めた。それはこのオズマンド国でも暖かい季節に咲く、桜によく似た花。カイルと一緒に眺めたことがある、思い出の花だ。



「ん? この絵は花か? ああ、この名前にしてほしいということか?」



 カイルはすぐに理解してくれ、私を見てニッコリと笑っている。そして私に手を差し出し、立ち上がらせた。



「じゃあ、今日から君の名前は、サイラだな。良い名前だ」



 ――サクラの名前はサイラと似ているんだな。オズマンドふうの名前だ。俺たちの子どもが女の子なら、サイラにするのもいいな!



 プロポーズしてくれたあの日、満開のサイラの下で、カイルはそう言って抱きしめてくれた。



(もう一度、彼を取り戻したい……どうすればできるの?)



 私は彼のまぶしい笑顔を見つめながら、絶望の中に一縷の光を探っていた。


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