09 ある男の決意 カイルSIDE
「…………っ!」
牢屋から連れ出された彼女は、たった一晩で今にも倒れそうなほど弱りきっていた。顔は青ざめ、頬には涙の痕が痛々しいほど残っていた。
大きな瞳はただ虚ろで、何も見ていない。処刑が行われる聖女の崖に到着してようやく、俺の存在に気がついたようだ。一瞬目を見開き驚いた顔をしていたが、これから行われることを理解し、そっと目を伏せた。
その健気な姿に、胸がえぐられるような痛みが走る。
(あと少し、あと少しで君を助けてあげられる!)
細心の注意を払って、王女を欺かなくては。少しの違和感でも感じさせたら、彼女を突き落とす役目を他の者に譲るだろう。いや王女本人が、やるつもりかもしれない。
そうなったら全てが台無しだ。王女が剣を持つ腕をわざと前に動かし彼女を傷つけようとも、気付かないふりをしてやり過ごした。
「……悪く思わないでくれ」
これから俺がすることは、君を助ける行為だ。だからどうかこのまま動かないでほしい。俺に身を任せて、一緒に崖から飛び降りてくれ。
ゆっくりと一歩、前に踏み出した。その時だった。ガラガラと王女を乗せた馬車が動き出す音がした。ケリーだ。作戦どおり部下のケリーが王女の視線をそらすため、馬を動かしてくれた。
(今だ!)
俺は彼女に体当たりするように、後ろからぎゅっと抱きしめ、崖から飛び降りた。
「目を閉じてくれ!」
飛び降りてすぐに転移の魔術を開始する。無事、魔術は発動し、俺たちの体はまぶしい光に包まれた。
「うっ!」
ドスンとどこかの地面に着地し、俺は彼女を抱きしめたまま転がった。あわてて体を起こし彼女を抱えると、柔らかそうな草の上に座らせる。
「大丈夫か? 怪我はないだろうか?」
「…………」
目の前の彼女は俺の顔を見ても、キョトンとした顔をしている。何が起こったのかわからないのだろう。キョロキョロと辺りを見回すと、今度は俺の顔を手のひらでペチペチと叩いていた。
「本物だ。君は死んでないぞ」
「…………?」
それでも首をかしげ、なにか考え込んでいる。しばらくしてハッと思い出したように自分の頬をつねると、ようやくこれが夢じゃないとわかったようだ。顔を上げ、再び俺の顔を確認すると、瞳を大きく見開き口をパクパクさせている。
(はあ……かわいい)
どうやら俺の心のタガが外れてしまったようだ。今まで押し込めていたぶん、一気に目の前の彼女に対しての気持ちがあふれてくる。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ」
彼女の体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。するとやっぱり状況がわからないみたいで、腕の中で首をかしげている。その動きすらもかわいくて、ますます彼女を抱きしめる力が強くなる。
「なにかの理由で言葉が話せないけど、俺が言っていることは理解できるんだよな?」
よく咳き込むところをみると、おそらく喉に怪我をしているのだろう。そう言うと、彼女はコクコクとうなずいた。
「それなら、今日起こったことを説明させてほしい」
俺は彼女の容疑が決まっていないまま強引に処刑されそうだったこと。それに俺は反対していること。処刑を止められなかったため、転移で一緒に逃げたことを伝えた。
最初は目を白黒させて驚いていた彼女だったが、今が安全な状態になったとわかったからか、表情豊かに聞いていた。眉間にしわを寄せ怒ったり、俺が処刑に反対して一緒に逃げることにしたと伝えると、うつむいて赤くなっている。
(やっぱり俺は、彼女が悪人だとは思えない……)
すると彼女は急に俺を指差した。そしてすぐに自分を指差し、首をかしげるポーズをしている。何かを伝えたいのだろう。俺がじっと見ていると、同じ動作を繰り返し、その後ピョンと飛び込む動作をした。これは、もしかして……。
「どうして一緒に崖に飛び込んでまで自分を助けたか教えてほしい、ということか?」
当たりだったようだ。彼女は顔を赤くしてコクコクとうなずき、俺の答えをじっと待っている。
(そうだな。俺ですら昨日初めて会った女性に、こんな気持ちを持っていることを説明しようがない。彼女も騎士の俺が侵入者の自分になぜここまでするのか、不思議でしょうがないのだろう)
聖魔力や共鳴していることなどを話しても、彼女はもっと混乱してしまいそうだな。俺は彼女の手をぎゅっと握りながら、今思っていることを素直に伝えた。彼女に届くように、ゆっくりと。
「君を助けたかった。ただ、それだけだ。これからは、俺が君を守る。だからもう、泣かなくていい」
返事を聞いた彼女は無表情だ。しかし、みるみるうちに大きな瞳に涙がたまり、あふれ始める。止まらない涙をそっと指で拭うと、彼女はクシャリと顔を歪め声を出して泣き始めた。
「ああ、ああ……ううう……ゲホッゲホッ」
「そうか、泣くのも苦しいのか」
かわいそうに。それなら昨夜は、どのくらいの痛みを伴って泣いたのだろう。いや痛くてもいいから、泣きたかったのか。そのくらい悲しく淋しい夜を過ごしたのだ。
こんなか弱い体で。彼女が着ている服はもうドロドロだ。髪もボサボサで寝ていないのだろう。目の下のクマもクッキリと出ていた。
――彼女は俺が命をかけて守りたい
もうそれが勝手に頭に響く声なのか、俺の本心なのかもわからない。
(それでも今は、これが正しいことだと思う)
俺は声を出さないよう静かに泣く彼女を、いっそう強く抱き寄せた。