007 味方はできず、ただ作ろうとするのみ
「え、あ、いや……知りません。ごめんなさい…………」
「ああ……はい、大丈夫です。ありがとうございました。失礼します」
いじめの影響力は私の予想以上だったらしく、隣のクラスを訪ねてみても、無意味に余所余所しい応対を受けてしまった。
しかし目当ての人物は登校しておらず、偶々居た担任に聞いてみても、本日欠席と返されてしまったので、仕方なく引き下がることに。
「どうしようかな……」
揉め事を早く片付けたかったのだが、肝心の留年生は今日、学校に来ていなかった。教員側も家庭の事情を理解しているのか、出席日数に問題がない限りは休むことを特別に認めているらしい。
(それだけの対応力があって、なんで私がいじめられなきゃならないのよ……)
仕方がないので、さっさとお昼を食べようと、屋上へと向かうことにした。この学校は自殺や転落事故の防止に力を入れていたので、昼休みから完全下校時刻までの間は生徒に開放されている。
だから私は、お昼休みはよくそこで過ごしていた。
変に教室に残っていても、他のクラスメイトから漏れ出てくる微妙な空気で何とも言えない気持ちになってしまう。だったらまだ、天気のいい時は外に出ていた方がましだ。
「う~ん……」
学校にも購買はあるが、私を知る同学年が一人でもいれば周囲が気を遣ってしまうのでまともに使えず、完全に足が遠のいてしまった。今は登校前にコンビニに立ち寄り、その日の昼食を買うのが日課になっている。
微妙に値が張る上に栄養価も偏るので、そういう意味でも早く料理を覚えて、お弁当でも作れるようになった方がいいかもしれない。でも……
「……お父さんのジャーマンポテト。食べたいな~」
まだ離婚する前、お父さんは晩酌のつまみにと、よくジャーマンポテトを作っていた。
ジャーマンポテトとは言っても、ただ具材をフライパンで炒めながら調味料をかけるだけの、ただの炒め物に近い代物である。しかもベーコンとか、肉類の買い置きがなければ別に要らないという、かなり適当な手抜き料理だ。
ただそれでも、私には何故か美味しく見えてしまい、寝る前の歯磨きを済ませた後でも関係なしに、よく摘み食いをしていた。
お母さんに見つかって再び歯磨きをさせられると分かっていても、私は我慢できずにテーブルの上に顔を出し、お皿の上の料理に手を付けた。でもお父さんは何も言わず、ただグラスに入れたお酒(多分、ウィスキーか何かだと思う)を傾けるだけだった。
時折私の頭を撫でることもあれば、ただ食べている様子を眺めていただけのこともある。無論、お母さんがいなければ、諸々を片付ける前に、お父さんに歯磨きさせられたのだが。
一般的に、父親は恐怖の象徴か、だらしないか情けない存在のどちらかだと思うけど……私のお父さんは、そのどれとも違った。
たしかに、仕事が休みの時はソファの上に寝転がることも多かったが、よくふらりと、散歩にも出掛けていた。小さい頃の私は何故か、それについて行きたがることが多かった。
一緒に散歩することもあれば、ソファにたむろして二人のんびりすることもある。
ただ共通しているのは、私が悪いことや危ないことをしようとしない限りは、その行動を一切止めなかったことだ。
だからだろうか。お父さんの背中やその周囲の環境を見て育った私に、善悪の判断ができる程の思考力がついたのは。
よく、『親が好き嫌いすると、子供も好き嫌いすることが多い』というように、『子供は親の背中を見て育つ』という考えを聞くことがある。そういう意味では、私は『いい親』に当たったのだと思う。
口数こそ少ないものの、その振る舞いはまさしく『立派な父親』だったのだから。
しかし……今、その父親はいない。
「……ああ、もうっ!」
面倒事は早めに片付けるに限る。
お父さんも公園の彼もいない以上、愚痴る相手は多いに越したことはない。
「問題はあの店に居るかどうか、だけね……」
まあ、居なくても調べようはある。
その手のやり方も……ちゃんと教わっているのだから。
「断る、って言ったでしょう?」
「じゃあお前、違約金払えよ」
「アホなの、あんた……」
(私もそう思う……)
正直に言って、ただただ呆れるしかなかった。
勝手にグループに潜り込み、勝手に援助交際グループに仕立て上げておきながら、いざメンバーがいなくなれば、少しでも関わっていた者を強引に働かせようとする。
おそらくは、あの留年生の目の前にいる男が、全てを台無しにしたのだろう。
目的の人物がいる場所を探り当てたので来てみたはいいものの、そこにはすでに先客がいた。見た目は大学生位だが、例え進学していたとしても、まともに勉学に打ち込んでいるとは思えない容姿だ。大方、マルチ商法とか適当な詐欺話に巻き込んで借金を持たせてから、返済の手段として援助交際を持ちかけた、と言ったところか。
厄介なのは、たとえ手数料として幾らか抜いていても、実際に援助交際した人間には必ず分け前を配っていた点だ。罪に対する後ろめたさや報酬に対する旨み、それらを相手にぶつけて支配する。
手口としてはありきたり過ぎた。
(犯罪者の考え方、って……今も昔も全然変わらないな)
物陰に隠れて聞いていると、話自体が荒れ始めている。
まあ、それは荒れもするだろう。あの留年生の彼女だって、元々は実家の為にグループを結成したはずだ。その目的を掲げる以上、彼女が違法な手段を取るなんてことはあり得ない。
(じゃなきゃ、態々私に声を掛けたりしないものね)
これからどうしようかと考え込んでいると、状況が変わった。
「最、低……」
「うるせぇよ」
人数が増えた。あの男の仲間が来たのだ。
このまま囲まれたらまずい。さっさと用事を片付けようと、放課後そのまま来たのは失敗だった。同じ学校の制服を着ている以上、真偽を問わずに関係者だと睨み、追い払うのではなく捕まえてくるかもしれない。
「さっさと逃げよ、」
肩を掴まれる。振り返ると相手は見覚えのない男性。明らかに、あの犯罪者の仲間だ。
「何見てんだよ、てめぇ……」
本当、さっさと逃げれば良かった。
「さっさと逃げれば良かったのに……」
「そう考えていたら、動く前に捕まったのよ……」
相手はそこまで多くない。最初の男と含めて四人、他にはいなさそうだ。他に仲間がいるのかまでは分からないが、大方、ただの女二人と思って油断して、この人数で出てきたのだろう。
いや、この人数の力づくで十分だと思われたのが正しい、か。
「女二人か、いい金になりそうだな」
「俺買っていいか? ギャルっぽい子って好みなんだよ」
「俺は隣の地味子ちゃんだな。絶対処女だぜ、こいつ」
(余計なお世話だ……)
地味で処女で悪かったな、と声を大にして叫びたい。着飾る趣味も安売りする貞操観念も持ち合わせていないだけなのに。
「ごめん……」
「何が?」
「……こっちの面倒事に巻き込んでしまって」
私は、その謝罪には答えなかった。
……もう、腹を決めていたから。
「一つ確認しておくけど、あいつ等に未練ある?」
「……あるように見える?」
たしかに、ここで『未練がある』とか言う奴は、頭が弱いかおかしいかのどちらかだ。彼女がどちらでもなくて、本当に良かった。
「私が囮になるから、あなたは逃げて」
「無理。最後には必ず捕まる」
「内緒話は終わったか?」
今まで小声でしゃべっていたが、向こうは聞き耳を立てるどころか、雑音として流している。
……油断し過ぎでしょう。
「じゃあどうするのよっ!?」
「ほら行くぞっ!」
彼女が叫び、男達の一人が近付いて、私の肩を掴もうとする。
「そもそも……逃げる程の相手じゃないでしょう?」
ただ私は相手の手を払ってから、その懐に踏み込んだだけだ。
「なっ!?」
今までは力のない弱者しか相手にしたことがなかったのだろう。まさか近付いただけで、ここまで動揺するとは思わなかった。
(……ま、関係ないか)
私達を拘束せず、ただ囲むだけなのは悪手だ。お陰ですぐに行動に移せる。
すでに観察は終えていた。だからどうすればいいのかが分かる。
――バチィッ!
「ぎゃっ!?」
『なっ!?』
じっと待つ理由はない。
目の前の男から掏り取ったスタンガンでそのまま持ち主の首筋に放電し、意識を飛ばさせる。
そのまま身体を突き飛ばし、二人目の鼻面にスタンガンを投げ捨てた。
「がっ!?」
大したダメージにはなっていない。多少怯んだだけだ。
だけど今は放置。三人目と四人目、最初に彼女と話していた代表格への対処が先だ。
「このやろっ!?」
拳を突き出してくるが、私が捌く方が早い。右手で払ってから相手の上腕の外側に回り、左手を伸ばして腰に差してあった特殊警棒を奪い取る。
動きながら身体を軸に回転させつつ特殊警棒を伸ばし、そのまま首筋に叩き込んだ。
「ああ、疲れる……」
「てめぇっ!?」
四人目もまた闇雲に突っ込んでくる。相手を弱者だと見下していたこともあり、脳内はまだ混乱しているのだろう。だから力任せが通用すると、未だに勘違いしている。
「ぼっ!?」
そうだとしても、私に付き合う義理はない。
また相手の懐に入り込み、鳩尾目掛けて特殊警棒を突き立てる。向こうの突進力も利用し、持ち手の尻部分を掌で固定して刺した。だから鍛えていない女の私でも、ここまでのダメージが与えられる。
「本当、これだから嫌なのよ……暴力なんて」
私は肩で息をしながら歩き、未だにスタンガンをぶつけられて怯んでいた二人目の肩目掛けて、勢いよく特殊警棒を振り下ろした。
「疲れた~……」
男達全員を気絶させた私は、留年生の彼女を連れてその場を後にした。
一応スマホを奪って警察に通報しておいたので、当分は大人しくしているだろう。できればこのまま二度と犯罪に関わって欲しくないが、そればっかりは当人達の問題だ。私がとやかく言えることじゃない。
今は私の家の近くにあるコンビニまで逃げてきた。彼女に電子マネーのカードを渡して飲み物を買いに行ってもらっている間に、振り絞ったなけなしの体力をどうにか回復させようと努める。
「ほら、飲める?」
「うん……ありがとう」
「それはこっちの台詞なんだけど……」
疲れた身体に、スポーツドリンクの冷たさが広がっていく。一緒に温かい飲み物も買ってきてくれたみたいだけど、今は欠けた栄養素の充填が先だ。
含ませるように何口か飲んだ後、私は徐々に身体に流し込む勢いを強めていく。
「ぷはぁ……美味しかった」
「あんたさぁ……」
コンビニ前で腰掛けている私の隣に、彼女も腰掛けてきた。一応入り口やゴミ箱、喫煙スペースから離れた壁際なので、邪魔にはならないと思うけど。
「さっきの何?」
「ただの護身術」
「スタンガンとかを掏り取ってたようにも見えたんだけど……」
「ただの手癖」
言いたいことは分かる。でもそんな目を向けないで欲しい。
「何、本当は裏でやんちゃしていたとか?」
「そんなわけないでしょう」
空にしたスポーツドリンクのペットボトルを傍に置き、もう一つのドリンクの蓋に手を掛けた。
「昔、お父さんやその会社の人達に教わったのよ」
「その人達は元犯罪者、ってこと?」
「……ほとんどの社員が、ね」
お父さんは、警備会社の社長だ。ただその会社は、元々は暴力団だったのだ。
今は鬼籍に入る祖父の代で解散し、裏の世界を望む者以外で立ち上げたのが、お父さんが二代目を務める警備会社だった。規模こそ小さいものの、前身が暴力団なだけに荒事には慣れていたからだ。
ただ、元暴力団な上に人気のない職種の為、求人を出しても人が集まらず、必然的に元犯罪者を勧誘して、人数を増やすしかなかった。
だから必然的に、社員の大半は『社会不適合者』であることを、彼女には正直に話して聞かせた。
「元暴力団で職業柄逆恨みも多かったから、子供の頃は護身の為に、お父さんや社員の人達から色々と仕込まれていたの」
しかし教えられたのは技術だけなので、当時の私にとっては遊びの延長にしか思っていなかった。というか体術や武器知識はまだしも、掏りの手管や諸々の犯罪技術に関しては、完全に社員の人達の暇潰しだ。
お父さんの会社は軍隊でいうところの遊撃隊的な立ち位置の為、荒事に備えていることの方が多い。そのせいで待機時間が無駄に長いのが主な原因だ。同年代が背伸びして化粧を覚えようとしている時に、私はお父さん達と訓練がてら、会社の敷地でサバイバルゲームをしていた程だ。
だから今日みたいに手を出すのは、これまでは極力避けてきた。そして今後も、不必要に使う気はない。
「それ、最初から使えば……いじめられることはなかったんじゃないの?」
「家庭の事情込みで色々と面倒だから、目立ちたくないの」
身体が温まってくる。さすがに日が暮れてきたのでもう冷えているかとも思ったが、ペットボトルの中身はまだ大丈夫そうだった。
「それにほっといても自滅していたし」
「まあ、そうだけど……」
微妙に納得していなさそうだった。けど、こればかりは私個人の事情だ。無暗に踏み込ませるのは間違っている。
「じゃあ、私は帰るから」
「あ、うん。今日はありがとう……」
私は微妙に照れ臭くなり、さっさと立ち上がって、逃げ帰ることにした。
「……あ、ちょっと待って」
不意に後ろから掛けられた声に、私は足を止めて振り返る。
「今日はなんで私の所に?」
「…………ああ! そうだった」
すっかり忘れていた。
若干の打算はあったとしても、所詮はきっかけに過ぎないのだ。ただ相手を気に入れば、その分だけ付き合いを続けていけばいい。
「私達……友達にならない?」
友情なんて、その程度で十分だ。
**********
「あの娘……一体何者?」
コンビニから少し離れた路地裏に、とある女性がいた。大学生でも通じそうな見かけをし、二十代半ばの社会人に見せかけてはいるが、実年齢はすでに三十路を過ぎている。彼女は興信所勤めの探偵だった。
業務提携している弁護士事務所から依頼を受けて不倫調査をするのが主な仕事だが、定期的に収入を得られるわけじゃない。生きていく為にも、副業代わりに芸能人の醜聞を追いかけていることもざらだ。
コンビニで屯している彼女達は気付いていなかったみたいだが、あの男達はモデル崩れの半グレだった。女を斡旋して業界のコネを作るような、最低な考えを持つ連中だ。
いざとなれば助けに入ろうとしていたのだが、まさかあっさり逆転するとは思わなかった。今は謎の女子高生の正体を探ろうと尾行しつつ、愛用のカメラで撮影を続けている。
調べるのは後回しにして、今は写真を残すことに専念する。
ただ……被写体である彼女達に、意識を割き過ぎた。
「……手持ちのカメラを全部寄越せ」
その女性の後ろには、いつの間にか一人の男が立っていた。
「それって新しい『久し振り』の挨拶?」
声や、後頭部に当たる固い感触に心当たりがあるのか、一切抵抗せずに従う姿勢を見せている。
「なわけないだろ」
三十代前半位で薄汚れた服を身に纏った、乱れた髪の目立つ男性だった。女性からは見えないが、表情は相当荒れている。
女性は素直に手持ちのカメラとスマホを後ろ手にして、男性に渡した。
「ガスガンでもこの距離なら致命傷だって、知っているでしょう?」
「残念だがな……」
スマホのデータを抹消してから近くにあるゴミ収集庫の上に置き、男はようやく銃口を降ろした。
「……まだ人相手に撃ったことはないから分かんねえよ」
ガスガンは仕舞わずに、スマホの横に置く。両手でアナログカメラを操作して蓋を開け、フィルムを感光させて駄目にしてしまう。これで現像はできなくなった。
「いつこっちに?」
「つい最近、な」
フィルムを抜いたカメラを置き、代わりにガスガンを握る。しかし銃口は向けず、ただ持っているだけだった。
「この間見かけた時は驚いたよ。前は別の街で仕事していただろう?」
「あなたと別れてから何年経ったと思っているのよ……」
規模の大きな興信所だと、定期的に支店の人間を入れ替えることもある。考えすぎかもしれないが、顔が割れてしまうと尾行等の調査に支障が出てしまう。仕事上遠出することも多いが、拠点が変わらなければ地域もおのずと絞られ、身バレしやすくなるからだ。
「最近、大口の仕事が入ったの。その増援も兼ねて、こっちへ転勤になったのよ」
「そういうことか……」
銃口を降ろされたこともあってか、女性は男性の傍へと近寄ろうとする。しかし、ガスガンの握られた手を持ち上げる気配がした為、途中で足を止めてしまう。
「カメラは……これで全部か?」
「なんならここで剥く?」
「いや、ならいい……」
ガスガンを懐に仕舞い、男性は女性に背を向けた。
「職場はそのままなんだろう? だったら他のコネで潰す。もうお前とは関わりたくない」
「何? あの時のこと、まだ根に持ってるの?」
「当たり前だろうが、」
女性の視界から消える直前、男性は一言だけ吐き捨てていった。
「あの時俺を裏切ったこと……絶対に許さねぇからな」
そして消えゆく男性の背に向け、女性もまた一言だけ漏らした。
「自業自得でしょうが……相変わらず、心の狭い男」