018 離婚した本当の理由
ようやく……全てが繋がった。
両親が離婚したのは、私をお父さんの会社の厄介事から遠ざける為でも、お母さんが実家の件にケリをつける為でもない。
お父さんに恨みを持つ人達が、お母さんの実家を利用して……私に近付くのを防ぐ為だった。
離婚して繋がりを絶ったことにして、その間にお母さんの実家に対処するのが目的だったのだろう。日本には実質的な終身刑が存在しない以上、仮釈放が認められる可能性もあるから。
実際、公園の彼も模範囚として、仮かもしれないけど釈放が認められたから、早めに出てこられたのだ。他に刑期が早まる例があってもおかしくはない。それに、お父さんも模範囚の可能性を考えたから確認しにきて、偶々彼に会ったとも考えられる。
その代わりにここにいるおばあちゃん達には会えず……下手したら、今でも行方を探っている最中かもしれない。
だた……そうなってくるとますます、簡単にでもいいから、先にお母さん達に連絡を入れておかなかったことを後悔してしまう。相手に敵意があることは疑えても、まさかそれすらも利用されているなんて、考えが及ばなかった。というより、考える気が失せていた。
やっぱり私は……応用問題が苦手だ。こんな複雑な状況になってくると、さすがに思考が追いつかなくなってくる。
……とかなんとか色々と考えちゃったけど、大事なのはその事実じゃない。
うん。いいかげん現実を見よう。
――キィン……!
「……十手、じゃないな」
「タクティカル、ペンよ……特別製のねっ!」
弁護士の振りした犯罪者に蹴りを放つも、さすがに女子高生の攻撃は通用しなかった。男は懐から抜いたナイフ片手に距離を取る。
そして男は、柄から手を放した。私の隠し持っていたタクティカルペンに防がれ、刃が完全に折れてしまったからだ。
「な、なな、」
「うるさいっ!」
自分勝手なおばあちゃんを怒鳴って黙らせたのはいいけど、状況は完全にまずい。
相手はプロだ。どこまで強いかは分からないけど、少なくとも私より格上なのは確実。
さっきのは峰打ちだったみたいだけど……それだけで私が殺されない、なんて話になるとは限らない。目的次第とはいえ……この時ばっかりは、自分が女として生を受けたことを恨めしく思う。
犯される可能性は無きにしも非ず。私の外見、地味だけどブスじゃないらしいし。女に生まれたからって、美人じゃないのに襲われるとか……正直ちょっと損した気分だった。くそぅ。
おまけに、こっちは真面目な高校生だ。普段から武器を持ち歩くなんて中二病も危険思想も持ち合わせていない。だから今持っているタクティカルペンも、結構ギリギリだ。
……あの犯罪者も、あながち間違ったことは言っていない。
柄が傷んで棒身が剥き出しになった十手が安く手に入ったからと、社員さんの一人がタクティカルペンに改造した。それを誕生日プレゼントとして昔、私にくれたのがこれだ。
下手な刃物よりも頑丈だからさっきは防げたけど……できれば使いたくなかった。これ、普通に重いし。
というわけで……女子高生が無駄に重いペン一本でどうこうするなんて不可能。前に蹴散らした援助交際の元凶達より人数はいないけど、危険度合いが段違い。むしろあっちの方が楽だった。
「そういえば昔、お父さんが言っていたわね……」
「ほう……何と?」
タクティカルペンを逆手に構え直した私は、そのまま言葉を続けた。
「……『大事なのは状況を見極めること』、だって」
それは……私が観察を教わる上で、いつも言われていたことだ。
観察が重要となる最大の理由は、常に状況を正確に判断し、最善の選択を行えるようにすることだと。
戦闘だけじゃない、人生の全ては選択の連続だ。運試しの要素は仕方ないけれど、それ以外では選択肢を間違えないだけで、大体の状況はどうにかなる。
そして……それはもちろん、格上の相手に襲われた場合も含まれていた。
「だから……」
たとえば……『逃亡』と『撤退』の違いとか。
「だから……勝てないから逃げます。じゃっ!」
タクティカルペンを構えた手を挙げ、私は応接室のドアに向かって駆けた。
おばあちゃんは無視、仕込みはしといたから、後はお母さんに押し付ける。そもそも私の管轄外っ!
「まっ、」
犯罪者が何か言ってくるけど、私はそれも無視して叫んだ。
「『起爆っ!』」
――パァンっ!
「なっ!?」「きゃっ!?」
爆発したのは、私のスマホだった。よし、驚いてる驚いてる。
これも特別製のアプリがなせる業だった。事前に起動しておけば、音声認識でパスワードを検知した瞬間、バッテリーに負荷を掛けてスマホ自体を強引に自爆させられる。
詳しい理屈は知らないけど、故意にスマホを爆破すること自体は、そこまで難しくないらしい。ましてや、遠隔操作の必要がない分、下手な不正アクセスよりも楽だとか。
……あ、設定したパスワードはわりと適当。というか面倒臭くで、単純な『起爆』で済ませちゃった。一応格好付けて、英語にはしといたけどね。
とはいえ……所詮は市販品のスマホだ。爆発の威力は大したことない。
けれども、相手の気を逸らせるには十分だった。
「待てっ!」
待てと言われて、待つ人はいない。ましてや、自らの命(もしくは貞操)の危機で足を止める人間なんて、危機管理が欠如しているか他に何かしらの問題を抱えているに決まっている!
私は応接室を出て、廊下を走った。校則より大事な命や貞操を守る為に。
「あれ? あなた、」
「警察もしくは家に連絡お願いします!」
丁度様子を見に来た先生に一言叫んでから、私はその横を駆け抜けて、校舎を後にした。正直期待していないけど、言っておいて損はない。状況も端的に伝えられるし。
ちなみに上履きだけど、体育館用の運動靴を履いていたので、そのまま外へと飛び出していける。これも事前に準備した、と言えなくもないけど……本当はデッキシューズが偶々なかっただけなんだけどね。
雨風に晒されている屋上通いが祟ってしまい、汚れが目立って来ちゃったから、洗う為に持ち帰ってたんだけ、ど……乾かしたまま、持ってくるのを忘れちゃってました。
しかし、何事も結果オーライ。
「どけっ!?」
「きゃっ!?」
後ろの方で先生を突き飛ばして追いかけてくる犯罪者を背に、私は学校から飛び出した。
**********
――ブーッ!
「うわぁ……状況最悪みたい」
校舎裏にある駐輪場にて。
土足に履き替えた二人組。その少女の方は、スマホの画面に出た通知を見て、思わず呻いた。
通知こそ表現が適当に暈されているが、内容は端的に言えば『自爆』。つまり事前に聞いていた通り、持ち主が別のスマホを爆破したということだろう。
二人はスマホの持ち主に頼まれて、いつでも脱出できるよう、物を回収してから駐輪場に来ていた。
何かあればこのスマホに登録されている番号に状況を連絡、もしくは叩き壊してから逃げろと言われている。だから通知が来た途端、バイト通勤用に使用している原付スクーターのエンジンを掛けていた。
「じゃあ電話するから、見張りよろしく」
「はいはい」
そして少年が周囲を警戒する中、少女は電話を掛けた。事前に教えられた通り、緊急通話の画面で、指定された番号を入力していく。
相手は持ち主の関係者で、普段はその母親のスマホに繋がるようになっているらしい。
『…………はい』
しかし電話に出たのは、男の声だった。手の空いている誰かが対応してくれるとの話なので、もしかしたら持ち主の父親かもしれない。
おそらく、母親の方は手が離せない状況なのだろう。その可能性も一応聞いていたので、少女は手早く、事前に頼まれていた内容を伝えた。
「伝言です。『公園に逃げ込む』と伝えればいいと言われたんですが、」
『ああ……分かった、了解した。そのスマホを置いて、今すぐそこから離れて。このお礼はいずれ』
それだけ言うと、相手の男はすぐに電話を切った。
この後どうなるのかは分からないが、少なくとも、二人にできることはもうない。
「……終わった。行くわよ」
「ういっす」
すると、少女に声を掛けられた少年は言った。
「にしても……こういう場合って、命懸けで助けに行くとかじゃないのかなぁ? 物語的に」
「いや、これ現実だから」
少女はヘルメットを被りながら答えた。
「友達だからってね、必ず命を懸けなきゃいけない決まりなんてないの。助けになるならまだしも、邪魔にしかならないなら言う通りにするのが一番。それが本当の友情」
そして、こればっかりは完全に荒事。このスマホの持ち主の領域だ。
ただの少年少女に、これ以上できることは何もない。命を懸けるだけ無駄、最悪人質に取られて、彼女の足を引っ張る事態になればどうなることか。
「というわけで、さっさと逃げるわよ」
スマホを適当な自転車の籠に投げ入れると、少女は両手で原付スクーターのハンドルを握った。行き先は彼女が行くと言っていた公園の反対方向。たしか交番があったはずなので、しばらくその近くに隠れていればなんとかなる。心配なら警察に駆け込めばいいし、問題なさそうなら日暮れまでに帰ればいい。
そう考えて、事前に目的地を選んでいた。
「ところで……俺のヘルメット、」
「そしてこれも現実」
少年の疑問を遮り、少女は言う。
「原付(一種)スクーターの二人乗りも、立派な定員外乗車違反だから」
少女は原付スクーターを走らせた。
「じゃ、また後でー……」
そう言い残して去っていく少女を見送る形で呆然としている少年。
「……って、ちょっとっ!?」
やがて、置いて行かれたことに気付いた少年は、慌てて少女の駆る原付スクーターを追いかけていった。
無論、走って……
**********
「えっほ、えっほ……」
……って、実際に言ってみたけど、もう呼吸の邪魔だから止めよう。そもそもこれ、足が速くなる掛け声じゃなかったと思うし。
私は公園へと『撤退』していた。単に状況が辛くて『逃亡』しているわけじゃない。
公園には彼がいる。もしかしたら、武器とかの備えもあるかもしれない。少なくともガスガンはあるはずだ。整備していればいいけど……
『『逃亡』はただ逃げ出すこと。まだ逆転の目があるなら、それは『撤退』だ』
昔、お父さんにそう言われたことがある。
ただ諦めて『逃亡』するだけだと、物事は何も解決しない。自分一人じゃ解決できない状況に遭遇した場合、感情的にぶつかったり逃げ出したりして思考を放棄することは、世間的な敗北を意味する。
だから、立ち向かうにしても逃げ出すにしても、必ず次へと繋がる『撤退』を選ばなければならない。『逃亡』自体は誰でもできるけど、そんなことを続ければ先が見えている。
そして私は……まだ生きている。冷静に思考もできる。身体も万全。逃げ込む先も分かっている。だから私は公園へと『撤退』した。
……生き残る為に。
「というか、今、思ったけど……親権取ったの、絶対お母さんの我儘だっ!」
他にも理由はあるだろうけど、二つ程、大まかな心当たりに思い至った。
1、『私にお父さんを独占して欲しくなかった』
2、『お父さんが傍にいなくて寂しい気持ちを、娘の私で誤魔化そうとした』
のどちらか、もしくはその両方だろうけど……駄目だ。
ただでさえこっそり会いに行くような人なのだ。もし親権を持ったのがお父さんの方だったら、絶対離婚なんてしなかっただろう。状況度外視で話自体をうやむやにしかねない。
なにせ虐待された人生を送った人だ。自分の夫に対する執着が強くなりすぎて完全にヤンデレ化しちゃってる。だから多少妥協する意味でも、私の親権を取った可能性があった。
お母さん、自分の娘にすら嫉妬するからなぁ……
「待てこらぁっ!」
「まずっ!?」
私は走った。少しでも速くなるよう、大きく腕を振って。
もう公園は見えてきた。向こうもなりふり構っていられないのか、人の目すら気にしている様子はない。
急がないと……ここまで『撤退』した意味がない。
「よっ、と!」
入り口まで向かっている時間はない。
私は公園を囲っている柵によじ登り、そのまま乗り越えた。体操着穿いてて良かった……
「このっ!」
向こうも乗り越えてきたが、その間も私は足を止めなかった。向かうのはいつものベンチ、そもそも何かあれば、すぐに分かる仕掛けがこっそりしてあってもおかしくない。
用心深く、一つの目的に向けて突き進む。
それを考えるだけで、私は両親の子供だって実感できた。用心深く私に護身の手段を教え込んだお父さんに、何年も掛けて実家に復讐を果たしたお母さん。
内容は一般家庭に比べると酷く思えるけど、これだけは断言できる。
明らかに欠点だらけかもしれない。それでも……
……それでも私は、両親が大好きだ。絶対に生き残って、また三人で一緒に暮らしたい。
だから私は走った。生き残る手段を求めて。
「……あれ、お嬢?」
どこかへ行っていたのか、丁度彼が、いつものベンチに向かっているところに遭遇した。
「どうかしたのか? 随分慌ててるみたいだけど」
「はぁ、はぁ……」
ここまで走って来たせいで、呼吸が完全に荒れている。やっぱり体力付けよう。
このまま話しても絶対に通じない。発した言葉自体、理解できないだろう。
だから、私は真っすぐ後ろを指差した。
「……おーけー、分かった、逃げよう」
百聞は一見に如かず。
駆け付けてくる自称弁護士の犯罪者を見て状況を理解したのか、彼は私を担いで速やかに逃走し始めた。
これが『撤退』であることを、彼が状況にビビって『逃亡』にならないことを密かに祈っている。
……じゃなきゃこの人、本当にただの給料泥棒になっちゃうし。