妖精の取り替えっ娘 ~ エドガー探偵事務所
※ 妖精の取り替えっ娘
書斎に戻ったエルマーは慌ただしかった一日を振り返りそして頭をかかえた。
イサベラをどう扱うか?エルマーはこの面倒な問題を二ヶ月の間先送りしてきたのだから。
イサベラは僕の助手と言う事になっている、たがイサベラがあまり役に立っているとはひいき目に見ても言えない、彼女もそれは解っているようだ。
そして彼女には色々隠し事をしていた、その事で彼女を傷つけてしまったと自覚している。
イサベラはずいぶん辛そうだったな。
あれは父がインドから帰ってきたすぐ後の事だった、オブライエン博士に招かれ彼の家でイサベラと初めて出会った、まるで人形のようなどこか作り物めいた容姿の子供だった、彼女はあの時まだ10歳に満たなかった。
彼女の個性的な容姿のせいで好き嫌いが分かれる、僕は浮世離れした美しい少女だと思ったが、妹どころか親戚の子供といった感じで、あのころは女性として意識しようがなかった。
それでも長年の家族ぐるみの付き合いで彼女にはかなり懐かれたと思う。
だが博士が急死していきなりここに飛び込んできたのには驚いた。
その兆候は前からあったんだ、イサベラが彼女の親戚から避けられていたのは感じていた。
彼女が『妖精の取り替えっ娘』と親戚から呼ばれていたのを知っている、その理由まではわからない、オブライエン夫妻はこれに触れたがらなかったからね。
彼女の親戚は口では彼女の将来を心配するような態度を示したが、関わり合いを持ちたくない本音が透けてたな、そうでなければ僕と一つ屋根の下で暮らしている事を放置するわけがない。
僕がどうイサベラを思っているのか?
彼女の性格も容姿も好ましいと思っている、でも年が離れている上にずっと彼女の成長を見てきた、どうしても幼い頃のイサベラの記憶に引きずられる。
彼女も17歳になったはずだが心身共に2~3歳幼く見えるけどね。
今のままでは僕のかかえた秘密をどこまで教えるべきか決められない。
危険な事に巻き込まれる可能性がある、突き放すにしても彼女には行く場所が無い。
いずれにしろ今のままで良いわけがない、でも変えるのも正直怖い。
まさか養子にする?絶対にイサベラは認めないな・・・それに僕の気持ちはほんとうのところどうなんだ?
※ 遠い日のイサベラ
父がインドから5年ぶりに帰ってきてから、物事が一気に動き出した様な気がする。
人間に近い機械や人工的な知性の第一人者のヒギンス教授のゼミに参加できる様になり、いろいろ友好関係が大きく広がった、今も化学者のオブライエン教授の自宅に招かれている、ヒギンズ教授より個人的にはオブライエンのほうが気が合うのだ。
「イサベラおいで」
父親のオブライエン教授によばれ、奥から一人の少女が現れた、僕は彼女を見て軽い衝撃を受けた、まるで薄暗い部屋の奥から人形が歩いてきたと一瞬錯覚したからだ。
「彼が友人のヒギンズの研究室の学生のエルマー=ワイルド君だ、将来有望な研究者の卵だよ」
「私はイサベラ、貴方がエルマーですか?」
奇妙な挨拶に苦笑しながら、少女を眺めた、年齢は10歳に届いて無いだろう、7~8歳と当たりを付けた。
なかなか美しいが、どこか不安を覚える容姿をしている、先ほどの人形のように感じた錯覚を思い出した、しかし大きな蒼い瞳が美しい、だが瞳を覗き込むと深い湖の底に引きずり込まれる様な感覚を覚える。
「あなたはお父様の助手なの?」
「ぼくはヒギンス教授の生徒です、分野、イサベラにはまだわからないかな、学部が違うのです」
「なら私にもお父様の助手になるチャンスがあるわね」
オブライエン教授は苦笑いを浮かべながら娘が可愛くてしょうがないのが伝わってくる。
僕には娘をかなり甘やかしているように思えるが。
「なんとなく気に入ったわね、友達になってあげてもいいわよ?」
つい笑みがこぼれてしまった、子供らしい尊大さも幼い美少女ならば印象が変わるものなのだと感心した。
「ねえ?私とあそびなさい」
僕はここで困惑してしまった、さすがに子供の遊びに付き合う方法が思いつかない、せめて男の子ならなんとかなるのだが。
「何をしたら良いのかな?」
「難しくはないわ、少しまってて」
イサベラは奥の部屋から数冊のスケッチブックとパステルセットを持ってきた、中流以上の家庭でなければ子供には与えないものだろう。
そこにはとりとめのない絵が書き連ねられている、中には大人が書いたと思われる絵も混じっている、成人の女性が椅子に座っている絵だ、目の前の少女に似ているのは明らかだった、その絵の中の女性は落ち着きとても幸せそうだ。
オブライエン教授が微笑みながら指摘した。
「それは私が描いた絵だよ、イサベラが大人になった時の絵を想像で書いたのだ、イサベラからねだられたからね」
僕の予想は的中した。
「おお、こちらは妻が描いたものだ」
病弱なオブライエン夫人は療養中でこの家にはいない。
その絵は健康そうで活発そうな勝ち気な美しい女性が描かれている、イサベラの大人になった姿だろう、両方ともオブライエン夫妻の愛情が感じられる感じの良い絵だ。
「ねえエルマー、あなたにも絵を書いてほしいの、もちろん私のこれからの絵よ?」
この少女の奇妙なオーダーに答えてやる事にした。
『そうだあの時僕はどんな絵を描いたんだっけ?』
※ 父の戦友からの手紙
回想から一息ついて改めて机の上の封筒を調べる事にした。
『ランカシャー州モーカム市・マーリンロード5-11-23
ハーバート・ウェストスミス』
エルマーの父の同僚だった男からの返信だ。彼は父が所属していた大隊の中隊長を勤めていた。本土に駐留している部隊は、その原隊の置かれた地方の兵員で構成される事が多い、だから退役後も人間関係が維持されやすい。
ところがインドに派遣されていた父の場合、仲間の英国人は将校が中心で、兵員の多くは現地人だったのだ、英国人でインド時代の父に関係する人間がそもそも非常に少ないんだ。
インド軍は現地在住のイギリス人が将校を務める事がほとんどらしいが、父の部隊は特別だったのだろうか?
それにしても部隊の情報が極端に少ない、意図的に隠蔽されているとしか思えないな。
ウェストスミス中尉の名も父の古い手紙から突き止めたのだ、それがなければ彼の存在を知りようがなかっただろう。
にしても手紙を出したのは一月も前の事なんだがな。
封を切ろうとペーパーナイフを探すが、肘に当たったブリキの空き缶が床に転げ落ち音を立てて止まった、ついでに書類が数枚ほど宙を舞った。
「あったぞ!!」
ペーパーナイフを発掘し封を切り数枚の手紙を取り出した、それには簡単な地図まで同封されていたのだ。
手紙の内容はインドでの任務に関しては上から箝口令が出されていた事、任務の内容は本人も語りたく無く家族にも何も話していないと書かれていた。
だだ、最近状況が急に変わり、どうしても知りたいならば開封後にできるだけ早く彼の家まで来るようにと書かれている、そこで知る限りの事を教えたいと、そして渡したい物があると記されていた。
どうしても父の戦友に会いたくなった、そして彼が渡したいものに強い興味を感じた。
だが手紙を出したのは一月前だ、初めは返事を書く気がなかったということだ、状況がどう変ったのかわからないが何か切迫する状況なのだろうか?不吉な物を感じる。
だが館にイサベラと2体の自動人形を残してモーカムに向かう事に不安を感じはじめていた。
※ エルマー邸の朝
イサベラが朝食を食べ終えて居間で寛いでいるとエルマーがやって来て宣言した。
「みんな聞いてくれ、旅行する事になった、全員で行く」
突然の宣告に驚くがいつもの事だと諦観している、いつも突然何かを思い立って行動する、
良く言えば行動力があるとも言えるが、勢いだけとも言える。
「あらー、みんなと旅行できるなんて楽しみだわ、わたくし今まで外に出た事ありませんでしたから」
ブリジッドが目を点滅させながら嬉しそうに火花を吐き散らした。
「お嬢様、私も御主人様との旅行、楽しみです」
エルマーは温かい目で自動人形達を眺めていたが。
「目的地はランカスター市の近くのモーカムと言う港町だ、ここに父の部下だった人物がいる」
そんな町あったっけ?
ランカスターの名前ぐらいは知っている、薔薇戦争のランカスター家の領地だった場所、でもモーカムなんて知らない。
あとで詳しく調べて見てみましょう。
「まさかと思うけど、ルルとブリも連れて行くの?」
「どうしても置いていけない、君と二人を邸宅に残すのが正しいのかも知れないが、ルルに僕の護衛を頼みたい、ルルはとても強いからね」
「ご主人様、私の命に変えてお守りします!!」
あれ?こいつ妙に意気込んでいるように感じたけど?
「護衛が必要なの?狙われているとか?」
「まだ、はっきりとは言えないけど、ははっ」
などととぼけている、昨日からいろいろきな臭いわね。
「二人はニルヴァーナのルビーを内蔵しているからね、となると一緒にいた方が良い、ただイサベラには旅行中だけ親戚の家にいてもらう事もできるけどどうする?」
なるほどエルマーだけでなく自動人形も狙われているかもしれないのね。
「いいえ、私には帰るところなんてないわ、私も行きます」
「わかったイサベラ、まだ危険があるとは決まっていないから」
「旅行には僕の自動車を使うよ、ブリジットやルルがいるから鉄道や馬車は無理だ、自動車なら整備も僕ができるし、あれはいろいろ改造しているからね」
「わたくしもここから出るのは初めてでざいます」
いつもの様に感情の無い抑揚のないルルの口調と表情ながら、ささやかな喜びと興奮を感じることができた、いつも接していないとその僅かな変化を読み取れないと思う。
こいつ本当に規格外よね。
「でもあれで行くの?心配よね・・」
あれとはエルマーの自動車の事だ、邸宅の裏通りに面した一階のガレージにある。
「イサベラ様、御主人様の運転の技量を疑うのですか?」
「そんな事ないわよ!?何度か乗せてもらったし」
「不束ながら私も自動車の整備や改良のお手伝いをしてまいりました、私とご主人様との合作なのです、侮辱は許せません」
機械が機械を修理したり改造するの?少し笑ってしまった。
あとね私もこの旅行を楽しみにしているのよ、エルマーと旅行ができるし。
そして今日一日は旅行の準備に費す事になった、
エルマーは最悪野宿も覚悟しているらしい、整備道具やキャンプ用品や保存食料などを買い足す必要があるとか、これは私の仕事ね。
エドガー探偵事務所に行ってからその帰りに雑貨屋からいろいろ買い出そう。
エルマーは燃料の調達をするらしい。
「旅行中は燃料の補給が難しくなる、田舎にいくと手にはいらないかも」
とエルマーが教えてくれた。
※ 変異
イサベラが裏口から裏通りに出ると、ボリスが昨日と同じ場所で空を見ている、
朝から会いたくない人物なので、彼女はとにかく早く通り過ぎたかった、
「おはようボリスさん」
形ばかりの挨拶をしたが、ボリスの様子がおかしい事に気がついた、ボリスは清々しい明るい笑みを浮かべている。説明しがたい悪寒がイサベラの背中を登っていく、かまわず走り抜けようとしたがボリスがイサベラに気がついた。
「イサベラちゃん、聞いておくれ、きのう私がなぜ小説家を目指したのか思い出したんだ」
イサベラが何も言えずに固まっていると。
「私は彼女の物語を創る為に小説家を目指した、ただ昨日まで忘れていただけなんだ」
裏口から出るんじゃなかったと真剣に後悔した。
「素晴らしいアイデアが無限に湧いてくるんだよ」
「その人はあなたの知り合いなの?」
「私が物語を書かなければ彼女は何者でもないんだ」
「はい?」
いよいよ怖くなってきた、ボリスさんは遂に狂ってしまったのか?
「ごめんなさい急用があるのよ」
「君に・・」
イサベラは全力で表通りに向かって走り出した、後ろでボリスが何か叫んでいたようだが聞こえなかった。
※ エドガー探偵事務所
エドガー探偵事務所へ行くのを楽しみにしていたのに、ボリスのせいでだいなしになった、イサベラはこれからは正面玄関から出入りしようと決意した。
さっそくイサベラは気を取り直しロンドンの中心街に向かい歩き始めた、バークレー法律事務所の前を通過してしばらく進むと大きな工事現場を見つける。
「前はなかったわね?」
『地下鉄工事』の案内板がある。
「ここまで伸びるのね、これからは移動が楽になるわ」
ブツブツ一人言を言いながら、田舎者のように辺りをせわしなく眺めているイサベラはとても目立つ、通行人があれはなんだ?と言った顔をして振り返っていく。
エドガー探偵事務所の看板を発見しイサベラは最後の距離を疾走した、イサベラを轢きそうになった馬車の御者がイサベラに怒鳴り散らした。
そのまま探偵事務所の入り口をくぐったまでは良かったが、事務所内をきょろきょろと見物しはじめた、受付の男がこの挙動不審の女性に見かねて声をかけてきた。
「そこのお嬢さん、エドガー探偵事務所に何の御用でしょうか?」
「わっ、私はイサベラ=オブライエンです、この事務所にアンソニー=バリューと言う方は所属していますか?」
イサベラが昨日エドガー探偵事務所に所属するアンソニー=バリューと名乗る人物がエルマー邸を訪問した事をおおまかに説明すると、それだけでその男は事情を察したようだった。
「よくある事ですよ」
身元確認の要求はそれなりに多いらしい、担当の事務員が身分証明用の写真をイサベラに見せてくれたが確かにアンソニー本人に間違いはなかった。
任務完了なので彼女は名残惜しそうに帰ろうとしたのと、奥のドアを開けて壮年の男が出てくるタイミングが一緒であった。
「あっ!!」
その男は長身で頑強な体躯で30代なかばと思われた、髪色は薄いブラウンで同じく薄いブラウンの瞳、身長と体格はアンソニー=バリューに近いかもしれない、顔は野性的で狼の様な凶暴な印象、顎には薄っすらと無精髭が目立つ。
イサベラが驚いたのはその男が巷で言われているエドガー=デュラハンの特徴にそっくりだったからだ。
「エドガー=デュラハン!?」
かなり失礼な態度で反応してしまったが、有名人に会えた嬉しさで気がつかない。
キラキラした瞳で男を見つめている。
男はイサベラを見てかなり驚いたようだが、気を取り直した。
「なにか御用かねお嬢さん?おっと私はこの探偵事務所のオーナーのエドガー=オーギュスター=デュラハンだ」
アンソニーさんと違い野性的な人なんだ。
「私はイサベラ=オブライエンです、ここの探偵の方の身分確認の為に来ました、お忙しいところ声をかけてもうしわけありません」
「ほう、誰の確認かな?」
「アンソニー=バリューさんです」
「ああ、アンソニーか、という事はエルマー博士の助手のお嬢さんですな、彼の報告にあった」
イサベラを値踏みするように眺めてにやりと笑った。
イサベラはエドガーに覚えられていた事に感激した。
「知っていると思うが、俺は例の連続宝石盗難事件を追っている、先生方には別の角度から事件を見る機会をもらって感謝してる、そう伝えて欲しい」
「はい、よろこんで!!」
「あと身辺には気をつけるように、バークマン博士の周辺におかしな連中が貼り付いている」
「おかしな連中ですか?」
「今の時点では正体がわからんからな、監視されているのは間違いない、逮捕できないのが残念だぜ、ははっ」
エドガーに会えた感動が冷めていくのを感じた、デリアさんだいじょうぶかな?
でもその人達って警察?
「アンソニーは言わなかったと思うが、バークマン博士は重要な観察対象なんだ、連続宝石窃盗事件と関係あるのかは判断できないがな」
「私に教えてもいいの?」
「君と言うよりエルマー氏に伝えて欲しい、今回の様なケースだと教える事もあるぞ、バークマン博士にも俺たち以外に監視している連中がいる事を教えておいた、あとそいつら警察ではないから」
イサベラが言いたいことを先に言われてしまった。
「俺は忙しいので仕事にもどらなきゃならねえんだ、悪いな」
「いえ、エドガーさんとお話できて嬉しいです!!ありがとうございました」
イサベラはエドガーにお別れをし何時もの雑貨屋を目指す。
エドガーはひらひらと手をふりそれを見届けた。
「ついでにエルマー博士も俺たちの監視対象になったけどな」
エドガーはイサベラの後ろ姿を遠くに見ながら呟いた。