神は、救済の方舟(アーク)を創り賜うた
今週の投稿は、この一話のみになります。
聖域を、2人のハイエルフ達と、4人の幼いエルフ達が歩く。
先頭を征くのは、美しいハイエルフの男。もう1人のハイエルフの夫にして、エルフ達の父親、ダッフエンズラムだ。
手にはミスリルで出来た杓の様な鈴を掲げ、決まった間隔で手首を返し、鈴を鳴らしながら歩いている。
「ねぇ母さま、何故“禊ぎの鈴”を鳴らすの? 神獣様へ詣でるわけでも無いのに」
ルフルが、母親のシェリフェディーダを見上げ、不思議そうに聞いた。
ハイエルフ達には、神獣の世話をすると言う役目がある。
神獣達は、5千年〜1万年に一度、思い出したかのようにその生涯を終える。
だけど死ぬ前に、小さな卵を産み落とすのだ。
その卵はハイエルフ達に託され、神獣の死後、卵が孵り新たな神獣が生まれて来る。
幼い神獣は、まるで動物の雛のように小さく無知で、力もまだうまく扱う事が出来ない。
そこでハイエルフ達が、1人前の神獣となるまで、大切に世話をして育てるのだ。
強大な力を宿す、無知な幼い神獣が良からぬ者に惑わされぬ様、ハイエルフは世話を行う際“禊ぎの鈴”と呼ばれるミスリル製の鈴を鳴らした。
その鈴を鳴らすと言う事は、身を浄化し、心に邪心無く、ただ神獣に尽くすと言う事の顕れだ。
その慣習を、ハイエルフ達は創造された頃より貫徹している。それにより、神獣達はハイエルフとその鈴の音に、絶対的な信頼を置いている。
その鈴の音を聴くと、神獣達はどんな時も、怒りや敵意を収めた。
シェリフェディーダは、間もなく3歳になろうかと言う末娘のティニファを腕に抱き、前方をまっすぐ見たまま、答えた。
「主神に、訪問を告げる為ですよ」
「わざわざ告げるの? 神様は、何でもお見通しなのでは無いの?」
「いいえ。主神は、お忙しい身であり、小さき我々には、あるがままにと思われておいでです。だから、見られている事の方が稀ですね。……ただし、ご覧になられておらぬ時でも、常に清廉である事が、我々の務めと思っておきなさい。見ておられぬからと怠るのは、卑しく浅はかな考えです」
「! はい! 母様」
「……。」
元気に応えるルフルに対し、隣を歩くニルの目は泳いでいる。
そんなニルに、シェリフェディーダは鋭い視線を突き刺し言った。
「……。確かに、主神は我々の事など、常には見られておりませんが、世界樹様は見ておられますよ。今この時の言葉や仕草とて、一言一句、一挙一動と見逃さず、この世界の歴史の一端、褪せる事の無い記憶として、刻まれているのです」
「げっ」
おっと。突然、俺の話題が出た。
それにしても、“げっ”とは酷い。
俺はただ、君達の事が愛しいだけなのに。
この際だから、ハッキリ言っておこう。俺の行為は、決してデバガメでも、盗み聞きでも無いからね。
「全く。ニル兄様。本当に口を謹んでください。恥ずかしい」
そう言って溜息をついたのは、双子の妹である、長女のシャンティだ。
黒い真っ直ぐな長い髪を、ぴっちりと後ろにまとめ上げた、釣り目で細身の少女。
まるで、厳格を絵に描いたようなエルフだった。
正義の為なら、どんな犠牲をも厭わないだろう、危ない程に真っ直ぐな目をした少女は、誇り高く真面目なルフルは尊敬しているようだ。しかし、不器用でお調子者のニルには、どこか軽蔑する様な態度を取っていた。
そんな尻に敷かれ気味のニルはと言えば、この2歳年下の妹に、既にかくれんぼ以外で勝る物は1つも無く、今も何も言い返せず、困ったような笑いを返しただけだった。
太陽の様なブロンドのふわふわした髪の毛を持つ、可愛らしい幼女が、母の腕の中で歓声を上げた。
「かぁしゃま、なんだかとても、キレーな音がしましゅ!」
シェリフェディーダは、ニコリと微笑み、ティニファのふわふわの髪を撫で、額にキスをしてから応えた。
双子との扱いが、まるで違う。
「そうですね。ティニファは初めてここに来たのでしたね。あれは、世界樹様の葉が奏でる音ですよ」
「葉っぱちゃん? 葉っぱちゃんはざわざわだよ?」
「そう。正解です。だけど、世界樹様は特別なのです」
ティニファは可愛らしく首を傾げながら、頭上に広がる俺の葉の群生を見上げた。
ーーーリィーーーン
一層高く、鈴の音が響いた。
「間もなく世界樹様の御幹元だ。そろそろ皆口を閉じなさい」
鈴を鳴らし、先頭を歩いていたダッフエンズラムが、そっと振り向き、皆に声をかけた。
途端に、子供達の顔が、緊張を帯びる。
そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。
ゼロスもレイスも、君たちに会うのを楽しみにしていたんだから。
そして、とうとう俺の前に、ハイエルフ達と幼いエルフ達が並んだ。
「お久し振りに御座います。世界樹様」
ダッフエンズラムの挨拶と同時に、皆が練習通り、一斉に頭を下げてくれた。
俺は、幹を曲げる事は出来ないから、代わりに一生懸命枝先を揺すり、葉っぱを鳴らして応える事にした。
「久しぶり、みんな。と言っても、ティニファにこうして会うのは初めてだね。俺はアインスと言う名の、唯の樹だ。どうかよろしくね」
俺が枝を振りながら挨拶をすると、ティニファは花の咲いたような笑顔を俺に向けてくれた。
とても可愛い。
そして、“久しぶり”と言うに相応しく無い、もう一人のエルフにも声を掛ける。
「それから、ニルとはさっきも会ったね。かくれんぼがとても上手で感心したよ」
「まさか、ニル! 世界樹様に登ったりして無いだろうな!」
ダッフエンズラムが珍しく声を張り上げた。
「のっ、登ってなんか……無いよ?」
目を泳がせるニルに、俺はくすりと笑い言った。
「嘘はいけないよ、ニル。だけどダッフエンズラム、ニルを、咎めないで欲しい。俺が登って良いと言ったんだから」
俺の言葉に、ダッフエンズラムは押し黙った。
シェリフェディーダは静かに目を瞑り、ルフルは、驚きに目を見開いている。シャンティは相変わらず侮蔑を込めた冷たい視線をニルに送り、ティニファは尊敬と憧れの眼差しで、ニルをキラキラと見つめる。
みんな反応が違い過ぎて、面白い。
まぁ、正確には俺が何も言う前に登って来たけど、俺の枝の上で息を潜めるニルが、可愛くて“いいね!”と思ったんだ。
俺には口が無いから、思った事は全て言った事と同義とも言える。例え相手に、聴こえて無かったとしてもね。
「ーーー世界樹様がそう仰るのであれば、……だがニルよ。いたずらが過ぎれば罪となる事もある。心しておくのだぞ」
「? ?? は、はぁい!」
ーーーいつ、言われたっけ? コロコロと動くニルの表情から、そんな声が聞こえてきそうだ。
「じゃあ、俺との挨拶はこのくらいにしておいて、ゼロスとレイスを呼んでもいいね」
きっと2柱は、今頃帳の向こうで、出番を今か今かとスタンバイして待ってるはずだ。ハイエルフやエルフ達とのお喋りも楽しいが、ここは早く2柱に代わるべきだろう。
ハイエルフの頷きを見て、俺は2柱に呼びかけた。
空が、割れた。
帳の向こうは闇のはずだけど、その割れ目からは、眩しい真っ白な光が漏れ出している。
その光を押しのけ、何か巨大な物がその裂け目から、ゆっくりと顔を覗かせた。
逆光のせいで灰色に見えたが、その正体は、巨大な純白の方舟。
美しい曲線を持つ船頭には、風の化身である神獣リリマリスの像が掲げられ、その下には、何故か主砲が備え付けられている。
一体、誰と戦うんだろう?
船尾に進むにつれ船体の壁がせり上がり、船体と一体になった船室がそびえ立っている。だが船体が巨大な為、船室はもはや巨大建造物とも言えた。
船の守護女神として、リリマリスが掲げられている割に、舟に帆は無い。代わりにガレー船の様に、船体の両サイドから石を削り上げて作られた、漆黒の櫂が無数に伸びていた。そして、その上には、何故か砲台が備え付けられている。
一体、誰と戦うんだろう?
櫂は、ゆっくりと羽ばたくように空を漕ぎ、方舟を俺達の元に運んで来た。
良く見れば、巨大な船体の腹には、銀色に輝く絡み合うハーティ草が描き上げられている。
光のゲートを抜けた方舟は、太陽の光を受け、その船体を幻想的な迄に美しく輝かせた。
そして、この上なく美しい方舟の上に立つのは、風を受け、髪と服を揺蕩わせる、ゼロスとレイスだ。
ーーー凄いね! この短時間でよくこの方舟を創ったね!
俺は思わず、葉をゆすり喝采した。
ハイエルフとエルフ達はあまりに予想外の登場に、目を見開いて固まっている。
ハイエルフ達、頑張って! 2柱の為に反応してあげて! そして出来れば、褒めちぎってあげて!
だけど俺の心の声は届かず、ハイエルフ達は2柱が聖域に浮かぶ方舟から(着陸したら、森が壊れるから)、地上に降り立つまで、始終無言で固まり続けた。
後に、この方舟は改良され、創造物達から最強の神の武器と呼ばれ、手にした者には世界が手に入るなんて、仰々しい噂が立つ事になる。また、世界が絶望に染まった時、只1つの救いの舟ともなるんだけども、それはまだまだ先の話。
固まるハイエルフとエルフ達を見て、ゼロスとレイスは同時に静かに目を閉じた。
多分こう思ってるんだろう。
ーーーやり過ぎた、と。
まだエルフ回続きます。




