番外編 〜古代図書館の、忘れられた手記⑤〜
ウィルの言葉で、僕の中に生まれた疑問が、頭の中で、グルグルと渦を巻き、僕を疑念の海へ引きずり込んで行く。
―――僕は彼等のご飯の世話を、一身に請負い賄っていた。それは何故か?
友達を殺させない為だ。
―――ならなぜ、友達に芸を教えた?
僕が、人々に注目してもらう為に、都合が良かったから―――。
―――肩を並べられていた?
違う。
僕は彼等より低い存在。
ご飯を貢ぎ、言う事を聞いてもらえるよう懇願する者。それが僕だ。
ふと脳裏に『僕の言う事はもう聞けない』と言って去っていったシャーの後ろ姿が浮かんだ。
そして『裏切り者』と僕を罵る鼠の姿。
そう言えば、あの鼠は何処に行った?
あの小さな体だ。ドラゴンの放つ強風に煽られ、飛ばされたのだろう。
だけどその時僕は何をしていた?
友達が強風に煽られ、吹き飛ばされまいと必死になって傷付いた小さな体で地面にしがみついているその時、僕は一体……。
「……っ!」
―――僕は……それを無視して、ドラゴンに見とれていた。
そしてドラゴンと友達になりたい等と、尚も愚かに考えていた。
その事実に僕は膝を突く。
「うぅ……」
僕は自分の浅ましさに、恥と全ての動物達への謝罪の念を覚え、悶えた。
「ゴメンよ。ごめんよ、ごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよごめんよ……」
僕はその場に伏せ、壊れた玩具の様に謝罪の言葉を繰り返し呟いた。
ウィルはそんな僕を、ドラゴンの上から静かに見下ろしていた。
やがて、低い唸るような声でウィルは言う。
「この事態は、お前の軽率な行動に起因する。だが、そんなお前を作り上げたキッカケである俺にもその原因はある。だから俺は、俺の持てる力全てを以てこの事態を収束し、お前を助ける。それが俺に出来る、お前への唯一の罪滅ぼしだ」
憐れみの眼差しで、ウィルは崩れ落ちた僕を見つめる。
そして、ドラゴンに優しく話しかけ。
「テオ。すまないが【咆哮】を頼む」
ドラゴンは、やれやれと言ったように小さく首を傾けると、反り返って息を吸い込んだ。
そして……
「グォルァ―――――――――――――――――――――――――!!」
先程までと違った、腹に響く低音の凄まじい威嚇の咆哮が響いた。
街全体を揺らすほどの爆音だ。
その声に打たれ、僕の体は震えて動けなくなる。
ドラゴンの咆哮には魔力がこもっていて、それを耳にすれば、どんな勇敢なものであっても恐慌状態に陥る。
もしそうなりたくないのであれば、精神を鍛えるより、アンチ魔法の装備をつけるのが正解だ。
まぁ当然、僕はそんなものは付けておらず、恐慌状況に陥り、息をするのもやっとの状態だ。
ウィルは相変わらず、ドラゴンの上に平気な顔で立っているから、きっと何かしらの対策をしてるんだろう。
ドラゴンの咆哮が収まり辺りが静寂に包まれた時、今度はウィルが大きく息を吸い込んだ。
そして叫ぶ。
「この抗争を今すぐやめろ!! 鼠達とその他の動物達も争いをやめるんだ!」
静寂の中、ウィルの声だけが高らかに響く。
皆が動かぬ体でその声を聴いた。尤も、他に出来る事がなかったとも言えなくはないが。
「俺にはお前達動物の言葉はわからない。だがもし、俺の言葉を分かる者がいるなら聴いてくれ。この街に、もうお前達を守ってくれる存在はいない。……お前達だって、気付いて居るのだろう? 互いが互いに依存し、甘え合い、食い潰すだけのこの間違った状況に」
ウィルは一度言葉を止め、辺りを見回した。そして一身に憎しみに満ちた視線を受け止め、それでも毅然と言った。
「こうなってしまった以上、互いに納得出来ない怒りや憎しみも有ろうが今は収めろ。お前達がこの環境を甘受した結果でもあるのだから。そして、もうお前達に住居と飯を提供する者はいない事を理解しろ。元より仕えるべき主が居るなら家に帰れ。住む場所が無いのであれば野に帰れ。賢きお前達ならば、生き残る術を知っている筈だ!」
時が経つに連れ、徐々に恐慌状況が溶けて息が楽になり、指先に感覚が戻ってくる。
だけど鼠達や動物達からは、先程までの殺気はもう感じられなかった。
やがて、1匹……また1匹と、鼠達が移動を始めた。
向かうのは街の外側。つまりウィルが言ったように、野に帰ろうとしているんだ。
この群れでは街に住む場所が無い事なんて、鼠達はとっくに知っていたのだ。
知っていた。……なのに、なんで、出て行かなかったのだろう?
膝を付き、止める術も理由も大義もない僕は、大移動を始めた鼠達を見つめていた。
ふと、あの鼠の言葉が脳裏を過ぎる。
“よくも、裏切りやがったな”
絶望に眼を染め上げ、牙を向くその姿。
―――そうか、僕を
ずっと、友達と思ってくれていたからだ。
―――カシャッ!
不意にこの場に似つかわしくない音が聞こえ、僕は無意識に、虚ろな目をそちらに向けた。
父だった。
恐慌状態が解けて、こちらの様子を見にやって来たんだろう。
ウィルのドラゴンにお気に入りのカメラを向けて、シャッターをきっている。
見れば、他の街の人たちも大勢集まってきていた。
「ドラゴンだ! 本物のドラゴンだ! 君、隣のウィルくんだよね! こんなに立派になって、良く戻ってきてくれた!」
カメラを構えたまま、父が歓声を上げる。
ウィルは無言でドラゴンから飛び降り、父の前にツカツカと歩みを進めた。
そして、父が手に持つカメラを奪い取ると、そのまま地面に叩きつけた。
「あ…………。―――あぁ、あああぁぁ―――ーー!!」
カメラは誰が見ても修復不可能と答えるほど粉々に砕け、大切な玩具を突然壊された父が絶叫する。
「俺は友を見世物にする気はない。そして、この街に帰ってきたつもりも無い」
ウィルはそう吐き捨て、憎々しげに父を睨んだ。
それはそうだろう。我が家が筆頭に、ウィルをこの街から追い出したんだから。まあ最終的には、街ぐるみで彼を責め立てはしたが。
今更手のひら返されたって、ウィルの当時の辛酸な苦渋を思えば、もはやこの街を故郷などと呼びたくは無いだろう。
それだけの事を、僕は―――……僕達はした。
「事が済めば俺はすぐに街を出て、もう二度と戻る事はないだろう。……写真機はすまなかったな。弁償としてこれをやる」
「これ、は?」
「森の番人達により織り上げられたタペストリーだ。“理想郷”と言うタイトルだそうだ。ある成り行きで森の番人達から貰ったのだが、俺には無用の長物。まぁ、売れば金貨数十枚の価値は有るはずだ」
「待て待て待て待て待て、私も商家の長だ。これの価値くらいわかる! なぜ君はこれをそんな簡単に手放せる?」
「言ったろう。俺には無用の長物なんだ。金も含めてな。……だが、そうだな。せっかくだから条件を追加させてもらう。この街にドラゴンが現れた事は、絶対に口外しないでもらおうか」
「? なぜそんな事を?」
父はウィルの提示した、金銭的利害の絡まぬ条件に首を傾げる。
「ドラゴンの為さ。俺の友達がお前達みたいな糞人間の都合で、今後煩わされる事のないようにな。その為というなら……まぁ、確かにタペストリーは俺にとっても“とても価値のあるもの”だったのかも知れない」
そう言ってウィルは踵を返し、再びドラゴンの背に跳び上がった。
2メートル程の高さを軽々とジャンプした様に見えたが、きっと何か仕掛けがあるんだろう。
ドラゴンは“用は済んだか?”とでも言うようにウィルを一瞥すると、折り畳んであった双翼を再び大きく広げ始めたのだった。
続きます。




