番外編 〜古代図書館の、忘れられた手記③〜
『えーー、嫌ぁよ。だって、ちっちゃくて、ちょろちょろしてるの見たら、勝手に疼いちゃうんだもん。それに、そいつら捕まえたら、パパちゃまや、ママちゃま、それにメイド達が喜ぶの。おやつだってくれるのよ』
「そこを何とか! おやつなら、僕があげるから! 玩具だって買ってあげる」
僕はあれから直ぐ様、飼い猫のシャーに鼠達を食べないように交渉に行った。
クラッカーとピーナッツを貪る鼠達と話をしてみると、気が合って、友達になったのだ。
友達を食べられたら敵わないと言う事で、シャーに菓子折りを持って、お願いに行った。
『もぉー。そこまで言うなら、我慢してあげる。だけど、ちゃんと約束してよね』
こうして、何とか、シャーの了解も取れ、僕はほっと一安心した所で、鼠達をポケットに入れ、散歩にでかけた。
並木道を歩きながら、僕の顔は思わず緩む。
だって凄いだろう? 動物達の言葉が分かるんだ。
しかも、僕が動物達に話す時は、言葉にしなくても、伝えたいと思いながら念じれば、それでちゃんと伝わる。
独り言を言う変なやつだなんて、思われなくて済むのでそれもいい。
僕がそうして、ワクワクしながら道を歩いていると、何かの唸り声が聞こえてきた。
あまり平和的ではないその唸り声に、僕は少しドキドキしながら、道の角を覗いた。
「ウゥーーーっ、グルルルル……」
「こっ、来ないでっ! アッチに行きなさいよっ」
サーシャだ。僕を虐めていた、ウィルの幼馴染の女の子。
巨大なグレーの猛犬から、弟のティータを必死で震えながら、庇っている。
サーシャには、ウィル程表立ってでは無かったけど、ずいぶん陰口を言われ、嫌な気分になった事がある。
だからそのまま捨て置こうかと思ったけど、唸る犬を見て、ちょっと興味を惹かれた。
ーーーあれほど気が立ってる相手でも、話は通じるのかな?
僕は、犬の前に飛び出した。
「やめろ。その子達を襲うな」
『何? お前、噛みつかれたいわけ?』
『そんなわけ無いだろ。何をそんなに怒ってるの? 訳を聞かせてよ』
『臭かったのよ。その人間達、私の嫌いなオレンジの香りをしてたの』
『それだけ?』
『そうよ。悪い? お前も噛むわよ。あたし、今妊娠中で、本当に機嫌が悪いんだから』
驚いたことに、このドーベルマンみたいな巨大で凶暴な犬は、雌だった。
今にも飛び掛かってきそうな狂犬に、僕は早口で捲し立てた。
『待ってよ! あの子達は君程鼻が良くない。自分の匂いに気付いてないんだ。それにこの子達は、子供。噛めば大人が君を報復に来る。君だってお腹の子が大切なら、この意味わかるよね?』
『……。』
狂犬の目が、母の目になる。
『……。そうね。あたしなら、この子達を傷つける奴がいたら、それこそ噛み殺すわ。……言っておきなさい。もう臭い匂いであたしに近づかないでって。吐きそうになるのよ』
犬はそう言い残し、怒りを沈め去っていった。
「な、なんであんたが、あたし達を助けてくれたの?」
サーシャが、まだ青い顔で俺に近づいてきた。
「別に。助けたつもりは無いよ」
実際僕は、サーシャ達を、始め見捨てようとしていた。
結果的に、犬の方が納得してくれて、助かったことにはなるけど、別にここで恩を売るつもりなんて、サラサラ無かった。
「あ、あんたにそのつもりは無くても、私は助かったの! そ、その、……ありがと」
サーシャは消え入りそうな声で、僕にそう言った。
「いいって。それより、サーシャ、何かオレンジの香りがする?」
僕は忠告のため、サーシャに聞いてみた。
「! よ、よく分かったわね。ウィルも気付かなかったのに。 ……そうよ。パパから誕生日にもらったオレンジライムの香水よ。へ、変かしら?」
なる程。このくらいの女の子に有りがちな“背伸び”って奴だ。
別におかしくは無いけど、それを不快に思っている者もいる。僕は正直に告げた。
「変じゃない。だけど、サーシャにはもっと違う香りがいいと思うよ。……薔薇とか?」
この前、レイスがつけていた香水を、代用に言ってみた。
「! 私に、その、……薔薇が似合うと?」
「うん。オレンジより良い」
少なくとも、あの犬に吠え立てられる心配はなくなる。
サーシャは “薔薇……、情熱的な愛……” 等と、ブツブツ言った後、僕の方にキッと向き直り、言った。
「今後、私から薔薇の香りがしても、あんたの為に付けてるんじゃないからね! わかった!?」
サーシャはそう怒鳴り散らして、弟の手を引き去って行った。
意味が分からないけど、まあ、いいか。
僕はその時、そんなふうに、考えていた。それはとても楽観的に。
◇
僕が小鳥と遊んでいると、良家のお嬢様に声をかけられた。
「あの! ……、貴方はもしかして、天使様ですか?」
何を言っているんだろう? このお嬢様は。
◇
「逃げろぉーーー! ロックボアが、こんな人里に現れたぞ!」
「ブモォオオォォオオオオオォォ!!(やべぇ! 道間違えた! オカアサァーーーン!!)」
「森へお帰り。……そう、良い子だ」
「おお、ロックボアが、怒りを沈めた! 森に帰っていくぞ!」
「何と! まるで、獣たちの心が分かっておるようじゃ……」
えーーと、言葉は分かっている。
◆
「獣使い」
いつの頃からか、人々は僕をそう呼び始めた。
みんなが僕を取り囲み、その技を見たがった。
僕も調子に乗って、仲間になった動物たちに芸を披露させたり、肉食の猛獣とハグしたりしてそれに応えた。
僕はその時、すっかり忘れていた。
この力をくれた、不思議な乙女レイスの事を。
最近姿を見せないけど、きっとどこかのブランドの、撮影旅行だろうと等と思っていた。
「……ゴホッ!」
「あら、風邪かしら? 大丈夫?」
「う、うん」
観客の一人が、そんなことを言った。
僕は、当然気にも止めない。
そして、これが悪夢の始まりだと、当然気付きもしなかった。
◆◆◆
「この流行り病が、僕のせいだっていうの!?」
役所の職員の物言いに、僕は机を叩いた。
「一概に全て、と言うわけではありません。ただ、最近鼠達の増殖がやけに酷い。ご存知のように鼠たちは、汚水の流れる下水などを棲家にしている。それが増え、地上に多数出てくれば、どうなるかお分かりでしょう」
「ぐっ……」
僕は言葉に詰まった。
たしかに僕は、仲間達に鼠を食べないように依頼した。
代わりになる餌はちゃんとあげてたから、彼らが飢えることは無い。
上手く行っている、と思ってた。
だけど水面下では、鼠達が爆発的に増え、疫病を撒き散らしていた。
今更友達を殺せと? そんな馬鹿な。
「さっきも言ったように、一概にお宅の息子様のせいとは言いません。しかし、そういう現状を理解しつつ、今後の動物芸等の大道芸は、控えて頂きたい」
役所の職員は、そう締めくくった。
僕の力が、大道芸?
僕はキッと、職員を睨みつけた。
だけど職員は小さく肩を竦めるだけ。
どうやら、僕が興奮してしまっただけで、役所の職員や両親は、本当に僕のせいとは思っておらず、あくまで注意喚起のため、この場に来ただけのようだった。
母が頬を押さえて、困った様に言う。
「確かにねえ。家のシャーちゃんも、最近、どういう訳か、鼠をとってこないのよ。その為に飼っているのにね。いっそ、療養中のお祖母様にあげて、新しいのを飼う?」
その言葉に異議を唱えたのは、当然シャーだ。
『ちょっと、どういう事!? ママちゃま違うの! あたしは本当はチョロ達を捕りたかったのよ! だけどそこのボンに言われて、仕方無く我慢してたの! 薬臭いオバアちゃまのところは嫌! おやつだって干し芋しかくれないんだもの!』
「シャーっ!」
僕が母の足に擦り寄るシャーに声を掛けると、シャーは僕に向かって唸り声を上げた。
『ボンちゃまの言う事を聞くのも、ここまでよ。あたしは、ママちゃまと、パパちゃまの処に居たいんだから』
そう言って、シャーは足音も立てずに部屋から出ていった。
僕は、シャーを引き留めることはできなかった。
「ーーー……そうだ。レイスは?」
僕は、ふとレイスならこの事について、話を聞いてもらえるんじゃないかと思った。
「レイスちゃん? 忙しいから出かける、と言って1年ばかり出掛けているぞ。一応止めようとしたけど、聞く子じゃないからなぁ。まあ、今は家にいてくれてるが、色々レイスちゃんにもあるんだろう」
「1年も前……」
その事実に、僕は唖然とした。
調子に乗っていた。
この力を使って、色んな人脈を作って、たくさんの女の子達とも仲良くなった。
僕はこの力を、なぜレイスに貰ったんだっけ? なんの為に?
分からない。何故?
教えてくれ。
ーーーーーレイス!!
◆
それから2日後、シャーの吹聴を受け、鼠狩りを再開した動物達に、怒り狂った鼠達が、下水から溢れ出した。
窮鼠猫を噛む、なんてもんじゃない。
いつの間にこれ程増えたのか? 何千万と言う、子猫程はあろうかという、巨大な鼠達が、街を飲み込もうと、黒い波となり暴れ始めたのだった。
鼠達は、繋がれた家畜であれば、犬と言わず牛と言わず、数に物を言わせ食いちぎり、人々の立て籠もる、民家の泥壁を食い破った。
『よくも、裏切りやがったな』
なんで、こんな事になったんだ?
阿鼻叫喚の地獄の最中、僕の前に、かつて友達と呼んだ鼠が立ちはだかる。
鼠の耳と尾は、何者かに噛みちぎられ、身体にもあちこちの血が滲む、痛々しい傷が見えた。いつかの陽気な面影は、どこにも無い。
毛を逆立てたその姿に見出だせるのは、“怒り”、“絶望”、“復讐に堕ちた闇”。
何でこんなことに……。
『……ごめんよ』
僕はそれ以上何も言えず、ただ死を覚悟した。
ーーーそして、空を仰いだ。
『ーーークエェーーーーーェン!』
「え?」
僕は涙を浮かべたその目を、思わず見開いた。
空を飛ぶ、その巨大な影。
「ーーードラゴン? なんで?」
伝説の魔物とも、聖獣とも言われる生物が、そこに居た。
続きます。
次回完結ですが、今回はここまでとなりす。
ブクマありがとうございます。




