神は孤独な獣の願いを聞き賜うた
「―――また消えた……」
その日、ゼロスが悲哀に充ちた眼差しで遠くを見めながらポツリと呟いた。
「悲しいんだね」
俺がそう言うとゼロスはコクリと小さく頷いた。
ゼロスの見ていた方角で今、一人の少女が命を散らせた。
今や人間の人口は、今や6億3千4百42名となっている。
その中に、時たま取り分け美しい者や優れた技術を持つ者が産まれてくる事がある。
ゼロスはそういう人間を見つけると、その者に目を掛けよく観察していた。
そして今命を散らせた者は、とても美しい容姿を持って産まれてきた、僅か16歳の少女だった。―――その仔の名はマリア。
マリアはとある貴族の娘だったが、先代からの借金があり、決して裕福では無い暮ら振りだった。
それでも彼女には両想いの王子様がいて、それはとても幸せそうに少女時代を生きていた。
だけど美しい彼女を欲しがる者、王子の愛と権力を欲しがる者、様々な愛憎と謀略の上で彼女は踊らされ、最後にはその生を自ら断ち海の泡へと消えていったのだ。
そんな最期を見届けたゼロスが切なげに微笑んだ。
「悩んだ末のマリアが選んだ道だ。僕は彼女の生涯を祝福するよ」
だけど直ぐに、俯いてまた溜め息を漏らすゼロス。
俺はなんと声をかけたものかと考えたが、とうとう口を開く事は出来なかった。
暫く風が俺の葉を揺らす音だけが響く沈黙が続く。
そんな沈黙を破ったのは、ラムガルを連れて戻って来たレイスだった。
「どうしたの? ゼロス。下ばかり見て何か土に埋まってる?」
―――そんなわけ無い。
内心でそう突っ込みながら、俺はレイスと困り顔のラムガルを出迎えた。
「おかえりレイス。そしてラムガル。実はゼロスは今、目を掛けていた人間が死んで落ち込んでいるんだよ」
「また? 人間は死ぬもの。ゼロスは賢いのに物覚えが悪い」
ふんすと言い放つレイスにとうとうゼロスが突っ込んだ。
「忘れてる訳じゃないよ! ただ何度見ても死を迎えたあの仔達との“永遠の別れ”が辛いんだ。心が痛くなるんだ……」
「そう」
レイスはそう頷くと、顎に指を充てがい何かを考え始めた。
「……なら、死んだ奴らにもう一度会えれば辛くない?」
「え? 出来るの?」
驚いた様にゼロスが聞き返すと同時に、レイスは指を口に当て、高らかに口笛を響かせた。
ピ―――――――――ッ!
ざわり、と風が森の木々の葉を揺らし、空に一筋の尾を引く箒星が青空の中で煌めく。
箒星はこちらにまっすぐ向かってきて、数秒の後には燃えるように輝く蹄を持つ黒麒麟のルドルフが、レイスの前に降り立っていたのだった。
「レイス様、お呼びでしょうか」
どうやらさっきの口笛は、ルドルフを呼ぶ為の合図だったみたいだね。
レイスはルドルフの鬣をもふもふと撫でるとゼロスに解説をした。
「丁度そのことについて、最近ルドルフが面白いことを研究している。ルドルフ、ゼロスに説明するがいい」
「俺の研究……? はっ! カブトムシの養殖方法ですね! 先ずは土ですが腐葉土の割合が……」
「……違う。“魂の記憶”の方だ」
レイスは小さくため息をついて話を切った。
まぁルドルフはカブトムシが大好きだからね。最近は養殖方法についても色々研究を進めているらしい。
―――それはさて置き“魂の記憶”。
それは以前ガルシアという名のルドルフの友人が、今際の際に呟いた言葉だった。
その時ガルシアは、この魂の記憶を“命短き者達の見る夢”だと言っていた。
だがルドルフはその言葉が気になり、魂というものについての研究をひっそりと行っていたのだった。
そしてゼロスもまた、その言葉について興味を示す。
「魂の記憶? 何それ」
「はい、かつて俺のダチが言った言葉です」
「へぇ、あの仔が……。じゃ、その研究っていうのを聞かせてよ」
ルドルは頷き、自身の研究内容についてを話し始めた
「―――“魂”とは先ず、自然物質や事象流動に含まれるものとは少し毛色の違う“マナ素体の集合結晶の事である”と俺は定義付けております。そしてこの毛色の違うマナ素体は、普段世界のマナ流動の中に混じって浮遊しておりますが、魂を持つよう創造された者達の肉体の種に宿り、そこで結晶化して定着し、そして肉体の成長に合わせ精神の成長を補助する役割を果たしていきます。その後は、やがてその魂を持つ者が死ねば、魂は肉体から離れ霧散し、再び結晶化していないマナ素体へ戻るのです」
ゼロスはコクリと頷いた。
因みに俺はよく分からなかったから、そよそよと枝を揺らして知った被りを決め込んだ。
「そうだね。そしてその結晶の結合方法がカオスすぎて、未だに僕にもその構築回路が理解出来ないでいる。……全く、本当にレイスはよくあんなもの創れたよね?」
「なんとなくやったら出来た」
苦笑するゼロスに、レイスは何でも無いという風に答えた。
レイスは手先が不器用ではあるものの、こういった感性や発想は他の追随を許さない程の輝きを持っている。
そんなやり取りを聞いてから、ルドルフはまた続きを話し始めた。
「これ迄のマナの素体に戻った毛色違うマナは、ただの微小なエネルギー体だと考えられてました。ですがそのマナの素体に、結晶時のわずかな記憶が記録されている可能性があると仮説を立ててみました。それが、俺の研究している“魂の記憶”です」
ルドルフの説明にゼロスはフムと考え込んだが、直ぐに首を横に振って言った。
「……―――無理だね。魂にしろ肉体にしろ、記憶を持たせるにはその為のメモリの形成(結晶化)が絶対に必要だ。マナ素体……ましてや単体にそんな物が貯められる筈ない」
だけどルドルフは言い募る。
「はい、俺も初めはそう思いました。しかしガルシアの妻のリーナという者が、時たま過去におかしな発言をしていたのです」
「おかしな……?」
「はい。リーナはこう言ってました。“生まれた時から雪が好きだった”と。とはいえ、俺も始めは女が男の気を引く為のただの誇張表現だと思っていました。しかし調べていくと、この世界には似たような例がいくつか存在したのです。確証はありませんがリーナの件については、かつて今際の際に“最後の願いに、雪を見たい”とラムガル様に望んだゴブリンがいたと云う事です」
「そうなの? ラムガル?」
「確かにおりましたな。番を勇者に切り捨てられ、己もまた腹を貫かれた虫の息のゴブリンに御座いました」
ラムガルの証言に、ゼロスは再び黙り込んだ。
そんなゼロスにレイスが言う。
「ゼロスこれ見て」
レイスは手を掲げ、サッカーボール程の光る玉を創り出していた。
「それは?」
「これはマナ素体を拡大させた模型。見てて」
そう言うとレイスは、その玉を眩しく明滅させはじめた。
太陽の如く輝いては消える。そんな何千万回かの明滅がされた頃、ゼロスは目を見開いて叫んだ。
「あ! ちょっと止めてレイス! 見てよ、光の影が焼き写りしちゃって模型の表面に模様がついてる!」
よく見ると、確かにその表面には薄っすらと波紋の様な模様が焼き付いている。
「更にこうやって爪で引っ掻いたり、強めの衝撃を与えればキズもつく。これらの傷や模様がマナ素体に“記憶”として刻まれ、残っているのじゃないかとレイスはルドルフの仮説に提言する」
ルドルフはレイスの言葉に固唾を呑んで頭を下げた。
……因みにレイスは“引っ掻いたり”と軽く言っていたけれど、それはレイスの爪だからこそ小さな傷を付けることが出来たのだと補足しておこう。
マナの素体に傷付けると言う事はつまり、小規模マナ破壊と同等の力が必要になる。
とてもじゃないけど人間にはそれほどのエネルギーを生み出すこと自体不可能だろう。
レイスはカリカリと玉を引っ掻きながら説明を続けた。
「傷は物理的に、そして印影は魂の輝かせ方と強さによって素体に刻まれる。だけど当然その素体1つが次の魂に含まれたとしてもまるで影響は出ない。―――ただ、あり得ないほどの偶然でそれらの素体が1つの結晶に集中して多く含まれた場合、前世の記憶が発現するという現象が起こるんじゃないかと考えられなくも無い。まぁ、そんな事が起こるのは確率的に不可能とだけは言っておくけど」
永遠に関心のないレイスの話はたんたんとしたものだった。
だけどその説明にゼロスは目を輝かせる。
「不可能だなんて、確率を操作しなかった場合でしょ? レイスなら出来る筈だ。やってみてよ!」
「分かった。ゼロスがそう言うならやる」
レイスは即答した。
永遠に興味がなくてもレイスはゼロスが大好きだから、頼まれれば一緒にする。
始めに取り決めた“種を残せる魂を持つものには死を与える”と言う条件にさえ触れなければ、レイスは何だって喜んで協力してくれた。
そしてレイスは実験を始めるに当たっての注意事項を説明し始める。
「―――魂の記憶を呼び覚ませるには、2つの条件がいる。まず1つ目は、生前に魂を思いっ切り輝かせるか、傷が入ってる者じゃないといけないということ。2つ目はそいつの肉体の何かしらの部位が必要ということ。2つ目の方は、土に成る前の遺骸には同期していた魂の識別記録が残っているから、マナの素体選別に使う」
「わかったよ!」
ワクワクと顔を輝かせるゼロス。
ゼロスの期待を一身に受けたレイスは、少しおずおずと付け加えた。
「あ、あくまで仮説。失敗して不発に終わる可能性がある。それで失敗した場合、魂となるマナが別性質のマナ素体に変質して、魂の転生の流れには戻れなくなる可能性も……ある」
「え? 戻れなくなるの? それはちょっと可哀相だね。 うーん……それにしても“魂を輝かせた者”か。マリアは若いし微妙なとこだな」
ゼロスが腕を組んで考え始める。
それから少しの沈黙の後、ルドルフが意を決したように声を上げた。
「あの! も、もし実験的にと言うなら俺のダチ、ガルシアとかは如何がでしょう?」
「ガルシアだと? ―――確かに奴はその魂を輝かせただろう。だが奴はその生涯をに満足して死を受け入れた。だからレイス、ガルシアは無いと思う。それにガルシアが死んだのは1213年前。その骸はとっくに土に成っている」
ダケドレイスの反対にもルドルフは引き下がらなかった。
「いえ! 部位ならここに、あいつの歯が残っているんです。昔、奴がちょっと巫山戯た事をしやがりまして、ボコってやったことがあるんです。その時、奴の折れた歯が鬣に絡まってやがって……それで、何となく取っといたんですけど」
「巫山戯た事って、何?」
「――――……昔あいつに“レイス様ウケのいい鬣形にしてくれ”って言ったら、縦巻きロールにしやがったんです」
「それはちょっと見てみたかった」
「は……、……え?」
ルドルフが一瞬言葉を詰まらせる。
「……」
レイスが期待に満ちた視線をルドルフに送る。
「……えー、……―――それにあいつなら、どういう形であれレイス様の役に立てるとなったら、涙を流して喜びます。成功しようが失敗しようがきっと本望でしょう」
ルドルフ、今サラッとレイスの言葉を流したね?
「それにおそらくあいつはっ……」
「ルドルフ」
憶測で話を勧めていくルドルフを、レイスは少し低い声で名を呼び制した制した。。
ルドルフはギクリと見を強張らせ、縋るような視線をレイスに向ける。
だけと直ぐに項垂れ俯いた。
「いえ、違います。コレはアイツの願いなんかじゃない。俺の“そうあって欲しい”と言う希望です。こんな提案をした1番の理由は、俺がただあいつに会いたかっただけです。すみません。すみませんでした……っクソ、何が長生きするだよ。さっさと逝きやがってあのクソ野郎!」
寂しそうにそう吐き捨てるルドルフ。
―――だけどねルドルフ。ガルシアは人間にしては結構長生きだったと俺は思うよ。
流れる沈黙の中、ざわりと葉を揺らす風が吹き、黙り込んでしまったルドルフの鬣をふわりと靡かせた。
それでも微動だにしないルドルフを見て、レイスがポツリと呟く。
「―――相変わらずお前はいいな(もふもふしたい)」
そして、そっとその寂し気な獣王の首を撫でた。
レイスは更に鬣に顔を埋めるようにルドルフを抱き締めると、その耳元に優しい声で囁いた。
「お前には敵わない。(もふもふ最高) いいだろう。お前の望み通りガルシアで実験をしてあげる」
レイスはそう言うとルドルフから崩れかけた歯を受け取り頭上に浮かせ、世界中から目視できぬほど小さなマナの素体を集め始めた。
マナは集まり光の粒となり、幻想的な青い光を放ちながら流動し、レイスの頭上に小さな丸い宝石を作り上げていく。
色こそ違えど俺はこの宝石を見たことがある。
この姿形は勇者の魂と同じだったのだ。
おそらく魂にはそれぞれの色と輝きがあり、一つとして同じものはないのだろう。
勇者は真っ白に光り輝く宝石のようだったが、今回は少し暗く深みのある青をしている。
やがて一同が見守る中、その宝石は辺りに集まっていた全てのマナを吸収し終え、青い光を放ちながら静かに宙に静止した。
ルドルフが宙に留まる宝石へ、おそるおそるに声を掛ける。
「―――……ガルシアなのか?」
続きます。
今回のものはサブタイトルが、違いますが、実質4部作となっております。




