世界樹と一緒 ~罪(ギルティ)~
この話はアインス(世界樹)視点となります。
深い深い森の奥。
近頃は、俺の葉音ばかりが響く静寂に包まれていたこの森だが、その日は少し違う音が混じっていた。
レーキで俺の葉を元気にかき集める賑やかな音。そしてぶつぶつと独り言のように溢される愚痴と、それから……。
「まったく、不愉快なものを見てしまった。これだから魔窟は……っくしゅん」
と、俺の根本から根本から小さなくしゃみがあがり、オレは葉を揺らせながらそちらに声を掛けた。
「大丈夫? 風邪かいマスター」
この日、以前俺が失言してしまって以来初めてマスターが俺の前に再び姿を見せてくれていたのである。
マスターは俺の質問に、鼻を擦りながら面倒くさそうに答えた。
「この僕が風邪ひくわけないでしょう」
「じゃあ……」
「“花粉症”ですよ」
オレがさらに質問を投げ掛けようとすると、マスターはそれを遮るように先を読ん答えを被せてきた。
だけどその答えに俺は枝を傾げる。
確かにマスターはラベンダ-の花に起因するアレルギーを持っている。しかし……
「うん? だけど今はラベンダーの季節ではないし、ラベンダードラゴンだって今は遠い遠い空の果て……帳の彼方にいるんだよ?」
俺はこの世界の隅々まで感じ取っているから断言するが、フィルは現在この地にはいない。
おそらくクリスマスシティーで、いつものようにお菓子と惰眠でも貪っているのだろう。
だがマスターは手にしたレーキを強く握り締めると、確信を持って断言した。
「―――いえ、僕くらいになれば分かるんです。奴はもうすぐ近くに来ている、と」
「へぇ。そうなんだ。流石だね」
……あぁ、成る程。
もしかして花粉症重傷者が、天気予報師よりも先に花粉の気配を察知するというアレか……。
俺は心底同情しつつポツリと言った。
「大変だね」
「ええまったく。このタイミングで天敵のドラゴンと聖域への来訪者が同時に訪れようとするなんて。こんなことならさっさと世界樹の葉なんて片付けておくべきでした。……まぁ今更言っても仕方ありませんがね」
世界ひろしと言えど、俺の葉っぱを心の底から「こんなもの」呼ばわりしてくれるのはマスターだけである。
そんな風に俺に気兼ねなく話し掛けてくれるマスターに、俺は改めて日々の感謝を伝えようとした。
「いつも悪いね。自分が落とした葉っぱくらい自分で拾えれば良いんだけど……」
「いえ、気にしないでください。アインス様がご自身で拾える程の活動範囲を持たれるという事の方が、色々最悪の事態ですので」
マスターは落ち葉を集める手を止めることなく、なんでもない事のようにそう言ってくれる。
なんて謙虚で献身的な仔なんだろう。俺はそよそよと葉を揺らせながら幸せな気分で頷いた。
「うん、確かに。木の魔物達は小さくて可愛いからいいとして、俺のように大きな樹が動くなんて気味が悪いし怖いよね。マスターの言う通りだ」
「まぁ僕等のように小さいもの達からすればトレントもそこそこのサイズですけどね? ついでに1つ注釈しておくと、ここで言う“最悪の事態”とは多少気味が悪い云々の話とは全く別次元の話ですから。因みに“巨木が流暢に喋り出す”等という事象は“気味が悪い”に該当する案件ですね」
息継ぎもないマスターの解説に、俺はそよりと枝を揺らし笑った。
「とても分かりやすい説明をありがとう! そして今のオレという存在が多少気味悪いだけで、君達にとって最悪の存在なんかじゃないということを知れて安心したよ」
「ははは、聖樹が気味悪ければ既にアウトですから。どうかもう少しだけでいいので、この世界を支える聖樹としての自信と自覚を持っていただけませんかね?」
マスターは笑顔を浮かべ、そう言って俺を励ましてくれる。
俺のようなただ大きいだけの代わり映えのしない樹に、なんて優し…
「あ、そうだ。……今のは決して励ました訳ではありませんので“なんて優しい”とか勝手に感動しないでくださいね。迷惑です」
無言で枝を揺らしていると突然マスターがふと思い出したかのようにそう付け加えてきた。
彼の読心術の素晴らしさにはいつも驚かされる。
だけどマスターは褒められることが好きではないので、オレはこれ以上称賛を言葉にすることなく次の話題に移った。
「所でマスター。ひとつ気になったことがあるんだけど聞いても良いかな?」
「無視かよ」
「いやまさか。なら言わせてもらうけれど、マスターはとても凄い能力を持っていると思うんだ。本当に素晴らし」
「いえ、やっぱりもういいです」
ここぞとばかりに誉めようと思ったのに、僅か2秒で俺のターンは終了した。
俺は樹を取り直して話を戻す。
「うん。じゃあひとつ聞いてもいいかな?」
「………樹が喋るのは気味が悪いと言う話をした後に、どうしてそう懲りずに話し続けられるのでしょう。―――はぁ…、勿論。なんなりとどうぞ」
マスターは頭を抱え溜め息混じりにそう呟きつつも、とても快く頷いてくれた。
「さっき魔窟でね、マリアンヌが持っていたペン先の雪だるまのボディが1つ消失したんだ。君が贈ったあのペンだよ。……その消えた丸い玉なんだけど、あれってただの飾り石じゃなくてダンジョンコアだったよね?」
「あぁ、聞きたいこととはそれですか? ―――そうですよ。別にダンジョンコアなんて世界各所にばら蒔いてますし、時にはそうと分からないよう擬態させています。特に珍しくなんてないでしょう」
マスターは隠すことも悪びれることもなく頷いた。
「うん。ダンジョンコア自体は珍しくないんだけど……ただ以前、マスターは“魔窟にはダンジョンを設置しない”とルシファーと取り決めていただろう? これ迄嘘を吐かなかったマスターが珍しいな、と思って」
「嘘は吐いていませんよ。設置とは言葉通り設け置くこと。僕はあれを彼女にただ渡しただけな訳であって、魔窟に置いているわけではありませんので」
「成程。だけど冥界を統べる者の秘書に持たせ、魔窟内部の監視という目的を持たせているなら、設けるという意味で限りなく黒になってしまうんじゃないかい?」
だけどマスターはそんな俺の指摘を頑として受け付けようとしなかった。
「いえ、そもそもあのペンを持ち歩くかどうかは彼女の自由意思です。仮に監視にというなら、その目的達成には彼女があのペンを持って魔窟を訪れ、そこでペンを使用するという幾重もの条件をクリアしないといけません。つまりあれはグレーどころか真っ白という事。僕はルシファーとの約束を破ってはいません」
なる程ね。マスターの言い分について、俺は別に屁理屈だどうだ等というつもりはない。
ただ俺は少し心配になったのだ。1つの罪を否定するには、新たな罪を認める必要があるのだから……。
俺はザワリと枝を揺らし確認する。
「……君は、本当にそれでいいのかい」
「どういうことでしょう?」
目を細めて俺を見上げるマスター。
俺はそこに俺とマスター以外に居ない事を把握しつつも、そっと声を潜めてマスターに訊ねた。
「ここで“黒”と認めておかなければ、それはつまり魔窟ではなくマリアンヌのプライベートを監視する為という事になってしまうんだよ? それはもう、黒どころかギルティ案件なんだけど……」
そう。もしここで黒だと認めなければマスターは婦女子盗撮事件の容疑者……いや、現行犯になってしまうという訳なのだ。
だがその時、目を細めて俺を見上げていたマスターの視線に冷ややかさが混じった。
しかしそれもほんの束の間で、マスターは眉間を押さえて俯くと深い、深い溜め息を吐いた。
「まぁ……ええ。確かに、例のペンにコアを仕込ませる事は、彼女のプライベートの一部を暴く行為でもあった。それは認めます。それを悪用する気はなかったとしても、きっとこの事実を知れば彼女は非常に不愉快な思いに駆られるでしょう。だからもしこの件が彼女に知れてしまった時には、僕は潔く彼女に謝罪します。ただ……」
「ただ?」
マスターが再び顔を上げ、じっとオレを見つめてくる。
オレは枝を傾げマスター言葉を反芻すると、じっとマスターの次の言葉を待った。
そして長い静寂の後、マスターはポツリと言ったのだった。
「―――……ただ、アインス様にだけは言われたくないなと」
「……」
冷めきった声で呟かれたそれは、俺に向けられた特大のブーメランであった。
俺はあたふたとテンパりながら、マスターが言っていた事と同じような言い訳をする。
「……う、うん。そうだね。……だけど分かって欲しい。俺もね、悪用しようだなんて考えてないんだ。もちろん謝罪だってするよ。わかってる。俺の場合マリアンヌだけじゃなく、全世界に向かってだね。……ふ、不愉快な樹で…すみません……って……」
……なんか樹液出てきた。
それから俺は暫く無言ではらはらと樹液を溢していたが、マスターはもうそんな俺を完全に無視して黙々と落ち葉を片付けていたのだった。




