ルシファーの帰還 5
「単純?」
オレは思わずマリアンヌちゃんを食い入るように見詰める。
出口も抜け道もなく、ただひたすら耐え忍ぶしかないこの状況を、単純に解決できるというのか?
マリアンヌちゃんは特に勿体ぶることもなく、手にしていたペンを胸ポケットに仕舞いながら何でもないことのように言った。
「ええ。そんなの、別にこれまで通り誘い続けてはウザがられ、ハデスの様な伝説上の怪物達とツルんではぶっ倒れて、私や周囲に甚大な迷惑と心配をかけ続ければ良いだけよ」
「あぁ、なるほど! 流石……って、オイ」
全く解決になっていないその対応策に、思わずノリツッコミをキめてしまった。
だがマリアンヌちゃんは冗談だったと笑い飛ばそうとはせず、至って真面目な表情で淡々と続ける。
「だって貴方にはそれしかできないじゃない。それにこう言ってはナンだけど、ルシファーはもう“自分を変えたい”だなんて青臭いことを今更言う歳でもないでしょ。今年で一体何歳になるの?」
「え? えーっと、いちまんいっせ………あ、でも! き、気持ちだけはいつまでも若いつもりだからっっ」
「あ、そう」
オレは必死に付け加えたのだが、マリアンヌちゃんは心底興味なさげに短く相槌を打っただけだった。
「ま、気持ちだけ若くても、もう私も貴方もそう易々とは変われない。立場や柵、凝り固まった観念なんかを持ってしまってる大人にはね。だけど別にそれはそれでいいじゃない。だって神々が貴方に役目を任されたのは“今後奇跡的に生まれ変わるルシファー”に期待されたからじゃなくて、これまでの……つまり、過去のルシファーがそれまで善く生きてきていたからだってことでしょ」
マリアンヌちゃんの言葉にオレは自信もなく曖昧に頷いた。
「そりゃまぁ確かにそうだろうが……オレはただこれ迄好きに生きてきただけだからな。正直、自慢できる程善く生きてきたなんて思ってないし」
「そうなの? まぁこの際貴方貴方の思いは関係ないけど」
マリアンヌちゃんは素っ気なくそう言うと、一瞬何かを考えるように腕を組んで押し黙った。
そして1拍後、再びオレをまっすぐと見上げてくる。
「でもルシファーが言う“自分の好きなように生きてた”ことそのものが神々に認められて今の役目を任せられたなら、それはもう、お受けしたお役目を全うするまで貴方は、どんなに苦しくても好きなように生きなければいけないという事なんじゃいのかしら」
「好きに……生きなければいけない?」
それは思いもよらない考え方だった。
好きにいきるなんてそれこそオレの自由そのものなのに、それを強制されるなんて矛盾している。
だけどイヴを託された当時は、無自覚だったにしろ確かに頷いた。今までの経験を活かし、全身全霊でこの子を幸せにしようと。
それなのに今のオレはどうだろう?
親父面しようとあいつらの顔色を伺い、他の用事や仕事を後回しにしては、その罪悪感に苛立ちと不安を積もらせていく。もっと手本になるような大人になりたくて、それでもオレはオレを変えることは出来なくて……、―――そして心の奥底で“速く今が終わればいいのに”と呟いてしまう。
……そうじゃないだろ。
あの頃のオレはこうじゃなかった。手にした全てが大切で、特別で、それを仲間と共有したいが為、巻き込んで、困らせて、それでも何だかんだで笑いながら一分一秒を惜しみながら今を大切に生き抜いていた。
あまりにも違いすぎるそんな今のオレに、オレは思わすマリアンヌちゃんから顔を逸らし俯いた。
親としての責任を果たさなきゃなんて意気込む前に、オレはもっと重大なものを見落としていたのだから。
情けなくて、まっすぐマリアンヌちゃんの顔を見ることが出来ない。
だけどその時、そんなオレの肩にポンと小さな手が置かれた。
「大丈夫よ。貴方にとっては難しいことじゃない。これ迄も出来ていたんですもの」
呆れられてるんだろうと恐る恐るに顔を上げると、マリアンヌちゃんはまるで気にしてないとでも言うように、いつも通りの顔で笑っていた。
いつものように嫌みも憎まれ口も叩かないマリアンヌちゃんを見て、オレはふと思う。
―――あぁそうか。今オレ、またマリアンヌちゃんに心配掛けて気を遣わせてるのか。……どうしようもねぇな。
「すまん……やっと分かった。オレ、迷走してたみたいだ」
「気持ちは分かるわ。思い通りにならないと現実逃避したくなるもの。少し疲れているようだから、この休暇の間だけでもゆっくり休むといいわ」
気遣うようにそう言って踵を返そうとしたマリアンヌちゃんだったが、その背をオレは呼び止めた。
「マリアンヌちゃん。1つ頼みがあるんだ」
「何かしら?」
「やっぱりオレ、これから夏季休暇終了までの期間、オレの本来の仕事に集中する事にしようと思う」
どうやっても迷惑や心配をかけてしまうなら、もういっそ開き直ってみよう。
「そう。それで?」
「オレの本来の仕事とはマリアンヌちゃんも知っての通り、この魔窟に閉じ込めて今る亡者共の教育および管理だ。その一環として、堕ちた魂共が不満を抱え暴動を起こさないよう定期的に奴等のガス抜きなんかもしてやんなきゃならない」
マリアンヌちゃんは無言でオレの言葉に耳を傾けている。
「とは言え、亡者といえばハデスを筆頭にした最悪の悪霊共。生身のオレなんかがそいつらの相手をすれば、間違いなく軽傷じゃ済まない負傷をするだろう」
するとマリアンヌちゃんはまるでマニュアルを読み上げるように、どこか機械的な口調で質問をオレに返してきた。
「何故そんな危険な事をするの? それは絶対に貴方がしなくちゃならない事なの?」
「あぁ。オレは“冥界を統べる者”だからな。だからこの件は他の誰にも任せられない」
オレがハッキリとそう頷くとマリアンヌちゃんは押し黙り、そして無言で続きを促してきた。
「だからそれでオレが負傷して死にかけた時、マリアンヌちゃんにオレの蘇生を頼みたいんだ。オレの主治医でもあるマリアンヌちゃんなら、きっとその辺は上手く出来るだろうから」
実質言ってることは「ハデス達とやっぱ遊びたいからフォローをよろしく」と言うことだ。
医者からは間違いなく「ふざけるな」とストップを掛けられる案件である。
だけどマリアンヌちゃんはフッと口角をあげて笑うと、自信に満ちた表情で頷いた。
「まったく……ルシファーも大変な仕事を任されたものね。しょうがないわね。私の仕事は貴方を生かし、健康を維持することだし、いいわよ」
「よっしゃ、やった!」
「やったとか言わないで」
思わず本音が漏れたところで、すかさずマリアンヌちゃんに突っ込まれた。
「これは貴方も私もすべき仕事をキチンとしようとしてるだけ。大人としての責任を果たしてるだけなんですからねっ」
マリアンヌちゃんも本当は分かっているのだ。だがそうとは言わず、腕を組んでそれらしい建前だけを並べるマリアンヌちゃんにオレはからかうように突っ込んだ。
「もうちょい仕事を楽しんだっていいだろ。ほら、マリアンヌちゃんだって馬鹿なことしてるオレを見てるのが好きだって言ってし?」
「ええ。だけど私、仕事が嫌いだなんて一言も言ってないわよ? だいたい嫌だったらこんな仕事してないもの」
「……確かに。それもそうか」
オレは頷き、そしてふと自分も仕事と趣味の境目が分からなくなっていることに気付いた。
確かに、大人になればその一挙一動に重い責任が伴ってくるようになる。
だけど結局のところ、今のこの全ての状況は、かつての自身が望み選択してきた結果。
大人になった今と無責任だった若い頃との違いと言えば、それまで普通にやってきた事や好きでやってきたような事が、ただ“やらなきゃいけないこと”に変わっただけ。
そしてそのやらなきゃいけないことを「大人の責任」と呼ぶのなら、それはもう苦しい重圧なんかじゃない。
望むところ……いや寧ろ、こちらから立候補させていただきたいご褒美的役目に相違ないのだ。
「じゃ、いっちょ行くか。亡者共の相手をしに」
「えぇ、喧しいからこの先10年は黙ってるくらい存分にやっちゃって欲しいものね。心配しないで。私が隣にいる限り、例え死んでも蘇生させてあげるから。この“神の手を持つ貴婦人”というの二つ名に賭けてね」
頼もしくそう言ってくれたマリアンヌちゃんに、オレはつい小声でポツリと言う。
「……にしても大層な肩書きだな?」
「そぅ? “冥界を統べる者”で“ノルマンの英雄”で“神子を託されし者”に言われたくないけれど」
間髪を入れずそう返され、オレは思わず「確かに」と言って吹き出した。
そう。オレ達には、いつの間にかそんな御大層な肩書きが付けられていた。
だがそんな大層な肩書も、オレ達からしてみればただ好きな事を我武者羅に続けてきた延長でしかない。
そして背負っていくと決めた今となっては、これからも我武者羅に続けていく為の宣誓なのである。
だからオレ達は自信を持ってこの肩書きや責任全部を背負い、これからも我武者羅に続けていけばいいのだ。
笑みを浮かべながら、足取りも軽くオレがハデス達の消えていった洞穴に歩みを進めていると、隣を付いて歩いていたマリアンヌちゃんがふと声をかけてきた。
「上機嫌ね」
「あぁ、なんか大人になれば何事にも責任を持たなきゃならねぇってあせってたけどさ。だけど責任を持てるならずっと好きなことしてていいんだって、ふと思い出してな。子供時代なんかより、よっぽど自由だって事をよ」
「そ。なら新学期にあの子達にそう教えてあげればいいじゃない。“大人って奴は楽しいぞ”って」
「だな。あいつらももう手を引いてやる年でもないし。そろそろ子供じゃなく“未熟な一人前”として責任ある自由を楽しませてやっていいのかもしれない」
オレはそう言って、あの二人ならどんな風に自分の好きなことに夢中になるのだろうと想いを馳せる。
「あいつらも楽しんでくれるといいな。オレはこの世界が大好きだからさ」
「ふふ、なによ今更改まって。だけど漸く貴方の本来の調子が還ってきたみたいで良かったわ」
そう言ってクスクスと笑うマリアンヌちゃんを横目に見たその時、オレは不意に小さな違和感を覚えた。
―――……あれ?
足を止めてマリアンヌちゃんの方に振り返り、胸ポケットから少し飛び出たペン先を指差す。
さっきマリアンヌちゃんがレイルから貰ったと話していたあの可愛らしいペンだ。
訝しげに首を傾げるマリアンヌちゃんに、オレは眉間を寄せて訊ねた。
「な、マリアンヌちゃん。そのペン先に付いてる人形飾りってさ。二段雪だるまだったか……?」
「え?」
人形が壊れた形跡などはない。トップの帽子を被った頭もちゃんと付いている。
なのに三段だった雪だるまはいつの間にか、初めからそうだったように二段になっていたのだった。
次話、聖域(主人公の樹)での話に移ります。




