ルシファーの帰還 2
その後オレをからかい飽きたラミアとリリスは、ハデス達を引き連れ洞窟の奥へと去っていった。
「おいハデス。イヴちーの風神雷神戦を映写するからアレを準備しろ」
「アレだなぁぁ? ヒャーッヒャッヒャ! いいぜぇ任せときなぁ、ど派手に爆発さしてやらぁぁ!! ヤロー共ぉ俺に付いて来いあぁぁ!!!」
「いぇやぁアァァ!! 愉しい火炙りの時間だぜぇぇぇ!!」
「ギャハハ、中身グチャグチャに弾け飛ばしてしてやらぁぁ!!」
……多分ポップコーンの話をしてるんだろうなぁ、等と思いながらオレはその背を見送る。
デーモン達と亡者達はああ見えて案外仲がいい。
気紛れで面倒臭がりなデーモン、そして尽きぬ寿命に暇を持て余している亡者とでなかなか反りが合うんだろう。
ハデス達の姿が消えると、テーブルに一人座るオレの前にコトリと湯呑が置かれた。
湯気の立つお茶を出してくれたのは、宥め続けて漸く8割方機嫌を直したマリアンヌちゃんである。
「おお、マリアンヌちゃんありがとな」
「一応秘書に任命されてますもの。こんなの仕事の内よ。それより早速だけど本日分の予定を進めさせていただくわね」
マリアンヌちゃんはそう素っ気なく言い、先程持ってきていた4巻のスクロールの内の1巻を机に拡げ始めた。
このスクロールは魔法学園ノルマンでもよく使われている物で“記録スクロール”呼ばれている。
その名の通りただの記録媒体なのだが、このスクロール一巻でそこそこの図書館一つ分の蔵書データなら軽く収められてしまうという代物だ。
……それが4本。今日の確認予定分だけでだ。
オレがこの魔窟を離れてまだ十数年程だが、そのツケは結構エグかった。
オレはお茶を一口啜り、集中力を仕事モードに切換えた。
「それじゃあこの十年の内に拡張された冥界の新たな居住空間と設備関連に関しての報告から始めるわね」
マリアンヌちゃんが指でスクロールの文字や図表に触れると、キンッと小気味良い音を立ててスクロールに収納されていた情報が光の画面となって宙に浮かび上がりだす。
報告が進むにつれてどんどんと表示されてゆく光の画面に、オレ達はあっと言う間に取り囲まれた。
膨大な量の資料だが、凄いのはやはりそれら全てを把握しているマリアンヌちゃんの頭脳だろう。
画面を素早く切り替えながら、言い淀むことなく淡々と説明をするマリアンヌちゃんの姿は、まさに“氷の女王”という二つ名に相応しく隙がない。
ただ1つ気になるのが、その冷徹なほどに沈着冷静なマリアンヌちゃんが、説明で画面を指し示すときに使っているペンが物凄く可愛いと云う事。
キラキラとラメの入った水色の軸に、ペン先に三段雪だるまの飾りが付いた可愛らしいマイペンが、氷の女王のイメージをある意味ぶち壊していた。……いや、可愛いし全然いいんだけどな?
そんな事に若干気を取られつつ、流れる様に画面を切り替えていくマリアンヌちゃんを見ていると、ふとその姿に既視感を覚えた。
―――誰かと似てるな。誰だっけ……あぁそうだ。
この姿。以前クロの誕生日で【シャボン玉のダンジョン】を作ろうとしていた少女と似てるんだ。ダンジョンの住人・マリーと。
そう言えば、オレが初めてマリーと会った時は随分驚愕したな。
なんせあのレイルが、悪意なく他人に優しくしていたのだから。
驚きはしたが、よくよく見ればあの子がマリアンヌちゃんに似てることに気付き、その為だろうとその時は納得した。
……だがここ数百年の様子を見る限り、どうもそうではないらしい気がする。
というのも現状オレが呼び戻したマリアンヌちゃんとレイルの関係を見ていると、昔ほど仲が良さそうにもしていない様なのだ。
他の奴等の様に嫌悪し合ってる訳では無いが、互いに用がある時のみ、業務的な応対に毛が生えた程度のやり取りをするだけ。
―――そこでオレはふと気付く。
……というか、そういや最近のオレとレイルもそんな感じの付き合い方じゃないか。
滅多にないが、用がある時だけアイツはふらりとオレの前に現れる。
そしてオレもあいつに助言を求める時だけ、ふらりと聖域に赴く。あいつは何だかんだで助力はしてくれるが、決して馴れ合ったりしないし馴染もうともしない。
それでも他の奴らよりかは仲が良いと思われてるのは、オレに昔あいつと交わした“500年に一度、一週間だけその力をオレに貸す”という契約があるからだ。
あれのおかげで5世紀毎に近況報告や雑談を交わし合う仲は保っているものの、アレがなきゃとっくに疎遠になっていたかも知れない。
まあその契約も、随分昔になるが一度破棄提案を持ち掛けられた事があるし……。実際、周りが言う程オレもあいつと仲良いわけじゃないんだよなぁ……。
「はぁー……」
そう思い至り、思わず深い溜め息が漏れた。
だけどなんでだろう?
初めてレイルに出逢った頃、捻くれた奴だと思いはしたが、他人をここまで突き放す様な奴じゃなかった。
なのに今はまるで、この世界を外から見下しているような孤独な傍観者だ。
最近、あいつの考えがマジで全く読めない。……いや、最近でもないな。いつからだ? 戦争以降から? 違うな、多分もっと前……。
「……うーん?」
溜め息に続き無意識にそんな唸り声を上げると、とうとうマリアンヌちゃんから苛立たしげな声が上がった。
「ルシファー? 聞いてらっしゃるのかしら?」
「あ、わりぃ。ちゃんとそっちも聞いてるから。482号洞穴の支柱補強についてだろ。続けてくれ」
「……まぁ聞いているならいいのだけれど。他の事を考える余裕があるなら、即決できる改修事項についてはここで決めていって貰っていいかしら?」
「あぁ、分かった」
オレは頷き、目の前の話しに集中することにした。
地底のこの十年の拡張報告を聞き、その後も楽園内部の報告、亡者・聖者共の始末書の処理対応の取り決め、そして嘆願書の確認などをマリアンヌちゃんと処理していく。
「―――因みにデーモン達のここ十年の活動報告については、特筆する事はないわね。デーモン達の生命維持に必要な“C級レベルの願い”は多数発動されているけれど、地上への影響は知れてるもの。そして周囲へ甚大な被害が及ぶ“B級以上の願い”については発動されないよう、事前にアスモデウスが率いる教皇庁の方で上手く捌いてるようね」
「おお、流石アズーだ。っつかデーモン達は本当にシッカリしてくれてるよな。まったく自粛せずやらかしまくる亡者共と大違いだ……」
スクロール一巻に収まりきらなかった大量の始末書を思い出し、オレはげんなりと呟いた。
「自粛したくても出来ないのよ。亡者なんて愚か者ばかりだから」
そう言い放ちながらマリアンヌちゃんは、またオレの湯呑にお茶を注ぎ足してくれる。
オレは熱いお茶を啜りながら、そっと亡者共の弁明をしてみた。
「亡者の中には、たまぁー…に賢いやつもいるんだぞ? ハデスは確かにあれだが、亡者を一纏めに愚かと言い切るのは果たしてどうだろうか……?」
「本当に賢ければ堕ちたくても堕ちれないものよ。どんな悲惨な運命を目の当たりにしようと、どんなに世界が憎くとも、ね」
「へぇ」
その言葉にオレは妙に納得してしまった。
一つの生涯を終えた者には、必ず多かれ少なかれ悪しき部分はあるのだ。
あのマリアだって生前は悪意に追い詰められ、僅か16歳でこの世で生き続けるを放棄し自から命を断っている。
それでも今、ああして穏やかに笑っていられるのは、本能や理性、そして倫理すら超越した部分で“賢いから”なのだろう。
復讐をしても構わないと赦されても、感情に流されることなく何もせず、ただ世界を静かに見下ろすことを当然のように選ぶ。
オレはふと、目の前の聖者に問い掛けた。
「そういやマリアンヌちゃんは“堕ちたい”って思ったことはないのか?」
「勿論あるわよ。貴男が投げて下さる仕事量を前に何度“馬鹿ならよかったのに!”と思ったか知れないわ」
「わー……申し訳ない。そしてありがとうゴザイマス……っ」
突然の特大ブーメランにオレは顔を引き攣らせる。
マリアンヌちゃんはそんなオレを気にも留めることなくスクロールの片付けを終えてスケジュール帳を取り出した。
そして例の可愛い三段雪だるのペンを片手にチェックを入れていく。
「とりあえず今日中に確認しておきたかった事はこれで全部ね。それじゃあ私は今日はもうこれで失礼するつもりだけれど、他に用はなかったかしら?」
「あぁ、ありがとう。今のところは何も……」
よろしく頼むと言いかけて、オレはふと訂正した。
「あ、そうだ。一つ聞きたい事があった」
「何かしら?」
「この【暗い森】の中に危険な場所ってあったか?」
マリアンヌちゃんがマイペン先の三段雪だるまを顎に充て眉間を寄せる。
「どういった基準かにもよるわね」
「例えば“イヴが来たら”問題が起こりそうな所とか、会わせたらマズイ奴ら……とか?」
不意に脳裏に、以前ケントが寝惚けて口走っていたことが思い浮かんだのだった。




