ルシファーの帰還《ルシファー視点》 1
《ルシファー視点》
―――暗い森と呼ばれる魔者達の巣窟の中程に、冥府へと続く階段がある。
その長い長い階段を下ってゆくと、そこは最古のデーモンやデモネス達の根城にして、この世に怨念や負の感情からくる未練を抱えた亡者達の王国が拡がっていた。
俗に言う、この世で最も暗くて冷たい“死の国”である。
「フゥー!!! 10年ぶりのシャバだぜヒャアぁハアァァァァ!!! 野郎共、元気だったかアァア??!!」
「煩せぇ! 全員死んでるよぉー」
「引っ込めー!」
「ワハハ、ハデス様お久っすー!」
と、そこで大騒ぎしているのは、この冥府で最古参の亡者にして、とある事件により死を司る神と成った冥王ハデスと、その他亡者達だ。
……まあ物理的に暗くて冷たくとも、実はかなり賑やかだったりする。なんせ復讐を望む魂なんざ、他人に利用されて騙される馬鹿ばっかりだからな。
そしてオレはノルマンの夏季休暇に伴い、十年ぶりにこの愛すべき馬鹿共の溜まり場・魔窟に帰ってきたのである。
魔窟に戻ったオレが真っ先に行ったのは、独房に閉じ込めっぱなしだったハデスの開放だった。
そもそもハデスが何故独房なんかに閉じ込められ、隔離されてるかと言うと、ハデスはたまに控えめに言って変になるのだ。……ま、一種の病気のようなものだな。
そしてその症状は何故かオレにしか治せず、オレがこの魔窟を留守にしてる間はその病気を発症させない為に独房に閉じ込め、ラミアやリリスに監視を任せていたのであった。
そんなハデスが今回独房に監禁されていた期間はこの夏で十年を超える。
で、流石に申し訳なくなり、こうして喧しくなる事も承知でソッコー出してやった訳であった。
そしてハデスを解き放ったオレは、外で装着出来なかった“骨の翼”を全開に生やし、漸くホッと一息ついて今に至っている。
オレはみんなが騒ぐ大洞窟の片隅に置かれた机に突っ伏し、ピンと伸ばした翼を無駄に羽ばたかせてみたりしながら悦に浸っていた。
「くァー。やっぱこの翼オレの本体だわー……漲るぅー……」
「アッハ☆ ルシファー様がまた変なこと言ってるー」
と、そんな声がしたかと思うと突然オレの肩に負荷が掛かる。ラミアが巫山戯けて背後から抱きついてきたのだ。
オレはラミアの気の済むようにくっつけさせたまま軽口を叩いた。
「ようラミア。折角の夏休みの予定が、こんな辛気臭い地下なんかで良かったのか? てっきりお前ならイヴやロゼの方に行くと思ってたのに」
「だってぇ、イヴちゃんの戦闘の邪魔しちゃ悪いもんね。まぁガルガルっちにイビル・アイの子機を借りてきたから、後でそっちで観戦はするけどさ」
「マジか。天才かよ。録画しといてくれ」
「オッケー♪ んじゃルシファー様は休み明けに、ボクの可愛い男子達に配るお土産の手配しといてネ☆」
「いいだろう。男心をガッチリ掴む品を準備しといてやる!」
「さっすがルシファー様ーっ♪」
「いや……まぁ」
だがその時、最近のオレはこの人使いの荒いサキュバス達のお陰で、女より男へのプレゼント選びが上手くなってきていると云う実状にふと気付き、スンとテンションを落とす。
オレはこれ以上その話題に触れることなく、感情の抜け落ちた声で話を逸らせるようにラミアに1つ指摘した。
「ってかさ。“ガルガルっち”て何だよ。ちゃんと“魔王様”って言え。部下だったんだろ?」
「昔の話を持ち出さないでよ。もうボク達悪魔は魔王軍を抜けたんだから、なんて呼んだっていいの!」
「いいのかよ。サバサバしてんだな」
確か悪魔達は“アビス襲来”の際に魔王様へ不満を持ち始め、軍門を抜けたんだったか。
そしてそれ以来、同じく根無し草だったオレとツルむようになった。
ま、気紛れな悪魔達には上下関係が徹底された軍は合わなかったのかもしれないな……。
そんな事を考えていると、ラミアがオレの耳元で大きな溜め息を吐いた。
「あーぁ。にしてもロゼ様が精霊王とバカンスに行くなんて言い出さなければ、ボク達が真心込めてお世話したのになー。やっぱ精霊王キライー!」
「まぁまぁ……」
何が気に入らないのか、ほんっとに悪魔達って精霊王様を目の敵にするよな……。
オレが呆れながらラミアを宥めていると、不意に机がキシリと軋み音を立て、オレの目の前に真っ白な美脚が置かれた。
視線を上げると、そこにはリリスがジャック・グラウンドに居た頃より遥かに少ない面積の衣服を身に着け、すろりと足を組んで座っている。
「おかえりなさいまし、ルシファー様♡ 愚妹がご迷惑をおかけしてませんかしら?」
「ようリリス。久し振り。ハデスの監視サンキューな」
「いいえ♡ ルシファー様のお役に立てて光栄ですわ♡」
リリスはそう言って惹き込まれてしまいそうな妖艶な笑みを浮かべた。
だがそんなリリスにラミアは抗議の文句を言い始める。
「って、ちょっとお姉! 愚妹ってなんだよ? ボクはただ傷心のルシファー様を慰めてただけなの!」
……慰めてたか? どのへんが?
オレは耳を疑いつつ聞き流していたのだが、リリスは不思議そうな顔でそのネタに喰い付いた。
「まぁ! ルシファー様が御傷心ですって? 報告にはなかったけれど何かあったのかしら?」
「別に……」
と、オレは答えかけたのだが、それを遮るように突然ラミアがオレの頭を抱え込み、哀れみの籠もった声音で説明を始めたのだ。
「あったよ。だいたいお姉はルシファー様がどうしてこの夏、たった一人で魔窟で過ごそうとしてるかも知らないでしょ? ルシファー様はね、イヴちーとクロくんに“お前要らん宣言”されちゃったんだよ!!」
……ぐふっ。抉る!
「―――……、くふっ」
リリスも笑ってんじゃねえ。
「それに前学期にルシファー様はね、イヴちーと同期で入学してた“光のエルフ”を独断で卒業させちゃったんだ。……その事実が発覚した時、女生徒達がルシファー様へ放った怨念ときたら、この地獄の亡者達なんか目じゃない程だったよ。もし他のクラス受け持ってたら、先ず間違いなく学級崩壊が起こってたよね!」
「あらまあ怖ぁい♡ 特殊組担任で良かったですわねぇ♡」
いや。ぜってぇ怖がってねえし。
「それからというもの“どうして私達の天使を奪ったのですか?! 貴男は悪魔ですか??!!”って抗議の手紙や“ミカエルくんの居場所を教えろ!”って脅迫文が学園中から毎日のように送られてくるようになったんだ。他の教師達からは“自分でなんとかしてくれ”って薄情に突き放されるし、本当に大変だったんだからぁ」
そう。ミカエルの奴、オレ以外の奴にはノルマンを出てどこへ行くかは言ってなかったらしいのだ。
神域と関わりの深い勇者には、聖域内部の情報を探る為に少しだけ話題を振ったようだが、それでも「そこに行く」とは伝えなかったようだ。
そうして本人が隠してる以上、オレがその行き先を告げる訳にはいかない。
オレはあの耐えることしか出来なかった日々を思い返しながら、ふとラミアに訊ねた。
「ってかラミア。向こうじゃただの生徒でしかなかった筈のお前が、何故そこまで知ってる……?」
「面白かったから調べたに決まってるでしょ」
ハイ確定! やっぱコイツ慰める気ねぇ。
「アハ☆ そんな訳でぇ、多分二学期に開かれる今年の学園祭でのランキングにルシファー様の名が挙がらない事は確定だね。いや、それどころか裏ランキングでワースト一位獲っちゃうかもネ!」
「嬉しそうにすんなっつの。ってかオレ別にランキングとか全然興味ないし?」
オレは背中からラミアを引き剥がしつつ涙目で抗議した。
が、今度はリリスがこっちに胸を突きだしながらオレの頬を撫でてくる。
「あらあら♡ ふふ、虚勢を張って可愛らしいお方……だけどそう言うことなら、この私もルシファー様をな・ぐ・さ・め・て♡ さしあげなくてわはぁ♡」
「さしあげんでいいし」
「お姉ズルいっ! ボクも慰めるー☆」
「ラミアのお陰で30倍くらい凹み直したんだが?!」
「テヘ☆」
リリスの手を払い除け、突撃してくるラミアを腕でガードしていると、ふと向こうからマリアンヌちゃんがスクロールの束を手に、こちらへ向かってツカツカと歩いてくるのが見えた。
マリアンヌちゃんはオレの有能な秘書として、仕事からオレの体調管理に至るまで様々なサポートをしてくれている。
今日もこの後マリアンヌちゃんと打ち合わせの予定にしていたのだった。
ラミア達に遊ばれ疲れたオレはこれで漸く解放されるとホッと胸を撫で下ろす。……だが、オレの前で足を止めたマリアンヌちゃんは、まるでゴミでも見るかのような冷たい視線でオレを見下ろし言い放った。
「―――サキュバス相手に何を盛ってるのかしら? 穢らわしい……」
……いやいや。
「いや、待てマリアンヌちゃん。誤解だっ、これはコイツ等特有のコミュニケーション方法でっ……」
「あら、私はルシファー様のお相手ならいつでも受けて立ちますわ♡」
「ボクもー!」
サキュバス達の余計な合いの手を受け、マリアンヌちゃんの目からスゥッと光が失せる。
ちょ、怖……。
オレはリリスとラミアを押し退け、必死で弁明を続けた。
「お前らちょっと黙れっ。ってかほら、3桁を超える彼氏持ちのダチに盛るとかあり得ないから! な?」
「あらそ。まぁ、私には貴方が何処で誰と何しようが興味なんてない訳だけれど」
「あ、あぁうん……」
まぁ……確かに言われてみればその通りか。
オレが何処で何しようがマリアンヌちゃんが興味を持つ筈がない。ならばオレがこんなに必死に弁明する必要もないのだ。
……うん。マリアンヌちゃんがかつてのオレの嫁の顔と瓜二つだったからついテンパったな。
そう思い至ったオレはホッと気を持ち直し、明るい雰囲気で世間話に切り替えた。
「だよなー。オレのことなんか興味ないよなー。あ、そうだ。最近レイルの奴とは連絡取ってる?」
と、その瞬間。なぜか突然マリアンヌちゃんの表情が怒りに歪んだ。
「―――このっっ、セクハラ上司! 訴えるわよ?!!」
「なっ、なんで?!」
突然キレ出したマリアンヌちゃんにオレは訳が分からず、咄嗟にリリス達に助けを求めるように視線を送った。なのに二人は「やれやれ」「ま、仕方ないね……」と頷き合うだけ。
オレはこいつ等に期待することを早々に諦め、一人孤独に怒れるマリアンヌちゃんの説得に努めたのだった。




