太陽からの伝言 上《ソラリス視点》
《ソラリス視点》
その日、私は目を覚ますと大急ぎで外出の支度をした。
外はまだ薄暗い早朝。
出掛ける前に料理長に頼んで準備してもらった簡単な朝食を取っていると、お父様が食堂に入って来て私に穏やかな声で挨拶をして下さった。
「おはようソラリス。昨晩は疲れたろう。よく眠れたかい?」
「おはようございますお父様。とてもよく眠れましたし、それ程疲れてもいません」
「それは良かった。ところでこんな朝早くから支度をして、どこかに出かけるのかい?」
「ええ。昨晩のお礼も兼ねてミカエルを街の散策にでも誘おうと思いまして」
このカロメノスに来からというものパーティーの準備やらで忙しく、ミックの様子を見に行くこともできていなかった。だけどそれも漸く終わったのだ。
これからはもう少しゆっくりとミックとも夏季休暇を過ごせる筈。
……―――だけどそれに対するお父様の言葉に私は耳を疑った。
「あぁ、ミカエル君なら昨晩この街を出たらしいよ」
「……え?」
「私ももう少しゆっくりしていくものかと思っていたのだがね。先程彼が宿泊していた宿からの使いが来て“払い戻しが出た”という報せを置いていった。その使いの話しによれば、あの舞踏会の後直ぐにチェックアウトを済ませて出ていったようだ」
信じられず私は飛び出すように屋敷を出た。
小舟の先導を急かしながらミックが宿泊していたという宿に向かう。
だが宿の受付の人からは、お父様が話してくれたように昨晩遅くにチェックアウトを済まし出て行ったと言われた。
(―――あり得ない。ミックが私になんにも言わずに行くなんて……!)
それから私はミックが行きそうな所を駆け回った。
私が侯爵家に未だ入る前に二人で身を潜めていた空き家や、お気に入りの埠頭。走り回った路地……。
その景色を見る毎に懐かしい記憶が鮮明に蘇るのに、そこにミックの姿は影も形もない。
「っなんで? なんでよ! 私が守ってあげるって言ったじゃない! 勝手に居なくなるなんて!! ミックのくせにっ、ミックのくせにっ……私が居なきゃミックなんて……っ」
奥歯を噛み締め、私はミックの幻影を探して街を走り回った。
そしてふと気付く。
ミックは私が居なくても、もう困りはしないということに……。
イヴ達との旅で成長したのは私だけじゃない。
闘えないとは言ってたけど、それでもC級のオークくらいならミックはもう軽く撒いてしまえるのだ。
それにミックは私よりずっと賢くて要領もいい。そして要領の悪い私は、寧ろいつもミックに助けてもらってた。
学校でも物凄くモテるくせに、煩わしいからと言っては逃げるように私のところによく顔を出していた。
そんなミックの様子を見て、私も他の子達の様に煩わしくなりたくなくてパーティーは疎か昼食すら誘わなくなった。
私は貴族だから平民のミックになんか眼中にないって、そんな風に周りに話した……。
―――嫌われたくなかった。何処か別の所に行かないで欲しかったから。
私は息を切らせながら、昔ミックがいつも歌を歌ってた人気のない広場にやって来た。
まだ陽の光も射し込んでいない、忘れられたような薄暗い空き地。
私はそこで立ち止まりホッとしながら息を整えた。
だってそこにはミックがいつも持ってた黄金のハープがポツンと置かれていたからだ。
(ここに居たのね。やっぱり私を置いてミックが出ていく筈なんかなかった)
呼吸が落ち着くと、私は何でもない風を装ってハープに歩み寄りミックを呼んだ。
「ミック! 私が来たわよ! 暇になったから遊んであげるわ。居るんでしょ? 早く出てきなさい!」
だけどミックからの返事はなく、代わりに広場に面した古い集合住宅の窓から、そこの住人だろう若い女の人が顔を覗かせた。
胸元の大きく開いた下着のような寝間着姿で、不機嫌そうに私を見下ろしてくる。
喧しかっただろうか……。私は少し恥ずかしくなって、ハープを抱え上げると視線を逸らした。
だけどその住人は窓枠に肘をついて、私に話し掛けてくる。
「……アンタ、それ弾いてた仮面の男の知り合い?」
「え、ええ」
仮面の男? ミックのことだろうか?
困惑しつつも私が頷くと、住人はあくびを噛み殺しながら言った。
「そいつならもう来ないってよ」
「来ないって、どうして? 貴女は一体誰なの?」
「誰ってアタシはただのレニーさ。貴女なんて呼ばれるいい御身分でもない」
レニーは、そう言うと少し不機嫌そうに腕を組んだ。
だけど私は怯まず質問を繰り返す。
「ならレニー、何故ミックを知ってるの? ミックはここにいたの?!」
「ああ、この一週間毎日そこに下手っクソな歌を歌いに来てた。で、昨日いい加減“煩い下手くそ!”って言ってやったら“もう来ない”っ言ってそのハープをそこに置いてったんだよ」
昨日……? あの舞踏会の前だ……。
ミックの痕跡を再び見失った事に私は肩を落とし俯いた。
するとレニーはケタケタと笑い出だす。
「ハハッ、そいつアンタの男だったんだ?」
「ち、違うっ……そんなんじゃないわよっ!」
「あ、そ。ま、別にいいけどさ。そう云えばそいつから“もし金髪の女が来たら渡してくれ”って手紙を預かってるけど……いる?」
「え! いる!!」
私は即答した。
レニーはそんな私に呆れたように肩を竦めて見せ、窓の中に頭を引っ込めた。
「3日経っても誰も来なきゃ捨ててくれって言ってたけどホントに来るとはねぇ。ちょっと待ってな……はいよ」
そして再び窓から顔を出したレニーは、私に四つ折りにされた紙切れを指に挟んで差し出してきた。
「あ、ありがとう」
「ん、いいよ。手間賃貰ったしね」
そう言ってついでに持って来たパンと葡萄を齧りだすレニー。
私はそんなマイペースなレニーを横目に、急いで紙を開くとそこに書かれていた文字に目を走らせた。
だけど直後、私は震える声で唖然と呟く。
「……何よそれ……っなんでよ? 意味分かんないっ!」
―――そこにはこう書かれていた。
“―――ソラへ
この手紙を読んでくれてるってことは、きっと俺はもうこのカロメノスを出てることでしょう。
だから幾つかの伝えたかった事を、ここに書いていきます。
まずはデビュタントおめでとう。
そしてこれ迄ずっと、こんな足手纏いの俺を守ってくれてありがとう。
ソラと一緒に過ごしたこれまでの時間は、俺にとってとても平和で穏やかな時間でした。
だけどこれ以上甘えていたら、きっと俺はソラの名誉を傷つけてしまう存在になってしまうでしょう。
だからそうなる前に俺は、ソラの前から去ることに決めました。
今まで本当にありがとう。
月並みな表現になりますが、ソラは俺にとって“太陽”の様な存在でした。
ソラはいつも俺をこの世界の寒さから守ってくれた。
ソラが傍にいてくれると俺は隠れ忍ぶことなく光の下で世界を見ることが出来た。
ソラは俺の太陽そのものでした。
ソラの友人として傍に居れたことが、俺の人生の中で最高に幸せな日々でした。
これから別々の道を歩むことになっても、俺はずっとソラの幸せを心から願っています。
―――ミカエルより”
……行っちゃった? 本当に……私を置いて?
嘘だ。




