NEXT STAGE ①
と、その直後。すぐ前方の校舎の影から、可愛らしい女子生徒達の集団がゾロゾロとシアンの前に現れたのである。
「あ、シアン先生。ごきげんよう」
「わーい、こんなところでシアン先生に会っちゃったー♪」
テンション高めの女子生徒達を見て、シアンは“あぁ、これか”と内心納得する。
そして教師として女生徒達に当たり障りのない挨拶を返した。
「おう、お前達も元気そうで何よりだな」
「うんっ、すっごく元気♪ ところでシアン先生ぇ、この辺りでミカエル先輩を見かけませんでしたか?」
「えーっと……?」
言葉を濁した瞬間、シアンのシャツの裾がクイッと引っ張られる。
シアンは溜息を吐きながら、今自分が歩いてきた方を指さし言った。
「ミカエル君ならあっち。……東校舎第4棟の方に急ぎ足で走っていった……かな」
「皆聞いた? 東校舎第4棟よ!」
「うんっ! 今日こそお弁当を一緒させてもらいましょ! ではシアン先生、ごきげんようっ」
「うん、ゴキゲンよろしく。頑張ってネー……」
シアンが手を振って見送る中、女生徒達は楽しそうに駆け去っていく。
やがて彼女らの姿がすっかり見えなくなった頃、深い溜め息とともにミカエルが迷彩を解き、シアンの隣に姿を現した。
黒いランナーバードのダッキーに跨ったミックは青年期への変体を迎え、人間で言うところの17歳位の青年へと成長している。
ふわふわと柔らかかった白金の髪は長く艷やかなストレートヘアになり、邪魔にならないよう後ろで適当な感じに一本に緩く結ばれていた。
とはいえ、きめ細やかな白い肌は成長しても相変わらずで、少女かと見紛うような長いまつげに細い顎、笑えば四季折々の花を背景に背負うその光のエルフ特有の麗しい見目は、今やノルマン学園のプリンス☆エンジェルの二つ名を欲しいままにしている。
―――因みにノルマンには毎年学園祭で上位100位までを格付けする校内ランキングキングなるものがあり、堂々のトップにして絶対王者というのが、保健体育担当の教師ベリルだった。
次いでプリンス・エンジェル=ミカエルと、光の貴公子=ユウヒが熾烈な2位争いを繰り広げていおり、シアンはほぼランク外となっている。
ともあれ、当のミカエルは周りの評価など全く気にする様子もなくカラカラと笑った。
「やぁー、助かったっす兄貴。ソラが部からの急な呼び出しを食らったんで、一人飯しようとした途端これっすよ。いや参った参った」
「……今お前、全世界の非モテの男を敵に回したぞ?」
シアンはジト目でキラキラしい青年を非難がましく睨んだ。
「ははっ……てか、兄貴がそれ言います? 今や世界一有名な男は? と問えば、真っ先に名が挙がるような兄貴が」
「けっ、有名とモテはまた別だ。ずっと昔にモテ期が到来したこともあったが、最近じゃただの“良い人”止まりだよ」
とはいえ、シアンは世界で唯一“称号【良い人】”を与えられた存在である。
だがこちらも、そんな世界からの評価など全く気にする様子もなくドンヨリと呟いた。
「それになんか最近“シアンは実は超面食いの隠れバツイチ”なんて、根も葉もない噂まで流れててさ。それを受けて“シアンはないわー”って言われる始末だよ。いや、まぁ普通に美人は好きだが、そんなん恋愛云々とは別じゃん? マジで凹むんだが……」
……因みにその噂の出処は例の女子会であるのだが、シアンがそれを知る由もない。
「ま、オレ有名だしなっ! 多分、有名税ってゆー?!」
「……ほぅ」
シアンの切ない自虐ネタと妙な強がりに、ミカエルは困ったように小さく頷きだけを返すと、次の瞬間それらを綺麗に無視してぽんと手を打った。
「―――あ、そういや俺、兄貴にちょうど話しがあったんっすわ」
「話?」
「そう。ちょい時期的に中途半端なんっすけど、俺、今年度でノルマン修了しようと思うんっす。だけど来年までチンタラしてるつもりもなくて、夏季休暇までに論文提出して、ひと足先に旅に出たいんっすよ」
シアンは小さく眉を上げると、ピューと口笛を吹く。
「へぇ。そりゃまた急な話だな。例の石板の解読が終わったのか?」
「ま、そうっす。だから俺がここにいる理由もなくなったってゆーね」
ミックはそう言うと、ダッキーの首をそっと撫でた。
―――それは6年前の事。
その頃ミカエルは世界中をシアン達と共に旅をしていて、その道中でとあるドワーフから名のある吟遊詩人が遺したという暗号文の刻まれた石板のレプリカを貰ったのだ。
それはミカエルが追い求める古の歌唄い“声なし”が僅か一時間足らずで解読したという伝説を残すいわくつきのものだった。
ミカエルはそのレプリカを大切に持ち歩いていたのだが、ふと立ち寄った森の奥でその暗号を解読する為の手がかりを手に入れる。
その森の奥にあったのは“声なし”の生家を改装したという小さな資料館。
その中で、幼い頃の“声なし”が育ったという再現部屋に“悪魔辞典”と題された本が置かれていることにミカエルは気付いたのだ。
歌唄いに似つかわしくないタイトルに、ミカエルが不思議に思いこっそり中を覗くと、なんと穴が開くほど見詰めたレプリカに刻まれた記号と同じ文字が描かれているではないか。
だが流石に展示品を譲って貰うことなど出来る筈もない。
ミカエルが困り果てた時、ふとシアンがぽんと手を打って言ったのだ。
『あ。その古書、確かノルマンの蔵書目録にあったぞ』と。
その後、イヴやソラリスがノルマンに生徒として入学する中、ミカエルは研究生枠でノルマンに入り、自らの研究をコツコツと進めていたのであった。
―――それが漸く完成した。
そんなミックの功績を、シアンはまるで自分のことのように笑顔で喜んだ。
「すげぇな! あれを解読するなんて、相当の根性が要ったはずだぜ」
「ま、天才は小一時間も掛かんなかったって話っすけどね。凡人にしては頑張ったっすわ」
「んじゃ、論文もその石板についてまとめるのか? そりゃそうだよな。6年に渡る集大成だもんな!」
だが、ミックは首を横に振った。
「いや、あれは書かないことにしたっす」
シアンが首を傾げる。
「え、なんで?」
「色々と調べていく内に、あれを書いたルフルって吟遊詩人は【隠し歌】ってものをよく書いてたことが分かりましてね。アレもその類の物だったんっすよ」
「【隠し歌】……。確か、聞かせたい人以外には見つけられない謎解きみたいな歌……だったか?」
「そっす。当時のルフルが誰からどんな内容を隠したがったのかは不明なんっすけどね。―――ほら。あの歌の鍵になった歌の教本が、何故か“悪魔辞典”なんて妙なタイトルつけられてたでしょ? それも“隠し”の為の1つの要素だったみたいで、こんな文言が残されてたんっす」
“―――後世を生きる者達へ―――。歌を愛し、この本を手に取ってくれたことを僕は嬉しく思う。だけど君達の中には、この本のタイトル名を不快に思うものもいるだろう。だが、このタイトルは変更してはならない。幾星霜の年月が経とうと絶対に此の儘で語り継いで欲しい。というか、もし変更したら世界が滅ぶぞ。だから絶対にするなよ。絶っっっ対だからな!!”
「ってね」
「……意味わかんねぇ。世界が滅ぶなんて、まるで質の悪い脅迫文じゃねぇかよ」
そう言ってシアンも首をひねった。
一体その警告が何を意味するのかを識る者は、この世を生きる者達の中にはいない。
だが以前、ふと気まぐれにミカエルの研究室を訪れたロゼは、その古書を見つけてこう言っていた。
『やぁ、ミカエル。歌を研究してるんだって? ふふ、僕も実は歌には自信があってね。手伝ってあげるよ! ……ん? “悪魔辞典”? なにこれ。僕そういう系あんまり興味ないんだ。悪いね、やっぱりもう行くよ』
そしてイヴが来た時はこうだった。
『ミック、悪魔の本読んでるの?! 私も見たい! ……え? 歌の本なの? ……えっと、私歌苦手だからやっぱりいい。じゃあまたねーっ』
―――まぁ……何というか、本のタイトル一つで実に見事な隠し方である。
流石は、幼少の頃から隠れんぼが世界一上手な弟と遊んでいただけの事はある、と言わざるを得ない。
そして6年もの年月を掛けて漸く解読したミカエルは、笑顔でシアンに告げた。
「ま、そんな訳なんで俺は解読したあれを公表する気はないんっす。墓の中まで持ってくっすよ。だって世界を滅ぼしたくはないっすからねw」
まるで遺恨ないその決断に、シアンは苦笑を溢し頷く。
「そうか。お前がそう決めたなら、オレも何が書かれてたのかは聞かねぇよ。つか凄えじゃん。お前も世界を救った英雄の仲間入りかよw」
「英雄? ははっ、兄貴はいつも大袈裟っすねぇ」
そう言って二人は冗談めかしてクスクスと笑い合っていた。
―――だが、実はそれが全く大袈裟な事でもなんでもない事を二人は知らない。
だが軈て、そんなハラハラする和やかなやり取りも終わった頃。
ミカエルは絶好調の笑みを浮かべ、本題へと入った。
「―――で、これ迄の研究がお釈迦になって卒論の準備が全くないこの状況なんっすけどね。2ヶ月後の夏季休暇までに研究生を修了したいんで、何とか別件の論文仕上げなくちゃナンなくて、それで兄貴に相談をと……」
「って、おいっ?! 相変わらず他力本願だなお前はぁっっ!!」
ペロリと舌を出して無茶振りしてくるミカエルに、シアンは思わずツッコミを入れるのだった。




