ノルマン学園 1年特殊組の日常⑤
クロが中庭に向かう間、すれ違う大抵の学生達が目を逸らす。
クロの無関心、及び攻撃性が男女平等なのは有名な話だった。
というのも、以前イヴに嫌がらせをしていた女子グループの一人が、クロに色目を使って近づこうとしたことがある。
本当にクロに気があったのか、ただイヴをより孤立させたかったのかは分からない。
ただその時、クロはマスター仕込みの“悪役王子キャラ”をこれでもかというほど演じ、その女生徒をメンタル的に自主退学ギリギリまで追い込んだというのは有名な逸話の一つであった。
―――以来、男女例外なく【狂犬】に手を出すな。それが一般生徒の共通の認識となったのである。
と、中庭に続く道沿いにある第26訓練場と呼ばれる広場。そこをクロが素通りしようとした時、ふと木陰に隠れるようにしゃがみ込んでいた人影が顔を上げ、例外的にクロに話しかけてきた。
「おや、クワトロくん。今日はよく会いますね」
本日3度目。第26訓練場を覗き見ていたモエだった。
クロはモエを見下ろしながら、深い溜め息と共に頷いく。
「本当にな」
「は、まさか拙をストーキング? やめてください。拙は観ている事が好きなのであって、当事者になるのはゴメンでござる」
メガネをクイッと直しながら真剣に訴えるモエに、クロは冷ややかに答えた。
「妄想が捗り過ぎなんだよ。つか、お前にだけはストーカー扱いされたくない」
だがモエは嫌な顔ひとつせず紳士的な笑みを浮かべると、どこかの執事のように会釈をして、第26訓練場へと続く道をクロに譲った。
「左様で。安心しました。ではどうぞ、めくるめく薔薇の園へ行ってらっしゃいませ」
「意味分かんねぇ……」
そもそもクロの目的はそこではない。
だがモエが道を開けて間もなく、訓練場から弾けるような声が上がりクロを呼んだ。
「ぃよう! クワトロじゃねぇか! 聞いたぜぇ。また上級生の奴らと喧嘩したんだってな! いい加減俺とも喧嘩しろよぉ!」
そう叫ぶのは、重力を無視する天を衝く黒髪の持ち主。クロのクラスメイトの一人、黒木麟太郎だった。
途端、クロの表情がウンザリと歪む。
「げ、リンタロウ。……やだよ。面倒臭い」
そう言って逃げ出すように足を進め出したクロだったが、リンタロウはニッと笑い、軽いワン・ツーステップで踏み込んだかと思うと、突然クロに殴りかかった。
「んだとコラぁ!」
楽しげにそう文句を言うリンタロウだが、その拳はクロの後頭部5センチ手前でガツンと見えない壁に阻まれる。
殴り飛ばすつもりで振り抜いたダメージがそのまま自分へと跳ね返り、リンタロウは真っ赤に腫れ上がる拳を抱え、その場で声もなく悶えた。
クロは左腕に着けた猫眼石のブレスレットを見せながら、心底呆れたように言う。
「ほんっと馬鹿だな。学習しろよ。俺には“絶対防御”がついてんだっての」
絶対防御とは、以前クロがガラムより授けられた、攻撃ダメージを無効にする為の護身アイテムである。
「くっそぉ、それ外せよ! 卑怯だろうがっ。そんで殴り返してこいっ!」
「何でだよ。面倒くせ……」
悔しげに喚くリンタロウにクロは背を向け、関わりたくないとでも言いたげに呟いた。
だけどふと思い出したようにふと振り返ると、キッとリンタロウを睨み一言だけ付け加える。
「―――……でももしお前がイヴの悪口とか言ったら、そん時は望み通りボコボコにしてやるよ」
クロが敵意を向けるのは、あくまでもイヴが絡むときだけ。
クロは警告のつもりで言ったのだろうが、リンタロウは“はて?”と不思議そうに首を傾げた。
「はぁ? 女の悪口なんてダセェ事は俺しねぇっつの。他の方法はないのか!? なぁ、その他でお前をやる気にさせる方法を教えろ! なぁってば!」
話が通じていない。リンタロウは基本的に馬鹿だった。
そしてクロは、そんな攻撃性全開で無害なリンタロウに再び背を向けて肩を竦めた。
「……今んとこないよ」
「あ、おい待てよっ」
立ち去ろうとするクロをリンタロウは呼び止めようとする。だが直後、それとはまた別の理由でクロは足を止めた。
第26訓練場の奥から、ポクポクと黒麒麟のルドルフが現れたのだ。
リンタロウはルドルフと共に、ここで格闘技の訓練を積んでいたのであった。
ルドルフはゆっくりとやってくると、イタズラっ子を優しく叱るようにリンタロウの尖った髪をモシャモシャと齧りながら言う。
「ま、そもそもこのリンがイヴの悪口なんざ言った日にゃ、まず俺が帳の外まで蹴り飛ばしてやるがな」
途端、仏頂面だったクロはパァと顔が輝かせてルドルフに駆け寄った。
「ルドルフ!」
「よぅクロスケ。サボりか?」
「違うよ! 今はまだ昼休みだ。皆を呼んで昼寝でもしようと思って中庭に向かってるところ」
「で、寝過ごすパターンだな。やっぱサボりじゃねぇか」
クククッと喉を鳴らせて笑うルドルフに、クロは楽しそうに言い返す。
「だから違うって! ルドルフはここで何してるの?」
「この馬鹿リンが力有り余ってるって言って、誰彼構わず喧嘩ふっかけようとするもんだから、ガス抜きがてら遊んでやってたんだよ」
「そうなんだ。ならまだ遊び足りないみたいだよ。俺も今まさに吹っかけられたもん」
リンタロウやその他大勢への対応とはまるで違う、純真に心から嬉しそうに笑うクロ。
そんなクロにルドルフも満更ではない様子で、クロに鼻先を擦り付けながら笑っていた。
「はは、しょうがねぇな。おいリン。言っとくがクロは強えぞ?」
「マジすか? ルドルフさん程の方が『強い』なんて言うほどは強く見えませんすけど」
「確かに腕っぷしは見てのとおり弱っちい。だがな、こいつの本領はテイマーだ。この世の全ての獣という獣がクロの鈴の音には従っちまうんだ」
「いえ。でもイレーナからの情報だと、クワトロがテイムしてるのって、幼体の獣が6体だけっだって……」
「ふっ、まぁ色々事情があんのよ。―――兎に角、せめてこの俺をワンパンで倒せるくらいになんなきゃ、クロの本気と立ち合うなんてまず無理だぜ」
クロは苦笑しながら「いや。ルドルフ、盛りすぎだよ……」と否定したが、リンタロウは驚いて声を震わせた。
「ま、マジッすか……」
「なんだよ、ブルってんのか?」
「いや、俄然やる気が出たっす! おいクワトロ! よく聞け! 俺はお前をいつか必ず負かしてやる! 首を洗って待ってやがれ!」
「だから何で……いや、もういいや。じゃ、ルドルフ。俺もう行くね。またリンタロウの居ない時にゆっくり話そう」
「おう、またな。その内また遠乗りでも連れてってやるよ」
「え!? ルドルフさん俺もっ……」
「だがリン、テメェは駄目だ」
「なんで!!?」
ルドルフ達と別れて間もなく、漸くクロは中庭にやってきた。
そこは苔の生す石畳が敷かれた然程大きくはない広場だった。
広場の中央には小さな噴水があり、それを取り囲むように4脚のベンチが設置されている。
ベンチの脇には大きな木々が木陰を作り、吹き抜ける風が木の葉を揺らしていた。
クロはそこでスゥっと息を吸って、誰もいない中庭に向かって呼び掛ける。
「出ておいで、皆」
その途端、クロの斜め後ろの空間が陽炎のようにゆらりと歪み、双頭の純白の狼が忽然と姿を現した。
大型犬ほどの大きさに成長したフェンリルである。
次いで空から音もなく舞い降りたのが大型の鷹程に成長したフェニクス。
そして噴水からズルリと這いだしてきたのが2メートル程の緑蛇のサリヴァントール。
その噴水の水飛沫がぐにゃりと歪み、同じく2メートルほどの龍の形を成し現れたのがウェルジェス。
最後に地面がポコリと盛り上がり、相変わらずの子亀サイズのガルドルドが現れたのだった。
因みにキールは彼等の様に上手く姿を隠すことが出来ないため、普段はクロの腰にベルトのように巻き付いている。そして、こうしてクロの声が掛かると、またあの猫耳のついたボールの形を取るのであった。
現れた獣達と形を成したキールは、我先にとクロに甘え擦り寄り始めた。
そしてクロもまた、そんな大切な獣達を抱き締め返すとテイマーの契約紋を通じて語りかける。
『みんな、ごめんね。隠れてて窮屈だったよね』
『いいよ。大丈夫』 『平気だよ』 『気にしないで』
獣達も鼻や額を寄せながら、口々にクロに言葉を返した。
そして足元を転がるキールもクロに言葉を返す。
『キールはネ、いつもクロとくっついてられるから嬉シイ。学校スキ。“ゴメン”は要らナイ』
『そう。なら、ありがとうキール。俺と一緒にいてくれて』
『いいヨ! キールもクロと一緒にイルの大好キ』
クロはキールを拾い上げ、ギュッと抱き締める。
出会ってから何一つ成長しておらず、か弱く無力なままキールだが、クロの最も大切な友達という事実もまた、何一つ変わってはいなかった。
「キヒッ」
嬉しそうに鳴き声を上げたキールにクロは頷くと、腰につけたポシェットのような荷物袋からスラリとミスリルの錫杖を抜き出す。
「うん。じゃ、錫を鳴らして、それから皆で昼寝でもしよっか」
その一言に、獣達は喜びを顕に跳ね回りだした。
契約獣達だけではない。
上空を舞う小鳥達や少し離れた所にある家畜舎で飼われている獣達や、建物に巣食うネズミや鼬などの小動物、学園とその付近に住むありとあらゆる獣達が期待を込め、一斉にその一方に頭を向けた。
クロは片腕にキールを抱き上げたまま、静かに目を閉じて錫杖を掲げる。
―――リィーン……
辺りに澄んだ錫の音が響き渡った。
すると噴水の周りにはその錫の響きを聞きに学園中の動ける動物達が集まり、息すら潜めて大人しく耳を澄ましだす。
かつて獣達の楽園ジャック・グラウンド全土を騒がせた【獣に愛されし仔】としてのその姿は、今尚一枚の神聖な絵画そのもののようであり続けていたのであった。




