ノルマン学園 1年特殊組の日常③
途端、機嫌のよかったクロの口元が尖る。
クロはすぐに答えることなく、ガツガツとオムライスを口にかき込むと吐き捨てるように言った。
「別に……。イヴのことネタにしてた奴らに苛ついて、ちょっと小突いだけだよ」
「ふぅん。小突いた……ねぇ?」
クロの友人として既に6年の時を過ごしてきたユウヒには、すぐにそれが嘘だということは分かった。
だが感情の起伏の激しいクロに、敢えて詳細を尋ねることもせず話しを続ける。
「でもイヴちゃんもシアンも“気にするな”って言ってるんでしょ? なのになんでクロは毎回そう突っかかるんだい?」
クロは尚も不機嫌にもぐもぐと口を動かしながら、ポツポツと不満を口にし始めた。
「……それでも気になるんだよ。イヴは我慢強いだけで、本当に気にしてない訳じゃない。それに、そもそもこうなったのは父さんのせいだ。そんな父さんに“気にするな”なんて言う権利ないよ」
「シアンのせい……?」
「そう。学園に入る時、父さんはイヴに“実技系の競技の勝負事は学園内で一切禁止”って言ったんだ。球技も武術も魔法も駄目。おかげで学園の奴等はみんな、か弱くて病弱な箱入り娘だと勘違いしてイヴを舐めてる。本当は、イヴはユウヒとおんなじ位強いのにさ……」
「あ、うん。お、おんなじ……は、どうだろうか……はは」
ユウヒの顔が引き攣った。……というのも、イヴが力を抑えるよう言われているのはあくまでも“学園内”であり、現在寮母としてノルマン学園に勤めている世界最強エルフとの約束という『花壇に種まき』という言葉が、実は『マリーの創った花壇にて種の蒔き』の隠語である事を、ユウヒは知っていたからである。
戦ったことはないけれど……もしかしたら既に自分の上を行っているかも……? という不安が脳裏を過ぎったのであった。
―――ともあれ、学園内でのイヴに対する一般的なイメージは、第一に“シアンに拾われ育てられたラッキーガール”だ。
他に思いつく特徴といえば“筆記テストの点で良い点を取る子”というくらいのもので、更に付け加えれば、実技をいつも見学する病弱な少女。
だから実技を受けなくても、英雄の娘だからと特別に見過ごされている箱入り娘と認識され、イヴを嫉む学生は少なくなかった。
そして、そんな謂れのない悪意にイヴが晒されるこの状況を、クロは気に食わなく思っているという訳である。
クロはスプーンをトレーに置き、苛立たしげに頬杖を突きボヤく。
「イヴが本気出したらさ。あいつ等なんてコンマ01秒もイヴの前に立ってられないんだ。でもイヴは優しいから、それを分かって、ちょっとやそっとの事じゃ反撃しない。悪口を言われても、水を掛けられたり鞄にゴミ入れられたりしても『気にしない』なんて言って笑いながら我慢するんだよ。でもなんでイヴばっかり我慢しなきゃいけないんだよ? おかしいだろっ」
悔しそうにそう言い切ったクロの言葉に、ユウヒはハタと動きを止め、目を泳がせ始めた。
やがて間もなく何に思い至ったのか小さく息を吐くと、とても申し訳無さそうにポツリと呟いた。
「強すぎるが故に、我慢を強いられて言われ放題……か。成程ね。改めて言われてみれば、確かに昔からそういう方だったのかも知れない」
「……? そういう方って誰のこと?」
「あ、ごめん独り言。気にしないで」
―――その時、ユウヒは“そういう方”というのが誰のことなのか明言することはなかった。
ただ、もし俺の予想が当たっていたなら、確かにあの子は誰よりも強く、とても我慢強かった。
そして周りからなんと言われようと“気にしない”と言っては無視し、関与しようとしない子だった。
……だけど勘違いしないでほしい。それは決して強さではない。
寧ろ、幼い故に悪意や雑踏の受け流し方を知らない弱いあの子が、自分の心を守る為の唯一の術だった。
幼い心とは例外なく傷つきやすく、心の強さはその子達の力の大きさに必ずしも比例している訳ではないのだから。
ユウヒは自戒するように数拍静かに目を閉じた後、またクロの方を向き直った。
「だからクロは、イヴちゃんの代わりにイヴちゃんを害する奴等を成敗するってわけか。……―――って、何してるの?」
だがふとユウヒがクロに目を向ければ、クロは何故か自分の耳を両手で覆い、何故か怒られた子犬のようフルフルと俯いて震えている。
不思議がるユウヒに、クロは耳を塞いだまま小声で話し始めた。
「……だって、ユウヒも先生達みたいに“馬鹿なことはやめろ”とか、“それでも手を出した方が悪い”って言うんだろ? ユウヒに言われなくても、もうそれは耳にタコだから……」
ユウヒは一瞬キョトンと首を傾げ、次の瞬間破顔し声を立てて笑い出した。
「あはは、なんだ。言われた通りはしてなくても、クロは皆の話を聞いてない訳でもないんだね。―――大丈夫だよ。僕はクロに“やめろ”なんて言わないから」
予想外の反応に、クロはポカンとユウヒを見上げる。
ユウヒはそんなクロの手首を掴み、耳をふたしていた手をそっと外すと、クロをまっすぐ見つめて言った。
「僕達はね、イヴちゃんを任されたシアンの決定に逆らうことはしない。いや、出来ない。でもクロは違う。そして何だってできる。―――だから君は君の心のままに、イヴちゃんを守ってあげてね」
「う? ……う、うん」
クロは相変わらずこのユウヒの距離間が苦手だった。
かと言ってユウヒの手を振り払う事もできず、クロが身を強張らせながらドモリ気味に頷いていると、そんな二人の後ろを食事を終えたモエが、上機嫌に通り抜けていった。
「いやはや。今日も今日とて、とてもよいユウ×クロですなぁ。レア度低めとはいえ、真によき! ではハブアナイスデイ!」
「っ」
モエの挨拶に、ユウヒは掴んだクロの手首を思わず離しピシリと固まる。
そしてクロは弛んだユウヒの手から素早く逃れると、去っていくモエの後ろ姿を見ながらポツリと呟いた。
「……モエって変なやつだよね……」
「あぁ、うん。ツッコミどころに困るよね。というかクロってさ。モエちゃんの暴走には案外寛容だよね?」
「ん? だってモエは別にイヴの悪口とか言わないし。それに俺がユウヒ好きなのも別に間違ってないし……?」
「……」
サラリとそう答えた無垢なクロに、ユウヒはまたもや硬直する。
クロはそんなユウヒに、ふと思い出した質問を畳み掛けて訊ねた。
「あ。そういやモエが、さっきベリル先生を“オープンバイ”って呼んでたんだよな。あれはどういう意味たったんだろ? あと“ノウナイカプ”って、ユウヒは何か知ってる?」
「くっ……し、知らない! でもそんなド天然に不意打ちでデレるクロは卑怯だと思いますウゥゥ!!!」
「俺!? なんで!!?」
そんな風に、クロとユウヒは仲良く昼食を共にしていた。
やがて二人のお皿が空になった頃、突然二人の背後から少女の弾む声が掛けられた。
「ほい! サービスだよ。仲良しのお二人さんっ」
二人が同時に振り向くと、そこには特殊組クラス委員の御徒屋真央が、グラスの乗ったお盆を手に立っていた。
真央はいつもポニーテールを揺らしている、クラスの取りまとめ役的存在である。
ユウヒが顔を輝かせながら、マオを歓迎した。
「わあ、マオちゃん! なになに、差し入れ? うわーありがとう! 確かハイパー家庭科部の部活動の一環で、学食の調理場補助をしてるんだっけ」
「そ。いやー、今日も顧問のガラム先生に超ダメ出し食らっちゃったよ。やっぱ部長のようにはなかなかいかないよ。……ねぇ?」
真央はそう言って目を細めてクロに話を振る。するとクロは居心地悪そうに口を尖らせた。
「誰が部長だ。部活立ち上げたのはお前だし、俺は名前置いてるだけの幽霊部員だってのっ」
「あっは、またまたぁー! 部員の中で私の実力が一番下なのはみんな知ってるでしょー」
それは知る人ぞ知る有名な部活。部員数僅か3名。
だが普通の家庭科部とは一線を画し、この学園で最も過酷とすら言われる実力主義の【ハイパー家庭科部】。
必ず部活に入部しなければならないこの学園のルールに従い、クロはそこに籍をおいていたのだった。




