番外編 〜隣のお兄さんは魔王でした。僕は勇者なんですが、この想いを伝えても良いですか?⑤〜
「グッ……恐るべき力よ。まさか我ら四天王が……全滅とは、な……」
長い旅を続けてきた僕は今、魔王城の最上階の扉を前にしていた。
否、僕達はと言うべきか。
何故なら僕一人では、決してこの場に立つ事など出来なかった。
この城に辿り着くまでに立ち塞がった魔物の群れや、城内にいた魔物達を合わせるとその数は百万を超える。―――まさに絶望の塊だった。
だけど各国から集められた勇猛な騎士や兵士、それに冒険者達が僕の背中を押してくれた。
例えこの扉の前に立っているのが僕一人だったとしたも、僕達皆でこの場所に辿り着いたんだ。
長い道程には色んなことがあった。
一時は仲間達と対立した事もあるが決戦の前に和解し、再び固い誓いを結びあった。
そしてその仲間達は今、溢れ出る魔物を抑える為に下層に留まり、僕をこの場まで送り出してくれたのだ。
『ここは俺達に任せて先に行け! ここまで俺らが何を言おうが、お前は馬鹿みたいに走り続けてここまでき来た。世界を巻き込んでな! お前は最高の勇者だぜ。お前の役目を果たしてこい!』
『ダンドルの言う通りですアーサー。負けたら承知しませんよっ』
『終わったらまた一緒にあそぶニャ』
―――独りじゃない。
決して。
その時、致命傷をその身に刻み込んだ魔物が血を吐きながら高らかに嗤った。
「ハハハハハハハハハ! 魔王様、見ておられますか! 我等ここに散ろうとも、魂の限りこの生を輝かせましたぞ! 魔王様、万歳―――!!!!」
―――ドオォォォォン……
四天王最強を名乗る巨大な体躯のドラゴニュートは、満足げそう叫び、低い地響と共にその命を散らした。
……ただひたすらに強かった。
彼等には僕のような“勇者の力”など無い筈なのに、一体何故あれほど強くあれるのか。
僕は彼の魔物との戦いを思い返し目を閉じた。
「―――そなたは強かった。安らかに神の聖腕に抱かれたまえ」
僕は戦士に黙祷を捧げると、最後の扉に向き直り手をかけた。
ギギッ…、ギィ―――……
少し力を込めると巨大な石の扉は、まるで僕を迎え入れるように自ら開き始める。
そしてそこに、僕がずっとずっと追い続けていた者がいた。
巨大な椅子に、まるで全てを見下すかの如く不遜に腰掛ける男。
黒いマントで身を包み、黒いフードを被っているせいで顔は見えない。
だけど僕は男に親しみを込めて話しかけた。
「お腹が空いたね」
「―――そうか」
「シナモンバターのアーモンドガレットが食べたい」
「―――また今度だな」
「リブベリーのホワイトチョコレートチーズケーキもいいな」
「―――また今度だな」
「新しい魔法を作ったんだ。検証してよ」
「―――また今度だな」
「新しい技を教えてよ」
「十分強くなっただろう?」
「―――なんで……」
変わらぬ姿。
変わらぬ声。
変わらぬ表情には欠片も出さない優しさ。
目に涙が溢れ、喉が詰まって、うまく……声が出せない。
「っんで、魔王なの? ガルム兄さん」
黒いマントの下にはいつか僕が渡した黒いスカーフが巻かれていた。
「驚いていないな。―――いつから気付いていた?」
ガルム兄さんはあの時と変わらない調子で僕に話しかけてくる。
「始めから、だよ。魔族から僕を救ってくれたあの日からだ。だけど僕は信じたくなかった。あり得ないほどの色々な可能性を考えた。主神ゼロス様御本人や、若しくは何らかの形で現代に復活された大魔法使いガルシアかもしれない、なんて馬鹿げた事まで考えた。……だけどガルム兄さんの言葉は、それ等の御方である可能性をも全て否定した」
「……」
「極めつけは教皇様から聞いた魔王の名前が“ラムガル”だ。安直過ぎるよ。バカにしてるの? 信じたくなくても、もうそれしか選択肢が無かったんだよ」
僕の指摘にガルム兄さんは少しの沈黙の後、淡々と言った。
「―――……良くぞ、見破った」
もう……限界だった。
「ふざけないでよ! さっきだって“また今度”って何!? いつの事を言ってるんだよ! 教皇様から貰ったこの“封印の為の魔法”だって全部嘘だろ! こんな物……っ」
「お前、それが何かわかるのか? ルーン文字では無く初源の神の文字を使っているというのに」
少し眉を上げて言うガルム兄さんに、僕は確信を持って言った。
「やっぱり貴方もこれが何か分かってる。ルーン文字より複雑だけど成り立ちは同じ。―――これは封印なんて生易しいものじゃない。肉体をマナに還す為の魔法。つまり【消滅の魔法】だ。……こんな物を受けて“また今度”なんてあるわけが無い」
「……(いや、大丈夫なのだが。もしただの目眩ましのら試し打ちとかされたらバレるし、肉体再編成の際にどうせ一度マナに戻るから手間が省けると思ってつい……)……」
黙り込むガルム兄さんに僕はこれまで感じてきた事を話した。
「貴方は魔物の王だ。魔物の戦士達を見れば、いかに彼等が貴方を慕い、また貴方も彼らに誇りを持っているのかが分かる」
僕は幾千の魔物達と戦い抜いて分かった。
彼らは皆戦士だ。それも誇り高い戦士である。
彼等が何故あれほど自分を愛し、己の力を信じて戦い抜けるのか? それは魔王を敬い、信仰に近い忠誠を持っているからだ。
「だが貴方は、自らを敬うその者達を世界の調停の為にと神に差し出し続けている。それがどれだけ心裂かれる思いなのかは想像も出来ない。……なのに、その上神はこのような残酷な最後を貴方に与えるというのですか!? 酷すぎる!」
僕は主神ゼロス様を誰より敬愛している。
それでも、そう叫ばずにはいられなかった。
それでも、僕の訴えはガルム兄さんには届かない。
「その魔法に関しては神意ではない。それは余が望んだこと。―――いや。もう御託はいい。早く終わらせようか。余はもう神の聖下に戻りたいのだ」
「……そんな」
僕は言葉を失った。
神の原罪、そして魔物達の咎をすべて背負い、それでも尚神を信仰し、その身を捧げ続けると言うのだ。
自身に降り掛かる苦難苦痛など微風の如し……当たり前すぎて疑問も湧かないとでも言うかのように。
「……嫌だ、そんなの………行かないでよ! 何か他に方法はないの!?」
こんな優しい者が死んでいいはずがない。
そうでしょう? 神様。きっと何か方法が―――……
「無い」
僕の藁にも縋るような願いは、短いその言葉に一刀両断された。
「言った筈だ。余は今の漸く勤めを果たしたのだ。もう帰らねばならん。そして勇者アーサー、お前も立派にその勤めを果たした。このまま去っても良いが、ここまで来たお前を余は称えてやりたい。お前の手で、全てを終わらせるがいい」
優しく諭すようなその言葉。
僕は子供のように頭を大きく振った。
色んな理由を付けてみたけど、やっぱり僕は唯のエゴの塊だ。
勇者も魔王も神様だって関係ない。
―――僕はただ、貴方という存在を失いたく無い!!
僕は自分のマナを迸らせ、初めてガルム兄さんに反抗の意志を示した。
「……嫌だ。僕は強くなったんだ。もうあの頃のように、全てを貴方に諭されるだけの僕じゃない! 僕は貴方を超える! そして何としてでも貴方を神の聖下に行かせはしない!! ガルム兄さん……いや、魔王ラムガル!!!」
魔王が王座から立ち上がる。
「無駄だ。お前に余を倒すことは出来ん。だが今生の別れの土産だ。余興として相手をしてやろう」
魔王はそう言い指先で空を切り裂くと、その闇の中から深紅の揺らめきを立ち昇らせる巨大な魔剣を取り出した。
僕も白く輝く聖剣を抜き構える。
「抜かせっ。行くぞ、魔王!!!」
「ああ、どこからでも来るが良い。勇者よ!」
◆◆◆
―――まだ城外では、多くの人間と魔物達が死闘を繰り広げていた。
だがその刹那、そこに居た全ての者達が目の前の死闘を忘れ、それを見上げた。
それは赤い炎と白い炎が空高く昇りながらぶつかり合う、人智を超えた壮絶な光景であった。




