ノルマン学園 一年特殊組の日常②
だがモエはシアンのツッコミに、眉を顰めながら淡々と答える。
「何故と問われれば“邪魔をせぬように”としか答えられませんが……。いつも通りベリル先生の後を付けていたら、このような現場に出くわした故、拙如きが彼らの絡みを邪魔をしてしまわぬよう、そっとロッカーに身を潜めて応援しており申した」
因みにモエは気に入った講師陣や生徒陣、その他目ぼしい者達をプチストーキーングするのが日課だ。中でもベリルは毎日のように後を付けられていて、日常化するあまり、当のベリルも逆にその存在をすっかり忘れていたのだった。
そしてシアンはそのツッコミどころ満載なモエの発言と行動の中でも、最も突っ込んではならない箇所を突っ込んでしまう。
「……えっとごめん。話の要点がいまいち見えなかったんだけど……“絡み”って?」
モエは何を今更とばかりに首を傾げて言い放った。
「えっ? だってベリル先生ってオープンバイですよね。それにあれだけの眼福美顔なら誰とでも脳内カプ成立させ放題ですし、今日は美男と野獣も悪くはないなと観測していたのです」
「……」
「ちな、今回のクワトロ君とシアン先生は見事な当て馬でしたよ。グッジョブ!」
「……」
それはオープン腐発言。
その意味に気付かないクロは首を傾げただけが、察してしまったシアンとガビはベリルから距離を取ろうと一歩2歩と後ずさった。
ベリルは慌ててそんな二人を引き留めようとする。
「あの、……ちょ、シアン先生にガビ先生……? 何を後ずさってるんですか……?」
「は、はは……ですよね? 私みたいなごっついオヤジなんて……ねぇ?」
ドン引きしつつ、はぐらかすように、蜘蛛の糸に縋るようにガビはベリルにそう尋ねた。―――だが、ベリルの答えは残忍だった。
「いや、そこは全然問題なくアリではあります」
「……!!?」
ベリルは元来の種族柄、基本的に人間なら誰でもありだ。
そんな正直なベリルの応答にガビは青褪め、モエは歓喜した。
「クフフ、やはりアリ! 我が神眼に狂いなし! ……さ、ベリル先生の本日分チャージは完了しましたし、次はルドルフ様を擬人化させる為のネタ拾いにゆかねば。では拙はこれにて失敬! ターニャ氏との会合の件は、追って知らせてくだされぃ!」
言いたい事だけを言って颯爽と去るモエに、シアンはとうとう声を掛けることも出来ずに見送った。
まぁ、本日の被害はベリルとガビの精神的ダメージだけなので、まだ軽い方だったと言える。
そして嵐の去った旧校舎で、ベリルからたっぷり距離をとったガビが、慰めるようにシアンに声を掛けた。
「―――相変わらずシアン先生とこの子等は癖が強いですなぁ……。私なんか到底受け持てる気がせませんよ……」
「は、はは。まぁ、いい子達ではあるんですがね」
いい子達ではあるが、この世界のトップ達ですらシアンに投げた子達でもある訳で……。
教師陣が深い為息を吐いていると、ふとクロを呼ぶ悪意のない声が上がった。
「あ、クロ!」
一同が顔をあげると、廊下の先のフロアから、イヴが嬉しそうにこちらに向け手を振っていた。
美しい黒髪に滑らかな肌に、すらりと長い手足を持つバランスの取れた肢体を持ち、いつも無邪気な微笑みを称えた美少女へと成長を遂げたイヴ。
イヴは教科書とノートを胸に抱え直すと、膝丈上のスカートを翻して小走りにクロに向かって駆け寄ってきた。
その途端、クロも今迄の一切の毒気を抜かれたようなあどけない笑顔をイヴに返す。
イヴは羽でも生えているかのような軽やかな足取りでクロの側までやってくると、周りにいた教師陣にも声を掛けていった。
「こんにちは、シアン先生にベリル先生! それからえっと、確か……―――高等部のガッちゃん先生……? だよね? ……違った?」
これくらいの年頃の子達は、先生をあだ名で呼びたがる。
そして呼ばれる側の先生も大抵嬉しいもので、ガビもまたニコニコと目尻を下げながらイヴに答えた。
「違くないよぉ。棟も違うのに覚えてくれてるんだねぇ、偉いねぇ」
イヴはホッとしたように笑う。
「よかったぁ。こんにちは、ガッちゃん先生。……ところでこんなところでクロは先生達と何してたの? ……あ、もしかしてクロ、また喧嘩したんでしょ! 今度はガッちゃん先生のクラス?」
「う……、で、でもっ!」
イヴは察しがよく、隠し事があまり出来ない。
図星を突かれたクロは咄嗟に抗議をしようとするが、イヴは一分の隙もない構えでスッとクロの口元に指を突きつけ黙らすと、頬をプクリと膨らませながら言い放つ。
「でもじゃない。前にも言った筈だよ? “私は別に何言われたって平気だから、もう喧嘩しちゃ駄目だ”って。ほら、先生達も皆忙しいのに、クロの為にお仕事を止めてここに来てくれてる。先ずはちゃんと先生達に謝って!」
イヴの指示にクロは先程の抵抗など欠片も見せず、素直にガビやベリルに頭を下げた。
「……スミマセンでした」
ついでにイヴも優雅な仕草でガビに謝る。
「ガッちゃん先生、うちのクロがごめんなさい」
イヴの優等生過ぎるその対応に、ガビは思わず全てを許し、目に涙すら浮かべながらコクコクと頷き言った。
「いいよ! 今日もイヴちゃんは可愛いねぇ、優しいねぇ、美しいねぇ、心が洗われるようだよ。どんなふうに育てたらこんないい子になるんだろうねぇ……」
イヴはそんなガビにクスクスと笑い掛けると、ベルリに向き直って尋ねる。
「ねぇ、ベリル先生。クロはまたこの後はまた生徒指導室?」
「あぁ。ユメが負傷者の治療に向かってくれたが、やった限りは反省文に謝罪文は提出してもらわなきゃだからな」
「……ぅわ、めんどくせ」
「よぉし。説教も追加な。まだちょっと時間掛かるわイヴちゃん」
「げっ、横暴だよっ!」
懲りないクロの様子に、イヴは“まったく……”と苦笑を浮かべつつ言った。
「そうだクロ。あのね、ユウヒがクロを探してたよ。もしクロを見かけたら今日のお昼ごはん、学食か購買かどっちにするか聞いといて、だって」
クロはハッとしたように目を見開いた。
勇者とクロの付き合いは今なお健在だった。
因みにユウヒは現在転移者達に紛れ、赤井雄英と名乗り“クラス転移直前にやってきた転校生”という設定で、転移者のフリをしながらシアンの受け持つ特殊科の生徒として過ごしていた。
目的は勿論クロと青春し、イヴを近くから愛でるため……ではなく。担当の聖女の力を持つ清浄院光香の監視を行う為であった。
とはいえ、役目や目的があるからと言って青春を謳歌しない理由にはなる筈もなく、ユウヒは隙あらばクロとつるんでいるのだった。
そしてユウヒとの約束を思い出したクロは、慌ててイヴに伝言を頼む。
「あ、そっか。今日はユウヒと昼飯食う日だった。“学食”って言っといて。少し遅れそうだから俺の分も食券取っといて欲しいって伝えといてよ」
「うんっ、分かった。じゃ、私はもう行くね。寮母のクーちゃんと花壇に種まきする約束してるの。クロは反省文、頑張ってね」
「うん。頑張る……」
そうして子鹿のように軽やかな足取りで去っていくイヴに、クロはその背中が見えなくなるまで手を振っていた。
やがてその振っていた手をクロはグッと握り込みそのままガッツポーズを作ると、力強い眼差しをベリルに向け言った。
「―――っし、なんかすげぇやる気出てきた。ベリル先生。俺このあと忙しいからさっさとやっちゃおう!」
そして熱意あふれるクロのやる気に、ベリルはとうとうこめかみに青筋を立て怒鳴り散らしたのだった。
「お前な……! つか反省文書かなきゃなんねー様なことを始めからすんな!」
◆◆◆
その後、漸くベリルから解放されたクロは急ぎ足で食堂に向かった。
昼食時の学食はいつだって戦場だ。
1人につき3枚までしか買えない、500食限定の食券を求める戦士達が我先にと券売機の前に押し寄せ、クロが食堂に到着島頃にはもう、最後尾の見えない行列が出来上がっていた。
だがクロがその長蛇の最後尾に向かおうとする途中、弾む声がクロを呼び止めた。
「あ、きたきたクロ! こっちだよ♪」
声を掛けてきたのは食堂の柱にもたれ、心なしキラキラと輝くニ枚の食券をヒラヒラと得意気に振る赤髪の少年、ユウヒだった。
クロはユウヒにニッと笑い、足を向けた。
「わり、ユウヒ。遅くなった。食券サンキュー」
「いいよ。それより今日は“黄金のふわとろオムライスとインゲンのポタージュスープ”なんだって! 赤と黄色と緑のコントラスト……最早反則だよねぇ」
「え、うまそう。ってかユウヒ、本当によく毎回食券取れるよな。倍率凄いだろ。ガラムさんが調理長に就いて以来、長期休暇前になると、必ず“学食が食えなくなるから嫌だ”とか言って泣き喚く奴続出するくらいだし」
そう。ガラムが“食堂のおじちゃん”になって以来、ノルマンの学食は“神ヤバい学食”として世に知れ渡るようになっていた。
またある時、そのあまりに美味すぎる学食に目を付けたとある学生が、食券を転売しよう目論んだことがあった。
そしてその食券が20倍の価格で取引されようとしていたその時、ガラムは転売ヤー学生と、転売食券を買おうとする学生達、そしてちゃんと列を作って並ぶ学生達にこう言い放ったのだった。
『―――貴様らは、いずれにせよ飯を食す。余の飯を食したくないのならばそれもよい。だがそうでないなら、誇り高く順番を守り、定位置に設置された券売機に向かい、正しき手順で食券を手に入れ余の下(受け渡し口)に集え。さすれば余はそのマナーを称え、その期待に添うべき食事を最後の一皿に至るまで全力で作り続けるだろう。……そして貴様らのその食い様を、永久にこの胸に刻みつけようぞ!!!』
食堂にいた生徒達はガラムを刮目した。……そして暫く不思議そうな顔で食堂のおじちゃんを見上げていた後、無言でそっと目を逸らすと静かに解散し、黙食で昼食を再開したのであった。
……またそれ以来、若者達の空腹と言う名の狂気が渦巻くこの場には、二度と転売や順番抜かし等の混乱が起きることはなかった。
だがあの時の痛ましい空気から察するに、どうやら魔物のノリは人間の……特に学生には通用しないようである。
ガラム本人も3日ほど“やはり人間などとは相容れぬわ!”などとボヤきながら凹んでいたが、多分これは魔物と人間だからというのは関係なく起こることなので、どうか気にせず今後も過ごしてほしいと思う。どんまい。
そんな事もあり、混雑はあるものの秩序が保たれた食堂を、クロとユウヒは談笑しながら進んでいった。
「―――まぁどうってことないさ。神に認められしこの勇者の力をフル活用すれば食券を確実に手に入れることくらい容易いよ」
「って、それ神話レベルの職権乱用じゃん……」
そんな軽口を叩きながら二人は受け渡し口で食券と食事を交換し、空いた席を見つけて席についた。
すると席につくやいなや、ユウヒがニヤリと口元を歪ませたかと思うと、我慢できないとばかりにクロに詰め寄り、悪戯げに話を振ってきた。
「で、クロは今回は何をしてしょっぴかれたの?」




