ノルマン学園 1年特殊組の日常①
「クロですか? クロは昔は一歩下がって付いてくるような、少し気の小さい子でしたね。イヴと仲が良くて……後、森の獣達とは不思議と直ぐ仲良くなってましたね」
「へぇ、動物達と。そう言えば確かジョブはテイマーって仰ってましたものね。学園の定期測定では、何故か二人の数値はバグって上手く測れませんでしたけど」
ノルマン学園では年に3回、身体検査に加え正教会の神父を呼んでのスキル検査があるのだが、イヴとクロの数値は何度測っても文字化けして表示されるのだった。
シアンは誤魔化すように苦笑いを浮かべると、話を続ける。
「あはは~……不思議ですよねー。まぁ、兎に角。クロはよく獣達の好きな銀の錫の音を湖畔で鳴らしてたんです。すると湖畔にはその錫の響きを聞きに森の動物達が集まって、大人しく耳を澄ましていて……その様子は最早、一枚の神聖な絵画そのもの! それこそまさにまじ天使かと……いや、ルシアなんていうパチ天使より遥かに天使でしたね!!」
力強くシアンがそう語り上げたその時、ふと廊下の方からバタバタと、喧しく足音が響いてきた。
やがてその足音が教員室の前で止まると、部屋の扉がガラリと勢いよく開けられた。
「シアン先生!」
シアンとメリーが目を向けた先に立つのは、息を切らす大男。シアンの受け持つ中等部1年特殊クラスとはあまり関わることのない、高等部2年魔法専攻クラス顧問のガビだった。
「あ、ガビ先生。そんなに慌ててどうしたんですか? よかったら御一緒にお茶でもいかがです?」
「おお、ありがたい……っではなく!」
朗らかに笑いながらお茶を進めるシアンに、ガビは思わず一瞬手を伸ばそうとするが、直ぐに振り払うようにシアンを怒鳴り付けた。
「お茶飲んでる場合じゃないですよ! すぐに来てください!」
「ぉわ! ちょっと……」
ガビは戸惑うシアンの腕をむんずと掴んで引っ張りだす。
そんな二人の様子にメリーはすぐ合点がいったように、笑顔で手を振った。
「ああ、また例の件ですか? じゃ、シアン先生いってらっしゃ~い。私はここで採点とプリントの仕上げやっておきますので、ゆっくりしてきてもらって構いませんからぁ」
一方、腕を引っ張られて廊下をよたよたと小走りに進むシアンは尚も困惑気味だった。
「ち、ちょっと待ってくださいよ、ガビ先生……一体何が?」
「っ喧嘩ですよ!」
「……はぁ。でもそれなら教育指導部のベリル先生が担当でしょう。なんでオレが……」
ぶつぶつと食い下がるシアンだったが、ガビは血走った目でシアンを睨むと、怒鳴るように苦情を申し立て始めた。
「おたくのクワトロ君が高等部を相手取って喧嘩してるんですよっ! 理由とか原因なんて知りませんがね? 何れにせよウチのクラスの子達が既に3人医療室に運ばれてるんです! 一体貴方、あの子にどんな教育したんですか!?」
「え……えぇ? クロが!?」
ぎょっと目を見開くシアンに、ガビは呆れたように深い為息を吐くとまた前を向いてシアンを引っ張り始めた。
「因みに生徒指導部のベリル先生はとっくに間に入ってくれてます。そしてそのベリル先生から“シアン先生を呼んでこい”と言われたんですよ! だから急いで……、自分でも走って下さい!」
「は、はいっ!」
シアンは慌てて頷くとガビ共にバタバタと足音を立てて廊下を走っていった。
そして教務室に残されたメリーは、手を振るのをやめお茶を啜るとフッと笑い、皮肉気味に呟いた。
「あははぁー、ウケるー。“神聖な一枚の絵画”? “まじ天使”? 正気を疑いますよねぇ。あんな凶暴な子にそんな表現を使えるなんて、もうどう否定しようが“親馬鹿”以外何者でもないっていうね……」
それからメリーは、午前に行ったテストの答案用紙の採点を始めた。
そしてふと、殴り書きのような乱暴な文字で名前だけか記された白紙の答案用紙に目を留め、深いため息を吐く。
「―――まったく。シアン教授の子でさえなければ、とっくに退学処分にしてるんですけどねぇ……」
この6年で、子供達は健やかな成長を遂げた。
……まぁ若干クロはグレ気味で、二つ名に“狂犬クロ”なんて付けられたりもしたが、現状シアンの胃に穴もあいてない程度の些細なことなのでこれも割愛しようか……。
◆◆◆
ノルマン学園は広大で、その建造物の一つ一つに歴史があった。
新校舎が建てられても古い建造物自体には価値があり、取り壊されることなく、生徒達の部活動の場として活用されている所も少なくなかった。
そして中等部校舎と高等部校舎の間にあるそんな一つの旧校舎の1階フロアで、ベリルに襟首を掴まれ子猫のように吊るしあげられたクロが、暴れながら悔しげに叫んでいた
「降ろせ……よっ!」
ベリルは肩を竦めた。
ベリルにとってクロを力ずくで押さえ込む事くらい訳ないが、その闘士はどうにもならなかった。
クロの周りには既に3人の上級生達が蹲っており、残りの5人も青褪めた表情で取り押さえられたクロを見つめている。
ベリルは溜息混じりにクロに尋ねた。
「降ろさねぇよ。ったくクロ。いい加減にしろよ。今月入って何件目だ?」
「知るかよクソっ、あいつ等ぜっっってぇ許さねぇ!!」
「ったく……昔はあんな大人しくて可愛かったのに……」
ベリルは尚も暴れるクロ見下ろしながら、しみじみとボヤいた。
だが少し待ってほしい。クロは昔から“人間嫌い”で有名な“ドラゴンライダーのウィル”に憧れていたし、“喧嘩馬鹿”で有名な“獣王ルドルフ”の背を見て育った。ついでに言うと容赦なく急所を狙うイヴの戦闘スタイルを見続けている。……なるべくして成った性格だと思うのは俺だけだろうか……?
とその時、漸く現場に駆けつけたシアンの声が廊下に響いた。
「クロ!」
途端、今迄威勢の良かったクロの顔が困惑と不安に歪む。
「父さん……? なんで父さんがここに?」
「俺が呼んだ」
「……っ」
ベリルの一言に、クロはベリルを憎々しげに睨み上げた。
だがクロが抗議を上げる前に、シアンが悲しそうな瞳でクロを覗き込み声掛けた。
「クロ、お前何をやってるんだよ。誰か状況を説明してくれ」
だがクロは逃げるように俯いて黙り込むだけ。
ベリルは大人しくなったクロをシアンの方に突き出して襟首から手を離すと、しれっとシアンに説明を始めた。
「いつも通りですよ。ここに溜まって談笑してたガキ共の一人を、たまたま通り掛かったクロが突然殴り飛ばしたんです。そしたらガキどもの仲間がキレて、クロをリンチにしようとした。―――で、返り討ちにあい今に至ると。……俺も一応止めはしたんですがね。この通りクロ坊が“まだ殴り足りない”だの言って、まるで俺の言うことなんざ聞こうとしないもんだから、シアン先生を呼んだってわけですよ」
反論しないクロを、シアンは哀しそうに呼ぶ。
「クロ……」
「―――魔法は使ってない。……俺はちゃんと父さんとの約束を守ってる」
このノルマン学園に入学するにあたって、シアンはクロとイヴにいくつかの約束をさせていた。
そしてクロに課した約束というのが、学生の間は攻撃性のある魔法を行使してはならないというものだった。
それはクロの身の内に秘められた膨大なマナを暴走させない為である。
そしていくら魔力が高かろうが、それを使わなければクロはただの人の子と然程力の差はなくなる。だが……。
「それでもだ。知ってると思うが、魔法抜きにしてもお前はもう、人間の中じゃ力の強い部類なんだ。強い者が弱い者を一方的に攻撃するのはいけないことだ。そしてそんなこと、もう今更説明なんかされなくとも充分理解してる年齢だろ。―――なのに何でこんなことする?」
「……」
クロはやはり答えない。
だがその時。彼等の立つ廊下の窓の外から、代わりに答えた者達が居た。
「はっ、何でってそんなのイヴちゃん絡みに決まってるじゃん。“狂犬クロ”なんて名ばかりのただのシスコンだもん」
「うんうん。クロ君ってイヴちゃんが陰でなんか言われたりすると見境なくなるもんねぇ。狂犬っていうか……最早忠犬クロ? あはは~」
そう口を出したのは、窓枠に肘を掛けてこちらを見物していた、シアンの受け持つ特殊科の生徒の二人。天使現司と天使夢だった。
色素の薄い、可愛らしい顔立ちのよく似た二人は、にやにやニコニコと違った笑みを浮かべながら、怒られるクロを同じ様に面白そうに眺めている。
クロはそんな二人を睨みつけながら、低い声ですごんでみせた。
「……おい。エンジェル姉弟。お前らに俺をそんな気安く呼んでいいなんて言った覚えはないぞ」
するとユメはキャッキャと笑いだし、アラシは中指を立ててクロに向けると同じように低い声で怒鳴り返し出した。
「わぁーぉ、睨まれた。こわぁ~い」
「おぉ? こっちだって言われた記憶はねぇよ。つか何でいちいちお前の許可が必要なわけ? 調子乗ってると破壊すんぞコラ」
クロがいくら人並み以上に強くなったとはいえ、彼らもまた転移者という特殊な存在。
クロ程度を恐れることはなかった。
アラシが腕を組みながら吐き捨てるように啖呵を切る。
「……あと、この俺様を“エンジェル”とか言うんじゃねぇよ。ムーちゃんなら可愛いからいいけどな!」
「うっせ。シスコンはお前だ。ってか、お前らおんなじ顔なんだよ、一卵性ベーコン共がっ!」
「馬鹿か。ソーセージだっつの!!」
そしてそんな彼等のヤンチャな言い合いを、呆れ顔で聞いていたシアンがとうとう手を叩いて止めに入った。
「はいはいはいはい、そこまで! 天使姉弟、頼むから今はクロをこれ以上刺激しないでくれ。それからユメ、悪いが今から医療室に行って、クロが殴り飛ばした負傷者達の治療をしてやってきてくれないか?」
「いいよー。ただし、今度の野外ライブ用にアンプ作ってくれるならね♪」
「オッケー。ターニャに注文しとく。後、煩いからアラシもユメについてけ」
シアンには大した力も技術もないが、対価を払えば大抵の無茶振りは叶えてくれる。
ユメは早速行動に移ろうとするが、アラシは口を尖らせた。
「えー。俺も修羅場見てぇよ」
「そうなのか? お前の姉が、上級生の野郎共が居る医療室に単身で向かうんだがいいのか?」
シアンは人の弱みに付け込むのがうまい。
そして触発されたアラシはこめかみに青筋を浮かべ、唸るように呟いた。
「チッ……野郎共を破壊し尽くしてやんよ……」
「いや、そうじゃない。治して欲しいんだってば。ほら、早く行かないとさっきのアンプの発注“夢色ピンク”で出すぞ」
途端、ユメとアラシの表情が恐怖に染まる。
「ちょぉ、やっ、ピンクは……いやぁぁっ! お願いだから黒一択で!」
「チィィッ、この悪魔めっ! 急ぐぞ、ムーちゃん!」
「うんっ、あっくん!」
シアンは脅すのがうまい。
ユメとアラシは顔を青ざめさせて医務室に向かい駆けていった。
「ふぅ……」
やがて二人の後ろ姿が見えなくなり、シアンが小さな息を吐いた時だった。
ふと廊下に置かれてあった掃除用具入れのロッカーの扉が、ひとりでにキイィと音を立てて開き始めたのだ。
「!!?」
一同がその不気味さに目を見開いてロッカーに注目する。
……と、ローカーの中から黒髪ショートボブにメガネという、真面目を絵に描いたような装いの少女がゆらりと姿を表した。
彼女の名は梶谷萌絵。天使姉弟と同じくシアンのクラスの転移者の一人だった。
モエはメガネをクイッとズラすと、音もなくシアンに忍びより言った。
「クフフ、シアン先生。今、ターニャ氏の名を口にされましたね? ターニャ氏に会うのですか? いつですか? その時は是非拙もお供をさせてください。談義をまた交わし合いたいのであります!」
「いや待って。その前にまず突っ込ませて。なんでロッカーに入ってたのかな!? モエちゃん!」
誰もが状況の理解に追いつかず唖然と固まるだけの中、シアンだけは通常運転で冷静にツッコミを入れながら、事態を捌いていた。
つづ




