隠しダンジョン ㊦
イヴ俺の一存により、俺達はカウンター席に一列に並び座って、店の奥からやってきたマリーを交えて二度目のおやつタイムを始めていた。
「イヴちゃん、クロ君! 久しぶりだねー! あえてすっごく嬉しいよ!」
そう言って跳びはねて喜ぶマリーはあの日遊んだ姿のまま、少しも成長していなかった。
一通り再開を喜んだ後、俺は紅茶の準備をしてくれているレイルさんに小声で訊ねてみた。
「ねえ、レイルさん。もしかしてマリーもレイルさんが作ったダンジョンの一部なの?」
レイルさんはポットにカバーを被せ、白いティーカップを温めながら答えてくれた。
「そう。正解だよ。だけどマリーは少し特殊でね、僕の意思で動かしている訳ではないんだ」
「じゃあ誰が動かしているの?」
「マリー自身だよ。マリーは作り上げた当初から自立型として設計したんだ。初めにある程度の基本情報は入れて作ったけど、それ以降は独自に学習し、今の人格を形成したのはマリーであり僕じゃないんだ」
レイルさんの説明に、俺はイヴと話しているマリーに目を向けた。
とても自然な動き。……だけどこれまでのレイルさんの話からすると、マリーがここでこうして存在する為には、気の遠くなるような計算が必要になっているということになる。
レイルさんの作ったダンジョン内に居ながら、レイルさんの思惑から逸れるダンジョンの改変すら可能な存在。
レイルさんがダンジョン・マスターと言うなら、さながらマリーはサブマスターといった所なんだろう。
「へぇ。マリーって凄いやつなんだね」
俺の口から、自然とそんな言葉が漏れた。
レイルさんも少し得意げに頷き、付け加えてくる。
「そうだね。―――ダンジョン内では演算能力こそが全て。見かけは幼くとも、ダンジョン内においてマリーほど力あるレディーはいないということになるね」
「レディ……へ、へぇ。そうなんだ」
言っても5歳児ほどにしか見えないマリーに使われた過剰な表現に、俺は一瞬顔を顰めた。
だけどレイルさんに視線を戻した瞬間、カップの湯を捨てるその姿に何か言い知れぬ威圧を感じ、俺は慌てて身を引きながら頷いた。
でもレイルさんは逃げるカエルを見つけた蛇が首をもたげるように、ゆっくりと俺に向き直ると、じっと俺を見つめてきた。
……な、何だろう? 俺、何かしたのかな? いや分かんないけど、もしここダンジョン内でレイルさんの気に入らないことをしたら、一体どうなってしまうんだろう……?
不安は余計な疑念を生み、俺の背に冷たい汗が流れる。
と次の瞬間、レイルさんは諭すようなゆっくりとした口調で俺に言った。
「ジャック・グラウンドで見かけた時の君は、まだ物を分かっていない幼子だったから何も言わなかったけどね……―――そろそろ分別もつくんじゃないかな」
分別……? ってなんだろう、ヤバい、本当にわからない……。
俺は不安に身体を凍りつかせながら、必死でレイルさんの言葉の意味を理解しようとその目を見つめ返した。
するとレイルさんは、呆れたように小さな溜息を溢すと、カウンターに手を置いて真面目な顔でこう言ったんだ。
「つまり、君はいつまでもマリーを呼び捨てにする気かと聞いているんだ」
「…………。……え?」
……え?
俺は耳を疑いさっきまでの緊張とは違う、呆けた顔でレイルさんを見つめ返した。
そんな俺に、レイルさんはいよいよ迷惑そうに俺に忠告してくる。
「マリーを生み出した者として女の子同士や、かろうじて騎士道を極めた真摯な友達迄は許したよ。―――だけどボーイフレンドって言語道断なんだよね」
……………んん?
この人何を言ってるんだ? 分別って、まさかそういう……?
―――この人、本気か?
俺はもうレイルさんの威圧ではなく、マリーに対するその執着ぶりに恐怖しながら、首振り人形のようにコクコクト頭を上下に動かし頷いた。
だけどレイルさんの俺に対する警戒心は解けていない。
俺はレイルさんを刺激しないよう、顔色を窺いながら尋ねるようにそっと言い直してみた。
「ま、……マリーお嬢さん……?」
……で、いいのかな?
レイルさんが笑顔になった。
さっき迄凄い人かと思ってたのに、ホント何なんだこの人。
困惑しながらも漸くレイルさんの威圧が消えた事にホッとしたのも束の間、直後斜め前から弾けるようなマリーの声がかけられ、俺はビクリと肩を震わせた。
「ちょっとクロくん、その呼び方やめてよー。マスターもクロ君に変なこと言わせないでっ」
ちょっ……マリー、やめて!
口を尖らすマリーに、レイルさんは毒のない笑顔で返した。
「あはは、ジョウダンだよ。ねぇクロくん。……あれ? つまらなかったかな? 面白くないジョークを飛ばしてくる奴の近くに住んでると、どうもつまらなさが移ってしまって嫌になるねー」
レイルさんはつまらないジョークを飛ばす人と同居しているらしい。……いや、だからなんだよ。今そんな事はどうでもいい。
―――そして仮に本当に冗談だったとしても、今の俺にはもうマリーを呼び捨てにしようという気は起こらなかった。
俺はレイルさんが淹れた紅茶を配りに来てくれたマリーにヒソヒソと声を掛ける。
「な、なぁ……今聞いたんだけどお前ってダンジョン・サブマスターみたいな存在なんだって? 俺、凄い尊敬するよ。……だからこれからは“サブマス”って呼んでいいかな? 尊敬的な意味を込めて」
「えー? マリーのままでいいよ」
よくない。
「いや、ホント。ダンジョン内で2番目にすごいとか知らなかったんだし、あだ名みたいなもんだと思ってくれてらいいから……」
「そう? ならいいよ」
漸く快諾してくれたマリー……改めサブマスにホッとしていると、隣りに座っていたイヴが俺の腕をつついてきた。
「ねー、クロ。今マリーちゃんと話してたんどけど、シアンにお願いして、今度ダンジョンでお泊り会したいねって言ってたの。シアンがいいよって言ったらクロも行くよね?」
直後、治まっていたレイルさんからの威圧が、案の定また吹き出す。
風もないのに髪が揺れそうなその圧に、俺はイヴからフイと目を逸らし答えた。
「行かない。女子ばっかのとことかつまんなそう」
咄嗟に口から出た言い訳。
そんな言い訳に、ユウヒやミック達が囃し立ててきた。
「クロ、女の子は素敵なものなんだよ。僕なら喜んで参加するのになぁー、羨ましいなぁー!」
「いやいや。クワトロもお年頃なんだよな。いいんだぞ。そんな事もあるさ。な!」
「にしても言い方があるでしょう? ほんっとクワトロってデリカシーないわね! イヴ、後でやっぱり行きたいって言い出しても入れたら駄目だからね!」
……何とでも言えばいい。
俺は極力レイルさんの威圧から逃れようと身を縮めながら、小さな声で断固として言った。
「いい。いかないし……」
そんなノリの悪い俺に、イヴはそれ以上何も言わず“そっか”と頷いてくれて、代わりにソラリスに声を掛けた。
「ねぇ、ソラリス。ならソラリスも行こうよ! 私、女子会っていうのをやってみたかったの!」
「行くわ! いいわね、私もやってみたいわ!」
即答したソラリスを横目に、今度はユウヒが提案した。
「なら僕達は男子会しよっか」
「お、いいっすね! 勇者様の武勇伝聞きたいっす!」
「うん。俺も行く」
「よぅし決まりだねっ♪ あ、でも僕達はダンジョンの外でだよ。マスターは年齢制限により入れてあげませんw」
「頼まれたって行かないね」
「とか言ってマスター涙目www」
恐れることなく言い返すあたり、ユウヒは間違いなく勇者だな、と俺は思った。
こうして話は逸れ、俺は今度こそホッとして目の前に置かれた紅茶を一口飲んだ。
この時レイルさんが淹れてくれてたのは、いい香りのする甘いアップルティーだった。
―――そしてそれ以来、俺は林檎があまり好きではなくなったのだった。




