歴史を巡る旅 3 ー人と生きる魔物の国③ー
ソラリスとミックが、像を見上げながらヒソヒソと囁きあっている。
「なんだかこの像、シアンに似てない?」
「そうかな……? 流石にイキり過ぎだし、これに似てるなんて言ったら兄貴が可哀想だ……」
ドンマイ、シアン。
と、その時。像の前で観光案内をしていた若い鬼人の女性が、イヴにパンフレットを見せながら話しかけた。
「ようこそ絆の街・トゥーリノヘ。ここでは先週から“ルシファー様キャンペーン”という催しをやってるの。それに伴い、ルシファー様像を巡るスタンプラリーをやってるんだけど、君達も参加してみない?」
「わぁ、やるっ!」
「俺も!」
「私もやってみたいわ」
「ってか、ルシファー様キャンペーンってなんなんスか……」
即答する三人と思わず突っ込むミックに、鬼人の女性はニコニコと微笑みながらカードを配り始めた。
手渡された厚みのある手の平サイズのそのカードには、3つの大きな丸が描かれており、裏側には腰に手をあててポーズをキメるルシファーの黒いシルエットが印刷されている。
「ここの石像を入れて、この街には全部で3体のルシファー様像が建てられているの。それぞれの像の近くにスタンプブースがあるから集めてね。スタンプはルシファー様の英雄ナンバーに因んで“6”よ。そして“666”と揃ったそのカードを市場にあるイベント会場に持っていくと、素敵なプレゼントが貰えるの。きっと気に入るから、ぜひ貰ってきてね!」
そう言って鬼人の女性はウインクすると、他の通行人達にカードを配りに行ってしまった。
イヴは女性を見送ると、早速教えてもらった通りルシファー像の足元に置かれたスタンプ台でスタンプを押す。そして弾む声でクロに言った。
「ね、プレゼントって何かな?」
「うーん、ルシファーのキャンペーンだしルシファー関連のものじゃない? でも、ルシファーのキーホルダーとかポストカードとかだったら……―――いらないかな。父さんにあげよ」
そんなクロの発言に、俺は色んな意味で酷いなと思った。
とその時、カードをじっと見つめていたミックが顔を上げ、少し声を潜めながら言った。
「だけどさ、もし関連グッズだとしたら、ちゃんとルシファー本人にに許可取ってるのかな? いや、取ってるならそれはまた凄いんだけど、取ってなくて後で本物が怒鳴り込んできた! とかなると、相手が相手だけに洒落にならないぞ……」
「ふんっ。ミックは心配性ね。とにかく全部集めて、プレゼントを貰ってみればいいでしょ」
ソラリスがそう言ってミックを小突いた時、漸く復活を遂げたシアンが鬼気迫る表情で子供達を呼んだ。
「お前達ぃっ!!」
「あ、父さん。どうしたの?」
「シアンみてみて! トゥーリノで今、スタンプラリーやってるんだって! 全部集めて皆でプレゼント貰おうって話してたの。いいでしょ?」
楽しそうに報告をする子供達に、シアンの表情が困惑に歪む。
「な、何……? どういう事だ?」
「今そこで聞いたのだけど、“ルシファー様キャンペーン”という催しが開催されてるらしいの。3体のルシファー像を巡れば何プレゼントが貰えるらしいわよ」
ソラリスの説明に、シアンの顔が青ざめた。―――その話が真実なら、こんな像が他にもまだ二体あるというのだ。しかもキャンペーンにより、トゥーリノを訪れる者ほぼ全てがそれを目にするよう仕掛けがされている。
疎らに訪れている旅人達を見る限り、昨年の建国500年記念式典の時程、訪問者が多いわけではない。―――しかし当人にとっては数の問題ではなかった。
シアンは顔を青ざめさせたまま、怒りのオーラを立ち昇らせ始める。
「ふ……ふっざけんなっ……」
―――そう。ミックの懸念は正しかった。
トゥーリノが催したこの企画には、メインキャラクターの許可など取っておらず、そして企画内容はルシファーを激怒させるに十分な内容であったのだ。
親子連れの子供達に、笑顔でパンフレットを配っている鬼人の女性を、シアンはクワッと睨み凄味のある低い声で呼び止めた。
「ちょっと……そこの君。ここの責任者は一体どこだ!?」
「そうね! 勿論、きっと君達も気に入ってくれるプレゼントよ! だから集めてみてね」
「ちょ……」
「わーい! 絶対集める! すっげー楽しみぃー!」
だが、シアンの呼び掛けに女性は気付かなかったようで、振り返ることなく子供への接待を続けている。
「……あの……き…」
「それじゃあ、君達も走って転ばないように気をつけてね。よい旅をっ!」
「ありがとう、角の生えたお姉ちゃん!」
「あ……ぅ……」
「うふふ、ばいばぁーい!」
そしてすっかり勢いをなくしたシアンは持ち前の気の弱さから、十分にタイミングと空気を読んで、おそるおそる女性に声を掛け直した。
「あ、あの……すみません。このパンフレットの企画の担当者様は、今どちらにいらっしゃいますか?」
「え? あら、こんにちは。企画担当ですか? えっと、ごめんなさい。私はここでカード配っているだけなので、担当が何処に居るかまでは知らないんです。多分、市場に設置された特別企画本部に聞いてもらえば分かると思うのですが……、お答えできずにすみません」
申し訳無さそうに丁寧な対応をしてくれる女性。
シアンも最早怒りなど忘れ、ペコペコと頭を下げながらお礼を言う。
「いえ、こちらこそお仕事中にお邪魔してすみませんでした。その本部という所でもう一度聞いてみますので、どうぞお気遣いなく……」
「そうですか。御手数をおかけします。あ、カードってまだお渡ししてませんでしたよね。はい、どうぞ! ではよい旅をっ!」
「……」
こうして、シアンは自分もスタンプカードを貰い、スゴスゴとまた子供達の所に戻ってきた。
―――ミックの読みは確かに正しかった。
だがそれ以上に、気の弱いルシファーが自分の事で街中で怒鳴って暴れるなど、まぁ出来ないのであった……。
◇◇◇
ウエストブリックを渡り、壁門を抜けたシアン達はまず定期馬車乗り場へと向かった。
というのも、門をくぐれば賑やかな町並みがあるのかと思いきや、目の前に広がっていたのは大草原と広大な森。それに大地から生える、山のような形と大きさの苔生した一軒の家だけだったのだ。
馬車に乗り込み、不思議そうに窓の外を何度も覗く子供達に、シアンは笑いながら言った。
「あはは、カロメノス水上都市のように、門を抜ければ街が広がってると思ったんだろ」
「ええ。なのにこの草原は何? 牧草地か何かかしら?」
「いいや。ここは正真正銘“公道”だ。ほら、遠くに巨大な石の建造物が見えるだろ? あれはトゥーリノに、住む3人の【大きな人族】の家だ。大きな人族の平均身長は三十メートル。とてもじゃないが同じ街内には住めず、ここで道行く人々を日々眺めながら、穏やかに暮らしてるんだ。つまりこの草原は、はあの人達の家の玄関先の小道って訳だな」
「この草原が……小道……」
そのスケールの大きさに、ソラリスとミックが言葉を詰まらせる。
シアンはそんな二人をまた可笑しそうに笑いながら、トゥーリノの概要の説明を始めた。
「同じ土地に数多の種族が一緒に住むとなれば、様々な問題が出てくるのは分かるよな。そしてその一つが“体格の違い”だ。そこでトゥーリノの民は、まず塀の中を波紋状にエリア分けして、外に行くほど大きな種族、中心に行くほどに小さな種族が暮らす様にと住居区分を定めたんだ」
シアンの話にイヴも混じって相槌を打つ。
「それで、ここが大きな人族さん達の区分って訳なんだね。だけど、それじゃあ大きな人族さん達は街の中心にはいけないってこと?」
「申請をすればある程度までは入れる。だけどトゥーリノの最深区は、手のひらサイズの小箱に収まるニンフ達の街だって話だから、流石にそこまでは無理かもなぁ」
「えぇ!? 手のひらサイズの街! 私も見てみたい」
「ならオレ達も見学の申請出してみるか。トゥーリノの民達は基本見せたがりな性格だから、壊さないよう気をつけるなら受理してくれる筈だ」
「わぁ~い!」
イヴが両手を上げてはしゃぎだし、ミックは感心したように息を吐きながら感想を漏らした。
「へぇー、しかし意外っすよね。魔物の街なんて言うからにはもっと雑多でカオスな様子を予想してたんす。なのにかなりクールで、そしてこんなにもシビアなルールを決めてるなんて」
そんなミックにふとシアンは問いかける。
「“人間と共に生きる”……ミックはそれがどういうことかを考えた事があるか?」
「え? ……そりゃ同じ街で暮らして、喋って、仲良く……えっと?」
改めて問われ、ミックは思わず首を傾げてしまう。シアンは言い方を変え、もう一度ミックに問い質した。
「同族同士が共に生きるのが簡単なのは、生まれつきその習慣や思想にある程度共感しあえるようになってんだからな。だが、身体の作りも文化も何もかも違う者達の寄せ集めとなれば、共感どころか争いしか生まない。……なのにここの民は、敢えて“人間”に共感したいと理想を掲げた。―――じゃあ、そもそも他種族から見た“人間”ってなんだ?」
ミックは首を傾げながらも、自分の思う人間像を語りだした。
「えっと……? 人間……とは、えーと……寿命が短くて、姿は俺達エルフにも似てるけど、耳は短くて筋肉が付きやすい種族。あ、あと肉を食うのが好き……とかっすか?」
だがシアンは首を横に振る。
「違う違う。トゥーリノが憧れた“人間”はそこじゃない。現にそこを真似ようとしてる奴なんて誰ひとりいないだろ」
「あー……」
とうとう降参とばかりに頭を掻くミックに、シアンは腕を組みながら話し始めた。
「かつて神は、人間を創造され賜うた時こう言ったんだ。“隣人を愛し、死者を敬え”と。そして魔物達にはこういった“己を誰よりも愛せ”と。つまり万を思いやり、自身を犠牲にできるのが人間で、個の誇りを貫き、全てを犠牲にできるのが魔物という訳だ」
「成程、そういや兄貴はあの大教皇様の孫っしたね。……でもまぁ確かにそっちの方がしっかりくるっす。―――つまり、人間という名の“他者を思いやる種族”に憧れたってことっすか」
ミックの答えにシアンは深く頷いた。
「そう。初めは弱い魔物達の“争いたくない”なんてささやかな願いだったかもしれない。強者こそが全ての魔物社会では、他者への親切心や平和主義なんて、軟弱者と蔑まれる要因でしかないしな。―――そこでそんな魔物達は考えた。争わず、迷惑を掛けず、それでいて互いに気持ちのよい生活を送るにはどうすればいいか? そうして行き着いたのが、まさに人間の根底にある“隣人を愛し、死者を敬う”事。つまり、他者を尊重し、先人の知恵を尊ぶことだった。魔物の性である筈の“我欲”を我慢してな」
そう。普通の大きな人族なら、身体が大きいからという自分ではどうしょうもない理由で、賑やかな市街を追い出される事に腹を立てる。また、逆に小さいからといって市街を歩く時は、邪魔なバルーンを持つよう言い渡されたり、飛空高度をセンチ単位で定められるなんて、奔放な性格のニンフには耐え難い苦痛だった。
癪に障る。面倒。鬱陶しい……。―――それでも隣人の為、トゥーリノの民は己を律し、争いのない世界で共に生きる事を願った。
そしてシアンは、ミックにニッと笑いかけて言う。
「きっと市場に行けばもっと驚くぞ。どの店にも“商品がない”んだからな。店先で人間の血が売られている事を人間が嫌がるように、卵を嫌がるハーピィーに豚肉を嫌がるオークなんていうのもいる。トゥーリノには様々な店はあるが、全ての商品が発注制で現物は全て発送って仕組みになっている。あと、公共の飲食店もあるにはあるが、そこで出されるのは僅かに許された食材だけを使い、厳格な調理法審査を受けて認可されたメニューだけなんだ」
「う、うえぇ……なんと言うか、住むには息が詰まりそうっすね」
住む者にとっては、他人の為への規制まみれのつまらない街。
と、その時。遠くに見えていた石造りの大きな家の扉がゴォンと音を響かせて開き、25メートルはあろうかという大きな人族の若者がヌッと現れた。
その圧倒的な威圧に、ミックとソラリスはギョッと身を強張らせる。だがイヴは逆に馬車の窓を大きく開け、声を張り上げた。
「こぉーんにーちわぁー!!」
すると大きな人族の若者はふとイヴの方に目を向け、それから文字の書かれた一枚の大きなボードを掲げ、ニコリと笑った。
“ようこそ、トゥーリノへ。僕はマルビガムと言います。僕は君達に会えてとても嬉しく思っている。どうか君達の旅がよいものとなりますように”
ボードの文字を読み上げ、クロはシアンに尋ねた。
「あの大きな人族……マルビガムさん? は、喋れないの?」
「いや、喋れるはずだぞ。だが彼らは体も声も大きいから、威嚇と勘違いされないよう“旅人に話しかけられても喋ってはいけない”と定められてるそうだ」
「へぇ」
クロはそう頷くと、またマルビガムの方に目を向けた。
そして規制への不満など欠片も見せず、寧ろ誇らしげな笑顔を浮かべながら手を振るマルビガムを、クロはいつまでも眺めていたのだった。




