歴史を巡る旅 3 ー人と生きる魔物の国②ー
「冥界の統治者・ルシファーが、トゥーリノを自身の統治下に置くと宣言したのは、今から約五百年前だと言われてる」
「……長生きね」
「まぁ、ルシファーは神話時代からの化け物だ。数千年の時を生きてるって話だし、俺達からすりゃ想像もできないよな。―――ともかく500年前。当時のトゥーリノは実は、4度目の破滅の危機に陥ってたんだそうだ。そしてその要因とは、トゥーリノを騙る“偽の魔物の街”が出没しだした事だった」
―――約五百年前。その頃トゥーリノは人間に攻め入られた経験から、人間達の国やその他組織に虐げれないよう、自分達も一国として独立をしようと模索していた。
だがそんな中、各地に“トゥーリノ”を名乗る、雑多な魔物が集まった集団が現れはじめたのだ。
その者達は友好を騙り、人間達を集めて宴を開き……―――そして、食事をした。
その時の犠牲者は78名。日々魔物達の歯牙に掛かる人命から見れば微々たる数字ではあったが、当人達にとっては数の問題ではない。
この一連の事件によりトゥーリノの名は地に落ち、人はトゥーリノを恐れて近付かなくなってしまった。
何とか住民達は汚名を払拭しようとしたが、味をしめた魔物達は更に偽のトゥーリノを名乗りだす始末。
そしてとうとう、最早トゥーリノの名がその意味を無くそうとしていたその時だった。
空から悪魔と亡者の軍勢を率いたルシファーが舞い降り、失墜の中にあった住民達に言い放ったのだ。
―――立ち上がれ。“絆”を取り戻しに行くぞ、と。
「―――そして住民達はルシファー指揮の下、各地に湧いた偽の街を片っ端から叩き潰し、囚われていた人間達を救出して回ったんだ」
「よかったねぇ! だけどルシファーはどうして助けてくれたのかな?」
「うん。当時の人達がルシファーに問うたところ、ルシファーは“世界の整理をしに来た”と答えたらしい。だけど“世界の整理”というのが何を意味しているのかは、未だ未解明なんだよな」
「へぇ。もし会えたら聞いてみようよ」
「はは、噂では人間に友好的な一面もあるらしいけど、一応最強クラスの魔物だからな。いくらイヴが強くても、命あっての物種だ」
「そっかぁ……そうだね」
納得した様に頷くイヴ。
そして、イヴと対峙すれば一分と保たず負けるシアンは無言だった。
ミックは話を続ける。
「こうして偽物達を一掃したルシファーは、最後に今回の事件は魔王管轄の魔物の仕業だったからと言って、なんと魔王城にまで乗り込んでいったんだ。そして魔王とその配下の魔物達を前に、ルシファーは恐れる事なくこう告げたんだ。 “今後トゥーリノは我が管轄とする。二度とトゥーリノを騙り、人心を惑わせるな。もし我が領分を侵したその時は、我が権限に於いてその魂を引きずり出し、地獄の獄炎で千年に渡り炙り続けてくれる!”ってな」
「……ぃ、言ってねぇ……」
背を極限まで丸めていたシアンが、とうとう震える小声で呟いた。
ミックはエルフの長い耳で、耳聡くその声を拾い上げる。
「ん? 兄貴、なんか言ったっすか?」
「いえ、言ってません……」
「そっすか。―――でさ、それからが凄いところなんだけど!」
シアンは震える声でそう言い返すとまた沈黙し、ミックは気にせずまた話に興じ始めた。
「普通は例え偽物を一掃して魔王本人に怒鳴り込んだとしても、一度失った信頼を回復させるなんて早々できるもんじゃない。だけどな、そこでルシファーが本領を発揮させたんだ」
「ルシファーの本領って……?」
「勿論誘惑だよ! ルシファーは実質的にトゥーリノを傘下に置くと宣言すると同時に、得意の誘惑を世界中に向けて発動させたんだ!」
一般的に【ルシファー】が得意とするのは、悪魔達と同様に誘惑魔法だとして広く知られている。……まぁ、本人は断固として否定しているが。
「そしたらさっ、なんと貴賎や貧富に関わらず、世界各界の主要人物達がこぞってトゥーリノを目指しだしたんだって! 上が動けば当然下も動く。それからのトゥーリノは、外との交易や交流が盛んに行われるようになって、一時は凍結しつつあった国家独立草案も、その翌々年には世界から認められ、華々しく可決されたんだ!」
そして、それがトゥーリノの建国元年として歴史に刻まれたのである。
だが歴史の大変動を興奮気味に語るミックとは裏腹に、クロは渋い顔で首を傾げた。
「へぇ……。だけど誘惑で出来るのは、精々術者が認識できる範囲の人達だけだっていうし、術を掛けられてる間は、その人の意識は半分眠ってる状態になるんだよね? そんな人達にまともな交易や交流なんて出来ないだろ。変だよ」
「だからルシファーの誘惑は特別だって言われてるんだよ! 人格や自我を完璧に保たせたまま操るんだからなっ」
……一応誤解がないよう、その件について種明かしをしておこう。
当時、ルシファーが偽トゥーリノに囚われていた人達を解放した際、涙を流しながら感謝してきた一人の青年と、こんな会話を交わしたのである。
『ありがどうございばずっっ!! もぅっ、本当に駄目かと……なんとお礼を言って良いのかっっ!!』
『ま、気にすんなって。お礼とかいいから、今回の件に懲りず、またトゥーリノの民の街を訪れてやってくれよ。できればダチ誘ってな。あいつ等ホントいい奴等だから』
『わ、わかりまじた!! 必ず……!』
そう言った青年はトラベルライターであった。様々な土地を巡り本を書いていたのである。
そして青年の奇跡の生還記録が記された本は、たちまちベストセラーとなり、世界中で翻訳された。
―――またその当時、公にはされていなかったものの、世界中には青年と同じように稀有な縁でルシファーの仲間になった人間が結構大勢いた。
そして本に書かれてあったルシファーの言葉を見た仲間達は、面白半分でトゥーリノに向かったのである……、と言うのが事の顛末。
……まぁ、その仲間達は皆、生涯ルシファーの仲間であることを世間に隠し通していた為、このような誤解を生む事になったという訳だ。
さて。
そんな裏話など知らない子供達は、ミックの理解し難い不思議な話に、それぞれの感想を洩らした。
「へぇー。確か特殊スキルを“ユニーク”って呼ぶのよね? 流石神話時代の化け物って感じね」
「怖いな。俺は絶対操られたくないや」
「私も嫌……あ、そうだ! だったら今から誘惑の耐性付ければいいんじゃない? 後でシアンに訓練方法教えてもらおうよ」
そしてシアンが遠い目で「チャームとか知らんしぃ……」などと呟いていたその時だった。
今まで大人しかった飛竜が、何かを知らせようとするかのように、突然大きな声で一声鳴いた。
一同がはっとして顔をあげると、眼下には雄大な石橋ウェストブリックが見えている。間もなく到着なのだ。
高度と速度を落とし始める飛竜に、子供達は期待に満ちた歓声を上げ、シアンはと言うと懐の回復薬に伸ばそうとしていた手を止め、ほっと胸をなで下ろしたのであった。
◇◇◇
「それでは良い旅をー!」
ウェストブリックにある関所で、受付のリザードマンに大声で見送られながら、シアン達は漸くトゥーリノへと足を踏み入れた。
頑強で巨大な石橋を渡りながら、イヴがふと疑問を口にした。
「だけど、どうしてサウスブリックじゃなくてウエストブリックに案内されたのかな?!」
「さぁ……? 俺は飛竜に乗れたからウエストブリックで良かったけどね」
と、クロ。ミックもニヤニヤと笑いながらシアンの腕を小突いて言った。
「あ、もしかしてこの“人類の生きる英雄”の為に、なんかサプライズでも準備してくれてるんじゃないっすかね?」
「んな訳あるか……」
若干疲れた顔でシアンはミックを軽く睨んだ。
そんな彼らが暫く行くと、橋の中央に人だかりが見えてきた。
歩みを止めて人々が見ているのは、橋の上に据え置かれた大きな石像である。
「見てクロ! あそこの石像みたいなのに人が集まってるよ。何かあるのかな?」
「本当だ。なんだろ?」
首を傾げる二人に、ミックが説明を入れた。
「あれは多分、英雄像の一つだな。トゥーリノは去年、建国500年記念で盛大な式典をやったんだ。その時にこの地に関係の深い英雄達の像を建てたんだ。―――それがまた有名な彫刻家に創らせたもんだから、芸術的価値も相当だって噂が広がって皆ああして見に来てるんだ」
「へぇ! 父さん、俺も見に行ってきていい?」
「私もっ! 行ってきていい!?」
「あぁ、人にぶつからない様に気を付けてな……」
お疲れ気味のシアンは億劫気にそう頷き、子供達は元気いっぱいに駆けていった。
「はーい!」
「いってきまぁーす!」
……その時のシアンは、おそらくかなり疲れていたんだろう。
普段の彼ならきっともっと警戒した筈。
飛竜まで準備され、このウエストブリックに案内されたからには、間違いなく何かある筈だと。
だが疲れ切ったシアンは、気付かず子供達の手を離してしまったんだ。
そして、その先で子供達は深い闇を見てしまった……。
―――それは橋の中央に建つ、不敵な笑みを浮かべた男の像。
男のウェーブの掛かった髪は精密で、風に靡く様子まで繊細に表現されている。
整った顔の左目には蜘蛛の巣があしらわれた眼帯を着け、スラリとした身体にはあちこちに革ベルトのような装飾が施されたロングコートを纏っている。
正面に突き出された右手には、魂を象った丸い特大の魔石が握り込まれており、左手は何故か奥歯辺りの頬を押さえる様な格好をしていた。―――そう。それはイタイで有名な“歯痛ポーズ”である。
そしてその男の首には、怪我でもしてるのか擦り切れた包帯が巻かれ、長く余った包帯の端はまるで風に靡いている様に超絶技巧を駆使して表現されていた。
因みに同じように薄汚れた包帯が右太腿にも巻かれているのだが、手当てというには不自然に、何故かタイトなスラックスの上に巻いてあった。
そして何より目立つのが、男の背に生えたコウモリの骨格の様な、骨の翼……。
子供達が見上げるその男の石像の下には、漆黒のプレートに黄金の文字でこう書かれていた。
《トゥーリノの英雄№6:冥界の統治者=ルシファー》
「ぐっ…………ッフウゥ!!!」
……。
―――シアンがとうとう奇妙なうめき声を上げて倒れた。
そしてヨロヨロとローレンから貰った一本目のエリクサーを取り出し、一気に呷る。
やがてなんとか立ち上がると、キッと険しい目つきになり子供達の方に駆け出した。
その背を見送りながら俺はふと考える。
―――既にいっぱいいっぱいのシアンは多分気づいてないのだろう。
そう。実はこの恐ろしい魔物の巣窟の壁内にすら、シアンは未だ踏み込んではいないという事実に……。




