歴史を巡る旅 2 ードワーフの聖地ディウェルボ火山①ー
―――次の日。
上機嫌のフェリアローシアが性懲りも無く、顔を洗うクロにすすすと近付き声を掛けた。
「お早う御座います、クロ君。よく眠れましたか? 昨日の昼、あんな事を言ってしまったので、考え過ぎていないか心配で」
クロは感情の籠もらない目で、フェリアローシアを一瞥すると、歯ブラシに歯磨き粉を付けながら挨拶を返した。
「あぁうん。お早うフェリアホ。凄い寝れたよ。だってお前に言われた事なんか気にする筈ないし? 多分人生の中で一番良く眠れたかな……」
そう言ってシャコシャコと歯を磨き始めたクロ。
フェリアローシアは少し顔を引き攣らせながら、それでも笑顔でクロに尋ねた。
「……。……クロ君? 聞き間違いでしょうか? 私の名前は……」
「うん? らって、フェリアホーシネってながいひ……」
……。
―――おおっと。なんだその“歯磨き中”にかこつけた、悪意全開のネーミングは。
流石のフェリアローシアも、その呼び名に表情から笑顔が消える。
「フェリアローシアです」
「だからフェリアホでいいじゃん」
ペッと泡を吐き出して淡々と答えるクロ。
そのあからさまで明らかな悪意を感じ取ったフェリアローシアは、静かな怒りを立ち昇らせながら警告した。
「……。……シアンさんとイヴちゃんに言いますよ?」
その一言に、クロはふと手を止め、ジロリとフェリアローシアを睨む。
「言えば? 父さんは何があっても俺の味方だし。だけど言いつけたことはローレンさんに言うからな」
「……っ」
―――傍から見ればただの子供の喧嘩。
だがただの子供の喧嘩なら、フェリアローシアに軍配が上がる筈がない。よってこの勝負、クロの圧勝であった。
それを察したフェリアローシアが悔しげに、言葉通り負け惜しみを放つ。
「だったらっ! 今後クワトロ君のことをクロ君じゃなくてわろ助君と呼びますよっ。よいのですか!?」
「別に勝手にすれば? 俺、お前とはもう話さない事にしたし!」
「このっ、―――もう……! ローレンにわろ助なんかを支え続けるなんて言うのではなかった!」
「だったら今すぐ取り消してこいよっ」
「嫌ですっ。格好悪くて出来ませんよ!」
―――この後、クロとフェリアローシアは犬猿の仲となってゆく。
また、そんな険悪な二人を見たシアンとローレンだが「子供社会の中でも合う、合わないはあるからなぁ……」と、朗らかに微笑み、そっと見守る事にしたのだという。
兎にも角にも、今日も世界は平和であった。
◇
その後、皆で仲良く朝食を済ませた時、ローレンがハーティーのお茶を飲みながらシアン達に言った。
「それじゃあ片付けをしたら、話していた通りドワーフ達の里、ディウェルボ火山内部の見学に行こうか」
ローレンの提案に、シアンとイヴ、そしてクロが待ってましたとばかりに顔を輝かせた。
「ドワーフの里……! 実はオレも山には入ったことがなくて、楽しみにしてたんですよ」
「私もドワーフの街って見たことない!」
「俺ね、ドワーフが鍛冶してる所は絶対に見てみたいんだ! ……でも、もしかしてフェリアホも山に行くの?」
クロが最後に若干不安気にそう付け加えると、フェリアローシアは天使のような微笑みを浮かべ頷いた。
「行きますよ。何か問題でも? わろ助君」
「……父さん、あいつは置いていこ。俺の事変な名前で呼んでくるし一緒に居たくない」
「はっ、残念ですね。シアン殿に、ましてやわろ助に私の行動を制限する権利なんかありませんよ。大体変な名前はそっちが先でしょう」
「まぁまぁ……。はは、は……」
なんだかんだと盛り上がる一同だったが、そんな中、ふとミックがストップを掛ける。
「いや、待って下さい。見学って言っても、ドワーフ達は自分達の聖地である山に、他種族を入れさせないっすよ。俺もソラもずっと火山の麓のカロメノス水上都市に住んでましたけど、もう何百年も山に入った者はいないって……」
ミックはそう言ったが、正確には何百年ではない。
最も最近で言えば、3年前にイヴとクロがフィルと共にこの山に入っているし、その前は2478年前にジークという名の道士が、古のドワーフ達の古都の整備を敷く為その生涯を捧げ、彼の地で眠りにいたのが最後となるのだが、……まぁそんな誤差はいいか。
注目する一同に、ミックは声を潜めて警告した。
「それに彼等は鍛冶の種族と言われるだけあって、老若男女問わず怪力で、仕上がった武器を試す為にその扱いにも長けているとか。―――もし不法侵入が見つかったなら、下手すれば大規模抗争になりかねないっすよ」
ミックの懸念に、一同の顔に不安が浮かぶ。
戦いの好きなイヴも、あくまで力比べが好きなだけであって、大義名分もない争いや喧嘩が好きなわけではない。
だけどローレンだけは「大丈夫だ」と言って頷くと、何故かカロメノス水上都市で土産として売られているコウモリを模した目元を覆うタイプの仮面と、背中に背負うタイプのコウモリの羽飾りをそれぞれに配り始めた。
「これは……仮装グッズっすかね?」
皆が首を傾げる中、ローレンは笑いながら人差し指を唇にあてて、声を潜めてそっと打ち明けた。
「ドワーフの里には、古くから伝わる秘密の言い伝えがあるのだ。“ダークエルフがコウモリのアニマロイドを連れて里を訪れた時は、良き友として迎え入れよ”とな」
「へぇ、初耳す……。ってか、俺達誰一人アニマロイドじゃないっすよ? それにこんなちゃちな仮装じゃ騙せないと思うんすけどねぇ」
ミックの疑問に、ローレンは当然だと頷く。
「まぁ、彼等とて馬鹿ではない。どんな変装をしようが、そなた達がアニマロイドでない事くらい、すぐに見破られるだろう」
「じゃあ何で?」
ミックは仮面を目元にあてながら、不思議そうに首を傾げて見せた。
するとローレンは、そんなミックにふっと笑いかけると、片目を瞑って思わせぶりな答えを返したのだった。
「合言葉のようなものだよ、幼いエルフ君。その組み合わせを識っている事だけが、彼等にとって何より重要なのだ。―――だから、みんなには秘密だぞ?」
「えっ……と、はい」
ミックはその後も何か聞きたそうにローレンをチラチラと見ていたが、結局その話はそれで終わり、何故そんな言い伝えがドワーフ達の間で語られるようになったのかを、その後ローレンは決して話そうとはしなかった。
だけどローレンが言った通り、その仮面と翼を身に着けてローレンと共に入山したシアン達は、ドワーフ達から敵対どころか無類の歓待を受ける事となるのであった。
◇◇◇
外から見れば、高く聳える閑静なディウェルボ火山。
しかしその中腹、標高1200メートルにある洞窟の入口から入り、木の柱と石積みで補強された長い炭鉱道のような道を進んだ先には、別世界が広がっていた。
―――そこは、湖に浮かぶカロメノス水上都市など簡単に収まってしまいそうなほどの巨大な洞窟。
何百と聳える巨大な鍾乳石の様な石塔が、洞窟の天井を支え、その石塔や洞窟の壁面には、鋼鉄製の鉄扉がずらりと並んでいる。
そしてその鉄扉の前には、色とりどりの宝石やその原石が、まるで花壇に咲く花のように、無造作に飾り置かれていた。
そしてそれらの鉄扉を繋ぐのは、それぞれに趣向が凝らされた鉄の階段や鉄橋だ。
それらは断崖の岩壁のみならず、蜘蛛の巣のように複雑に、そして幾重にも街中に張り巡らされていて、ここで生活する何千人ものドワーフ達の足場となっていた。
街は活気と熱気の溢れ、常に鉄を打つ音が八方から聞こえてくる。
また、その街並みのアチラコチラからは、白煙が筋となって立ち昇っているのだが、それは洞窟内に籠もることなく、導かれる様に岩壁に空いた排煙口に吸い込まれていた。
ドワーフの里。
それは街の全てが、そこに住まう職人達によって計算され尽くされて築かれた、一つの壮大な作品そのものであった。
「……凄いな(シアン)」
「凄いですね(フェリアローシア)」
「凄いっす。……誰っすか? “強欲穴モグラの巣は煤まみれの臭い所”なんて言った奴は(ミック)」
「私達じゃないわ。酔っ払った程度の低い冒険者が勝手にそう言ってただけよ。……とは言え、まさかあのカロメノス水上都市を凌ぐ程の圧巻なんて、私も予想外だわ(ソラリス)」
「そうなの? 私は始めからカロメノスより、こっちの方がきっと凄いだろうって思ってワクワクしてたよ(イヴ)」
「うん。だってカロメノスの街の装飾品って、殆どがドワーフの里から出荷された物なんでしょ? 普通に考えて劣ってるはずがないのに、なんでその冒険者達はドワーフの里をそんな風に酷く言うんだろ? 変なの(クロ)」
「ふふ。そんな事もわからないのですか? 自分にない力量に対するやっかみですよ。これだからわろ助は世間知らず……」
「フェリアホには聞いてない」
シアン達はドワーフの里の入り口で、各々に呆気にとられながら、その荘厳な職人達の築き上げた街を見上げていた。
するとそんな彼等の近くを、たまたま通り掛かった老いたドワーフに手を引かれた小人のような幼いドワーフが声を上げた。
「じいじ見て! ダークエルフ様とコウモリさん達が居るよ!」
「んん? おやなんと……! 儂もこの目にするのは初めてじゃわい」
老いたドワーフはシアン達を目に止めると、大きく目を見開いて、まるで品定めでもするかの様にじっと一行を見つめた。
一瞬、仮面を付けたままのシアン達に緊張が走る。
だが一拍後、老いたドワーフは満面の笑みを浮かべ、両手を広げながらシアン達に歩み寄り、豪快な大声で言った。
「やぁ、よく来てくれた、親愛なる我が友よ! 儂はディグルド、この近くに工房をかかえとるじじいじゃ。何かお困りの事はないかね? 何でも言うてくれよ。力になろう」




