ダークエルフ達の事情 ㊦
少し長めです。
まもなくこの世を去る。
そんな思いがけない告白に、シアンは一拍の沈黙の後、困惑気味に聞き返した。
「そ……、―――……え?」
「まあ、今直ぐに、という訳ではない。だが、シアン殿はハイエルフ、及びダークエルフの寿命を知っているだろう? そして私は既に、その寿命を大幅に上回っているという事も」
「え、えぇ。有名な話ですね。ダークエルフ種の寿命は概ね2千年。しかしローレンさんはその寿命を更に千年近く上回って生きていると……」
―――神はかつて、“魂を持つ命”に“終わり”を定めた。
その中でも、子を成し数を増やせる種族には“寿命”という命のタイムリミットを定めた。
人間ならおよそ百年、魔族は千年、魔王や魔人等の子孫で増えることのない唯一の存在には、タイムリミットは設けられなかったという具合だ。
ローレンは言う。
「私は今年二千年九百九歳を迎えた。だがそれは決して私が特別な存在だからではない。ただ、そういう契約を“賢者殿”と交わしていたのだ」
シアンの眉間にしわが寄った。
「レイルと? でもあいつの能力なら、ローレンさんがダンジョン内にでも居座り続けない限り、寿命を延ばすなんて事は無理でしょう。見た限り、この住居ははダンジョン化なんてしてはいないようですし」
ローレンはまたお茶を啜って頷いた。
「そうだな。今はもうダンジョンではない。しかし昔、私は4百年ほどの時をダンジョン内で過ごしていた時期があったのだ。―――今より約千年前、間もなく私の本来の寿命が尽きようとした頃、突然賢者殿が私の所に訪れ、一つの提案をしてきた。“間もなく、世界が大きく動く分岐点が訪れるかも知れない。その刻を見極める為、もう少し生きていてくれないか”と」
それを聞いたシアンはふと思い出した。
約千年前。それはちょうど、マリアンヌが長い旅から呼び戻され、再び目覚めた頃。
初めて喫茶店にマリアンヌを連れて立ち寄った帰り際、シアンも同じ様な忠告をマスターから受けたのだ。
“間もなく、神の器が完成するかもしれない”と。
正式な発表があったのは、それから更に4百年後だったけれど、その頃からマスターは様々な方面に手を回し始めていたのだった。
「とある経緯から、その時の私には主が賢者殿の能力の世話になった借りがあってな、それを帳消しにして貰ったのだ。ダンジョンで過ごしたその4百年分の時を、神の定めに逆らい生きる罪を背負う事により、その借りを帳消しにして貰うという条件だった」
シアンは目を丸くしながらも、ふと首を傾げた。
「しかし、仮に4百年分の寿命を返されたとして、今まさにこの時までの、残りの5百年分には説明が付きませんよ?」
ローレンはシアンの疑問に答える代わり、上着の内ポケットから薄い木箱なような物を取り出し、その蓋を開いてシアンに見せた。
不思議そうに覗き込み、その中に納められた物を見たシアンが、驚きに大きく肩を跳ねさせる。
そしてまるで禁忌にでも触れたかのように、恐る恐るローレンに尋ねた。
「……これは、まさか【世界樹の聖葉】ですか?」
そう。木箱の中に納められていたのは、俺の葉っぱだった。
しかし嫌だなぁ。俺からすれば大して珍しいものでもないのに、そんなに大袈裟に驚いたりなんかして……。
俺が少しいたたまれない気分になっている事など露知らず、二人の話は続いた。
「そうだ。私がとうとう約束の4百年の寿命も使い切ろうかというその頃、5百年後に神子が大地に遣わされるという例の神託が下った。そしてその時、賢者殿は一通の手紙と共に【世界樹の聖葉】を私に手渡し、新たな提案をしてきた」
あの日、マスターはローレンにこう言った。
『―――取引をしませんか? この手紙への返信を僕が届けてあげましょう。その代わりに僕が“もういい”と言うまでこの聖樹の葉を食べ、命を繋げるのです。もちろん断っても大したことない。金輪際、僕が手紙の配達をしないと言うだけですから』
他の者にとっては、本当に大した事のない条件。敬虔な信徒に、神意を裏切らせるには不釣り合いな条件であった。
だけど、世代を超えて番を求め続けていたローレンにとって、それは何にも代えがたい、最後の蜘蛛の糸のように思えたのだろう。
「愚かにも思われるだろうが、私はその取引を呑み、この寿命の自由を賢者殿に明け渡したんだ」
「いえそんな……。しかしあいつは、なぜそんなローレンさんに拘るのです?」
「拘りはないと思うぞ? ただ私が役に立ちそうだったからだろう。賢者殿が私を生かしておきたかった理由とは即ち、神が聖なる森にご帰還されるまでの監視補助要員。だからそれが終われば、私は速やかに死を迎える。―――つまり、今日明日の話ではないが、3千年近く生きた私は、もう12年も経ずこの世を去るということだ」
ローレンはそう言うと、俺の葉の入れられた木箱にまたそっと蓋をし、上着に仕舞った。
「私の場合【世界樹の聖葉】一枚でおおよそ十年の寿命が延びる事が分かっている。そして丁度昨日、賢者殿が私の下を訪れて言ったよ。『聖葉を渡すのも、手紙を届けるのも、薬の配達を頼むのも、自分がここを訪れるのはこれで終わりになる。残りの余命で役目を全うし、そして潔く死ね”とな」
「……あいつっ」
マスターのストレート過ぎる物言いに、シアンは思わず奥歯を噛み締めた。
だけどローレンは気に留める素振り間もなく、穏やかに笑っていた。
「いいんだ。いつもの事。それより私は今、余剰分の命のおかげでこうしてフェリと出会えた奇跡に、ただ感謝している」
「ローレンさん……」
シアンがなんと声をかければ良いものかと口籠っていると、ふと笑顔を浮かべるローレンの眉間にシワが寄った。
「―――いや、ただ感謝だけと言うのは少し嘘だな。……悔いはある。生きると決めたのも全て私だが、本来逢う事など叶わない筈のフェリに出会えた瞬間、私は現金にももっと生きたいと願ってしまった。……もう数枚でいい。フェリが視界に入るたび、なぜ御聖葉をもっと与えてくれないのかと、賢者殿を恨んでしまいそうになる」
ローレンがテーブルの上でキュッと拳を握りしめた。
だけどすぐにその拳はふっと解かれ、ローレンはまた苦笑した。
「―――まぁ、この自分勝手な欲に呑まれ、私が賢者殿を憎む事こそが、おそらく賢者殿の思惑の一つなんだろうな……」
「レイルの思惑? あいつがわざとそうしているって事ですか? 何故?」
「それは分からない。たが、賢者殿は神意を全うせんと生きる物達に、奇跡と呼ぶに相応しい救いを与えてまわっている。……だがその結末は、全て賢者殿にとって報われないようになっている。事実、我が主も、かつて“悠久の時”という名の滅びから“大切な宝”を保護して貰っているにも関わらず“二度と関与したくない”と断言しているからな」
シアンは眉間にシワを寄せたまま、カップの中で揺れるほうじ茶を見詰めていた。
だがやがて諦めたように肩を竦めると、ローレンに尋ねた。
「……その事を、フェリアローシアは知ってるんですか?」
「あぁ。私の寿命については出会ってすぐに話した。もう、あまり時間はないとな」
ローレンはそう答えると、不意にカタリと席を立ち、部屋の奥へと続く扉へ向かって歩き出した。
そして少しだけ扉を押し開き、声を掛ける。
「―――だから、そんなに無理をして背伸びをしようとするんだろう? フェリ」
扉の外には、フェリアローシアが膝を抱えて蹲っていた。
ローレンはフェリアローシアに、そっと諭す様に尋ねかける。
「私の寿命と時を同じくして、イヴもまた森へと還る。だから、共に老いられないクロに自分を重ね、同情し、誰も踏み込もうとしなかったクロの闇を、敢えてあばいたのだろう。せめて、クロが最期まで“人間”として穏やかな生を全う出来る事を願って」
「……っ」
フェリアローシアはそれに答えることなく、まるでイタズラがバレて指摘された子供のように、膝に顔を埋めて沈黙した。
ローレンはそんなフェリアローシアを責めることなく、また振り返ってシアンに告げた。
「シアン殿。フェリが貴殿の意思に反する事をしてしまった件について、本当に申し訳なかったと思っている。しかし私にフェリは怒れない。フェリの気持ちが、私にも痛いほど分かるのだ。今の立場でも、逆の立場でも、別れなど考えるだけで辛く怖ろしい。だが、力ある者はその力に見合った折り合いをつけていかなければならないとも心得ている」
そして最後にそっと付け加える。
「私もフェリも……―――そしてシアン殿とクロも、心得るべきだろう」
「……」
シアンは暫し、言葉もなくローレンを見据えていたが、やがて肩を落として俯いた。
ローレンはやはりそんなシアンを責めることなく、ポツリと尋ねる。
「……シアン殿。少し、フェリと外を散歩してきていいかな」
シアンはじっと俯いたまま、短く答えた。
「ええ、勿論です」
「客人を放っておいて申し訳ない。ここにあるものは、茶でも酒でも好きに飲んでくれ」
ローレンはそう言うと、シアンを残して部屋を出ていった。
◇◇◇
―――月明かりの下、ローレンとフェリアローシは並んで湖畔の畔を歩いていた。
時たま小動物達の気配は感じるものの、辺りは静かな物であった。
月に照らされた湖上を舞い飛ぶ蛍の群れを眺めながら、ずっと沈黙を続けていたフェリアローシアがポツリと小さな声で呟いた。
「―――私も、あの方のように道を示してあげたかった。……嫌われてもいいからと……でも、私には無理でした」
そしてローレンの上着の裾の端を掴み、キュッと握り締めてローレンを見上げる。
「ローレンにだけは嫌われたくない。クロ君に嫌われて、シアン殿に余計な事をと蔑まれる、そんな情けない私をローレンが目にすればどう思うかと考えると、踏み止まって、シアン殿から逃げてしまった。胸を張って、周りの方達の目を見る事が出来なかったのです」
―――まぁ本来、一般的に【善】と呼ばれる感覚を持つ者が、他者を貶めて尚、堂々と笑っているという事はなかなかに難しい。
一重に、その点はマスターが異常なだけである。
フェリアローシアはローレンを見上げると、縋る様に訴えた。
「そんな卑屈な孤独の中にいると、こうしてローレンと逢えた事実を棚に上げ、あの方を恨んでしまいそうになる。なぜ賢者殿はもっと御聖葉を下さらないのでしょうか? 賢者殿は御聖葉を掃き捨てる程持っておられるのに」
……そう。持ってるね。
因みにそのあまりの量に、マスター自身も“燃やしてやりたい”とキレていた。
あの時、俺はあのひと一人の両手には、決して収まりきらない程の落ち葉を、近くにいたマスターに結構無理やり押し付けてしまったんだよね。
そしてその申し訳無さから、俺はマスターに“好きに使ってくれていい”と、確かに言ったんだ。―――それがこんな使われ方をするとは予想外だったけど、好きに使っていいと言った限りは俺の口を出す事ではない。
「……こんな事なら、私が森を出る前に、もっとアインス様から御聖葉をいただいてくればよかった……」
フェリアローシアはそう言うと、また俯いてしまった。
―――あぁ。こんなに俺を必要とされるなど滅多にないことなのに。
出来る事なら、俺はこの葉を一枚残らず彼らに贈ってあげたい。……だけど唯の樹がこの場を離れることなどできる筈もなく、あの二人は俺の聳え立つ森へ、二度と足を踏み入れる事は出来ない。
ローレンは上着の裾を掴んだまま俯く小さな恋人を、愛おしげに抱き寄せて笑った。
「フェリのせいじゃない」
そして突然抱きすくめられて驚くフェリアローシアの額に、ローレンはそっと口付けを落とした。
一見、二人の体格には親子ほどの差がある。
だがその口付けは、決して母が子に向けるような慈愛溢れるものではなく、情熱的で、相手を求めてやまない底なしの欲深さを含んでいた。
……ラディーの入り込む余地はありませんね。
以下余談ですが、最近のこちらのストーリーのギャグのなさに耐えかねて、息抜きに【世界を震撼させた魔王は生まれ変わって勇者になる】と言う話を書きました。
魔王としてのプライドの高さゆえ、結局凄い優良勇者な行いをしてしまってる、とある羊飼いのお話です。
勢いで書いた駄文で申し訳ありませんが、よかったら覗いてやってください。(´;ω;`)PVがなさすぎて悲しくなったので、こちらでお知らせさせていただきました(汗)




