成長と芽生え ③
イヴ達とのおやつが終わった頃、ローレンは優しげな笑顔を浮かべ、シアンに言った。
「2階にシアン殿達が泊まれるよう部屋を準備しておいた。勿論、追加の二人分もな。ゆるりと休み、旅の疲れを癒やされるがよい」
追加の二人と言われ、ローレンに視線を向けられたソラリスとミックは、慌てて目を逸らすように互いの顔を見合わせた。
それは決して魔王軍幹部だからという恐怖からではなく、ローレンの立ち振舞や笑顔が美し過ぎたからである。
漆黒の長い髪に褐色の瞳、そして人に非ざる灰色の輝く様なすべやかな肌のダークエルフは、エルフの中でも特に美しいと言われる光のエルフ・ミックを見慣れたソラリスにとっても、目を疑う程の美しさ。
それに加え、磨き上げられたセンスに余裕ある物腰の柔らかさ、隙のない凛とした立ち姿とくれば、聖騎士を目指すと決めたソラリスには憧れずにはいられなかったのだった。
そしてミックは、何故か胸の内がザワザワと震えるような懐かしさを感じている。
シアンは縮こまる二人にハハッと笑い掛け、二人の分も纏めてローレンに謝意を述べた。
「ありがとうございます。でもいつもクロの薬を届けてもらったり世話になってるのに、ここに来てもてなされてばかりはいられません。オレ達にも何か手伝わせてください」
「いや、そんな事は……」
ローレンがその申し出を断ろうとした時、その言葉を切ってイヴが声を上げた。
「でもローレンさん! おやつのお片付けは私、自分でするね。何処で洗えばいいの?」
そう言って皆の空いた皿を率先して集めだしたイヴに、ローレンは苦笑しながら頷いた。
「そうか。ではイヴ、私と一緒に洗おうか。ありがとう」
「うんっ」
イヴの役目が決まった時、今度はクロがシアンに向かって声を上げる。
「なら父さん。俺今の内に洗濯してきていいかな? 今洗えば明日の朝には乾いてるだろうし。ローレンさんのも何かあれば一緒に洗ってくるよ」
「あ、そうだな。頼む」
シアンがそう頷いた時、またもや沈黙していたフェリアローシアが待ったの声を掛けた。
「―――ローレンの肌着は私が洗う……。クロ君! 私もその洗濯に同行しましょう!」
「今洗濯に出す肌着はない」
「なら今身に着けているもので構いませんよ」
「今洗濯に出す肌着はない」
「え、まさかのノー……!」
ローレンから2度同じことを言われて尚、フェリアローシアはしつこく何か言おうとしたが、その時視界の片隅でシアンの手が僅かに動いたのを捉える。
直後フェリアローシアは微笑を浮かべて言葉を飲み込むと、そのまま大人しく沈黙した。
クロは、大人しくなったフェリアローシアがローレンから雑巾とテーブルクロスを受け取る様子を、何処かさめざめとした視線で見つめていた。
やがてフェリアローシアに「行きましょう」と再び声を掛けられ、クロはハッと顔を上げてコクリと頷く。
「あ、うん。フェリアローシア君って言ったっけ。よろしくね」
「はい。こちらこそよろしくクロ君。私の事は“フェリ”と呼んでもらって構いません。私が敬愛する者のみに呼ぶことを赦す愛称ですよ」
クロは一瞬驚いた様に目を見開いたが、直ぐに了解したと言うように返事をした。
「そうなんだ。分かったよ、フェリアローシア」
―――そんな二人の会話に俺はふと考える。
……あれ? 俺は“フェリでいいよ”とは言われていない。
そして俺は悟った。 あぁ、うん。成程ね。
◇◇◇◇
それからイヴとローレンは食器を洗いに、シアンとソラリス達は風呂の準備へと解散して、クロとフェリアローシアがみんなの洗濯物を持ってやって来たのは先程の湖畔。
湖の淵でフェリアローシアが何処かもの悲しげに呟いた。
「洗濯は本来好きなのです。しかしローレンが触れたこの物品を洗い、その痕跡を消さねばならないとなると、涙を堪えきれませんね……」
そう言って雑巾を撫でるフェリアローシアを横目に、クロはさっさと水を汲んで先に洗濯を始める。
「いいから早く洗おうよ。ローレンさんだって雑巾は撫でられるよりキレイにしてもらった方が喜ぶと思うよ」
クロが淡々とそう言うと、フェリアローシアは肩を竦めて「ふっ……」と笑った。
その見下げる様な微笑に、クロの眉間がピクリと寄る。
しかしクロは心を落ち着けるように深い息を一つ吐くと、洗濯する手を止めることなくフェリアローシアに尋ねた。
「……ねぇ。さっきは何でローレンさんに口をくっつけてたの? ローレンさん、嫌がってたよ」
フェリアローシアは愛おしげに雑巾を撫でながら答えた。
「あれは愛情表現の一種ですね。どうしようもない程好きな人が出来ると、その人に触れ、唇を重ねたくなるのです。そして更に……―――いえ。この先はまた5年後くらいにしておきましょう。シアン殿にまた怒られたくありませんからね」
フリアローシアはそう言うと、自身の脇をキュッと押さえて苦笑した。
「変なの。触れるって、手を繋ぐってこと? 大きくなっても手を繋いで貰う事は恥ずかしい事だよ」
クロが呆れたようにそう言えば、フェリアローシアはまるで宥め賺すようにクロに微笑み返した。
「ふふ。確かに幼児の様に安全確保の為に手を繋いで貰う事は、クロ君くらいになれば恥と思うかもしれませんね。―――しかし分別がつくくらい大きくなったのに、その心に想い描いた人と手を繋ぐ事を未だ恥ずかしいと言うなら、それは逆に“まだまだ子供”という事になるのですよ。……まぁクロ君は小さいですし、それはまだ分からないかもしれませんね」
フェリアローシアの言葉に、クロはムッと口を引き結んで言い返そうとした。
「何を言ってるの? フェリアローシアの方が……」
「あ、こう見えて私、一応200歳を超えておりますから」
種族が違えばその見た目で年齢を判断する事は難しい。
クロはそんな当たり前の事をふと思い出し、話題を変えた。
「……。―――……でもやっぱ変だ。口は食べ物を食べる為にあるんだ。それをくっつけるとかおかしいよ。なんだかフェリアローシアって気持ち悪いし……」
「そうですか? 私はローレンが食べてしまいたいくらい大好きなので、何もおかしい所はないですよ。ただ、気持ち悪いというのは心外ですね……」
フェリアローシアはそう言いながら、漸く名残惜しげに雑巾を水に浸し、丁寧な手付きで洗濯を始めた。
それから暫くフェリアローシアは黙々と雑巾の汚れを落としていたが、ふと何かを思い出した様にクロを見上げて言う。
「―――あ、そう言えば私、クロ君に会った時には是非聞いておきたい事が一つあったのでした」
「何?」
クロが手を止めることなく、少しムスッとしながら訊き返すと、フェリアローシアは世間話でもするような人懐っこい笑顔を浮かべてクロに尋ねた。
「クロ君はイヴちゃんやシアン殿の事を、今でも“美味しそう”と思ったりはするのですか?」
忙しそうに洗濯をしていたクロの手が、ふと動きを止めた。




