鎮魂祭の奇跡 ④
だがしかし、冒険者など着の身着のままと剣一本から始め、己の力のみで道を切り拓く事を美徳とするような奴等だ。それに……。
「もし、あの子をシアン殿が連れて行くとなれば、私があの子にしてあげられる事などもう何もないのでは? 支援ならばいくらでもさせていただきますが」
「いえ、約束です。道中に必要な全ての生活費、及び学費はこちらで持たせて頂きます」
申し出をすぐさま断られ、私は声を低くして言い返した。
「……確かに初めにそう言っておられました。しかしそれではあまりにも“あの子の父”としての役目が希薄というものでしょう」
その時、私の口からはごく自然に娘を“私の娘”と主張する言葉が口を突い出た。
それには私自身すら内心で随分驚いたものだったが、シアンはそんな私をやはり嗤う事なく、ただ頷いた。
「私が面倒を見させてもらうのは、あくまで“同行時だけ”ですからね。だからあの子が『家に帰りたい』と言って帰ってきた時は、扉を開けて出迎えてやって下さい」
「……」
シアンの言い分に、私は押し黙った。
何故なら、そうなれば私は今後あの子に何かを買い与える事も出来ず、言葉を交わす事も出来なくなる。
そんな中で、あの子にとって嫌な思い出しかないこの屋敷に、あの子が進んで帰りたがるとは到底思えなかったからだ。
だが今迄の事を思えば、私が父親を傘に引き止める事などできる筈も無い。
私は末息子の肩を離すと、シアンの娘の髪を結って遊んでいる娘に駆け寄った。
そして一縷の望みをかけて尋ねてみる。
「―――お前は、その子等と旅立ちたいのか?」
私の問い掛けに娘は身体をビクリと強張らせ、緊張に震える声で短く答えた。
「はい、御父様」
そう言った娘は、また怒鳴られるのでないかと身構えているように見える。
そんな娘の様子に、私は改めて今の自分と娘との間の距離と、埋めようのない溝を再認識したのだった。
しかし私はこの辛うじてまだそこにある、細い糸のような絆を手放すつもりはなく、僅かなチャンスに縋りついてでも繋ぎ止めておきたかった。
だから私はこう言ったのだ。
「そうか。なら行ってきなさい。だが、旅先から手紙を書いて欲しい」
「……手紙、ですか? 私が御父様に?」
案の定、警戒の色を濃くさせる娘。
私は慎重に言葉を選びながら頷いた。
「何でもいい。お前が見聞きして心に残った事や、他愛のない事。何か困った事があった時は、私への頼み事なんかでも構わない。……お前からの手紙が欲しい」
「えっと。はい……分かりました」
娘は怪訝そうにしながらも頷いた。
すると背後から、シアンの嬉しそうな弾む声が響いた。
「いやー、保護者殿の快諾をいただけて良かったな! ソラリスちゃん」
「ええ? ……ええ。そうみたい。よろしく頼むわ」
言質は取ったとでも言いたげに、シアンはまだ困惑気味の娘と楽しそうに話し始めた。
まんまと一杯喰わされたような気もするが、何故かもう、腹が立つ事はなかった。
それからシアンは娘と逸れのエルフも連れて、休む間もなく旅立って行ったのだが、その去り際に、シアンが何やらヒソヒソと耳打ちをしてきた。
「―――そう言えば知っていますか? 今年、50年に一度の【鎮魂祭】が開かれる年なんですよ」
「鎮魂祭? あの、聖ルシアが、聖なる魂達に一夜限りの慈悲を与えるという神話の中の【鎮魂祭】ですかな?」
「え、……エェ、ソぅデスネ。―――とにかく! 今年の秋、11月1日です。あなたも願ってみては? 私の話など信じられないでしょうが、もしかすれば、本人から話が聞けるかもしれませんよ」
「はぁ……」
―――本当に……不思議な男だった。
そんな話を信じるのは、今時幼い子供くらいだ。
いい大人がそんな話を信じる筈がなく、十中八九鼻で笑われて終わりだろう。
―――なのに……あの男は何故、私がそれを信じる事を知っていたんだろう?
不思議だった。
◇
それから5ヶ月後、秋も深まり少し肌寒くなった頃。
私は部屋の窓を大きく開けて、月明かりの下で祈りながら“彼女”を待っていた。
この時期は“窓や扉を開けていると、悪魔が攫いに来る”などという古くからの言い伝えがあり、人々は固く扉を閉ざし、早く眠るのが慣例となっていた。
まぁ、季節の変わり目だから、体調を崩さぬ為の教訓的な伝承だろう。
秋の虫すら声を潜める静かな夜。
ふと、風もないのに大きくカーテンが揺れた。
私はそちらに目をやり、何の疑問も感じる事なくその存在に声を掛けた。
「あぁ、来てくれたんだね」
開け放たれた窓の外。月明かりに照らされるバルコニーに、ブロンドの髪が揺れている。
そこに現れた“彼女”は、初めて私が“彼女”に出会った時と同じ若かりし日の姿で、ゆったりと身に纏った真っ白なワンピースドレスの裾を揺らしながら佇んでいた。
静かに私を見据える眼差しは、あの頃と変わらない。
私は跪いたまま、月光に照らし出される彼女から視線を逸らさず懺悔した。
「謝りたい。許して貰えるとは思っていない。だが、どうしても君に謝りたかった」
すると彼女がふらりと私に歩み寄り、私の首に手を伸ばしてきた。
その指が首に絡みいてきた時、ふと私はこのまま“彼女”によって、死へと誘われるかもしれないという思いに駆られる。
……まぁ、それも仕方ないか。
しかし直ぐにそう思い直した私は、その指から逃れようとする事なく“彼女”の判決に身を任せる事にした。
しかし指は私の首を通り抜け、“彼女”はその細い腕で私の頭を包み込んできた。
その腕に抱きすくめられると、あの懐かしいライムの香りが鼻孔を突く。
そして、懐かしい言葉が耳に響いた。
『そんな事はいいよ。時間が勿体ない』
その響きには、私への怨念など欠片も籠もっておらず、どこ迄も“彼女”らしかった。
“彼女”は甘える子猫のように私に頬を擦り付け、私のこれ迄の後悔を笑い飛ばすような明るい声で言う。
『だってアタシはカイ程賢くないからさ……バカだから、もう全部忘れちゃったんだ。だからカイも、もう何も気にしないでいいよ』
私は胸の前で組んでいた手を解き、“彼女”の背に腕を回しながら頷いた。
「君がそう言うなら忘れるよ。今日の私は、君の為にここに居るのだから」
私がそう言うと“彼女”は嬉しそうに目を輝かせながら、私の顔を覗き込んできて言った。
『ねぇカイ。なら最後に一度だけ“私が世界一好きだ”って言ってよ』
私は驚いて“彼女”を見つめ返した。
いつも本気になるなと私に釘を指してきた彼女から、初めて言われた我儘。
私には妻という尊ぶべき大切な相手がいて、守るべき領地があり、それらを捨てない限り、私が彼女に愛を語る事はタブーだった。
そして私はそれらを捨てるつもりはなく“彼女”もそれを知っていたから、“彼女”はこれ迄一度たりとも、それを私に求める事はしなかった。
『本当はずっと、言って欲しかったの。―――お願いよカイ。これでホントに最後だから』
そう急かす彼女はきっと知ってるのだ。
この最後の逢瀬は、タブーを犯しても絶対に誰にも暴かれる事がないという事を。
だから私も、タブーを犯した。
“―――世界で一番、愛していたよ”
この夜の記憶は、言葉通り墓場まで持っていく私と“彼女”だけの秘密。
私達以外の者から見れば、愚か極まりない狂人達による世間への冒涜行為に他ならず、貴族社会の風上にも置けぬ恥晒しだ。
しかしこの亡霊との罪深い逢瀬は、どれほど切実に神に祈っても拭い取れなかった私の罪を、いとも容易く全て洗い流していったのだった。
―――一夜明け“彼女”の姿は朝日に溶けるように消え去り、全ては夢だったかのように私のいつもの日常は戻ってきた。
次の鎮魂祭は、今からまた50年後。
だから今度は、それを待つ事なく私が“彼女”に会いに行く事になるのだろう。
そんな事を考えながら、私はかつてない晴れ晴れとした気分で朝日を見つめていた。
と、その時ふと一つの事を思いつく。
そうだ、本を書こう。
私が体験した奇蹟を本にして、後世に残しておこうと、そう思ったのだった。
私は部屋の机に置かれていたメモ帳に、早速走り書きをした。
―――光の天使ルシアに導かれし魂達が、一夜だけ楽園エデンから舞い戻る夜。
必ずではないが、願ってみるといい。
失った愛しい者に、会えるかもしれない。
私も一度だけ、その奇蹟を体験した者の1人なのだから。―――
◇◇◇
あらから私は執務の合間、私は歴史を調べては少しずつ本を記し始めていた。
書き上げるにはまだ掛かりそうだが、まぁ本に関しては、まだ時間はたっぷりある。
何せ次の“鎮魂祭”は、まだ49年と5ヶ月も先なのだから。
それより今は手紙だ。
今朝娘から届いた手紙にはこう記されていた。
―――親愛なる御父様へ。
ノルマンに入学して、早くも2ヶ月の月日が経ちました。学食がとても美味しいです。あと、学部の専攻は魔法剣術を取る事にしました。
それからご迷惑じゃなければ、夏期休暇中そちらに帰ろうかなと思います。しかし無理にとは言いません。寮母のクリスティーちゃんは残ってくれてるので、このままここで過ごす事もできます。
だから、たとえ無理でもご心配にはおよびませんし、誰にも迷惑はかけません。
お時間のある時に、お手数ですが可否についての御一筆を頂ければ恐縮です。
ソラリスより―――
まだまだ私と娘を隔てる溝は深い。
それでも、今にも切れそうだった絆は健在だった。
私はその手紙をもう一度読み返してから、ペンを取り上げペン先をインクに浸す。
そしてあの不思議な導きに感謝を捧げながら、真っ白な便箋に文字を綴った。
―――親愛なる私の娘ソラリスへ。
手紙をありがとう。
是非帰っておいで。
ソラリスに会える事を、心から楽しみに待っているよ。
(鎮魂祭の奇跡・終わり)




