鎮魂祭の奇跡 ③
まさかこの男にも見えているのか? あれは一体何なんだ?
だがそんな私の疑問が解決される前に、光はふわりと舞い上がりシアンから離れていった。
そしてシアンが今度こそこちらを向いて私に言った。
「ともあれ、あの子達が少し特殊である事は私も認めます。だからこそ、こうして常識値を測る為の同行者をと考えている訳ですからね」
やはりシアンは全て把握した上で、こちらを試してきていたのだ。
もはや取り繕うのも面倒になってきた私は、歯に絹を着せることなく答えた。
「はは、無理でしょう。非常識値の限界すら、大幅に突飛しておりますから」
シアンはそんな私の不遜態度に、苦笑を溢しただけでまた話を続けた。
「しかしそちらの御子息達はともかく、あの娘さんだけは案外平気そうではないですか?」
「―――あの子だけは駄目です」
私は奥歯を噛み締めながら答えた。
「何故ですか? 何故そこまで拒むのですか?」
無害そうな顔で、人の触れられたくない部分に土足で踏み込んでくる男。
しかしこの男には、最早腹の探り合いすら無駄と悟った私は、包み隠す事なく私が“彼女”の娘を憎む理由を話した。
“彼女”との出会い。“彼女”の失踪。やっと忘れた頃に突然現れた“彼女”の奇行や暴言。そして私が被った被害や、“彼女”が私を恨んで死んでいった事。そしてその死について、私がどう思ったかというこの醜悪な心の内を。
だがシアンはそんな私を嘲笑うことも、軽蔑の目を向けることもなく、ただ不思議そうな顔をした。
そしてふわりふわりと揺蕩う山吹色の光と私を交互に見つめながら、おかしな事を言い始めた。
「聞いた話とは違いますね」
「誰に何を聞いた?」
また妙な噂でも流されていたのだろうか?
「誰からなのかは、守秘義務により話せません。それでも私が聞いた話では“彼女”は貴方を恨んでなんていませんよ。ただ“申し訳ない事をした”と」
「成程。私に説教という事ですか」
……シアンは高位の神官資格を持つという。だが今の私にはもう、そんな説教など聞く気はなかった。
目を閉じ、口を固く引き結んで、その説教が早く終わるよう願い耐える。
「“彼女”は貴族であるあなたとの間に、子を設けるのがタブーだと知っていた。だからこそ、あなたとの子を守る為に姿をくらます事を決めた」
知らない。
「“彼女”の別れ際、あなたの娘と、そして記憶の中のあなたとだけを連れ添って、一生静かに生きていくつもりだったようです。しかし事情が変わった。―――自身の余命が半年と告げられ、身寄りのない彼女は、幼い娘の事を娘の父親に託そうと思ったんだそうです」
……余命半年? 私の願いを悪魔が叶えてしまったんじゃないのか?
いや、そんなこと嘘に決まってる。そもそもその間、調べた情報によればシアンはジャック・グラウンドに籠もっていたという。
つまり、シアンが“彼女”を知る筈がない。
「とはいえ、随分と感情的な方だった様ですね。あなたが話しさえ聞いてくれないと知るや否や、頭に血が上って、周りの目も気にせず怒鳴り散らしてしまった。そのせいであなたに迷惑をかけた事については、謝りたかったらしいです」
「っ迷惑なんてものじゃなかった」
アレに一体どれほど私が苦しめられたか……。
だがその時、ふと脳裏に“彼女”ならばあり得たかもしれない、という思いが過ぎった。
奔放で直情的で、自分に正直だった“彼女”なら、無自覚にそうしてしまったんじゃないかと。
「本当にあなたが好きだったんでしょうね。タブーを犯してまであなたとの子を生かそうとし、今際の際ですら、あなた以外には縋ろうとしなかった」
「……だから何だ。全て終わったことだっ。シアン殿に何が分かる。何も……知らない癖にっ」
私はとうとう耳をふさいだ。
何れにせよ、私は“彼女”を裏切り突き放した。
全てが“今更”なのだ。何を言われようが、どんな憶測を立てようが私はもう許されない。
だから許さないのだ。許してはいけない。そうしないと私は……。
だが、耳を塞いでもシアンの声は耳の奥に響いてきた。
「ええ、知りません。私に出来るのは、ただ伝える事くらいです。“―――向日葵と言ってくれて、嬉しかった”と」
―――……!!?
シアンの口から放たれたその一言に、私は身体を電流に貫かれたような衝撃を覚えた。
痺れ、震える手足をなんとか動かし、顔を上げてシアンを見れば、シアンの肩にはあの光が羽根を休めるようにとまっていた。
シアンは、今となっては私しか知らない筈の会話の断片を拾い上げて口にする。
「“余所見ばかりの浮気性じゃなく、愛してくれる太陽を探し続ける、ひたむきな向日葵だと言ってくれて救われた”」
そして、私すら知り得ぬその名に込められた意味を口にする。
「“向日葵にとって、あなたは『太陽』だった。だから、娘にはソラリスと名付けた。―――太陽の子だから”」
……“彼女”なのか?
シアンの肩に留まる光は、一層優しげな強い光を放っていて、それはまるでシアンから神聖な後光でも差している様にすら見えた。
私は震える声で、再び尋ねた。
「……本当に、誰から……聞いたのですか?」
「それは言えません」
シアンはそう即答した。
その時、シアンの肩で静止していた光が一度頷くように瞬いたかと思うと、パンと弾けて光の粉となって消えた。
そしてそれっきり、私の目の前をあの光か飛び交う事はなかった。
私はシアンと共に消えた光の残光の鱗粉を暫く見つめていたが、やがてその残照も消えた頃、シアンがポツリといった。
「―――“彼女”の魂に、私は同情します」
「……」
私は声もなく頷いた。
だってそうだろう? 正妻として決して結ばれぬ立場を知りつつ、懸命に私なんかを思い続けてくれた。
なのに私といえば、そんな彼女を今の今まで、勝手な勘違いとプライドの為に憎み続けていたのだ。
「彼女は自分の外聞すら捨てて、娘に父親からの愛情と、住む家と、財産を残したかったんでしょう」
そう。なのに愚かな私ときたら……。
私が自分自身を嗤おうとしたその時だった。
シアンが突然、私の予想もしていなかった言葉を放ってきた。
「でも知ってます? 娘さんは“冒険者”になりたいらしいですよ」
「なに? 冒険……しゃ?」
意味が分からず私が口をはくはくとさせていると、シアンは何処か陰鬱にブツブツと愚痴り始めた。
「そう、なんでも屋の冒険者。よく言えば“開拓者”。でも言ってしまえば“その日暮しの荒れくれ者の集い”。爵位や家柄、親の後光なんて馬鹿にされる材料でしかないような世界です。―――何故、よりにもよって冒険者……。後ろ指さされながら、無理矢理あなたに迎え入れされた事を、全くの無意味にさせる選択。親の願いや努力なんて知ったこっちゃない。あぁ本当に、儘ならない。不憫でなりません……」
そう言ったシアンは、欠片の冗談も籠もらない遠い目で、子供等の方を見ていた。
……いや、待て。“彼女”の行動が無意味だったと言うなら、私はなんの為に苦しんだ? “彼女”も私も、一体何の為にっ……。
胸の内が、言い表しようのないモヤモヤとした気分になる。
そしてやりきれず黙り込む私に、シアンが苦笑しながら励ますように言ってきた。
「でも、ある方が言っていたんです。“そんなもんだよ”と。“親に救いなんてある筈ないんだから、期待するほうが間違いだ”って」
一体誰だ? そんな枯れたことを言った者は。
「まぁ私もまだまだ未熟で、そこ迄の静観は出来ないのですがね。しかしどうせ思い通りにならないなら、必死こいて邪魔するその労力を、必死こいてその子のやりたい事の手助けに使う方が、親として楽しいかなと考えるようになりました」
「その結果がかのお二人ですか」
「はは……は……。はぃ、私も驚いています」
苦笑するシアンから私は娘に視線を移した。
今迄私はあの子から、奪い押さえ込むことに心血を注いでいた。あの気力を、あの子のその背を押すことに使うとしたなら、今の私に一体何ができるのだろう?
不器用に四苦八苦しつつも、少女の髪を編もうとする私の娘。
その姿を眺めながら、私はいつの間にかそんな事を考え始めていたのだった。




