鎮魂祭の奇跡 ②
私はそれから仕事に没頭した。
家族を大切にし、家督を継いでからは自分で言うのも何だが、良き領主として領地を発展させて行った。
そしてあれから8年の月日が流れ、私が“彼女”の事などすっかり忘れた頃、突然“彼女”が私の邸宅にやってきたのだ。
彼女の姿はあの頃の面影は無くやつれ果て、髪の艶は失われ、不健康に太り、若さという輝き等すっかり失われていた。
そして何より不愉快だったのが“彼女”によく似た一人の少女を連れていた事。
私は屋敷の窓から、門の前に佇む“彼女”見下ろしながら執事の報告を聞いた。
「あの者の連れている娘が、旦那様の子だと申しております」
「知らん。あんな女の子供など、どうせどこかの馬の骨の子供だろう。何か要求してきたのか?」
「はい。あの娘を旦那様に引き取って欲しいと。そして伯爵邸で育てる事を要求しております」
私は舌打ちした。
まだ金の工面の要求の方がマシだった。
貴族が血統を尊び、私生児を嫌う事など幼子でも知る常識。私はもう女性を囲うようなことはしていないが、彼女らの間でも常識の筈だった。外で“子供は作らない”と。―――なのに、それをよくもいけしゃあしゃあと……。
私は汚物を見るような視線で門の前の二人を一瞥すると、吐き捨てる様に執事に言った。
「……馬鹿な。誰が認めるものか。お帰り願え」
どうせあの後何処かで作った子供だ。私の子供の筈がない。きっと次の男に乗り換える為、邪魔になった子供を適当な理由で、私に押し付けようとしているのだ。
私はさっさと今日の出来事を忘れようと努めたのだった。
だが彼女は次の日も来た。泣きながら門の前で叫ぶ。
「あなたの子なのっ! 話を聞いて! お願いよぉ」
次の日も、次の日も、雨が降ろうが関係ない。
「検査をしてよっ! 絶対にっ、あなたの子だからぁ!!」
私が仕事で留守にしようが何時間でも門の前に居座る。
「テメェ、シカトこいてんじゃねぇぞっ、この○○○○野郎がっ!! 出てこいっつってんだよっ!!」
何度も警備に捕まり治安部に引き渡されても、釈放された途端“彼女”はやってきた。
「出てこねぇんなら死ぬぞ!? ここで死んでやるよ!! アハハハハッ」
最早狂人だった。
やがてその騒ぎをネタに、貴族達の社交の場で干されるようになっていった。
“私生児持ち”や“愛人狂い”等と呼ばれ、あの日薦めた妻ですら、私に汚い物でも見るような視線を送るようになってきた。
……何故だ? 私なんかより、お前達の方がよっぽど愛人狂いだろう。なぜ私がこんな目を向けられねばならない? 私は悪くない。
―――全部……“彼女”のせいだ。
やがて私は夢の中でも“彼女”の口汚い叫び声に悩まされる程、追い詰められていった。
“彼女”のせいだ。“彼女”のせいだ。“彼女”のせいだ。全部“彼女”のせいだ……。
もう、頼むから……早く☓☓☓くれ……。
―――精神が憔悴した私は、願ってはならない事を願い、私の恐ろしい願いを悪魔は聞き届けたのだった。
その2日後“彼女”はこの世を去り、静かになった屋敷の中で、私は心から安堵した。
―――……漸く☓☓☓くれたか、と。
そして直後、私はそんな自分に戦慄を覚えた。
“彼女”は私に恋と愛を教え、そして人間の醜さを見せ付け、私自身の残虐さを知らしめて、あっさりと去っていったのだ。
彼女にそっくりの娘を、呪いの様に遺して。
だが“彼女”が逝ってからも、私に対する噂が消える事はなかった。
無視をしようと努めていたが“私生児を裏路地で放し飼いにしている”等と囁かれ始め、私は監視も兼ねてとうとう図らずも“彼女”の願い通り、“彼女”の娘を引き取る事に決めたのだった。
娘と暮らしを共にする事は、私にとって“苦痛”の一言に尽きた。
“彼女”と同じ髪の色。“彼女”面影の残る顔立ち。“彼女”によく似た張りのある筋の通った声。
その姿を見るたび、声を聞くたび、私は彼女の幻影に苦しめられた。
『喋るな。面汚し』『お前なんかに絹の服が似合うと思ってるのか?』『多少剣術の才能があるからといって調子に乗るな』『無能』『ただ飯ぐらい』『全てが見苦しい』『お前なんか不幸になれ……』
自分の口から、信じられない程酷い言葉が飛び出してくる。
そんな私を見て、他の子供達や使用人達も“彼女”の娘を虐め始めた。
だが“彼女”の娘は涙一つ見せず、その瞳から輝きを失うこともない。
その扱いは、更に苛烈なものになっていった。
“彼女”の娘から“言葉”を奪い、“自由”を奪い、“家族”を与えず、孤独であるよう監視する。
やがて広いこの街で、“彼女”の娘にはハグレのエルフしか知り合いと呼べる者は居なくなった。
それでも私は“彼女”の娘を許せなかった。
その姿を見る度に“彼女”をあれ程愛した事への後悔と、あれ程愛した“彼女”の死を願い、その死に安堵した自分の浅ましさに悶えるのだ。
あの子は呪いだ。あの子は……。
私は更に仕事に没頭した。
そして他領を圧倒する収穫量と生産力を叩き出し、社交の場では謙虚に、家では妻を尊び、子供達に愛を注ぐ。
それは正に完璧な領主であり、完璧な夫であり、そして完璧な父親であった。―――あの“彼女”の娘への対応を除いては、完璧だった。
やがて私の実績が漸く不名誉な噂を払拭し始めた頃、あの男がこの街を訪れたのだ。
“ノルマンの生きる伝説シアン”
一国の王すら彼に頭を下げると言われる程、世界中の各界に絶大な権威を持つ男。
それが何を思ったのか、“彼女”の娘を見初めたのだと言う。
怪訝に思いつつも実際に会ってみれば、礼儀作法はしっかりしているものの、隙だらけの男だった。
(なんだ。伝説と言う割にこの程度のものか。何とでも言いくるめられそうだな)
それが彼を初めて見た時の、私が抱いた第一印象だった。
案の定、彼は安々と私の提案に乗り“彼女”の娘でなくともいいと請合ってくれた。彼の子共達との相性を見るから、明日ピクニックにでも出掛けようと言ってきたのだった。
シアンに“彼女”の娘を渡せば、私はもう“彼女”の娘を見なくて済む。
だがそれは権威、名声、財力に於いて最高レベルのシアンという男と手を切る事であり、“彼女”の娘の将来を約束する事でもあった。
前者も痛手だが、後者は私にとって到底許せるものではなかった。
もし娘が我々純血統の一族以上の名声を手に入れると言うなら、私は一生貴族社会から後ろ指を指され続けるだろう。
そして、私は自分がこの世で最も穢らわしいだと言うことを、突き付けられ続けるのだ。
私は“彼女”の娘以外の子供達を売り込む為、万全の準備をして翌日に臨むことにした。
―――だがシアンが私の邸宅を後にした時から、私の目には妙な物が映るようになった。
それは山吹色の小さな光。
虫かと思って叩こうと手を伸ばせば、幻の様に消え失せる。だが暫くすれば、またその小さな光は現れ、何かを訴えかけるように私の周りを飛び回った。
翌日になってもその光は消えず、私は執事に尋ねた。
「おい。昨日から妙なものが纏わりついてくるのだ。何なんだこれは」
「……はい? 何でしょう? 何もございませんが」
不思議そうに首を傾げる執事に、私は苛立たしさを感じ怒鳴りつけた。
「あるだろうっ、ここに!」
「あの……お疲れのようですね。まだお時間はありますし、もう少しお休みになられては?」
……どうやら私以外に、この光は見えていないようだった。
私はそれ以上何も言わず、約束の時間よりかなり早く邸宅を出発をした。
―――そしてその日、私はシアンという男の持つ本当の実力を知る事となった。
一国の王が頭を下げるという噂。それが紛れもない事実である事を、身にしみて痛感したのだった。
「………何だこれは……」
陸地だというのに水が渦巻き、竜巻が暴れる。シアンの使い魔の最強の聖獣が牙を剥き、少女の放つ破壊球を受け止めたかと思えば、大地が割れて漆黒の華を咲かせる。
理解など到底追い付かなかったが、これだけはハッキリと言える。
シアンとその子供達がその気になれば、大国すら一夜にして消え失せる厄災そのものとなるだろう。
それはもう、私の知る常識など欠片も通じない人外の暴力だった。
世界の脆さを目の当たりにした30分の後、シアンはあの隙だらけの笑顔で私に言ってきた。
「―――それで、どうでしょう? 私達の旅に同行してくださる方はいますか?」
いる筈ないだろう。
私はその男の全てお見通しだとも言いたげなその物言いに、ふつふつと湧き上がる怒りを感じた。
そして恐怖に泣きじゃくる末息子を抱き寄せながら、シアンに怒声を上げた。
「っふざけるな! 貴様、私の子供達をなんだと思っている!? そんな子等の相手をさせろ!? そんなバケも……っ」
だが次の瞬間、私の顎はシアンによって砕け潰れそうな握力で掴みあげられ、それ以上の言葉を放つことは出来なくなった。
シアンが底冷えのする怒りのこもった声で私に言う。
「アンタこそ、オレの子ども等をなんだと思ってんだ? それ以上言ったらこのまま砕くぞ」
「―――っ」
私は声にならない悲鳴を上げ、懸命に頭を振ってその手から逃れようとした。
そしてその手が離された瞬間、私は激しく噎せこみながらシアンに謝罪をした。
「ごほっ、ゴホッ! す、すみません……っ、目の前の出来事にっ、頭が追い付かず。ゴホッ、失言でしたっ」
「ええ。さぞかし驚かれたことでしょうね。―――分かりました。では今回一度だけは、聞かなかった事にしましょう」
そう言ったシアンを呼吸を整えながら見上げれば、シアンは何故か私ではなく、何も無い空に向かって話し掛けていた。……いや、何もないわけではない。
その時シアンの目線の先には、私にしか見えない筈の、あの山吹色の光が浮かんでいたのだった。




