歴史を巡る旅 ー平原の一本松①ー
その日購入したランナーバードは、イヴにより“ダッキー”と名前が付けられた。
その命名にシアンがイヴを褒める。
「ダッキーか。良い名だな。アヒルみたいにグワグワ鳴くからか?」
「んーん。羽が黒いからダークネスのダッキーだよ」
「なる程。最高だな!」
二人の厨二病は健在である。
クロはそんな会話をそっと聞かなかった事にしていた。
それから三人はラーガ達にお揃いの白い布を整えて街での買い物を楽しみ、夜には子供達にとって初めての宿を満喫したのだった。
―――そして翌日。
「シアン! クロ! 早く行こうよ!」
美しい観光と商業の水の街カロメノスに、イヴは欠片の名残惜しさも感じることなく、二人の手を引いて駆け出した。
久々に、シアンを交えて遊べるのが楽しみ過ぎるのだろう。
イヴの楽しげな様子にロゼもかなりしっかりした顔付きで起きてきているが、街中では相変わらず大人しくしていた。
街を出た二人はダッキーに二人で乗って走ってみたり、石けり競争などをして楽しげに目的地を目指す。
クロの契約獣達は、そんなダッキーを“まぁビギナーズラックだから……”とでも言いたげに、にこやかに眺めていた。
そして丘を5つほど越えた頃だろうか。
とても良い天気だったのに、突然あたりに霧が立ち込め始めた。
クロがダッキーから飛び降りると、キールを抱えてシアンに駆け寄った。
「父さん、霧が出てきたよ」
「あぁ、大丈夫だ。叔父さんが“惑わしの霧”を出してくれてるだけだから」
―――因みに“惑わしの霧”とは、所謂“迷いの森”などに掛けられる、視覚聴覚に加えて反響索敵をも妨害し、地場を狂わせる効果を持つ霧だ。更に転移ゲートを併用設置する事で、何人も逃さない極悪トラップ魔法の一つであった。
「ガラム叔父さんが? どうして?」
「シェルさん達が障壁を張りにきてくれてるから、みんなビックリしない様にだよ。シェルさん達みたいな人って他にいないだろ?」
「うん。翼が4対も生えてると確かに目立つね。シェルさん達も大変なんだ」
―――因みに一応世間一般で“4対の翼を持つ大天使長達”とは、神話時代の伝説の登場人物としか認識されていない。
そんな事を話しながら更に霧の中を進むと、また突然目の前の霧が嘘のように晴れた。……否、正確にはそこだけ霧が消えていたのだ。
そして光る霧に囲まれた幻想的な空間の真ん中には、樹高30メートルはあろうかという、大きな松の樹が聳え立っている。
イヴがそんな大きな松の樹の下に佇む人影を見つけ、満面の笑顔で声を掛けた。
「あ、先生、久しぶりです! それにルドルフ! もう着いてたんだね」
イヴにそう呼ばれ、片手を上げながらにこやかにこちらを向いたのは妙齢の大きな男ガラム。そしてその隣には黒麒麟のルドルフが静かに佇んでいた。
ガラムが駆け寄ってきたイヴに、愛おしそうに声を掛ける。
「久しぶりだなイヴ。元気だったか?」
「はいっ! あのね、先生。私ね、海竜に勝ったんだよ! ヒレを折って氷に閉じ込めたの!!」
「そうか、凄いじゃないか」
因みにイヴが勝った海竜とは、当然自分達を大陸迄送り届けてくれたあの優しい海竜達だ。
イヴの行った仕打ちだけを聞けばとんだ恩返しの様にも聞こえるが、“まの付く集い”に属する海竜達は、気にするどころかそれはいい顔で海の底へと沈んでいったので、今回は同情は不要だと思う。
中良さげに話すガラムとイヴを見ながら、シアンもにこやかにガラムに挨拶をした。
「お久しぶりです叔父さん。すっかり“先生呼び”が板ついてきましたね」
「はは、お前が習わせるならそう呼ぶようにと言ったんだろう。私はおじさんの儘でよかったのだが」
「ま、人間社会での礼儀ですから」
そんなやり取りが落ち着いた後、最後にクロがそっと挨拶をする。
「こんにちわガラム叔父さん。それにルドルフ、凄く会いたかったよ」
「うむ」
「ったくクロスケはよぉ。何時までもガキみたいに寂しがってんじゃねぇぞ? ダセェ奴だ」
ルドルフはそう言ってそっぽを向くが、その口元はニヤケ、前脚は正に浮き足立ってポクポクと小気味よい音を蹄で鳴らしていた。
クロはそんなルドルフに笑いかけ言い訳をする。
「いくら大きくなっても、俺はずっとルドルフに会いたいって思うよ。後ね、俺はダサくない。ルドルフがカッコ良すぎるだけだ」
「……っっホントに! しょうがねぇ奴だなあぁぁ!」
ルドルフはそう言って頭を垂れさせた。
こうも容易く獣王に頭を下げさせるとは、クロの獣殺しは健在だった。
やがてそんな団欒も落ち着いた頃、ガラムがシアンに言う。
「それではそろそろ奴等もここに呼ぶか?」
“奴等”とは、当然ファイブズ侯爵の一行の事だ。彼等はこの霧に迷わされ、かれこれ3時間ほど辺りをぐるぐると迷っていた。
シアンは頷く。
「そうですね。お願いします」
だがふとガラムが眉をしかめ、シアンに確認を取った。
「―――もう一匹、片足のエルフも迷い込んでいるな。そっちはどうするのだ?」
「あ、そっちもお願いします。見学要員ですけど」
「うむ」
ガラムはそう短く答えると手を深い霧にかざし、小虫でも払うような仕草で腕を振った。
途端辺りの空気が揺ぎ、後退る様にその霧を晴らす。
霧の晴れた平原には、春の暖かな陽気が降り注いでいた。
ただ空には風に流されることのない、少し不自然な雲がポッカリと浮かんでいる……。まぁ、もしかしなくても天使長達が隠れているんだね。
一本松の下から見渡せるなだらかな丘の連なる平原の向こうには、大きな馬車が2台、困惑したように立ち止まっていた。
だけど直ぐに一本松の存在に気付いたようで、こちらに方向転換をして向かってきた。
馬車に手を振り合図を送っているシアンに、ガラムが低い声で尋ねた。
「―――あれに乗ってる人間のどれかに、イヴとクロに“常識”の手本をさせると言っていたな?」
「はい。オレが教えられれば良かったんですが、オレ自身もどうも“枠”からはみ出してしまってるらしくて……」
「まぁ、お前が普通ではないという事には、私も全面的に同意する」
「え……」
まさかの同意にシアンは一瞬手を止めガラムを見た。
ガラムは少し不機嫌に話を続ける。
「だが“普通”じゃなくて何が悪い? “非常識”だからなんだ? 何故あの子らの無限の可能性を、無理矢理そう型に嵌めようとする? 群れずとも人間は生きていけるのに、何故群れようとするのだ? ―――私はあの子らにそんな事をさせようというお前の考えが分からん。今のままで十分ではないか」
シアンと目を合わせようとせず矢継ぎ早に質問するガラムを、シアンは一瞬ポカンと見上げた。
それからシアンは手をポケットに突っ込み、少し肩を竦めてこちらに向かってくる馬車に目を向けた。
シアンは馬車を見つめながら短く答えた。
「―――あぁそれが分からないのは、きっと“人間”と“魔物”の根本の違いのせいですよ」
「なに?」
ガラムはシアンを睨む。
それはつまり“あなたには永遠に分からない”と、そう言われた事と同じだったのだから。
だけどシアンはガラムの睨みを受け流し、ポツポツと説明を始めた。
「人間って生き物は、優しくされたから好きになる。冷たくされたから嫌いになるって、そんな単純な生き物じゃないんです」
「あぁ、全く以て難解だ。差し伸べられた手を振り払い、冷たくあしらわれても追いかける。その癖どれほど傷付いてもそのコミュニティーに属そうとする。属していなければ死ぬと思い込んでる奴すらいる。不可解でこの上なく愚かだと思う」
呆れ果て、まるで相容れないとでも言わんばかりに吐き捨てるガラムに、シアンは破顔した。
「はっは、そんな風に言われると返す言葉もないですね。―――ですが叔父さん。逆の発想で見てやってください」




