歴史を巡る旅 ーカロメノス水上都市⑨ー
カイロンの一言に、その場の空気はピンと張り詰めた。
だけどシアンは笑顔を崩す事なく訊き返す。
「何故でしょう。何かご不満な点でも?」
「いえ、条件としては十分過ぎる程にありがたいものです。お子様方のお相手をさせて貰うだけで、旅の援助にシアン殿による教育指導まで受けられるなんて破格ですよ。シアン殿の旅に同行したという事実だけでも各界からは高評価を受け、経歴が輝く物になる事間違いないでしょうから」
カイロンの当たり障りのない褒め言葉に、シアンは笑顔こそ崩さないものの、突然の苛立たしげなオーラを立ち昇らせた。
「―――ファイブズ侯爵。一つ言わせてもらえば、私の子達はそこいらの子供ではありませんよ? 今件の依頼についてハッキリ言えば、私の講義や旅費なんか話にならないくらいの労力を御息女に求めていると思っております。破格どころか、何なら私の持つ資産全てを差し出してもまだ足りないくらいですかねっ! 取り敢えず前金2億ゴールド程ならすぐに準備出来ますが!?」
親バカは怒りポイントも張り合う所もおかしい。
案の定、カイロンも困惑気味にシアンを宥めに掛かった。
「いえ、その……失言でした。お子様あってこその話ですね。はい、あの……失言でした」
カイロンが失言であったも二度言ったところで、シアンは漸く怒りと大人気ない張り合いを収め話を戻した。
「―――なら何故許可いただけないのですか? 同じ子を持つ親として、子供の可能性を拡げたいという願いは同じだと思ったのですが」
「それは勿論です。ただ私が言いたいのは、何故ソラリスなのかという事。……言ってはなんですが、その子はつい最近まで教育という教育を受けていなかったのです。正教会の神官様に調べて頂けばまぁ……それなりのジョブは持っているとの事でしたが、現状まさに宝の持ち腐れ状態。口の利き方も身の振り方も知らないあのような者を、シアン殿との誉れある旅に同行させる事に私の気が引けるのです」
カイロンはソラリス本人の目の前だというのに、憚ることなくそう説明をした。
シアンはまるで能面のような笑みを顔に張り付けたまま、カイロンに言う。
「先程言ったはずですが? 教養も学芸も武術も魔法も、全て私が教えると」
「有り難い申し出ですが我が家にも沽券がある。流石に猿並みの者を送り出す事は出来ないという事です。御理解下さい」
笑顔でそう言ったカイロンのからふと滲み出した、11歳の少女に向けるにはあまりにも深い憎悪に、シアンは思わず閉口した。
そして思う。……失敗したな、と。
ソラリスを憎むカイロンに、ソラリスにとっての好条件を出す事はタブーだった。そして今までの提案で、シアンは既に好条件を出し過ぎてしまった。
シアンが腕を組んで沈黙していると、カイロンは「ははっ」と笑いまた口を開いた。
「―――そこでどうでしょう? 私にはあと5人の子供がおりましてね。そちらから一人連れて行ってもらうというのは」
カイロンは一方的にそう提案をし、シアンの返答えを聞くことなくパチンと指を鳴らす。
すると申し合わせた様に扉がカチャリと開き、上は15歳から下は5歳までの、5人の子供達が粛々と部屋に入ってきた。
5人の子供達は皆上品なドレスやスーツに身を包んでおり、貴族らしい綺麗な所作でシアン達に挨拶をしてくる。
シアンはそんな5人の子供達に笑顔で挨拶を返し、礼儀正しい子供達への賛辞をカイロンに述べた。
「皆さん利発そうなお子様ですね。ファイブズ侯爵から大切にされているのがよく分かる」
「ええ、自慢の息子と娘達です」
気を良くして笑うカイロンにシアンは口調を変えず尋ねる。
「ソラリス殿とは随分着ているものも違うのですね?」
「それは仕方ない事です。ソラリスは剣技のみに優れたジョブですから。それを延ばしてあげようと思えば、あんなドレスは邪魔なだけでしょう? それにああいった衣服は汚してこそですから」
ソラリスの衣服は飾り気の一切ない白シャツに、何処にでもある鉄の胸当てと革の膝当てだ。だがその装備も随分傷み、何度も補修された痕が窺える。
そんな事に文句の一つも言わず、すず涼しい顔で佇むソラリスをシアンはチラリと見て深く頷いた。
「……なる程。確かにソラリス殿は温室で育てられた花より、研ぎ澄まされた宝剣が似合う方だと私も思いました」
「そうでしょう!」
カイロンはシアンのささやかな嫌味には気付かずに笑顔で頷く。
シアンは肩を竦め、じっと5人の子供達を見つめた後、コクリと頷いてカイロンに提案した。
「まぁ、皆さん一応“普通”のようですね。―――分かりました。なら、ファイブズ侯爵のご意思を尊重しましょう。明日ソラリス殿も含めた6名の御子息御息女殿達と、私の子供達でレクリエーション等を開いてみても構いませんか? 私の子供達と上手く打ち解けて貰えるかは、今回同行してもらうにあたって重要項目にもなりますので」
「ええ! それは勿論ですとも。して、レクリエーションとは?」
「そうですね。私の子供達がいつもやっている、球技のドッジボールを皆でなんてどうでしょう?」
「ほぅ、子供らしくて良いですな」
「同意いただけて良かった。なあ、イヴにクロ。明日久しぶりに力いっぱい遊んでいいぞ」
シアンに突然話を振られたイヴとクロは、目を丸くして訊き返した。
「「いいの?」」
「うん。叔父さんやシェルさん達に話して場所は確保してもらうから。何ならルドルフも呼ぶか?」
「「っうん!」」
目を輝かせながら声を揃えたイヴとクロ。……随分ストレスが溜まっていたのだろう。
一方、子供達の同意も得られたカイロンは、自身の提案が通りそうな事に、したり顔で頷いている。
「はっは、このくらいの子供達は遊ぶ事が何よりの学びですからな」
……まぁ、カイロンはシアンすら本気で逃げ出す子供達のいつもの遊びを知らないのだから仕方がないだろう。
そしてシアンもまた機嫌のよく頷いたカイロスに、天使の様な悪魔の笑顔を向けて頷いた。
「それでは明日の昼、カロメノス湖の外の平原の一本松の下へ皆でピクニックにでもいいきませんか?」
「構いませんが、カロメノスの外に出るのですか。一本松といえば丘の向こうの黒狼王の森の近くでは?」
「ええ。そして私達はその後その足で、また旅に出ようかと思っています」
「なんと、もっとゆっくりしていかれればよいのに」
「子供達に見せたいものがたくさんありましてね。こちらの都合ばかりで申し訳ない限りです」
それからシアン達は暫し和やかに明日の打ち合わせをして、その後ソラリスだけを邸宅に置いて街に戻って行った。
街を歩くシアンは笑顔だが、イヴとクロは顔から笑顔を消して手を繋ぎ無言だ。
そしてミックは更にその後を歩きながら、じっとシアンの背中を睨んでいる。
そんな何処かピリピリとした空気の中、シアンが一際明るい声を上げた。
「すまんな、二人とも。ちょっと予定にない用事が入って」
声を掛けられたイヴとクロは無言だが、ミックは苛立たしげに笑顔のシアンに文句を言った。
「兄貴っ、どういうことっすか!? あんだけソラを口説いといて、まさか他の兄弟達を連れてくとか言わないすよね!?」
「口説いてねぇよ。何を言ってんだお前は」
そう突っ込んだシアンの口調はかつてなく穏やかだ。
「いやっ口説いてましたよっ! ってかそれはもういいす。だけどさっき、なんであんなヘラヘラ笑ってたんすか?……明らかに奴等、ソラを馬鹿にしてたっすよね!?」
苛立たしげにミックはシアンに詰め寄るが、シアンはどこ吹く風で街を歩く。
だけど勘のいい子供達は、不安げに互いの手を固く握りしめたままそっと囁きあう。
「父さん、なんか凄い怒ってるよね?」
「しーっ、滅茶苦茶怒ってるよ。だから今は我儘とか言ったら駄目だよ」
「俺、我儘なんか言わないよ。言うのはいつもイヴだろ」
「言ってないし! ……い、“いつも”は言ってない。たまにだよ」
小声とはいえ、すぐ後ろでそんなやり取りをされれば流石に気付く。
シアンは苦笑しながら振り返って、二人の頭を撫でて言った。
「怖がらせてゴメンな。まぁオレは少し腹がたった。だけどイヴとクロまで、あの人を怒ったり嫌ったりする必要はないぞ?」
「え?」
「でもあの人……」
不思議そうに言い返そうとする二人に、シアンは言い聞かせる様に言った。
「ここら一帯が栄えているのは間違いなくあの人が上手く領地を治めてるおかげだし、ソラリス以外の子達にとっては“いいお父さん”だ。認めるべき所もある。そういった面も知って、よく考えてから怒ったり嫌いになったりするべきだ。怒りや嫌悪ってものは簡単に人を傷つけるから、二人も気をつけるんだぞ」
二人は、シアンの言葉にコクリと頷いた。




