歴史を巡る旅 ーカロメノス水上都市④ー
本日2投稿めです
店主の手が震え始める。
「い、いや? それが冗談じゃないなら、足りるけども釣がない」
「?」
店主の様子にクロが首を傾げていると、店主はイヤリングを半信半疑ながら丁重に革袋に仕舞い、もう一つの小瓶を指差した。
「じゃあ、これは?」
「これはね、ハーティーの精油だよ。まだ撹拌が終わってないから未完成なんだけど、あと一年寝かせれば出来上がるよ」
―――ハーティーの精油。
それはかつてハイエルフ達が世代を越え、1万年の歳月をかけてその抽出方法を編み出したという、マナを多く含み、生命エネルギーを向上させる効果のある妙薬だ。
エーテルやエリクサーと言った神話時代の秘薬の原材料で、今やこの世界でそれを作り出せる人間は百名にも満たない。
抽出方法は公開されているが、その抽出過程の難易度が高すぎるのだった。
そしてこの小瓶のそれは、クロがシアンに教えて貰い作ったもの。それこそ数え切れぬ失敗の中で、ようやく形になった初めての精油だった。
……まぁただイヴとクロはその稀少な妙薬を、日々バスオイルとしてふんだんに使っていたのだが……。
ともあれ、この店主達にとってはそうもいかない。
店主はじっと小瓶を見つめ、やがてそれをチャポンと揺らすと、肩を竦めて隣の年老いた店主に声を掛けた。
「ま、鑑定すりゃすぐわかる。婆ちゃんこれ鑑定してやってくれよ。婆ちゃん鑑定のスキル持ちだったろ」
「構わんが3ゴールドじゃよ」
「げ、金とんのかよ」
店主達がそんなやり取りをしてる間に、イヴがクロの肩をつついた。
「クロ、私これがいい」
「決まった? ちょっと待ってね」
イヴが選んだのは打ち上げられたクラゲのような形の、一際白い真珠が付いた指輪。
とその時、じっと小瓶を睨んでいた年老いた店主が言った。
「……本物じゃなこりゃ」
「だよなー。そんなん持ってるわけな……って、えぇ!?」
「その子の言う通りまだ未成熟じゃから、今なら時価なら3000ゴールドってとこかの。だがあと一年もして完成すれば、5000ゴールドは下らんじゃろな」
「っだから釣りがねえって! なんで子供がこんなもの持ってるんだよ!?」
思わず立ち上がってそう叫んだ店主。
だけどクロはそんな店主を見上げながら、口を尖らせて言った。
「俺……じゃなくて、知り合いの人が作ってくれたの。お釣りとかいらないから、足りるならそれと交換してよ」
「いや、流石にそんな詐欺まがいの事出来るかよ。悪いけどこれとも交換は……」
そう言って小瓶を返そうとする店主から、クロは一歩後退ってそれを拒否した。
そして訴えるように言う。
「俺の知り合いのリリーが言ってたんだ。“市場定価小銀貨1枚。中古品になると銅貨5枚。だけど思い出価値が付くと小金貨3枚”だって」
「……なんだそのボッタクリは」
「でも売れてたよ。つまり、その人がどれだけ欲しいかによって物の価値なんて変わるんだよね。だからイヴが欲しいって思った物は、それって俺にとって凄く価値があるんだ。それで……えっと……」
「……」
店主は沈黙した。
目の前で小さな少年が懸命に説明しているのは“物価”ではなく“真価”の話。
商売人として生きてきた事によって忘れかけていたその価値を、店主はふと思い出したのだ。
店主は返そうとしていた小瓶を引っ込めると、小さく息を吐くと言った。
「じゃ、これと交換すっか。他に欲しいもんがあったら持ってっていいぞ。それから小銭しかないけどこれも持ってけ」
そう言って店主は売上の袋を差し出すが、それもクロは拒否してイヴの手を引いた。
「いらない。これだけがいいんだ。ありがとおじさん! 行こうイヴ」
「え、う、うん。ありがとうおじさーん!」
イヴの後引く声を残しながら、二人はまた人混みの方に駆けていった。
ぽつんと残された店主は、小瓶とコインの詰まった革袋を手に暫く呆然と立ち尽くしていたが、やがてまたドサリとその場に腰を下ろした。
そして小瓶を懐に仕舞い、呟くように言う。
「すげーな。俺もあんな風に“釣りはいらねえぜ”ってやってみたい」
「クク、やればいい。見栄の為に3000ゴールドを捨てみればよいじゃろ」
年老いた隣の店の店主が、喉を鳴らせながら答える。
真珠屋の店主は一瞬沈黙したが、すぐに頭を振って肩を竦めた。
「……いや、無理だわ。ってか2990ゴールドな。あと鑑定代も合わせて2987ゴールドか」
「はぁ……細かい男じゃ。確かに無理そうじゃの」
「はは、返す言葉もないな」
そんな話をしていると、また通りの方から楽しそうな声が掛けられる。
「わぁ、可愛いっ! すみません、見せてもらってもいいですかぁ」
「あ! はいよいらっしゃい! カロメノス湖特産の淡水真珠だっ。今日はセール日、どれでも10ゴールドだよっ」
こうして、少し風変わりな旅人達がこっそりと訪れている街は、今日もいつもの様に何事も無く過ぎていくのだった。
―――そうそう。結局この真珠屋の店主だが、その日出会った少年から手渡された小瓶は、生涯売る事なく大切に手元に置いていたという。
勿論、使われない薬など水程の価値もない。
だけど彼もまた、その小さな小瓶に“5000ゴールドでは手に出来ない価値”を見つけたのかもしれない。
俺はそんな風に思ったりもしたのだった。
◇◇◇
一方、店を後にして露店街を抜けた二人は、少し開けた小さな広場に行き着いていた。
イヴはつい今しがた買った指輪を、左手の中指に嵌めて掲げている。
「クロ、見て! 真っ白! クロの髪と同じくらい真っ白でしょ」
そう得意げに言ったイヴに、クロは苦笑した。
「うん、いいの選んだね。だけどブカブカだ。大人の人用だったみたい」
「いーよ、私すぐに大きくなるし」
「じゃ、俺も大きくなる。イヴよりおっきくだよ」
「私の方が大きくなるよ。あの家くらい!」
「それは無理だよ」
そんな他愛ないジョークを言いながら、イヴとクロは仲良くクスクスと笑っていた。
と、その時広場の端から歌声が聴こえてきた。
竪琴と笛の音に合わせて歌われる美しい旋律に、イヴとクロは同時に振り返る。
それは創世神ゼロスを崇める正教会の聖歌隊。
道行く人々はその美しい歌声に足を止め、募金箱にコインを投げ込んで聞き入っていた。
歌のタイトルは“聖樹の賛歌”。
タイトル通り樹を讃えて歌ってくれてる歌なんだけれど“聖歌”に分類されていて、正教会の者達によってよく歌われているのだった。
歌が響く。
―――樹は育ち 葉は茂り
やがて花咲き 青い果実を実らせる
(―――其れこそが栄華 此れこそが繁栄)
樹の実は熟し 芳醇な香りで魅了する
甘い果実は柔らかな揺り籠
其の中で 愛と憧れを一身に受けて眠るは 若い種
与えよ愛を 与えよ哀しみを
其れこそが種の糧となり 此れこそが生命の源となる
熟しし種は何処へゆく 孤独をさまよい流れゆく
芽吹きの力は既にあり
深い闇の中 硬い殻の中 暗い土の中 光を求め芽吹くのだ
光を求め葉を伸ばせ
そう
―――樹は育ち 葉は茂り
やがて花咲き 青い果実を実らせる
(其れこそが真理 此れこそが哀しくも喜びに満ちたこの世界)
ああ 讃えよ 美しきその樹を
(嗚呼 讃えよ 麗しきその光を)
ああ 謳歌せよ 揺らぎ 移り変わるこの時を
(嗚呼 記憶せよ 揺らぎ 移り変わるこの時を)
我らが聖樹の祈りを この一身に受けて
(我が愛すべき瞬きを 漏らす事なく祝福し)
―――今こそ 我らが光とならん
(―――今こそ 我が芽吹きの時)
そして歌は静かに終わった。
イヴとクロは食い入るように聖歌隊を見つめて歌を聞いていたが、やがて他の観客達に混じって大きな拍手を送った。
「凄いね! 上手だった!!」
「うん、初めて聞いた!」
と、その時。興奮に油断したイヴの指から真珠の指輪がスッポリと抜け、人混みの方へと飛んでいってしまった。
「あ……」
イヴは飛んでいく指輪を眺めなら、飛び出して空中キャッチしようかと考えたが、シアンの言葉を思い出して足を止める。
“―――幅跳びは2メートル以上跳んではいけない”
あっと言う間に指輪はカツンと大地に落ち、イヴはそれに小走りに駆け寄る。
だけどイヴが指輪に追いつく前に、通りすがりの少女がそれを拾い上げた。
「……これ、あなたの?」
そう言ってイヴを振り返ったのは、白銀の胸当てと身長に見合わぬ程大きな大剣を背負った、金髪碧眼の少女だった。




